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第四話 ようやく探偵登場 2

--え、仔猫?


 月牙はぎょっとした。


 まさかのまさか、この春の花の精霊みたいな美少女が猫殺し犯人なのか?


 月牙の視線に気づいたのか、美少女が慌てて桶を下ろし、仔猫の首根っこをつかんで差し出してきた。

「あ、こいつ生きているから! これから桶で溺れさせようとか、全然考えていないから!」

 

 わたわたと慌てて言いつのる姿が可愛らしい。仔猫は間違いなく生きているらしく、内側が薄桃色をした三角形の耳をぴくぴくさせている。

 

 月牙は思わず笑った。

 どう見たってこの()は仔猫殺し犯にはみえない。


 ――見た感じ、石楠花殿の女嬬どのかな? 


 猫殺しの現場が気になって様子でも見に来たのだろうか?

 そこまで考えたところで、相手の耳元の造花の形に気付く。それほど色の濃すぎない紅色の五弁花だ。蕊に濃い黄色があしらわれている。


 ――石楠花……じゃないよな。もしかして紅梅?


 「紅梅殿」は内宮北院主計所の雅称だ。

文書の発給に携わる北院公文所と並ぶ二大実務機関である。


そう思って改めて見れば、相手の来ている衣装の色目も形も紅梅殿の官服そのものだった。

今まで気づかなかったのが不思議なほどだ。



「ええと――あなた様は、紅梅殿の?」


 躊躇いながら訊ねると、美少女は目をしばたかせた。

「あ、うん。新入りの主計生だよ」

「主計生?」

 月牙はますます驚いた。

 思いっきり実務系ではないか。

 てっきり上つ方のお部屋で衣の支度なんかをしている女嬬だと思っていたのだが。

 月牙の戸惑いに気付いたのか、薄紅色の主計生は悪戯っぽく笑った。

「ねえ、名前を当ててみようか? 柘榴庭の蕎月牙どのでしょ?」

「え、どうしてご存じで?」

 月牙は真剣に驚いた。

 主計生がふふんと得意そうに笑う。

「今月の石楠花殿付きの主計主典さまがきゃあきゃあ仰っていた。噂通り本当にきれいだね! あ、私は紅梅殿の趙雪衣(ちょうせつい)だよ。よろしくね月の君」

「……その呼び方やめてくださいよ」

「じゃ、月でいい?」

「いいですよ」

「その敬語やめてよ。同い年くらいでしょ?」

「私は十八ですよ?」

「私も十八だよ」

「じゃ、私も雪でいい?」

 思い切って呼んでみた途端、雪衣の右腕に襟巻みたいにぶら下がっていた白い仔猫がミャーッと鳴いた。

 雪衣が嫌そうな表情(かお)をする。

「こら猫の雪、お前のことじゃないよ!」

「その子も雪っていうの?」

「不本意ながらね」と、雪衣が鼻を鳴らす。「この猫、例の西院の二匹の同胞猫(きょうだいねこ)なんだよ」

「じゃ、桃果殿さまから賜ったってこと?」

 月牙は吃驚した。

 この愛らしい主計生は、もしかしたら柘榴庭の翠玉みたいな特別枠で、将来の寵姫候補なんだろうか?


 ――それにしちゃちょっと年上すぎる気がするけど、いわゆるあれか、初めての相手としての年上のお姉さんみたいな? 


「あ、今何か妙なこと考えているでしょ?」と、雪衣が唇を尖らせる。「念のため、私は死ぬほど勉強して正面から任官試験に通った口だからね? この猫は私じゃなくて紅梅殿さまが賜ったんだよ」

「紅梅殿さまていうのは、主計所の督?」

「うん。そもそもあの方はさ――」

 と、雪衣がそこで言葉を切り、用心深い猫みたいに左右を見回した。

「どうしたの?」

「や、一応人目を憚ろかと思ってね。月は今急いでいる?」

「夕方まで暇だよ。夜番に備えて帰って寝ようかと思っていたところ」

「じゃ、ちょっとだけおしゃべりに付き合ってよ。立ち話もなんだし、そっちの四阿にいかない?」

「四阿があるの?」

「うん。ひょうたん池のほとりにね――」



媽祖堂の北側は、西院と東院それぞれの建つ微高地に挟まれたくぼ地になっている。左右に灌木を茂らせた石の階段を降りると、目の前に碧い水面が広がっていた。右手が細くくびれて、そこに朱塗りの太鼓橋が架かっている。

