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~グランデの転職~ 知らざりしも魔なる身の上に起こりし数奇な出来事

 飲み屋で個室のドアを開けた瞬間に、グランデは危険だと思った。受け持ちしている女子生徒の隣にいる男は、どう見ても堅気には見えなかった。

(ホストだったらやばいな)

 彼女は女子高で教師をしている。そこはあまりいい学校ではない、というより底辺と言ってもよかった。教員になって二年目だったが生徒指導を持たされ、彼女は馬鹿なことをしまくる生徒達に苦労させられていた。

(もう辞めちゃおうかな)

 今回の件も教員二年目の彼女一人には少々手に余るというのが本音だった。本来ならば男性教諭が同行するのが筋であろう。いくら女子高生だからと言ったって暴れられれば大変だし、男と一緒ならばその男が暴れだす危険だってある。それを武道の有段者で体育教師だからという理由で、グランデの同僚達は彼女一人で現場に行かせたのだ。

(ふざけないでよ、本当に)

 覚悟を決めたものの、職員室でのやりとりを思い出すと腹が立った。彼女の同僚達は彼女をまるで猛獣か何かのように思っていたのだった。


「やれるだろう。君なら簡単だよ」

 どういうつもりなのか分からなかった。しかし職員室で彼女の同僚達は、君なら一人でもならず者と立ち回れるし、女子生徒を連れ戻すのなんか簡単だと口々に言ったのだった。

「やたらと迫力があるから」

 そういう言葉に別の教師がうなずいた。

「なんていうか、グランデが怒るとこわいんだよね。恐ろしいっていうか、殺されそうな気がする」

 さすがに彼女はむっとして言ってしまった。

「いくら私が体育会系だからって、くだらないことを言わないでください」

 言うそばから指摘が入った。

「そう、それそれ」

「そうそう。何か言われるとすっごく怖いの。言ってることも言い方も普通なんだけどね」

「なんですかそれ」

 なんかね、と少し年かさの学年主任を務めている教師が言った。

「言い方はよくないんだけど、蛇とかオオカミに睨まれているような気がするのよ。別の生き物って言うのかな、こう、言葉にできないおっかなさがあるのよ。気を悪くしたらごめんね」

 そこを見込まれて生徒指導を任されたわけだったが、正直もう愛想が尽きていた。生徒は可愛いがわがままだし、同僚の教諭達も事なかれ主義者ばかりだった。底辺校だからこんなものかもしれないと思っても、ただ単にがっかり感が募るばかりである。

(それに……)

 何かが違う、この頃はそんな感覚が大きくなっていた。最初は職場が嫌になったからだとばかり思っていたが、そうではなくて人だかりのする町並みやみっしりと詰まったビル、きっちりと机を並べて授業を受ける生徒たちなど、なんでもないはずの光景にいつの間にか違和感を覚えるようになっていた。

 ある時なぜなのかとよくよく考えて、自分の居場所はここではない、そんな感情が元であることに彼女は気づいた。まるで中学生のようだったが教員がそんなことではどうしようもないので、彼女はそれを押し隠して毎日勤務していた。

 しかしその気持ちは日ごとに大きくなる。ストレスだろうと思ったので、彼女は旅行したりエステへ行ったり髪を切ってみたりしたがあまり変化はなかった。むしろ学校を辞めたらすっきりするだろうとまで思うようになってしまった。

(もういいや)

 何かあったら辞表を出そう、そう思いながら彼女は女子生徒を連れ戻すため繁華街へ向かっていった。


「エミル、学校に来なさい!」

 根性を入れて目の前にいる生徒を一喝する。派手な服装をした女子生徒はびくっとした。隣の男も彼女のことを見た。

「学校?」

 けげんそうにその男はグランデのことを見て、それからすぐ隣に座る恋人を見た。どうも意外なことを聞かされたようだった。

(これじゃ自慢するわね)

 グランデは学校に来なくなった女子生徒が友人達に吹聴してまわったことを聞いていた。自分の彼氏が背が高くて金持ちで金髪で云々という話である。それを元に彼女は女子生徒が立ち回りそうな場所に目星をつけた。そしてその勘はどんぴしゃだったのだった。

