城塞都市カシウム
昨夜、急遽開催されたリバーシ大会は大盛況だった。
あの場にいた誰もが、最初は「白と黒の石を挟むだけの簡単なゲーム」に見えたのだろう。
しかし実際にやってみると、単純ながらも奥深い戦略性にすぐに引き込まれていった。
「やべ、これおもれぇ…」
「くっ、裏返された…っ!」
焚火の灯りの中、木の板に手作りの石を並べて、真剣そのものの表情で対局に臨む仲間たち。
もちろん、俺が無双した。
前世の知識を活かし、序盤・中盤・終盤すべてにおいて盤面を掌握。
だが意外だったのは、ザックとフレッドの強さだ。
二人とも直感派のはずなのに、リバーシでは読みの鋭さを見せた。
特にフレッドは何も考えていないような顔で、時折俺さえも「おっ?」と思わせる一手を打ってくる。
朝になっても、彼らの熱は冷めない。
馬車の移動中も、荷台にクッションと布を敷き、安定したスペースで何局も打っている。
ルールも既に覚え、互いに「角をどう守るか」「中盤で欲張ると負ける」などと、自分たちなりの戦術論を語り出しているほどだ。
そして――昼過ぎ。
目の前に現れたのは、巨大な石造りの壁だった。
「……すげぇ……」
誰からともなく声が漏れる。
見上げるほどの高さと、どこまでも続いていそうなその長さ。
これが――城塞都市カシウムか。
「壁の前、何かたくさんあるね」
「テントに小屋……なんだありゃ?」
城壁の前には、まるで張り付くように、簡易な住居が立ち並んでいた。
テント、ボロボロの木の枠組み、布で覆っただけの掘っ立て小屋。
中には半壊しかけたようなものさえある。
だが、人の気配は濃厚だ。
焚火の煙、物売りの声、子供の泣き声。
確かに「生きている」生活の場だ。
「入場料を払えない者たちよ」と、エイラが答える。
「この辺じゃ珍しくないわ。都市の周囲に、こういう簡易居住区が形成されるの。税が払えない庶民や、職を求めてやってきた流民、戦争や飢饉から逃げてきた者もいる」
「…一種のスラム街ってことか」
「言い方は違うけど、概ね合ってるわ」
城壁の上部には歩哨らしき人影がちらつき、遠くに塔が複数見える。
要所には巨大な投石機らしきものも設置されており、カシウムがただの大都市ではなく、国境防衛の要であることをまざまざと実感させられる。
「カシウムは国境線にあって、尚且つ交易の中継地でもある。軍事と商業、両方の要所よ」
エイラが補足する。
確かに、街へ入ろうとする人々の中には、馬車や荷車を引く商人たちの姿も多い。
その多くが、リーガム街方面へ向かっているようだった。
「……あれが門か」
正面に構える鋼鉄で補強された城門の前には、十人の兵士たちが立っていた。
周囲には、粗末ながら雨風をしのげそうな詰所のような小屋があり、中にも兵士の姿が見える。
どうやらここで交代で見張りをしているようだ。
行列は――そこまで長くはない。
だが、商人たちの検問が丁寧なのか、進みはややゆっくりだった。
シマは御者席から降り、手綱をサーシャに預ける。
「頼む。ちょっと、ザックたちのとこに行ってくる」
荷馬車の後方に回り、リバーシに興じる面々へ声をかける。
馬車の列がゆっくりと前へ進んでいく中、シマは荷台の後方にいる家族たちへと声をかけた。
「おい、みんな聞け。今から城塞都市に入る。言動にはくれぐれも気をつけろ。特にザックとフレッド、お前らは要注意だ」
その瞬間、ザックが露骨にため息をつく。
「ったく、何度も聞いたぜ、シマ」
「お前は心配しすぎだっての。俺たちだって、そこまで馬鹿じゃねえよ。なあ、ザック?」
フレッドが笑いながら口を挟む。
「そうそう。俺たちがいつ問題起こしたってんだよ」
ザックがうなずく。
……その場にいた全員が、一瞬、無言になる。
(……いや、あっただろ)
(むしろ最近もあっただろ)
(……自覚がねえのかコイツら)
思っただけで口には出さない。だが、家族たちは心の中でそろって思った。
空気が微妙に固まりかけたところで、ミーナが小声でサーシャにささやいた。
「シマ、大変だね。あの二人、元気すぎるっていうか、こう…天然で」
「ほんとよね。でも、あれでも一応頼れるとこもあるし…たまに」
「"たまに"ね」
二人がくすっと笑ったのを横目に、シマはふうとひとつため息をついた。
「いいか。城塞都市カシウムは軍都だ。兵士の目も多いし、貴族や官吏の息もかかってる。地方の村や街とはわけが違うんだ。見た目で"ただ者じゃない"って思われてること、忘れんな」
