街へ向けて
三度目の雪解けを迎えた。
森の木々はようやく厳しい冬を乗り越え、新たな息吹を宿し始めている。
枝には若葉が芽吹き、小さな花々が地面を彩る。
川の氷もすっかり解け、雪解け水が勢いよく流れ、冷たい空気の中にも春の香りが混じり始めていた。
ノーレム街に買い付けに行くことになったシマ、ロイド、ジトー、トーマス。
三年の歳月が彼らを大きく成長させた。
ジトーとトーマスは特に体格が良くなり、筋肉質な体つきになった。
シマやロイドたちも例外ではない。
もはや彼らの姿はスラムに捨てられた子供ではなく、野生の中で鍛えられた若者へと変わっていた。
同年代の子供と比べる機会はなかったが、確信があった――きっと、自分たちのほうが大きいのだろう。
生活も以前より安定してきた。
食料の確保が飛躍的に向上し、罠を仕掛ける技術も磨かれた。
イノシシやシカを仕留めることも増え、肉だけでなく、皮や骨までも有効活用することができるようになった。
特に落とし穴を掘る作業は大変だったが、その労力に見合うだけの成果を得られた。
しかし、道具不足は相変わらずの問題だった。
木の棒や石で掘るには限界があり、効率を上げるための手段を探る必要があった。
採れる作物も多様になった。
ゴボウやヤマイモ、ミツバ、フキ、セリなどの山菜が豊富に手に入るようになり、クズの根からは澱粉を採取し、食料として活用することもできた。
シイタケ、ヒラタケ、ナメコといったキノコ類も発見し、乾燥保存の技術を身につけた。
クルミ、ヘーゼルナッツ、クリといった木の実も重要な栄養源となり、時にはユズやカボスの果実を森の端で見つけることもあった。
ラズベリーやブルーベリーといった野生の果実も採れる。
これらはそのまま食べるだけでなく、乾燥させて保存し、冬の貴重な栄養源として活用している。
そして、ブラウンクラウンという特有のキノコもある。
狩猟ではウサギや鳥、蛇を狩って。安定した食糧源になりつつある。
また、森の環境を利用した耕作の試みも始めた。
日当たりのよい開けた場所を見つけ、木々を間引き、少しずつ畑を作っていった。
タロイモやカボチャのような作物は育ちやすく、保存も利くため重要な食料となった。
土の質を良くするために動物の糞を利用し、自然の肥料として活用することも試みている。
森の中で完全な自給自足を目指し、小さな農地を作り上げつつあった。
今回のノーレム街への買い付けの目的は、何よりも道具の確保だった。
鍬やシャベル、鋸、斧、包丁、針金、裁縫類といった生活必需品を手に入れるため、森で採ったものを売り、資金を作らなければならない。
安全に町へと辿り着くための計画も練る必要があった。
商人たちとの交渉方法、盗賊やならず者への対策、道中での宿泊場所の確保など、慎重に準備を進めた。
森の中で培った知識と経験を活かし、彼らは確実に成長していた。
深い森の中、彼らはただ生き延びるだけでなく、自らの生存圏を確立しつつあったのだ。
それでも、まだ油断はできない。ノーレム街は決して安全な場所ではない。
シマたちは慎重に策を練りながら、次なる目標へと向かおうとしていた。
家の中で話し合いが行われた。ノーレム街へ向かうにあたり、必要な物資の確認をする。
「鍬やシャベル、鋸、斧、包丁、針金、布、裁縫道具、調味料……こんなところか」
こっちから売るものも確認する。
ラズベリーやブルーベリーのジャム、そして希少なブラウンクラウンのキノコ。
エイラの話では、これらは市場でも価値があるという。
特にジャムは最低でも銀貨2枚、ブラウンクラウンは銀貨1枚、それ以下では売ってはいけないと厳しく念を押された。
手持ちの資金も整理した。
金貨30枚、銀貨10枚、銅貨8枚。これらを持っていくことにする。
「服装も問題ね」
この日のために、奴隷商や護衛たちから奪った衣服は使わずに取っておいた。
綺麗に洗濯し、大切に保管していたものを街に入る直前で着替えるつもりだ。
エイラによれば、この服なら旅人風に見えるとのこと。
確かに、今の格好では蛮族にしか見えない。
売るもの、携帯食料、水、外簑、袋(衣服)、武器――手製の槍、ナイフ、剣を準備し、出発の準備を整えた。
明朝、シマ、ロイド、ジトー、トーマスはノーレム街へと向かう。
森で鍛えた力を試し、これからの生活をより良くするための旅が始まるのだった。
夜が更ける中、シマはもう一度準備を確認するために立ち上がった。
道中で何があるかわからない。
万が一に備え、薬草の入った袋を追加で持つことにする。
ヤマイモや甘草の根、傷口を癒やすドクダミの葉も忍ばせた。
「僕たち、本当に大丈夫かな」
ロイドがぼそりと呟いた。
彼は最年長であり、責任感が強い。しかし、それが不安につながることもあるのだろう。
「心配しすぎるなよ。俺たち、もう子供じゃない」
ジトーが自信ありげに答える。彼は体が大きく、頼もしい存在だ。
「そうね。私たち、ここで生き抜いてきたんだから」
エイラも微笑んだ。彼女の言葉は、みんなを少しだけ安心させた。
外では、満天の星が輝いている。彼らの新たな旅路を照らすように。
翌朝、霧が立ち込める森の中を進みながら、一行は目的のノーレム街へと向かう。
出発からしばらくは道なき道を行くことになり、足元にはぬかるんだ土と落ち葉が広がっていた。