「早くここを出なさい。だいたい酒場は禁止よ」

 女子学生はぐずぐず何か言っていた。それを睨みつけ、おとなしくさせる。

「なんでよ。なんで出なくちゃいけないのよ」

 その間に彼女はそこにいる若い男のことをじっくりと観察した。細身ですらっとしていて髪は金色だ。染めているのではなく自前らしい。顔立ちはえらく整っていて美青年と言ってもよかった。ただし、醸し出している雰囲気はまともではない。

「おまえ、学生なの?」

 男はびっくりして言った。グランデは仁王立ちになると驚いている男にこう言った。

「その子はまだ高校生です。学生は学業が本分です。男性とのお付き合いを禁止とは言いませんが、それにかまけて学校に来ないのは許されません。本日はお引き取りください」

 男はさらに驚いたようだった。その横で女子学生がわめきだした。

「先生なんか呼んでない! だいたいなんでここにいるの! 邪魔だから帰ってよ!」

 ピシッ、とグランデの竹定規が鳴った。その迫力に女子学生が静かになる。この竹定規はそもそもはスカート丈の長さを測るためのものだ。だが振り回すといい音がするので、彼女はこういう場合にフル活用していた。

「ご両親に聞きました。あなた、家にも帰っていないそうじゃない。ここで戻らなかったら退学処分よ」

「いやよ!」

 女子学生が叫ぶと不意に地震が起きた。しばらくカタカタ揺れ、三人とも落ち着かなくなってきょろきょろとあたりを見回した。

「地震? やだ、こわい」

 そのまま少しずつ揺れが大きくなる。不安を感じるほどになった時に地震はぴたっと止んだ。女子高生は地震に気をとられ、すっかりさっきの勢いはなくなっていた。

「いいから家に戻りなさい」

 ずっと黙って話を聞いていた男が立ち上がった。やれやれ、という感じであった。

「俺、帰るよ」

「なんで」

 男は女子学生の顔を見た。

「学生は学校に行け。遊ぶのはそれからだ」

 そして困ったように言った。

「おまえ、フリーターだって言っただろう。今仕事を探してるって。嘘をついたのも駄目だし、学生はご法度なんだ。俺が規律を破るわけにいかねえんだよ」

 男がえらく真っ当なことを言ったので、グランデは驚いてしまった。そういう風にはまったく見えなかったのだった。

「先生、俺帰るから。もうこいつには会わない」

「えっ」

 あまりにあっさり引き下がったのでグランデは拍子抜けしてしまった。

「なんで! なんで帰っちゃうのよ!」

 引き止める女子学生に対して男は言った。

「嘘つきは駄目だ。子供もな。それに仕事ができたから帰る」

「仕事って何よ。ずっと休みだって言ってたくせに。自分だってウソつきじゃない」

 ふてくされたような態度の女子学生に男はああ、と言った。

「一ヶ月の長期休暇を取っていた。二年ぶりだ」

「じゃ、なんでよ」

「休暇中だったが今できた。急いで戻らなきゃならねえ。案件を通すのに時間がかかるからな」

「は?」

 意味が分からないという表情で女子学生が答える。

「そんなにあたしが嫌なの?」

 座ったままの女子学生を見下ろし、男が言った。

「たいしたことないって思っているかもしれないが、嘘つきってのは万死に値するんだ。よく覚えとけ」

 特に俺達にはな、とつけたす。それから少し歩いて個室のドアを開け、彼はグランデにこう聞いてきた。

「先生、学校どこだ」

 思わず彼女は答えてしまった。どうしてなのかは分からない。絶妙なタイミングだった。

「バンドルズ女子学院だけど」

「名前は」

「グランデ」

 じゃ、と言って男はその部屋を出て行った。男が出て行ったのを確認して、グランデは学校と女子学生の両親に電話をした。


 グランデに面会人があったのはその二ヵ月後のことである。呼ばれて会議室に行ってみるとあの金髪の男がいた。グランデは彼のことなどすっかり忘れてしまっていた。

「よう、先生」

 にこにこと愛想よく話しかけてくる。何のご用でしょうか、と彼女は用心しながら正面の椅子に腰掛けた。

「エミルさんのことですか」

 彼女はそう話しかけてみた。いや、とかわされる。もうどうでもいいようであった。ますます用件が分からず、グランデはけげんそうに相手の顔を見た。その視線をまっすぐ合わせて男は言った。

