今後の展望
ある日の晩。
焚き火の周りに集まりながら、シマたちは冬を越した後のことについて話し合っていた。
寒さが和らげば、街を目指すのか、それとも足りない物資を買い付けに行くのか——それが議題だった。
「ここから一番近い街はノーレム街よ」
そう言ったのはエイラだった。
彼女はもともと商家の娘であり、各地の街に精通していた。しかし、その表情はどこか暗い。
「でも……私は行けない」
皆が彼女の言葉に注目する。
シマが問いかける前に、エイラはゆっくりと説明を始めた。
「私の家は、そこそこ大きな商会だったの。父は行商をしていて、私もよく一緒に旅をしたわ。父はね、『自分の目で確かめ、耳で聞いたことを信じる』というのが信条だった。だから、街に行くときはいつも入念に情報を集めていたわ」
エイラの声には懐かしさと、同時に苦しさが混じっていた。
「だからこそ、私が奴隷に落ちたことを知る人は多いはず。そんなところに私がのこのこ現れたら、大騒ぎになるわ。運が悪ければ、また捕まって売られるのがオチよ」
その場に沈黙が落ちた。エイラの言葉はもっともだった。
ノーレム街は決して遠くないが、安全に行ける保証はない。
誰が行くべきなのか——それが次の議題となった。
「ここからノーレム街までどのくらいかかる?」
ロイドが尋ねると、エイラは少し考えてから答えた。
「歩きなら……おそらく6、7日はかかるわ。天候が悪くなれば、もっと長引くかも」
「行けない距離ではないな……」
ロイドが腕を組んで考え込む。
その場にいる者たちもそれぞれ考えを巡らせた。
もし買い付けに行くとしたら、誰が適任なのか。
「ロイド、ジトー、トーマス……この三人か」
シマがそう呟くと、周囲も納得するように頷いた。
ロイドはこの中で最年長であり、責任感がある。
ジトーとトーマスは体格が大きく、大人にも引けを取らない。ただし——
「ジトーとトーマスは体は大きいけど……顔はまだあどけなさが残ってるな」
シマの指摘に、ミーナが頷く。
「大人の目から見たら、まだ子供ってことよね」
「まあ……そこが問題だな」
外見的に幼さが残ると、相手に甘く見られる可能性がある。
特に商人たちは抜け目がない。交渉の場で不利になるのは避けたい。
「なら、どうする?」
皆が顔を見合わせる。
誰を送り出すべきか——その決断が、彼らの生存を左右する重要なものとなるのだった。
焚き火の炎が揺らめく中、彼らの議論は続いた。
「商人は見た目だけでなく、話し方や振る舞いでも相手の価値を判断するわ」
エイラが続ける。
外見的に幼さが残ると、相手に甘く見られる可能性がある。
特に商人たちは抜け目がない。交渉の場で不利になるのは避けたい。
さらに、外の世界で生きる以上、戦闘だけでなく交渉術も必要になる。
生半可な準備で街へ出るのは自殺行為に等しい。
そのとき、シマがふと考え、口を開いた。
「川を下っていけば、街や集落があるんじゃないか? 人の営みには水が欠かせない」
エイラもその考えに賛同するように頷いた。
「理屈としては正しいわ。でも……この川を下ったところに街があるかどうかは分からないわ。」
「知らないって?」
「この森……多分だけど、深淵の森と呼ばれる場所だと思うの」
その言葉に、皆が息を呑む。
「深淵の森?」
「ええ。果てしなく続く出口のない森。いわば未開の地ってわけ」
未開の地——その言葉の重さに、場の空気が変わる。
「だけど、可能性がないわけじゃない。あるとすれば、集落か」
「当然、危険もあるわ。獣、熊、狼……それに野盗だっているかもしれない」
「ならず者や、何かしらの理由でこの森に隠れ住んでる人間がいる可能性もあるな」
「じゃあ……どうする? 2、3年待つってこと?」
そう口にしたのはミーナだった。彼女の声には少し不安が滲んでいた。
しかし、サーシャはそんな彼女に微笑みかけた。
「今のままでも十分に暮らしていけるわ。むしろ贅沢よね~。スラムにいたころじゃ考えられないもの」
「確かに……」
色々な意見が飛び交う中、みんなの視線がシマに向いた。
シマはゆっくりと頷きながら、冷静に話し始める。
「確かに焦るべきじゃない。足りないもの、不足しているものはある。でも、この森には食料となるものが豊富にある。川があるから飲み水には困らないし、魚も獲れる。餓死することはない。今はそれだけでも十分じゃないか」
ロイドが腕を組みながら呟いた。
「街に行くにも、誰が行くかも問題だな。簡単に決められることじゃない」
「それもそうだな……今の俺たちには戦力も足りないし、街へ行くのが最善策とは限らない」
「それに、街の中で問題が起こったら逃げ場がない。深淵の森のほうが、今はまだ安全かもしれない」