「この森を抜ければ、少しは歩きやすくなるか?」
トーマスが尋ねる。
森の中では木々が生い茂り、視界が悪い。
だが、エイラが事前に教えてくれた通り、この道を抜ければ徐々に平坦になるはずだった。
「そうだな。まずは崖沿いをひたすら西へ向かおう。徐々に平坦になるはずだ、そこから街道に出れば、後は簡単だ」
シマが進むべき方向を指し示す。
これまで森での生活に慣れ親しんできた彼らにとって、この程度の移動は大きな問題ではない。
しかし、道中には危険も潜んでいる。
「獣の気配がするな……」
シマが足を止め、周囲を見渡した。
動物の気配を察知する能力は、この三年間で格段に向上していた。
草むらの陰から、何かがこちらを見ている。
「イノシシか……?いや、狼かもしれない」
ジトーが低く囁いた。武器を手に構える一行。
森の中では、獣もまた生存をかけて行動している。
シマは手製の槍を握りしめ、静かに息を整えた。
「慎重に進もう。無駄な戦闘は避けるべきだ」
ロイドの言葉に頷きながら、彼らはゆっくりと前進した。
森の獣たちも、無用な争いを避けることが多い。
しばらくすると気配が遠ざかり、再び静寂が戻ってきた。
「はぁ……ひやっとしたな」
トーマスが息を吐き出し、緊張を解く。
こうして少しずつ進みながら、彼らはノーレム街への道を切り開いていくのだった。
二日後、一行はようやく森の外れにたどり着いた。
目の前には開けた草原が広がり、その先には街道が見える。
「ようやく、ここまで来たな」
シマが呟く。
森の中で過ごしてきた彼らにとって、街へ向かうという行動は未知への挑戦でもあった。
この旅がどのようなものになるのか、誰にも分からない。
「ここからが本番ね」
エイラが以前言っていた言葉が、シマの頭の中で反響した。
ここまで生き延びてきた彼らの旅は、まだ始まったばかりだった。
街道に出てからの旅は、今のところ順調だった。
森を抜けて以来、整備された道を進むのは実に快適だった。
歩きやすく、視界も開けており、深淵の森の中にいた頃とは比べものにならない。
しかし、それと同時にシマたちは自分たちの格好が旅人や商人とはかけ離れていることに気づいていた。
時折、馬車が追い抜いていく。
護衛を伴った隊商が行き交い、そのたびに彼らの視線がシマたちに向けられた。
驚いたような顔をする者もいれば、警戒したような目つきで見てくる者もいる。
その理由は明白だった。シマたちの服装は、まるで蛮族そのものだったのだ。
「やっぱり、ちゃんと着替えてから出発すればよかったな」
ロイドがぼそりと呟く。
街道に出る直前に着替えるつもりだったが、結局その機会を逃してしまった。
街に入る前には必ず着替えなければならない。
さもなければ、余計な誤解を招くだけでなく、警戒される危険もある。
幸いにも、これまで誰にも声をかけられることはなかった。
しかし、それが逆に不安を煽る。
あまりにも異質な存在であるために、関わらない方がいいと判断されているのかもしれない。
無用なトラブルを避けるためにも、目立ちすぎないよう慎重に行動しなければならなかった。
旅の途中で気づいたことがあった。
それは、街道沿いにはいくつかの決まったキャンプ地が存在するということだった。
道中の適した場所、例えば開けた草原や見晴らしの良い丘などが自然と野営地として利用されているのだ。夜になると、他の旅人や商人たちもそこで焚き火を囲みながら休息をとるのが常のようだった。
この日も、シマたちはそんな場所で野営をすることにした。
広い草原の中にぽつんとある小高い丘、その周囲に他の旅人たちが焚き火を囲んでいる。
「ここなら夜襲の心配も少ないか」
シマは周囲を見渡しながら呟いた。
見渡す限りの平原で、身を隠せるような場所はほとんどない。
北側500メートルほど先に、小さな丘があるくらいだ。
何かあれば、敵はあの辺りから接近してくるだろうと考えた。
「野盗が出るなら、あの丘の向こう側だな」
ジトーも同じ考えのようだった。
彼らもこれまでの経験から、敵の動きや襲撃のパターンを予測する力を身につけていた。
「でも、根城にするような場所はなさそうだな。」
トーマスが周囲を見渡しながら言う。
たしかに、この一帯には森や林がほとんどなく、野盗が潜伏するには向いていない。
ずっと遠くに山が見えるが、そこまで移動するには時間がかかるだろう。
「この街道を作ったやつは先見の明があるな」
シマは感心しながら呟いた。
街道を作る際、山賊や野盗が根城にしやすい地形を避けるよう考慮されたのだろう。
だからこそ、この道は今も安全に機能している。
シマたちは焚き火を囲みながら、明日の計画を話し合った。
深淵の森を出て5日目、目的地であるノーレム街まであと2日ほどの距離だ。
旅の疲れは確実に蓄積していたが、気を抜くわけにはいかなかった。
「そろそろ見張りを交代しよう」
ロイドが言うと、ジトーが立ち上がった。
「じゃあ俺が先に見張る。何かあればすぐに起こすから」
「頼む」
シマは外簑に身をくるみながら、空を見上げた。星が瞬いている。
この静寂の中、シマは無意識に森での生活を思い出していた。
あの厳しい環境で生き抜いてきたのだから、きっとこの旅も乗り越えられるはずだ。
「明日は無事に進めるといいな……」
そう呟きながら、シマはゆっくりとまぶたを閉じた。




