前日
午前の陽光が柔らかく差し込む中、シマとジトーは領主館の門前に立っていた。
屋敷の門は堅牢な扉で作られ、両脇には武装した警備兵が立っている。
通常ならば、アポイントなしで領主館を訪れた者が通されることはない。
だが、彼らはすぐに館内へと迎え入れられた。
「マリウス様が執務室でお待ちです。」
案内された廊下を歩きながら、シマは少しだけ苦笑した。
「相変わらず、優遇されてるな。」
「まあ、色々やらかしたからな。」
ジトーが肩をすくめる。
執務室の扉が開かれると、マリウス・ホルダーが書類を整理している姿が見えた。
彼はふっと顔を上げ、微笑んだ。
「ようこそ、シマ、ジトー。」
「忙しいところ悪いな。急に押しかけて。」
シマはそう言いながら、部屋の中央へ歩み寄る。
「いいさ。それで、今日は何の用かな?」
「明日にはリーガム街を出る。」
マリウスの手が止まった。
「……そうか。」
「リュカ村、城塞都市カシウム、ノルダラン連邦共和国へ向かうつもりだ。」
「君たちがこの街に来てから、本当に怒涛の日々だったよ」
マリウスは苦笑しながら、椅子に深くもたれかかる。
「…寂しくなるね。」
「ノルダランに着いたら手紙を出すよ。」
シマはそう言うと、マリウスの顔をじっと見た。
「……これからが大変だな。」
「……ああ。」
「スニアス侯爵家、第二王子一派と争うことになるだろう?」
マリウスは目を細めた。
「そうなるだろうね。」
「生き残れよ。」
シマの言葉に、マリウスは少し驚いたように目を瞬かせた。
「……この街、そしてリュカ村は必ず守ってみせるさ。」
「頼もしいな。」
シマは笑った。
「俺たちはノルダランに行くが、何かあればすぐに連絡をくれ。すぐに駆けつけてやる。」
「それは心強いね。」
「…邪魔したな。忙しいところ、悪かった。」
シマは立ち上がり、ジトーもそれに続く。
「そうだ、今夜、大広場のステージを使わせてもらうぞ。暇だったら見に来いよ。」
「ステージ? 何かやるのかい?」
「まあな。見てのお楽しみってことで。」
シマはそう言って、懐から小さな袋を取り出した。
「それと、これを教会に寄付しといてくれ。」
マリウスが受け取ると、袋の中には金貨が10枚入っていた。
「……君たちらしいな。」
マリウスは微笑みながら、袋を握りしめた。
「ありがとう。教会のために、大切に使わせてもらうよ。」
シマとジトーは頷くと、静かに部屋を後にした。
領主館の外に出ると、ジトーがぽつりと呟いた。
「……リーガム街も、いよいよ出発か。」
「そうだな。」
「長かったような、短かったような。」
「まあ、いろいろあったからな。」
シマは軽く息を吐いた。
二人は足を揃え、街の喧騒へと紛れていった。
リーガム街の中心部にある商人組合本部。
石造りの壮麗な建物は、街の商業を司る要所であり、多くの商人たちが日々行き交う。
その一室、組合代表カレマル・イガナの執務室に、エイラとフレッドの姿があった。
「さて、話を伺いましょう。」
机の上には、既に数冊の帳簿と書類が整然と並べられている。
「私たちは明日、この街を離れます。」
エイラはまっすぐにカレマルを見据え、静かに言葉を続けた。
「向かうのはノルダラン連邦共和国。今後、私たちはそこで商会を興し、傭兵団の活動も続けていくつもりです。」
「ふむ……」
カレマルは腕を組み、少し考えるような素振りを見せた。
「それで、商人組合に何を?」
「運上金の管理をお願いしたいのです。」
「運上金?」
「ええ。私たちシャイン傭兵団の運上金2%を、そちらでお預かりいただきたいのです。」
エイラの言葉に、カレマルは少し目を細めた。
「……つまり、貴方たちは収益の一部を毎年こちらに納め、一定額を蓄積する形にしたいと?」
「そういうことですわ。」
「引き出しの方法は?」
「年に一度、シャイン傭兵団の誰かしらが取りに参ります。」
「ほう……」
カレマルは顎に手を当て、しばし考えた。
「確かに、我々商人組合でお預かりすることは可能ですが……もちろん手数料をいただきますが?」
カレマルは慎重に言葉を選びながらエイラの表情を伺った。