「先生、転職しない?」

 冗談を、と返そうとしたが相手の顔は真面目であった。どういうことでしょうかと、とりあえずグランデは続きを聞くことにした。転職という言葉にぐらついたのである。それにまともな話でなかったら聞くだけ聞いて追い返せばいい。彼女はそう決めて相手の顔を見た。

「あの時の地震は先生だろう。俺、分かったよ」

「えっ」

 相手はどう切り出そうか考えているようだった。いいや、と男は言い、彼女にこう言った。

「全然分かってないようだけど、先生は地精だよ。どうしてこんなところで教師をやっているのか分からないけど。普通は人界にいないはずなんだ」

「何の話ですか」

 蜃気楼がゆらぐように男の雰囲気が変わった。まだるっこしいな、とつぶやく。

「見てもらったほうが早い」

 会議室の窓は開け放たれていた。そこから突風が吹き込んで、白いカーテンが大きく膨らんでいた。男は椅子から立ち上がり、グランデの手を取った。

「飛ぶよ」

 さらに強い風が吹き込む。グランデは金髪の男にさらわれるようにして空中に飛び出した。


 さっきまでいた学校の校舎がどんどんと小さくなる。右手をつかまれ、グランデは空中を漂っていた。手を離したら落ちてしまいそうだったが、不思議とその恐怖はなかった。隣の男のせいなのかもしれない。彼が風を操っているのは明らかだった。

 さらに上空に舞い上がる。やがて彼女が知っていたはずの世界とは違うものが見えてきた。単一ではなく三層構造になっていて、彼女がいたのはその真ん中の部分だった。

「何これ」

 にっと男が笑った。

「見えるのか、先生」

 グランではうなずいた。

「真ん中は人間のいる場所、上はなんだろう、私たちと相容れないものの世界、そして下は……何?」

「相容れない、って言ったな」

 男が言った。グランデは無意識のうちにそう言ったのだったが、改めて言われると一番上は彼女にはあまり好ましい感じには思えなかった。何というか、虫が好かない感じがした。

「ええ。居心地がよくなさそう」

「なら一番下は」

 グランデは答えた。

「よく分からない。けれど行ってもよさそうよ」

 風が止まった。

「答えは」

 上昇気流がなくなって彼らは上空から落ちてきた。しかし恐怖はなかった。

「我らが故郷、魔界だ」

 グランデはその言葉に引っかかったが、深く追求する前に事態は急展開を遂げた。

 きりもみしながら一直線に一番下の世界に向かって突っ込んでいく。衝突すると思った瞬間にふわりと体が浮いて、グランデと男はその世界の上空に留まった。

「なに……これ……」

 荒涼とした巨大な山のてっぺんに大きな城がある。魔王の住まう魔王城だ。城下には町並みがあってそこには様々なモンスター達が行き交う。その周囲には鬱蒼とした森に草原、その先に荒れ果てた荒野があった。さらにそのまわりには合戦場があり、とぎれとぎれに喚声が聞こえる。

「どう思う」

 男が問いかける。グランデは何ともいえずにその風景を眺めていた。ここは知っている、そんな感情が湧き上がってくる。

「知ってるわ、ここ」

「そうか」

 グランデは記憶をたどった。いつからだったか、自分は今いる場所に違和感を覚えるようになった。人々の雑踏もコンクリートとアスファルトの町並みも、何もかもがなじまなかった。荒涼とした原野の写真を眺めるのが好きで、いつかそこに行ってみたいと思うようになっていた。

「ここがいい。ここにいたい」

 思わず出た言葉に隣の男が言った。

「やっぱりな。なんで人界にいた。拾われっ子だったか」

 グランデは男の顔を振り返って見た。あのちゃらちゃらした空気はどこにもなく、真面目な表情で彼女のことを見ていた。

「覚えていないわ。だけど小さい頃に山で迷子になってから、何かあると地震が起きるようになった。それより前は覚えていない。何にも」

 男に向かって彼女は言った。誰にも言ったことのない話だった。

「地面には協力者がいるの。彼らに頼むと自由自在に地震が起こせる。やったことはないけど、多分地形も変えられる。それを知ったのは幼稚園くらいの頃で、私は協力者達に頼んで庭に大きな穴を掘ったわ」