ザックとフレッドも、ようやく少し真顔になる。
「……わかったよ。気をつけるってば」
「なぁに、俺たち、やるときはやるぜ」
――問題は、「やらなくていいときにやる」んだよお前らは。
そう言いたくなるのをグッと飲み込み、シマは一歩、前へ進んだ。
城門までは、あと五十歩。
門番の兵士たちは、すでにこちらに気づいている。
門前にて待機していた一行の前に、一人の兵士が歩み寄ってきた。
鍛えられた体に鎖帷子、腰には軍標の入ったショートソードを下げている。
年齢は三十代半ばか、きりっとした目でこちらを見ている。
「身分証はあるか?」
そう言いながら、もう一人の若い兵士が馬車の中を軽く検めていく。
荷物の中には武器や防具もあるが、特に隠し立てはしていない。
「…いい武器を持ってるな」
若い兵士がぽつりと呟いた。
後方にいた別の兵士が、シマたちの姿を見て、眉をひそめた。
「…なんだあいつら、デけえな…」
「特にあの三人だな。あれは…人間か?」
視線の先には、ポールアックスを背負ったジトー、巨大なウォーハンマーを持つトーマス、そして皆朱の槍を持つザックの姿。
確かに三人とも並外れて大柄で、目立たないわけがない。
シマが一歩前に出て、落ち着いた声で語りかけた。
「これが俺の身分証だ。ホルダー男爵家の家紋が押されている」
兵士が受け取り、じっと見つめる。
すると後方から現れた、少し年嵩の壮年兵士が横から覗き込むようにして近づいた。
「……これは、確かに本物のようだな」
彼はシマを上から下まで観察するように見やってから、問いかける。
「…お前たちは何者だ?」
「シャイン傭兵団だ。ノルダラン連邦に向かう途中で、ここの侯爵に会いたいと言われている。」
「……ふむ。少し時間がかかるが、ここで待っていてくれ」
そう言って彼は一人の部下を呼び、何やら耳打ちしながら奥へと走らせる。
その間に、他の兵士たちが隊のメンバーに身分証の提示を求めてきた。
順番に見せていく中、ザックがふとフレッドの身分証を覗き込み、首をかしげる。
「なんだそれ?」
「お前、シマからもらっただろ?」
「…そうだっけ?」
あっけらかんと答えるザックに、フレッドが心底呆れたような顔をした。
シマは肩をすくめ、兵士に向かって歩み寄る。
「こいつ(ザック)の身分証なら、俺が持ってる。」
(アイツに持たせたら絶対なくすと思ってな)
そう言って、腰袋からもう一枚の身分証を取り出し、兵士に見せる。
「ふむ、こちらも問題ないな」
「シマ、失くすんじゃねえぞ。俺の身分証」
ザックが言う。
「お前が言うな」
クリフとフレッドが同時にツッコミを入れた。
そんなやり取りをしている間に、兵士が戻ってきた。少し息を整えながら告げた。
「二日後の午前中、練兵場に来いとのことです。」
「練兵場?」
シマが眉をひそめる。
「カシウムの城の横に隣接している。侯爵家の関係者がそこで会うことになったらしい」
「……なるほど」
一行の反応を見ながら、壮年の兵士が腕を組み、シマたちを順に見渡した。
「通っていいぞ…シャイン傭兵団…だったな?」
「そうだ」シマが頷く。
「よし。門をくぐれ」
――城塞都市カシウム入城
一行はそのまま中へと進む。
門を抜けた瞬間、全員が思わず足を止めた。
「……広い」
「でけぇ……」
「人が多いな」
目の前に広がるのは、今まで訪れたどの街とも違う規模の都市だった。
巨大な石畳の道が街の中心へと続き、その両脇には無数の建物が立ち並んでいる。
商店、酒場、鍛冶屋、宿屋、露天商の屋台などが所狭しと並び、人々が行き交う。
「……中心部はあそこか?」
トーマスが呟く。
「お城があるわね」
リズが確認するように言う。
「……奥行きがありすぎて見えねぇな」
ジトーが腕を組みながら答える。
「人の数も、これまで見た街の何倍、いや何十倍もいるわね!」
サーシャが目を丸くして周囲を見渡す。
「活気がすごいわね」
ミーナが感心したように言う。
シマは街の様子を観察しながら、すぐに宿を取ることを決めた。
「まずは宿を確保しよう。夜まで歩き回るのは避けたい」
一行は人波をかき分けながら宿を探す。
「アパパ宿」に決まる。
これからの、カシウムでの拠点となる場所だ。
――シャイン傭兵団の新たな動きが、ここから始まる。




