危機一髪
大遅刻です。ゴメンなさい(T T)
「メグルカっ!危ないっ!!」
近くでペアを組んでいた女子生徒が放ったボールが制御を失いメグルカの方へと飛んできた。
レイターと公女の様子が気になって余所見をしたメグルカはその反応に遅れ、既に避けることも防御の仕様もない距離までボールが迫っていた。
もはや直撃は避けられない。
でもせめて顔や頭部への直撃は回避したいと身を捩ったその時、力強い腕にメグルカの全身を抱え込まれた。
視界が塞がれ、見えるのは男子制服の広い胸。
そして耳元に古代の言葉が掠める。
「₪ ₪ 、₪ ₪ ₪ ₪ ₪ !」
その途端、メグルカの眼前に迫っていたボールが凄まじい破裂音を響かせて爆散した。
メグルカは今や両親よりも近しく馴染んだその温もりに包まれ、自分が婚約者の腕の中に居る事を瞬時に悟る。
何か鋭い爪のようなものに引き裂かれたボールの欠片たちが辺りに飛び散る様を、メグルカはその腕の中で呆然と眺めていた。
───た、助かった……
脱力感と共にあわや大怪我をするところであったその状況への恐怖心が去来する。
小さく震えるメグルカを落ち着かせるかのようにレイターがぎゅっと力を込めて抱きしめてくれた。
そしてすぐ耳元で囁くように言う。
「……メグ、大丈夫か?」
その声を聞くだけで安心出来て、メグルカは体の強ばりが緩く解けてゆくのを感じた。
だけど声がなかなか出てきてはくれず、レイターの胸に顔を押し付けて小さく何度も頷く。
レイターはメグルカを胸に抱いたまま鋭い視線でボールの制御を誤った生徒を射抜く。
「……面白半分に必要以上に魔力を込めて、それで制御出来なくなったなんてシャレにならんぞ。一歩間違えたら大惨事になっていた事を理解しているのか」
相手は女子生徒だったが、レイターの静かなる怒りが容赦なく相手に向けられた。
悪ふざけをしてこの状況を作り上げてしまった女子生徒が顔色を真っ青にして立ち竦んでいる。
ようやく落ち着きを取り戻したメグルカがレイターの腕の中で身動ぎ、彼に言った。
「レイ……もうそのくらいで……私の対処が遅れたのもいけなかったのだから」
「だけど危うくメグが大怪我をするところだったんだぞ……運良く俺がこの場に居たから難を逃れたものの、そうでなければと思うと恐怖と怒りで頭がおかしくなりそうだ……やはり学園内で他者に使い魔を憑かせることを禁止する校則を何とかしなくては……」
最後の方はぶつぶつとひとり言のように呟いていたので何を言っているのかメグルカには聞き取れなかったが、レイターに怒りを収めて貰おうとメグルカは言葉を重ねる。
「確かに授業中に、ましてや魔力を扱っている時の悪ふざけはよくない事だけど彼女も反省していると思うの。あの顔色を見たら気の毒で居た堪れないわ……いつもは明るくて気立ての良いクラスメイトなの、だからもう」
自分が危ない目に遭ったというのに相手を気遣い、腕の中で懇願するメグルカを見て、レイターは一気に毒気が抜かれたような気持ちになった。
困ったように笑みを浮かべ、そして小さくため息を吐く。
「わかったよ。でも恐らく体育教師からの叱責は免れないと思う」
「それは仕方ないかと……。でもレイは怒ると怖いから……」
「え、俺メグに怒ったこと一度もないぞ?」
「私にはなくてもレイが怒っているところを何度も側で見てるもの」
「あ、そうか」
「ふふ、そうよ」
「あの~……お二人さん?」
メグルカとレイターの会話に、フィリアが釘を刺すように割り入った。
そしてジト目を二人に向けて告げる。
「感動ものの救出劇でしたけどね?今は授業中という事を忘れないで欲しいわ~……ねぇ、いつまで抱き合っているのよ」
「あっ」
フィリアに指摘され、クラスメイトの面前であった事を思い出したメグルカが慌ててレイターを押し退けて身を離す。
「チ、」と小さくレイターの舌打ちが聞こえた気がしたけど今は恥ずかしくてそれどころではない。
フィリアはそんなレイターに呆れ顔で言う。
「メグルカを救ったのはお手柄だったけどね……。それにしてもエルンストさん。公女様にボールが当たっては危ないからと、結構離れた場所から見学していたでしょう?それなのによく間に合ったわね?」
「転移魔法を用いた。それでもメグの元に転移して庇うだけで精一杯だったよ」
「じゃあどうやってボールを破裂させたの?」
レイターとフィリアの会話を聞いて、メグルカは察した。
「あ、使い魔で……?」
レイターは頷きながら答える。
「そう。使い魔にボールを処理させた」
「それで一瞬古代語を口にしたのね」
「₪ ₪ 、₪ ₪ ₪ ₪ ₪ ……ガブ、球を破壊しろ。と命じたんだよ」
“ガブ”というのはレイターが契約時に与えた使い魔の呼び名らしい。
レイターが使役している使い魔はわりと高位な魔法生物だそうで、メグルカの魔力量ではその姿を見ることはできない。
一度だけレイターがメグルカにも見えるように可視化してくれたのだが、その時の姿は可愛らしい縞模様の猫のように見えた。
が、それはこちらの世界にいるための擬態で、本当の姿ではないのだという。
「なるほどね、転移魔法と使い魔か……さすがと言うかなんと言うか」
フィリアが納得したように肩を竦め、そして続いてレイターに言う。
「だけどもう公女様の元に戻った方がいいんじゃないの?ホラ見て、公女様御一行(レイターを除く)が口を開けてこちらを見ているわよ?」
フィリアの言葉を受け、メグルカはアレイラ公女の方へと視線を巡らせる。
すると口だけではなく大きく目を見開いてレイターとメグルカを見る公女の姿が目に飛び込んできた。
何をそんなに驚いているのかわからないが。
レイターはため息をひとつ吐き、そして悪戯っぽい表情をした。
「はぁ~……仕方ないな。ご褒美のために頑張るか……」
「あ、もう!レイってばっ……」
公女の案内役を頑張ったご褒美のことを思い出し、メグルカは思わず赤面する。
フィリアが「なぁに?ご褒美って」と訊いてきたが当然答えられるものではない。
「じゃあメグ、仕事してくるよ」
「頑張ってね。レイ、助けてくれてありがとう」
立ち去るレイターの背中にメグルカが声を掛ける。
レイターは振り返ってメグルカに向けて微笑み、軽く手を上げて公女の元へと戻って行った。
先程の状況を説明しているのだろうか。
レイターが公女に向けて何やら話している。
そして公女がふいにメグルカの方へと視線を向けた。
レイターや公女を見ていたメグルカは自然と公女と目が合う。
公女はまっすぐな瞳でメグルカを見据えていた。
何か探るように。
何かを見極めようとするように。
メグルカはその視線から目を逸らさずにじっと公女を見つめ返した。
そして軽く膝を折り学校で主流となっている略式の礼を執った。
公女はただ目礼をもってそれを返し、そしてレイターたちを連れてその場を去って行ったのであった。
次回。メグ、公女のお茶会に呼ばれる?