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神劇の終幕 〜 財務大臣公邸

 ファンバル原発を巡った戦いは、ウェリアン軍が決死の防衛に成功し、エスカラン軍のウェリアン上陸を防ぐことができた。しかし、見切りの良いエスカラン軍はすぐに作戦を中洲地帯下部の防衛に変更。これによって上部はウェリアン軍、下部はエスカラン軍が制圧という睨み合いになり、膠着状態となっていた。そのまま互いに大きな進行をすることなく、オリヴァ・リリアン戦争は開戦から一年が経った。

 事件が起こったのは太陽ぎらつく八月のこと。ウェリアン共和国の中でもエスカラン王国との国境にほど近いナイチャ地区の政治演説会である。この時期ウェリアン共和国では、プロパガンダと戦争反対勢力の炙り出しを目的として定期的に政治演説会を開いていた。演説会には政治家のみならず、国内にいる著名なスポーツ選手や俳優等の芸能人も立たせていた。中洲地帯の膠着以来、大きな戦闘もないことが影響し、国民は緊張状態から徐々に活気ある日々を取り戻したいと考えていた。そしてある種の娯楽の一環として、芸能人の話でも聞こうかと演説会に足を運ぶものはかなり多かった。加えて、演説会を広報の場、あるいは民衆に娯楽を与える人気取りの場と捉えた金持ちの経営者から、多額の献金を手にいれることにも成功していた。気をよくした政府はそこら中の町で演説会を開き、その殆どが大多数の民衆を集める人気イベントとして成功していた。そのようななか、この日はナイチャ地区にミザク・トリザロフが演説台に立った。トリザロフはウェリアン共和国出身のクルーザー級のボクシング選手だった。サウスポーのトリザロフの左ストレートはその破壊力から「神の銃弾」と呼ばれた。世界戦に登場するなりトップ選手を蹂躙。敗れた選手が軒並み引退していったことから「処刑人」の渾名で親しまれた。三十六歳で引退するまで無敗。その強さと一切変えない表情、そして無口な性格までも彼の人気を底上げし、ウェリアン国民からは英雄視される存在となった。引退してから既に五年が経過していたがその人気は未だ健在。この日の演説会にも多くのファンが押しかけていた。人々が肩を重ね合わせて背伸びをしながらトリザロフの登場を待つ中、遂に演説台にトリザロフが現れた。その時だった。群衆のちょうど中央にいる女性がバタン、と力が抜けるように倒れた。人々は一瞬、興奮で頭に血が上りすぎたのではないか、と思ったがすぐに否定される。倒れた女性の後ろの男、前の男、そのまた前の男、今度は左の男・・・。中央から放射で広がるかのように、人々が力なく倒れていく。それも押されて倒れた訳ではない。足が体を支え切れずに倒れている。中には口から真っ白な泡を吹いているものもおり、現場はパニック状態になった。逃げ惑う人々は群衆という動けるはずの隙間がない状態で無理に動こうとして、今度は重さや力に耐え切れずに倒れる者が続出した。最初に倒れた人と二次災害としてその後のパニックによる将棋倒し事故で発生した。トリザロフこそ無事ではあったものの、死者数は実に六十八人の死者と一〇五人の重軽傷者を出す大惨事となった。警察による捜査の結果、最初に倒れた女性は足元にあった割れた瓶に入っていた気体を吸引したことによる死亡であった。その毒薬である気体の危険性は著しく高く、半径数メートルの人間に対して影響を与えたのであった。この毒薬は何者かが間違いなく悪意を持って置いたものである。しかし、女性は人間トラブルをほとんど抱えておらず、無差別殺人であるようだった。そうなると身辺調査に目星をつけることができず、真犯人の特定はかなり難しくなってくる。ただ、この度重なる演説会の開催は、皮肉にもこの事件の真相を追う上で重要な役割を果たすこととなった。警察は事件は現政府に対して不満を持つ人物であると考えた。さらに、今回用いられた毒ガスが一般に流通していなかった。実際に使用された例は、戦争や事件においてもほとんど見られたことがなかった。つまりこのほとんど新しい毒ガスの生成の知識と必要な器具を所有し、特殊な原材料を取得できる環境にいる人物であると考えた。そこに浮上した容疑者の一人がマチュニダ・ヴォルグ、通称ハヤン教皇である。通常「教皇」という肩書きは通常カトリック教の最高聖職者に用いられる肩書きであるが、ハヤン教皇はキリスト教とは一切関係がない。そもそもこの世界にキリスト教が存在しないのであるのもそうであるが、だからと言って世界最大の宗教の指導者という訳でもない。ちなみにアーラス連邦やワンドル合衆国など、大国ではミラー教やアースフィル教などが主要な宗教である。話を戻すが、ハヤン教皇はランケース教という新興宗教の開祖である。ヴォルグは大学で法学を専攻し、裁判官となることを目指していた。しかし、勉強がうまく立ち行かなくなり採用試験どころか、大学卒業すら危ぶまれるような状況であった。なんとか大学は教授の情けを受けてなんとか卒業できたものの、めっきりやる気を失ってしまったヴォルグは言うまでもなく裁判官採用試験には不合格。放浪に近い生活を送るようになってしまった。そんな状況の彼に活気を与えたのは政府批判活動であった。道端を歩いているときに出くわした市民活動家集団の話に深く感動したヴォルグは、思わず活動家が持っていた拡声器を奪い取った。そして現政府の問題点と人々の生活苦についてべらべらと喋ったのである。昔から弁が立つヴォルグの話に通りがかる人も思わず耳を傾けた。全て話し終えると、活動家たちから大きな拍手があがり、それがヴォルグにとっては快感であった。以来、政府批判活動を続けていく内に、革命への野心が徐々に徐々にと高まっていったのである。しかし一九七五年の熱石危機あたりから、高まりすぎた民衆の政府批判を抑えつけるために、ウェリアン政府は弾圧を始めていった。何度か一緒に活動していた者たちが次々に投獄され、表立った活動をするものは急速に減ってしまった。そこでヴォルグは一計を案じる。それが宗教活動を装った政府反乱活動である。そのダミー宗教としてヴォルグによって戦略的に作られた宗教こそ、ランケース教なのである。