「もちろん、そのつもりで参りました。」
エイラは微笑む。
「手数料は5%になりますが、それで宜しいですかな?」
「富くじの収支報告書を添えてくださるなら、それで結構ですわ。」
エイラは即答した。
カレマルは一瞬、驚いたように目を瞬かせると、苦笑いを浮かべた。
「……抜け目がないですな。」
「貴方たち商人相手に、不利な取引をするつもりはありませんわ。」
エイラは涼しい顔をしているが、フレッドは密かに感心していた。
商人組合との交渉に対して一歩も引かないあたり、さすがはエイラといったところか。
「それでは、公正証書を作成しましょう。」
カレマルは手元の羊皮紙を手に取り、書記官を呼び寄せた。
「取引の際には、この公正証書を提示していただくことになります。」
エイラはその場で公正証書の内容を確認し、サインをした。
フレッドも立会人として署名を済ませる。
「では、これにて契約成立ということで。」
カレマルは満足そうに頷いた。
「貴方たちが成功することを願っていますよ。」
「ええ、またお世話になりますわ。」
エイラとフレッドは席を立ち、静かに商人組合の執務室を後にした。
リーガム街の活気ある商店街を歩くトーマス、ザック、ロイド、クリフの四人。
今日は自分たちの分とリュカ村へ持ち帰る物資を買いそろえるために訪れていた。
「前に買った鍬三本、スコップ三つ、斧二つで足りるのかい?」
ロイドが尋ねると、トーマスは腕を組んで少し考え込む。
「別に問題ねえと思うけど……何でだ?」
「……六年も経っていたら、だいぶ変わってるんじゃないのかい?」
ロイドの言葉に、クリフもうなずいた。
「子供が増えてたりとかしてるかもしれねえなあ。」
「そんなら……」
ザックは口を動かしながら言葉を挟んだ。
「ムシャ……もう二、三個、ング……買っときゃ、ゴク、いいじゃねえか。」
「しゃべるか食べるかどっちかにしろよ。」
クリフが呆れたように言うと、ザックは肩をすくめてパンの残りを口に放り込んだ。
「……そうだな。もう二、三個買っておくか。」
トーマスが決断すると、四人は鍬やスコップを扱う店へと足を向けた。
リュカ村の農作業や日常生活に必要な物資を選んでいく。
鍬(新品)……6本、スコップ(新品)……6本、斧(新品)……3本
「よし、これで十分だろ。」
トーマスが納得すると、次に食料品を扱う店に向かう。
小麦粉、調味料(塩、胡椒、砂糖)、干し肉、油。
次に四人は服や布、裁縫道具を扱う店へ足を運んだ。
服(村の家族分)、布、裁縫道具類。
「服は母ちゃんが喜ぶな。」
トーマスは袋を手に取りながら、懐かしそうに笑った。
「布も多めに買っとけよ。裁縫好きな連中もいるだろうしな。」
クリフがそう言うと、ザックは適当に布を選びながら答えた。
「何なら村の女衆に任せりゃ、色々作ってくれんだろ。」
最後に四人は露店市へ向かい、玩具を物色する。
「今の子供たちには何が流行ってるんだろうな?」
ザックが木彫りの動物を手に取った。
「こういうのなら、子供も喜ぶんじゃねえか?」
「それにしても、久々に帰るのに土産が鍬とスコップってのも渋いな。」
クリフが笑いながら言うと、トーマスは肩をすくめた。
「働く道具は大事なもんだ。それに、これがあれば村の連中も助かるだろ。」
こうして四人は、買い出しを終えた。
昼下がり、リーガム街の教会には活気が溢れていた。
サーシャ、ケイト、ミーナ、ノエル、リズ、メグ、オスカーの七人が、子供たちの世話や教会の手伝いに来ていたのだ。
教会には、もともと住んでいる孤児たちと、昨日奴隷として連れてこられた子供たちがいた。
まだ緊張している様子の子供たちもいたが、優しく世話をするサーシャたちの姿に少しずつ表情が和らいでいく。
「お腹空いた子、もうちょっと待っててね。」
ミーナとメグが大鍋をかき混ぜながら、子供たちに笑いかける。
「今日のスープは特別よ。みんなのために、たっぷり作ったからね!」
ケイトがそう言うと、子供たちは少し嬉しそうに頷いた。
食材は、シマたちが買ってきたものに加え、街の住人や商人が寄付してくれたものも多かった。
