前夜
「明日には出発か?」
ジトーが問いかけた。
「そうだな。」
シマは静かに頷く。
そんななか、ロイドがオスカーを見て言った。
「御者席を直さないとね。」
「点検も含めてやっておくよ。」
オスカーは頼もしく頷いた。
彼の整備技術にはシマたちも絶大な信頼を寄せている。
馬車の調整は、旅の安全に直結する問題だ。
その時、フレッドがふと呟いた。
「……大八車?って言ったか、あれは作らねえのか?」
それを聞いてクリフが考え込む。
「…井戸場は近いけどな。」
大八車があれば、水汲みや薪運びが格段に楽になる。
しかし、トーマス一家にすぐに便利なものを与えるのは果たして正解なのだろうか?
「何でもかんでも与えてやったらダメじゃねえか?」
ザックが腕を組んで口を開く。
その瞬間、シマたちは一斉にザックを見つめた。
(……こいつがまともなことを言いやがった。)
シマたちは無言で顔を見合わせる。
今回は珍しく筋の通ったことを言った。
「な、なんだよ? なんか変なこと言ったか?」
ザックは周りの視線に戸惑いながらも、自分の言葉を振り返る。
「言われてみれば、ザックの言う通りかもな。」
クリフが納得したように頷く。
「そうだろう!」
ザックは得意げに胸を張った。ドヤ顔の彼に、シマたちは苦笑するしかない。
「新しい鋸とか買ってきたんだろう?」
ジトーがオスカーに確認する。
「釘やノミ、ハンマーとかもね。」
オスカーはそう言いながら、荷物の中からそれらの道具を指差した。
「男手がないわけじゃないし……。」
ロイドがぽつりと呟く。
「親父さんたちも、これ以上僕たちに頼るのは気が引けるかもね。」
確かに、カウラスやガンザス、ダンドスたちも新しい屋敷を建ててもらっただけで十分すぎるほど恩義を感じているはずだ。
そこにさらに大八車まで作って与えたら、ますます頭が上がらなくなるだろう。
「後は自分たちでやってもらう方向でいいんじゃねえか?」
クリフが結論を出すように言った。
シマは少し考えた後、静かに頷いた。
「……そうだな、そうしよう。「与える」だけが正解じゃない。便利な道具があると生活は楽になるが、全部を最初から与えるのがいいとは限らない…俺たちが村を離れた後も、彼らが自分たちの力で生活を改善できるようにしないとな。」
「ま、道具はあるんだ。作ろうと思えば作れる。」
ジトーが大きく頷く。
「最初から何でもある状態じゃなく、自分たちで考えて工夫することも大事だよ。」
オスカーも同意する。
「……お前ら、今日はなんかまともなことばっか言ってねえか?」
ザックが腕を組みながら周囲を見渡す。
「いや、それを言ったら君が一番まともなこと言ったからね?」
ロイドが笑いながら指摘する。
「だな。」
フレッドも笑う。
昼食を終え、トーマスやサーシャたちが屋敷から出てきた。
外は昼下がりの穏やかな日差しに包まれ、さわやかな風が吹き抜けている。
「なんか追い出すような形になって悪かったな。」
トーマスが申し訳なさそうに言う。
屋敷の広間は広いとはいえ、20人以上が集まれば手狭になるのは当然だった。
そのため、男性陣は屋外で食事を取ったのだ。
「気にするな。」
シマはあっさりと答える。
食べる場所が多少違ったところで、大した問題ではない。
それよりも、トーマス一家全員で食事を囲めたことが大事だった。
シマがふと話題を変えるように言った。
「それより、大八車を作る案が出たんだが却下になった。」
「え?」
メグが驚いてシマを見つめる。
「何で?」
「何でもかんでも与えてやったらダメだと結論したんだ。」
オスカーが説明する。
すると、ザックがすかさず胸を張りながら言った。
「それを言ったのは俺だからな!」
まるで自分が全てを決めたかのような口ぶりだ。
「……ああ、そういうことか。」
トーマスが納得したように頷く。
「確かに、これ以上は親父たちも望んじゃいねえだろう。俺もそれでいいぜ。」
トーマスはすんなりと受け入れた。
すでに新しい屋敷をもらっただけでも十分な恩義を感じている。
そこにさらに便利な道具まで与えられたら、かえって気後れしてしまうだろう。
「でも意外ね。」
ケイトが少し首を傾げながらザックを見た。
「ザックがまともなことを言うなんて。」
「そっちのほうがびっくりよね。」
ミーナがくすくすと笑いながら言うと、メグも小さく頷いた。
「ほんとね。」
リズも同意するように微笑む。
「おい、なんでそうなるんだよ!」
ザックはむっとした表情で皆を見回すが、周囲はすでに笑いに包まれていた。
そんなやり取りをしていると、屋敷の扉が開き、カウラス、ガンザス、ダンドスが出てきた。
彼らの手には真新しい鍬やスコップが握られている。
「午後の畑仕事に行ってくる。」
カウラスが短く告げる。
「おう、気をつけてな。」
シマたちは声をそろえて見送った。
彼らは新しい畑に向かって歩き出す。
午前中にエイラの指導のもとでジャガイモやベリー類の作付けを行ったばかりだが、午後はさらに手入れを進める予定だ。
土を耕し、苗を定着させる作業はまだまだ続く。