 まずランケース教は信者作りのためにボランティア団体を装う。街中清掃や募金活動など、よくあるボランティアを行う。そして活動後の食事会を、ランケース教のお抱え会員制レストランで開催し、そこで食事をしながら勧誘を行う。この食事を活用した勧誘活動は実にうまくできている。うっかり参加してしまった者は料理が出てくる限り途中で帰ることができない。夕食後に予定を立てる者も少ないし、それを言い訳にして早く出ることも難しい。同じテーブルには信者数名に対して参加者、すなわちターゲットを一人配置し、鉄壁の布陣で勧誘活動を行う。この活動は遂に功を奏し、みるみる内にランケース教はその力を拡大させていったのだ。その規模は信者六千人を超え、運営に携わる中枢の出家信者は六百人にも上ると見られている。ヴォルグは自らの存在を神格化させるために、自らが絶対神の生まれ変わりである「ハヤン教皇」となりすまし、巧みな話術によって信者を革命活動へと導いていた。しかしウェリアン政府はランケース教の危険性について気づくことすらできなかった。ハヤン教皇にとって最終目標は宗教拡大ではなく、徹頭徹尾ウェリアン共和国で革命を起こすことだった。作戦決行のギリギリ、あるいは作戦続行後ですら政府にバレないことが、この計画における成功の鍵を握っていた。そのため、真の目的であるテロリズム計画については、信者の中でも出家信者の中でも特に忠誠心の高い物に絞って徐々に伝え、外部への露出を徹底的に防いだ。しかしながら、当然大規模新興宗教を警察が放っておくわけもなく、数人のスパイを送り込んでいた。ハヤン教皇は高い洞察力と推理力を以て、スパイの中枢への潜りこみを許さなかった。

