解放された子供たち
リーガム街の西門広場で行われた簡易裁判は、すべての判決が下され、ついに幕を閉じた。
だが、やるべきことはまだ山積みだった。
違法な奴隷売買の主犯であるトウアクは、さらなる取り調べのために城塞都市カシウムへと移送されることになった。
この責任者には、マリウスの側近であるポプキンスが任命され、領軍から選ばれた20名の兵士を伴い、マリウスの書簡を携えて出発する。
「王家やスニアス侯爵家がどう動くかも含めて、慎重に事を進める必要がある。」
マリウスは厳しい表情でそう告げ、ポプキンスも緊張した面持ちで頷いた。
「お任せください、マリウス様。」
こうして、トウアクは縄で縛られ、屈強な兵士たちに囲まれる形で馬車に乗せられ、城塞都市カシウムへと送られることになった。
裁判の結果、トウアクの財産はすべて没収され、違法に売買されていた子供たち24人も解放された。
彼らは一旦、リーガム街の教会に預けられることとなる。
どこから来たのか、連れ去られたのか、それとも家族に売られたのか――
そのすべてを調べるために、終身刑となったトウアクの部下たちからも情報を聞き出し、裏付けを取る必要があった。
「シスター・クレア、俺たちも手伝わせてくれ。」
解放された子供たちを世話するため、シマたちも教会を訪れた。
すると、教会のシスターであるクレアは微笑みながら頷いた。
「ええ、もちろん。助かるわ。」
そうして、シャイン傭兵団は、それぞれ役割を分担して子供たちの世話に取り掛かることになった。
食材の買い出し → ジトー、トーマス、ザック
服の購入 → リズ、メグ、ノエル
水浴びの準備 → サーシャ、エイラ、ケイト、ミーナ
水の確保 → シマ、クリフ、ロイド、フレッド、オスカー
子供たちは幸いにも重篤な怪我や病気を抱えている者はいなかった。
だが――シマたちの姿を見るなり、怯えた表情を浮かべる子供たちもいた。
それもそのはず、シマ、クリフ、ロイド、フレッド、オスカーは体格が大きく、傭兵然とした雰囲気を纏っている。
特にフレッドの端正な顔立ちは、貴族の一員のように見えたかもしれない。
しかし、そんな緊張を和らげたのは、サーシャ、エイラ、ケイト、ミーナの四人だった。
「大丈夫、怖くないよ。」
「私たちはみんなの味方だからね。」
優しく微笑みかけながら、子供たちに寄り添い、言葉をかけていく。
子供たちは何日も水浴びをしていないため、体からは独特の匂いが漂っていた。
そこで、サーシャたちは濡れた布を使って、少しずつ体を拭いていくことにした。
「よし、ゆっくりでいいから、これで体を拭こうね。」
「気持ちいいでしょ?」
子供たちは最初こそ緊張していたものの、サーシャたちの優しさに徐々に心を開き始めた。
だが――「……すごい。」
水を張った甕が、みるみるうちに濁っていく。
「シマ、水を汲んできて!」
サーシャが振り向いて言うと、シマはすぐに行動を開始した。
「シスター、甕はいくつある?」
「……五つしかないわ。」
「分かった。」
シマはそう答えると、家族たちとともに甕を追加で10個購入することにした。
そして、大広場にある井戸場へ向かい、次々と水を汲み上げていく。
「よし、これで二つだ。」
「戻るぞ!」
甕を二つ抱え、シマたちは教会へと運び込む。
一度に運べる量は限られているため、何度も往復する必要があった。
教会に戻ると、水を使った体拭きが順調に進められていた。
「新しい水、持ってきたぞ!」
シマが呼びかけると、サーシャたちは「助かるわ!」と明るく応えた。
「よし、これでみんな、さっぱりできるね。」
子供たちは、最初は戸惑いながらも、次第にリラックスした表情を見せ始める。