おかげで、教会の食卓は久しぶりに豪華なものになりそうだった。
「これは……思ったよりほころびが多いわね。」
裁縫が得意なリズは、手際よく教会の服やシーツを直していた。
「このボタン、すっかり取れちゃってる。」
ノエルが布を見ながら言うと、リズは新しいボタンを取り出して笑った。
「大丈夫よ、すぐにつけ直すから。」
一方、オスカーは木材や釘を使い、壊れかけた椅子やテーブルを修繕していた。
「オスカー、手伝おうか?」
サーシャが声をかけると、オスカーは軽く笑いながら答えた。
「いや、大丈夫。こういうのは得意だから。」
教会の修繕作業は少しずつ進み、傷んでいた椅子やテーブルも元通りになっていった。
そんな中、教会には次々と手伝いに訪れる人々がいた。
「手伝えることはあるかしら?」
「料理なら任せて!」
手の空いた主婦たちが食事の準備を手伝ったり、子供たちの面倒を見たりしてくれた。
住民たちの温かい支援のおかげで、教会はすっかり賑やかになっていた。
「今日の夜、大広場のステージでリズが歌って踊ってくれるのよ!」
サーシャが子供たちに声をかけると、子供たちの目が輝いた。
「ほんと!? 見たい!」
「楽しみだな!」
「大広場でやるの? すごい!」
住人たちにも声をかけると、興味を示す人が多かった。
「歌や踊りか、それは楽しみだね。」
「じゃあ、子供たちを連れて見に行くよ。」
こうして、教会での支援活動は順調に進み、夜のステージに向けて期待が高まっていった。
広場のざわめきが、ふと静まった。
リズがステージに姿を現しただけで、まるで潮が引くように群衆の声が消えた。
風が吹き抜け、彼女のブロンドの髪がふわりと揺れる。
月の光が、まるで彼女だけを照らすために用意されたかのように、やわらかく降り注いでいた。
その姿は幻想的であり、まるで異世界の精霊が舞い降りたかのようだった。
リズの衣装は華やかで、刺繍が施されたドレスが彼女のしなやかな動きに合わせて流れるように揺れる。頭には白い花の髪飾りが飾られ、月光を浴びて淡く輝いていた。
そして、静寂の中、透き通った歌声が夜の空に溶けるように響き渡る。
――しなやかに、激しく、切なく、そして楽しげに。
歌声はまるで魔法のようだった。柔らかく響くときは心の奥深くを優しく撫で、力強く高まるときは胸を震わせる。
リズの歌に合わせて、その肢体が流れるように舞う。
長く伸びた手足が空を描き、指先がまるで星の光を紡ぐように優雅な弧を描く。
リズの踊りは、言葉を超えた感情の表現そのものだった。
悲しみの調べでは涙がこぼれそうになり、喜びの旋律では心が弾む。
――人々は息を呑み、目を離すことができなかった。
彼女の動きに合わせ、広場に吹く風さえも舞台の一部となるかのようだった。
揺れるスカートの裾、舞い上がる金の髪、そして歌声に乗せた感情が、観客の心を引き込んでいく。
誰もが彼女に魅了されていた。
ただ美しいだけではない。彼女の歌には力があった。
哀しみも、希望も、すべてが込められ、そこにいる誰もがそれぞれの思いを重ねずにはいられなかった。
最後の音が夜空に消える瞬間、静寂が戻った。
しかし、それは一瞬のこと。
次の瞬間、広場を埋め尽くすほどの拍手と歓声が湧き上がった。
「すごい……!」
「こんな歌声、初めて聴いた……!」
「まるで夢を見ているみたいだった……!」
広場を埋め尽くす拍手は、まるで嵐のようだった。
誰もが立ち上がり、手を打ち鳴らし、歓声を上げる。
リズの歌声と舞いに魅了され、心を揺さぶられた者たちが、言葉にできない感動をその熱狂で表現していた。
ステージの上のリズは、静かに息を整えながら、深く一礼する。
夜風が静かに吹き、まだ熱気の残る空気の中で、リズの姿が月光に包まれていた。
観客の中にいたマリウスも、興奮を抑えきれずに呟く。
「……これほどの歌や踊りは、見たことがない。鳥肌が立ったよ……」
その言葉に、シマがニヤリと笑う。
「見に来てよかったろ?」
マリウスは深く頷いた。
「間違いなく、今夜この場にいたことを一生忘れないだろう」