 時は経ち、一九七九年のことである。オリヴァ・リリアン戦争開戦の前年、遂に潜り込んだスパイがいた。その女の名はマーシュレン。彼女は強いウェリアンへの反抗心と、ウェリアン政府転覆における効果的な作戦を提示し続け、またウェリアンの急所を突くことができるような情報の提供にも積極的だった。実はその正体は、スパイはスパイでもエスカラン王国が差し向けたスパイだったのである。カタリー島戦争を言い分に戦争することを既に内々で予定していたエスカラン王国は、戦争中にウェリアン内部からも崩壊させる作戦を考えた。そして内部の反乱分子によるウェリアン崩壊、というエスカランの思惑を実行する駒として白羽の矢が立ったのがハヤン教皇率いるランケース教だったのである。マーシュレンは潜伏成功からすぐに幹部に昇格。ハヤン教皇と協力して豊富な人脈を駆使して優秀な理系人材を確保し、着々と革命の準備を進めていた。そして一九八一年、遂に最初のテロリズムを実行した。トリザロフが演説に登場するナイチャ地区の演説に狙いを定めた。ナイチャ地区はランケース教からの距離も遠く、真犯人としてランケース教に目が向けられる可能性を下げるための選択肢である。このテロリズムはランケース教からは大きな成功となった。目論見通りウェリアン政府はプロパガンダの演説のほとんどを中止することとなった。しかし予定外だったのは、ランケース教のメンバーが思っている以上に、ウェリアンの公安が彼らに目を向けていたことだった。公安は尾行、盗聴などの手段でランケース教がその主犯格である証拠を手に入れようと躍起になったのである。そのような中、ランケース教の元幹部メンバーの一人であるバチルス・アガスが事件を起こす。アガスは退役将校軍人で武器の扱いに長けていただけでなく、軍部の動きに対しても理解が深かった。ランケース教に入信したきっかけは退役当時少佐だったアガスに対して軍部で起きた事故の責任を押し付けてきたウェリアン軍部に対する恨みである。その責任押し付けを主導していたのが当時大佐、現在は少将となったグリア・ピュードルである。現在はオリヴァ・リリアン戦争屈指の激戦区として知られる中洲上流部に対する指示を行う、ウェリアン共和国北部にある駐屯地におり、上流部制圧の戦果を評価され、大きな躍進は間違いない、と言われている。これを知ったアガスはピュードル暗殺のためにランケース教から失踪。移動、情報収集、必要人員の確保までをほとんど完全に独自で行った。そして少将による駐屯地見回りの隙をついて、狙撃銃で暗殺に成功したのは、偶然にもランケース教によるテロリズムから三週間月後のことだった。この時にアガスは毒ガス事件についてはほとんど知らない状態だったのだ。事件発生から即座に周囲に大量の軍人、警察によって捜査が開始。それでも地区境まで二キロという所までは逃げることができたアガスだったが、通りがかった軍人に見つかる。あっという間に取り囲まれたアガスは服毒自殺をし、事件は収束となった。しかし、アガスがランケース教の元幹部であることはすぐに判明し、矛先も向いた。そこまできてしまえば、捜査でランケース教によるテロリズムがすぐに明らかになってしまうのは簡単な話である。これが決め手となり、ハヤン教皇は遂に逮捕、おそらく処刑される運命にあることを悟ったのである。その中、マーシュレンは少しでもウェリアンに打撃を与えることはできないか、と考えて大臣の暗殺を目論んだ。軍部関連の省庁は現在、極めて高い緊張状態にあるため、テロリズムを起こすのは大変難度が高い。そこでラスケル財務大臣の暗殺を企む。決行されたのはピュードル暗殺事件の僅か二日後のことであった。深夜二時、ランケース教団の武装部隊およそ二十人がアガス経由で密輸していた小銃、手榴弾などの兵器を携えて財務大臣公邸に近づいた。そして一人が塀を爆弾を用いて爆破。黒煙が中央都市に湧き上がった。出来上がった穴から続々と公邸内部へ侵攻していった。公邸に常勤する護衛部隊はすぐに防衛体制に入った。ラスケルは独身で公邸にも手伝いなどを除いては一人で住んでいた。そのため、護衛部隊の最優先事項は超危険区域となった公邸からラスケルを脱出させることである。しかしラスケルはここ一年程、戦争による政治不安と民衆の反意の高まりと軍部からの圧力に精神をやられ、睡眠時にはかなり多くの睡眠薬を飲んでおり、この時間帯はほとんど意識がなく、自発的に動くことができない。そのような中で教徒の一人が発電施設に高火力爆弾を設置した。この爆弾は数分で爆発し、発電施設に誘導して公邸内における安全はとても保証ができない。護衛部隊はランケース教団によるラスケル殺害に注意を払いつつ、時限爆弾の爆発が発生する前にラスケルを公邸から脱出させねばならない。

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