「これで、少しは落ち着けるかな……?」
サーシャがつぶやくと、エイラが小さく頷いた。
「でも、本当の意味で安心できる場所を見つけるには、まだ時間がかかるわね。」
「そうだな。」
シマは遠くを見つめる。
子供たちがここで生活するにせよ、元の家族の元へ戻るにせよ――彼らが二度と奴隷の境遇に戻ることのないようにしなければならない。
リーガム街の夕暮れ。
夏前の温かな風が吹き抜け、商人たちの威勢のいい掛け声が街に響く。
シマたちが水を運び終え、ようやく一息ついたころ、ジトー、トーマス、ザックの三人が食材の買い出しから戻ってきた。
彼らの腕には大きな麻袋が下げられ、中には野菜や肉、保存のきくパンなどが詰め込まれていた。
「よし、これで今夜の食材は揃ったな。」
トーマスが満足そうに言う。
だが、シマは袋の中を覗き込み、思わず腕を組んだ。
「……これから調理するとなると、結構時間がかかるな。」
元々教会にいた救済孤児12人、今日新しくやってきた24人の子供たち、そして自分たちシャイン傭兵団の面々――総勢50人以上の夕食を一から作るのは、相当に骨が折れる仕事だった。
ふと、シマは目を上げた。
近くの通りには、屋台がずらりと並んでいる。
香ばしい肉の匂い、スパイスの効いた煮込み料理、焼きたてのパン――
思わず腹の虫が鳴りそうなほど、食欲をそそる香りが漂っている。
「……屋台で買っていったほうが早いな。」
シマはすぐに決断し、家族たちを促した。
賑わう屋台街へと足を踏み入れた。
並ぶ屋台の前では、商人たちが客を呼び込んでいる。
「おう、兄ちゃんたち! 今日はいい肉が入ってるぜ!」
「スープもあるぞ! 冷えた飲み物もどうだ?」
活気のある声が飛び交う中、シマたちは片っ端から食料を買い込んでいった。
焼き鳥のような串焼き肉、具だくさんのシチュー、焼きたてのパン、香ばしい肉の塊……
大量の食材を抱えていくシマたちを見て、店主の一人が驚いたように声をかけた。
「兄ちゃんたち、随分と買っていくな。」
シマは笑いながら答えた。
「これから教会に差し入れをするからな。」
店主は一瞬目を瞬かせ、それから納得したように頷く。
だが、その後、眉をひそめた。
「……まさか、今日奴隷として連れてこられた子供たちのためか?」
シマは少し考え、正直に答えた。
「教会の子たちも含めてな。それと、俺たちの分もだ。」
すると、店主は一瞬黙り込み、それから意を決したように屋台の前に出た。
店主は大きく息を吸い込み、通りに響くような声で叫んだ。
「おーい!! 聞いてくれ!!」
周囲にいた商人や客たちが一斉に振り向く。
「この兄ちゃんたちは、教会の子供たち! それに今日連れてこられた子供たちのために、飯を差し入れするんだとよ!!」
一瞬の沈黙。
そして――
「……やるじゃねえか、兄ちゃんたち!」
「よし! 半額で売ってやる!」
「俺のところもだ!」
「俺もだ!」
次々に屋台の店主たちが声を上げ、食材を割引してくれることになった。
それだけではない。
買い物をしていた主婦たちまでもが、手にしていた食材を差し出し始めたのだ。
「これを持っていきなさい。子供たちのために。」
「後で教会に持っていくわ。」
「俺もあとで行くぜ! 売れ残ったものを持ってな!」
「そうだな! あまりもんで悪いけどよ!」
商人も、客も、皆が協力しようと声を上げる。
屋台街が一体となる。
シマたちは抱えきれないほどの食材を受け取り、両腕に詰め込めるだけ詰め込んだ。
それでも足りない分は、トーマスとザックが背負い袋を使って運ぶことにした。
「……こんなにいいのか?」
シマは目を丸くしながら言うが、店主たちは笑い飛ばす。
