心の安寧をくれる人
「待たせてごめん、教室を出るときに教授に捕まって」
一緒に下校するために待ち合わせ場所にしている談話室に、メグルカの婚約者であるレイターが入室して来た。
メグルカは読んでいた本を鞄に仕舞いながら言う。
「大丈夫よ。ちょうど読みたかった本があったから。だからそんな慌てて来なくても良かったのに」
規則なので廊下を走るわけにはいかないが、それでもレイターは出来得るかぎりの早足で来てくれたのだろう。
ほんの少しだけ汗を滲ませた彼の額を見る。
「だって早くメグに会いたかったから。平日は登下校でしか一緒に居る時間が取れないのに、遅くなったらメグと居られる時間が減るだろう?」
「ふふふ」
家が近所同士のメグルカとレイターはいつも登下校を共にしている。
それは魔法学校入学以前の初等学校や中等学校から続いている事であった。
優秀で人望のあるレイターは生徒会執行部入りへの打診が度々ある。
だけど執行部に入ったのでは忙しくなってメグルカとの時間が減ると言って、何度も断っているようなのだ。
「さぁ帰ろう。今日は帰りに寄りたいところはない?」
そう言ってレイターは流れるような動作でメグルカの鞄を手にした。
登下校中は必ずメグルカの鞄を持ってくれる。
これも中等学校二年の頃から始まった、いつもの事であった。
重いから自分で持つと何度言っても、自分と一緒の時はメグには重い物は持たせないと決めているとレイターが頑として譲らない。
それによりいつだったか以前、婚約者だからと鞄を持たせて偉そうにと陰口を叩かれた事があった。
それをレイターと二人、たまたま通り掛かって耳にした時に彼はその陰口を言っていた女子生徒たちにこう告げたのだ。
「メグの鞄は俺が持ちたいから持っているんだよ。そうすれば鞄が重いからと気を遣う事なくメグと手を繋げるからね。だってそれって婚約者の特権だろう?」
その時のレイターの口調は怒りを含んでいるわけでもなく女子生徒たちを責めているわけでもなく。
謂れなき言葉に対し、ただ事実を口にしているだけだという淡々粛々としたものだった。
それなのにその女子生徒たちの表情が一瞬強張ったのは何故だろう。
まぁその女子生徒たちがその後メグルカに何も言って来なかったことをみると、レイターの言葉に納得してくれたのだと思う。
陰口は変わらず言われているとしても、知らないところでやってくれればそれは言われていないのと同じだ。
メグルカはそう考えるタイプであった。
そんな事もあったけれど、
レイターは変わらずメグルカの鞄を持ってくれる。
本当に重くないのかと心配しても、レイター曰く“物質の目方を軽減する術”を掛ければほとんど負荷はない、のだそうだ。
そして今日も二人仲良く手を繋いで下校のために校舎内を歩く。
今日あった事をそれぞれ話ながら歩くときもあるし、
何も言わずに黙って歩くときもある。
幼い頃からの付き合いであるレイターとは沈黙が長く続いても気にならない。
いつも穏やかな空気に包まれて安心できるのだ。
だけど今日は歩き出してすぐにレイターがメグルカを見て言った。
「……何かあった?」
「え?」
「誰かに何か言われた……?」
目敏いなぁ。
ヴァレリー・ジョンストンに言われた事など全く気にしていないというのに、それでもメグルカの少しの変化もレイターは見逃さない。
メグルカは小さく首を振る。
「べつに大したことは言われてないわ。いつもの事よ」
「……ごめん、メグ……俺のせいで嫌な思いをさせてばかりだ」
「レイのせいだなんて、それは違うわ。レイは普通に人と接しているだけなのに相手が勝手に一方的な感情を膨らませて押し付けてくるのよ?それは防ぎようがないし、それによってレイが人との接し方を変えるなんて馬鹿げてる。レイの素晴らしいところを曲げて生きるなんてそんなの間違っているわ」
「でも……いや、ごめん。いいんだ、それはまたこちらで対応するから」
「?」
こちらで対応、とは何だろう?
まぁ鞄の時のように直接何かあれば反論してくれるということなのだろう。
こうやってレイターはいつもメグルカに気を掛けてくれる。
だからメグルカは心の安寧を保っていられるのだ。
帰りながら、ほんの雑談の延長としてメグルカはレイターに訊ねてみた。
「レイのクラスのヴァレリー・ジョンストンさんに告白されたって聞いたけれど?」
「……?あ、あぁそうだった……矢継ぎ早に告げられて、断りの返事をさせて貰う暇もなく去って行ったんだった。あまりに一瞬の事なので忘れてたよ」
「忘れてたの?」
しかも一瞬の告白とは。
それではまるで言い逃げ……?
レイターはメグルカの様子を見て怪訝な顔をする。
「なに?わざわざそれをメグに告げに来たの?」
「ええまぁ先程」
「ふーん……」
「レイ?」
「いや?なんでもない。せっかくの一緒の時間に別の人間のことを考えるなんて勿体ないよ。それより本当に寄り道したい所はない?」
勿体ない……。ヴァレリー・ジョンストンさん、あなた、レイの心に楔なんて打ててませんよ……
とメグルカは若干、彼女が気の毒に思えた。
でもまぁメグルカ気にしても仕方ないことだ。
人の婚約者を奪おうとする方がどうかしているのだから。
メグルカは早々に頭の中からヴァレリー・ジョンストンを追い出してレイターに答える。
「じゃあ書店に寄ってもらおうかしら?探したい本があるの」
「よし。じゃあ行くか」
「うん」
そうして二人は今日も仲良く下校して行ったのであった。
なんと!明日の朝も更新あるって!