第四話 ようやく探偵登場 1
門前から始まる石段を下って媽祖堂前の広場へと降りる。
一辺半町ほどの石張りの広場だ。向かい側の石垣の上に東院の築地が伸びている。右手が媽祖堂で、左手が内南門である。
いつも外から見ている内南門を内宮側から見るのは新鮮だった。
日暮れから早朝までは扉を閉ざし、侍廊で内宮妓官が宿直をしていたが、日中は特に警備もなく開け放してあるようだ。
出入りの激しい門だから当然といえば当然だろう。内宮の婢たちの一部も大膳所に食事に出てくるのだ。
――じゃ、昼間に内南門から内宮に入って、夜になるまでずっと待っているっていうのはありか。だけど、たとえば柘榴庭の婢だったら、夕方に婢頭が点呼をとって頭領に報告をしているしなあ。いないってことはすぐにばれるよ。それに、外宮の人間が内宮西院のお猫様なんか殺す理由はない気がするし……
考えながら歩いていたとき、月牙は奇妙なことに気付いた。
石畳の一部が光っている。
水に濡れているようだ。
――雨……なんかは、全然降っていなかったよね?
思わず空を仰ぐ。
晩春の午後らしいよく晴れた空だ。
雨を落としそうな雲一つない。
再び視線を地面に落とせば、雲母交じりの銀灰色の石畳の表面が、確かに濡れて光っているように見えた。
その軌跡が点々と道のように続いている。
行き先は媽祖堂のようだ。
そこまで見てとったところで、月牙は胸が高鳴るのを感じた。
――まさか……二匹目?
雨も降っていないのに地面が濡れているということは、またしても堂の中に溺れ死んだ仔猫の躯が運び込まれたのかもしれない。
もしそうなら大事件だ。
月牙は咄嗟に背後の梨花門を振り返り、番をしている内宮妓官を呼ぼうとした。
しかし、寸前で思いとどまった。
――何が起こっているにせよ、ここで私が独りで異変を見つけたらお手柄だ。もしかしたら犯人がまだ近くにいるかもしれないし。
思うなりワクワクしてきた。
武芸妓官の任官試験の八割がたは実技だ。
腕に覚えはありすぎるほどある。
物陰に何が潜んでいようと恐れるには足りない。
――待ってろよ猫殺し犯。私がこの手で捕縛して橘庭に突き出してやる!
月牙は慎重に左右を見回すと、水の軌跡を辿って媽祖堂へと歩み寄った。
媽祖堂は赤い瓦屋根を備えた六角形の堂宇で、花崗岩で造られた基壇の上に建っている。
正面の六段の階にも、点々と水の滴っているのが見えた。
間違いない。
何か濡れたものがこの階段を上がっていったのだ。あるいは、何か濡れたものを手にした人が、か?
月牙は逸る心を押さえながら、足音を潜めて階を登った。
媽祖堂の朱色の大扉は開いていた。
奥に黒木の祭壇と、とろりとした質感の白い玉製の媽祖像が見える。
左右の白い花瓶に活けてあるのは鮮やかな紅色の紫薇だ。
堂内は静まり返っていたが、月牙は人の気配を感じた。
左側の扉の後ろだ。
人の鼓動を感じる。
緊張のあまりどくどくと高鳴っている鼓動だ。見えない誰かの脈拍と自分自身の鼓動とが重なり合っていく。
――見つけた。
瞬間、月牙は草陰に獲物を発見した肉食獣の愉悦を感じた。
足音を潜めて近づき、刀の柄に手をかけながら囁く。
「……―-おい。そこにいるやつ。出てこい。両手をあげて」
カチリ、と聞こえよがしに柄を鳴らしてやる。
一拍の沈黙のあとで、
「え、あ、すみません! 出ていきます、出ていきますけど、両手は今ちょっと塞がっているんですけど!」
焦った若い女の声が返ってかと思うと、扉の陰から薄紅色っぽい人影が滑りでてきた。
年頃は十六、七か、丸みをおびたなよやかな体を、袖の広い白絹の上衣と薄紅色の裳に包んで、つややかな黒髪を背に解き流している。左右の横髪は朱の組紐で結わえてあった。右側の結び目の上に、紅色の縮緬のつまみ細工の造花を一輪だけ飾っている。
――うわ。綺麗な娘。
場合にもなく月牙は愕いた。
内宮の女嬬たちは大抵みな綺麗だが、この娘の綺麗さは感じが違う。
卵型の輪郭と濃い睫。ふっくらとした唇。
華奢で精緻な作り物じみた美しさとは違う、春の樺桜がぱっと咲き乱れたみたいな力強い華やかさがあるのだ。
美少女は左手に小型の水桶を下げ、右腕に白い仔猫を抱いていた。