 四阿は反対側の茂みのなかにあった。

 黒い細い六本の柱が碧瓦の屋根を支えている。柱の下半分が、細かな黒い格子の腰板で覆われていた。

「いいでしょう、ここ」と、雪衣が石の腰掛に坐りながら得意そうに言う。「入るとあんまり外から見えなくてさ」

「いいね。すごく落ち着く」

 月牙も向かいに座りながら応えた。雪衣の膝の上で白猫が丸くなる。

「その子も雪だっけ?」

「そう」

 人間の雪は不本意そうに頷いた。

「さっきも話した通り、この雪は紅梅殿さまが桃果殿さまから賜った猫でさ、西院のお二方の猫とは同胞(きょうだい)にあたるんだけど、あっちの二匹ほど上等ではないんだ」

「そうなの? すごく可愛く見えるけど」

「高価に売れるかどうかって基準だと、可愛いだけじゃダメなんだってさ。こいつは最上の双樹下猫と呼ぶにはしっぽが短すぎるし、目の色は茶色いでしょ? それに鼻が突き出すぎている。紅梅殿さまはこの世で一番可愛い猫だって思っているみたいだけどね」

「お優しい方なんだね」

「猫にはね!」と、雪衣は肩を竦めた。「紫薇殿さまの仔猫が殺されてから、紅梅殿さまはずっと怖がり通しでさ。そんなにご心配なら紐でつないでおけばいいのに、それでは雪が可哀そうじゃって仰せで、新入りの私が同名のよしみで、空き時間にお猫さまのお散歩を仰せつかっているんだ」


 ――猫の散歩。


 月牙は目眩を感じた。


「それは大変だね……」

「ほんとに大変だよ! だから、早いところこの騒ぎに決着をつけたいんだ」

 雪衣が熱く語る。

 月牙は興味をそそられた。

「決着って、犯人を捕まえたいってこと?」

「うん。犯人がいるならね。それか、やっぱり単なる事故だったって証明するか」

「事故っていうのは、猫が自分で池に落ちて、自分で媽祖堂に入り込んだってこと?」

「うん」

「でも、それは無理なんじゃない? 媽祖堂の扉は閉まっていたんだからさ」

「発見されたときにはね。扉は後から閉めることもできるでしょ?」

「あ、そうか。でも誰が?」

「順当に考えれば内宮妓官――かな? 西院と東院の表門にはそれぞれ門衛が立っているのだし、内南門の侍廊にも宿直がいるのでしょう? 媽祖堂の扉がわずかでも開いていれば常夜灯の光が漏れるはずだから、誰かが気づいて閉ざしたのかもしれない。猫はその前に入っていた。そう考えていけない理由はあるかな?」

「いや、特にないと思う」

 月牙は感服した。


 ――雪、頭いいなあ。


 見た目からは想像もつかなかった。さすがに死ぬほど勉強して正面から任官試験に通っただけある。人を見た目で判断しちゃいけないな、と月牙は反省した。


「――でもさ、その場合、猫の歩いた後は水で濡れているはずなんだ」と、雪衣が膝にのせた白猫の喉をくすぐりながら呟く。

「あの夜は雨は降っていなかったから、石畳が不自然に濡れていたら、護衛の妓官どのは入る前に気付いたんじゃないかな? そう思って試してみたんだ」

「試すって――あ、もしかして、さっきの水? あれ雪が零したの?」

「そういうこと!」

 雪衣が得意そうに応えて手桶をつま先でつつく。

「月はすぐ気づいたでしょ?」

「うん。まあね」

「早朝だったら気づかなかった?」

「どうだろう。真っ暗じゃなければ気づいたんじゃないかな?」

「でしょ? だからさ、護衛の妓官どのが入る前に何も気づかなかったなら、猫は事故死じゃないってことになる。もしそうだとすると――」

 雪衣が顎に手を当てて考え込む。

 月牙も考えこもうとしたが、生憎と空腹が勝った。


 --まずいな。そろそろ戻って寝ないと夜番がしんどすぎる。


 ――でも、もう少し一緒に謎解きをしたいな。


 明日もまた会える?――と、自然に切り出す方法はないかと考えていたとき、池の向こうから銅鑼の音が聞こえてきた。

 白猫がびくりと飛び上がる。

 雪衣もびくりとする。

「あ、いけない! もう午後の務めの時間だ! 戻らなきゃ――ねえ、月」

「何?」

「明日も昼に交代?」

 雪衣が少しばかり不安そうに訊ねてきた。

 月牙は嬉しくなった。

 雪衣のほうもどうやら一緒に謎解きをしたいようだ。

「しばらくずっとそうだよ。雪はいつも昼はここにいるの?」

「大抵いると思うよ。こいつも一緒だけどね?」

 雪衣が膝の上から白猫をつまみ上げて苦笑する。

「じゃあね月、また明日」

「うん。また明日」

 夕方の幼友達みたいな挨拶を交わして四阿を出て、雪衣は橋のほうへ、月牙は石段のほうへと分かれる。

 媽祖堂の手前まで上ったところで振り返ると、白い袖をひらひらさせながら太鼓橋を渡ってゆく後ろ姿がみえた。

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