皆がそれぞれ考えを巡らせる。すぐに結論を出すべきではない。
時間をかけ、慎重に判断するべきだった。
「力を蓄える時だ」
シマの言葉が、今後の方針を決定づけた。
「まずは、この森をもっと調べよう。どこまで続いてるのか、危険な場所はどこなのか……」
「そうね。それに、もっと防衛の準備をしないと。家の柵も強化したほうがいいし」
「それから、戦いの訓練も怠らないようにしよう。どんな状況でも生き延びられるように」
夜は更けていくが、焚き火の灯りの中で、彼らの未来に向けた話し合いは続いていった。
焚き火の灯りが揺れ、シマは炎を見つめていた。
ふと、自分たちが元いた国や街の名前すら知らなかったことに気づく。
スラムでの暮らしはただ生きることに必死で、国の名など考える余裕すらなかった。
しかし、エイラやロイドたちはアンヘル王国の民だったという。
それならば、自分たちも元はアンヘル王国の民だったのかもしれない。
一方で、奴隷として売られようとしていた場所はカルバド帝国だという。
この世界には、ほかにどのような国が存在しているのか。
シマは改めてエイラに尋ねた。
「この大陸にはどんな国があるんだ?」
エイラは少し考えてから、静かに答えた。
「大きく分けて、アンヘル王国、カルバド帝国、ゼルヴァリア軍閥国、グリムガル王国、ノルダラン連邦共和国、エスヴェリア神聖王国、バルムート公国、ダグザ連合国の八つね」
「八つもあるのか……」
シマは目を見開いた。
これまで自分が知っていた世界はスラムの中だけだった。
広い世界があることは知っていても、その全貌を知る機会はなかったのだ。
「それで……今、俺たちがいるこの森はどこの国の領土なんだ?」
「正式には、どの国も領有権を主張していないわ。でも、おそらくグリムガル王国の領内になるんじゃないかしら」
エイラの言葉に、シマは顎に手を当てて考えた。
「じゃあ、ある意味ではここは緩衝地帯ってことか」
「そうね。未開の地だから誰も開拓しようとは思わないわ。実際、こんなところに滝があることすら誰も知らなかったでしょう?」
エイラがそう言うと、ロイドやノエル、リズ、オスカーも頷いた。
確かに、深淵の森はどの国も支配しようとしない土地だった。
危険が多い上に、交易路も確立されていないため、国の支配が及ばない。
ある意味では、この場所にいる限りは自由だった。
しかし、それは同時に孤立していることも意味していた。
「もし、ここを離れるとして……俺たちはどこへ向かうべきだろう?」
シマの問いに、エイラは迷わず答えた。
「ノルダラン連邦共和国ね」
「ノルダラン?」
シマが首をかしげると、ロイドが補足した。
「確か……商人が集まる国だって聞いたことがある」
「各都市の代表が集まる合議制で決める国よね?」
ノエルが確認するように言うと、エイラは頷いた。
「そう。ノルダランは商業が発展していて、色んな国の人が集まるの。よそ者でも変な目で見られることは少ないし、比較的自由に行動できるわ」
「自由……か」
シマはその言葉を噛みしめた。確かに、自由であることは大切だ。
自分たちのような身元の知れない者にとっては、身を隠しやすく、生きていくための手段も見つけやすい場所が必要だった。
「でも、簡単には行けないよな」
「ええ。道中にはいくつもの危険があるでしょうね。野盗、獣、そして国境を超える難しさ……」
エイラの言葉に、場が静まり返る。
ノルダラン連邦共和国に行くというのは、決して簡単な道ではない。
しかし、他に行くべき場所があるかと言われると、なかなか答えは出なかった。
「ノルダランの商業都市では、旅人や異国の者が多く行き交うと聞いたことがあるわ。だからこそ、身を隠しながらでも生計を立てやすいと思うの」
「でも、その分警戒も厳しいんじゃないか? 俺たちのような奴隷落ちした子供が簡単に入り込めるのか?」
「それはそうね……けれど、ノルダランでは身分証がない者でも労働できる制度があるって聞いたことがあるわ。もちろん、賃金は安いし、待遇もいいとは言えないけれど」
シマは考え込んだ。今すぐにノルダランを目指すのは無謀だ。
しかし、いずれそこに行くことを考えれば、今すべきことは決まっていた。
「今すぐに決める必要はないわ。だけど、今のままでいいとも思えない。だからこそ、選択肢は持っておくべきよ」
エイラの言葉に、シマはゆっくりと頷いた。
「……そうだな。まずはここで生き抜くことが先決か」
そう言って、シマは焚き火に枝をくべた。
深淵の森の闇は深く、未来はまだ見えない。
しかし、目指すべき道があるならば、それに向かって進むだけだった。