カウラスたちの背中を見送りながら、シマはふと周囲を見回した。
「みんなに伝えておく。」
シマは静かに口を開いた。
「俺たちは明日、ここを発つ。」
シマは真剣な表情を浮かべ、トーマスに向き直った。
「トーマス、一緒に売られて、亡くなった子たちのことを伝えるか?」
その問いに、トーマスは少しの間、沈黙した。
そして、深いため息をついてから、ゆっくりと首を振った。
「……いや、伝えねえほうがいいだろう。知らねえほうがいい。」
その言葉に、サーシャが静かに頷く。
「私もその意見に賛成よ。」
「傷口をえぐるようなものだもの。」
ミーナも同じ考えだった。
「負い目もあるだろうし……。」
リズも、複雑な表情でつぶやいた。
今、その事実を知らされたところで、心が晴れることはないだろう。
むしろ、後悔と罪悪感に苛まれるだけかもしれない。
その言葉を聞きながら、ノエルがそっとトーマスに寄り添った。
トーマスは無言でその手を握りしめる。
「決まりだな。この話はもうなしだ。」
シマはそう言い切ると、一同もそれに異を唱えることはなかった。
少しの沈黙の後、クリフが口を開いた。
「じゃあ、これから午後はどうする?」
「そうだなあ…畜産農家に行って、チーズやバターを購入してくる。」
シマが答えると、サーシャとエイラも頷いた。
「食糧の準備はしっかりしておかないとね。」
「それなら私も行くわ。」
エイラが手を挙げる。
「オスカーは?」
「御者席の取り付けと、馬車の点検をするよ。」
オスカーが即答した。
「それなら私も手伝う。」
メグが立ち上がる。
「僕も。」
ロイドとフレッドも加わることになり、馬車の点検班が決まった。
ちょうどそのとき、屋敷の扉が開き、中から子供たちが元気よく飛び出してきた。
「せっかくだから遊び相手になってあげましょう。」
ケイトが優しく微笑む。
「ガーベラたちに乗せてあげましょうよ。」
ミーナが提案すると、子供たちは目を輝かせた。
「本当!? 乗れるの!?」
小さな声が次々と上がる。
子供たちは馬に乗る機会がほとんどない。
大人たちが使うものだと理解していたが、今日は特別らしい。
そんな中、ミライがリズを見つけて、ぱっと顔を明るくした。
「あっ! お歌のおねーちゃん!」
昨夜、リズが披露した歌を覚えていたのだろう。
「ふふっ、覚えていてくれたのね。」
リズは優しく微笑むと、ミライの頭をそっと撫でた。
「なら、手の空いてる者は子供たちの相手をすることにしよう。」
シマがまとめると、自然と各自の役割が決まっていった。
夕飯時になり、シャイン傭兵団とトーマス一家は別々に食事を摂ることになった。
本来ならば、旅立ちを前にしての最後の晩餐として、皆で囲むのが自然なのかもしれない。
しかし、シマたちはあえて誘いを断った。
「親子水入らずで過ごす時間も大切だからね。」
そう言ったのはロイドだった。
「俺たちがいると遠慮もあるだろうしな。」
ジトーも頷き、他の者たちもそれに賛同した。
トーマスと共に食卓についたノエルは、深呼吸をして立ち上がった。
そして、真剣な表情でトーマスの家族を見渡す。
「トーマスの家族の皆様、不束者ですが改めてよろしくお願いします。」
彼女は深々と頭を下げた。
「私は、トーマスを支えていきます。」
その言葉に、一瞬の静寂が流れる。だが、それはすぐに破られた。
「…よく言ってくれた!ありがとうノエルさん!」
カウラスが豪快に笑いながら杯を掲げる。
「トーマス飲め! 飲め!」
「おいおい、いきなりかよ……。」
トーマスが苦笑するが、ガンザスとダンドスも大盛り上がりだった。
「お前、こんな別嬪な嫁をもらいやがって!」
「羨ましいぜ、こんちきしょう!」
二人がトーマスの肩を叩きながら騒ぐ。
トーマスは照れくさそうにノエルの手を握った。
「ま、まあ、俺にはもったいねえかもしれねえけど……でも、ノエルとはずっと一緒にいたいんだ。」
その言葉に、ノエルは嬉しそうに微笑んだ。
しかし、ガンザスとダンドスのはしゃぎっぷりは行き過ぎていた。
「こら、調子に乗るな!」
「いい加減にしなさい!」
次の瞬間、義姉のアンとイライザが動いた。
「うぎゃあ!」
「待て、俺たちは悪くない……!」
二人は悲鳴を上げながら、アンとイライザに腕を引っ張られていった。
「今夜の折檻は覚悟しておきなさい!」
「うわあああ!」
屋敷の中に響く悲鳴を聞きながら、カウラスは豪快に笑った。
「はっはっは! 女は強いぞ、覚えておけよ、トーマス!」
食事が進む中、マーサがノエルに向かって優しく微笑む。
「ノエルさん、トーマスをよろしくお願いね。」
「はい、精一杯支えていきます。」
ノエルは力強く頷いた。
「何かあったら私に言って頂戴。とっちめてあげるから。」
アンが冗談めかして言うと、ノエルは少し笑った。
「何があっても、私たちはノエルの味方だからね。」
イライザの言葉に、ノエルの目が潤む。
「……ありがとうございます。」
彼女は心からの感謝を込めて言った。
こうして、ノエルは正式にトーマスの家族の一員として迎えられたのだった。