「それは地霊だ。先生には地霊をまとめるちからがある」

 男はさらっと肯定した。

「先生はかなりのちからを持ってる。地霊をまとめ、いうことをきかせるのは容易なことじゃない。それを易々とやってのけるんだ。地精としては最上位に近い」

 けげんな顔の彼女に、男は話し続けた。

「人界に紛れ込んだ精霊は、だいたいが意味もなく他の人間から恐れられたり崇められたりするようになる。まったく同じに見えても違う種類の生き物だと分かるんだろうな。そういうことはないか、先生?」

 なくはない。はっきりと言われたのはここ最近だが、思い返せば子供の時からそんなようなことはあった。

「職員室で年配の先生方に恐いって言われてるわ。新卒二年目なのに」

「……なるほどな」

 本当の話なのかとグランデは思ったが、そもそも今の状況も真実なのかも分からなかった。ぼんやりとさっきの話を反芻しているとさらに上空から違う声がした。

「おや、サーキュラーさん」

 グランデが見上げると大きくて真っ赤な六枚翼を背に生やし、赤いマントをまとった男が彼らを見下ろしていた。

「セラフィムか。なんでここにいる」

 男は彼らと同じ位置に降りてきた。顔見知りのようだった。

「偵察です。魔王様が小うるさいのがいるので見て来いと」

 そう言うとその男は彼らの後ろに電撃を放った。グランデを連れてきた金髪の男が網のようなものを放ち、撃ち抜かれたそれを引き寄せる。

「御使いじゃねえか」

「邪魔ですね」

 網の中では白い翼を持った、子供の姿をした生き物が暴れていた。グランデの知識では天使という名前のものだ。

「潰しちまうか」

「いえ、面倒です」

 もう一撃電撃を食らわせると、その生き物は静かになった。思わずグランデは言ってしまった。

「殺したの」

 赤い六枚の翼を持った男が彼女を見た。見た目は若い。金髪のほうよりはやや年がいっているようだったが、グランデには年齢が分かりかねた。

「いいえ。こんなものでは死にません」

 そして金髪の男を見た。金髪の男はこう言った。

「どう思う」

 赤いマントの男は、グランデのことをしげしげと見た。

「地精ですか、珍しいですね。どこで見つけたんです」

「人界だ」

 相手は驚いた表情をした。

「もういないと思ってましたが……スカウトですか」

「まあな」

 赤いマントの男は納得した顔になった。いいと思いますよ、と彼はそう言い、網に入った生き物を鷲づかみにして金髪の男に言った。

「これは煉獄に捨ててきます。魔王様に会ったら伝えておいて下さい」

「分かった」

 その男は六枚の翼を操り、彼らの前を離れた。瞬時にその場から消え去る。

「あれは……」

「魔王の一の側近、セラフィムだ」

 グランデは振り向いた。

「あなたはなに? 誰なの?」

 世界が急転して真っ暗になった。彼女は真っ逆さまに人界へと落ちていった。


そして出て行った時と同じように、二人とも会議室の椅子に差し向かいで座っていた。

「……今のは何?」

 呆然とグランデは言った。幻のようだったが心のどこかで真実だとも告げていた。

「先生は魔性寄りの地精だ。人間にはあれは見えない」

「あなたは?」

 男は椅子から立ち上がった。

「サーキュラー。もしこちら側に来たかったら、これを持ってこの学校の南側にある雑木林に来るといい。入口と職を用意してある」

 渡されたのはいかついデザインのバッジだった。彼女はそれを見ながら、職を用意してあるという言葉に引っかかった。

「あそこに仕事があるの?」

 男は彼女を見た。

「魔王軍の幹部候補生と言ったらどうする」

「魔王軍?」

 ああ、と男は言った。

「魔界があって魔王がいて魔王軍がある。ある意味当然だ。ここで言うと頭がおかしいように思えるけどな」

 確かにたわごとにしか聞こえなかった。しかしさっき見た三層構造の世界はそれが本当だと主張していた。正しいとか正しくないとかではなく、そういう風になっているのだ。

「地精はそもそも数が少ない。その中でも指導力があってある基準以上の魔力の持ち主となるとほとんどいない。だからこんなところまでスカウトに来た」

 グランデは黙ってバッジを見ていた。

「無理にとは言わない。魔界に移れば数百年の寿命が得られるが、戦闘で失くす危険も大きい。そんな無茶をしなくても、こちら側でも八十ぐらいまでなら寿命がある。入口は一年間開けておくからその間に決めてくれ」

 男は去っていった。彼女はバッジを握り締めて職員室のドアを開けた。

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