「何言ってやがる! こっちの街の子供たちだ、俺たちだって放っておけねえよ!」
「困ったときはお互い様だ!」
「また何かあったら声をかけろよ!」
シマはその言葉を聞き、胸がじんと熱くなるのを感じた。
「……ありがとうよ。」
店主たちに礼を言い、シマたちは両手いっぱいの食材を抱えて、教会へと戻る。
夕陽が沈みかけるころ、シマたちはようやく教会に帰り着いた。
「ただいま戻ったぞ!」
「おかえり!」
サーシャやエイラたちが駆け寄り、シマたちの荷物を見て驚く。
「ちょっと、これ……どうしたの!?」
「屋台で買ってきたんだ。それとな、商人たち、屋台の店主たちや住民たちがいろいろ助けてくれた。」
「……すごい。」
サーシャは感動したように呟く。
「…みんなで準備しましょう!」
シスター・クレアの号令で、子供たちも一緒に食事の準備を手伝い始める。
今日解放された子供たちが、恐る恐るシマたちを見上げる。
その瞳には、まだ不安の色が残っていた。
けれど、香ばしい匂いと、温かな食事を前にすれば、きっと少しは安心できるはずだ。
「さあ、たくさん食べてくれ。」
シマは微笑みながら、目の前の子供に焼きたてのパンを手渡した。
そして、教会の中に、子供たちの笑い声が少しずつ広がっていく――。
夜が更けるにつれ、リーガム街の住人たちが次々と教会を訪れた。
最初に来たのは、屋台の店主たちだった。
「さっきの続きだぜ!」と、売れ残った料理や新しく作った温かいスープを持ち込んでくれた。
それに続き、商人たちもやってきた。
「子供たちのために」と、干し肉や野菜、保存の効く穀物を運び込んでいく。
住民たちも負けじと参加した。
「大した額じゃないけど……」
少しずつだが銅貨や鉄貨を寄付していく。
こうして、教会の倉庫はあっという間に食材や生活必需品で満たされた。
何より、街の人々の温かい心が、この場所を支えていた。
「シマ、どうする?」
ロイドが問いかける。
シマは一つ頷き、言った。
「……俺たちが買ったものも、すべて教会に寄付しよう。」
シマたちが買った、食材、服、布、甕――すべて、ここに置いていくことに決めた。
「俺たちはまた稼げばいいさ。でも、今この子たちに必要なのは、俺たちが持ってるものだ。」
ジトーが大きく頷き、トーマスやザックも迷うことなく賛同した。
「なら決まりだな。」
エイラは静かに微笑み、シスター・クレアに伝える。
「私たちの買ったものも、どうか教会で役立ててください。」
「……いいのですか?」
「はい。」
「ありがとうございます……本当に。」
シスター・クレアは深々と頭を下げた。
食事を終えた子供たちは、目をこすりながら眠気に抗っていた。
安心したのか、緊張から解放されたのか、腹いっぱい食べたからなのか。
どの理由も当てはまるだろう。
幼い子ほど早く眠りに落ち、年長の子たちもやがて瞼が重くなっていく。
サーシャたちが子供たちを寝かしつけていた。
布団を敷き、髪を優しく撫で、静かに歌を口ずさむ。
「……安心して、眠っていいのよ。」
その言葉に、子供たちは小さく頷きながら、次々と夢の世界へ落ちていった。
やがて、シマたちは静かに教会を後にした。
夜風が心地よく、夏の匂いが微かに混じっている。
「なあ……今日って、すごい日だったよな。」
クリフがぽつりと呟いた。
「……ああ。」
ロイドが頷く。
「街の人たちが、こんなに協力してくれるとは思わなかったよ。」
「……おかげで、いい仕事ができたな。」
「そうだな。」
シマは、ゆっくりと歩きながら、星空を見上げた。
明日から、また動き出す。
だが今は――「……今日はゆっくり休もう。」
誰も異論はなかった。
静かな夜の帳が、リーガムの街を包み込んでいく。




