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プロローグ

「「きゃあぁ――――――!」」


 早朝の媽祖堂(まそどう)の内部から二重の悲鳴があがった。

 まさしく絹を裂くように甲高い、若い娘の悲鳴――


 今しがた、堂内の祭壇に水と花を供えるために入っていった二人の女嬬たちの悲鳴だ。

 護衛のために随行してきた内宮妓官(ないぐうぎかん)秀鳳(しゅうほう)は、花崗岩の階を慌てて駆け上がると、扉を開けたままの入口から堂内へと飛び込んだ。


雪雁(せつがん)どの、柳花(りゅうか)どの、如何なされた!?」


「しゅ、秀鳳どの……」


 女嬬のどちらかの震える声が呼ぶ。


 堂内は惨憺たる有様だった。

 祭壇の前に水がこぼれて、斜めに差し込む朝日に燦めいている。

 場違いに美しいその燦めきのなかに、女嬬の一人がへたりこんで震えている。

 床に広がる白い長い一対の袖と、百日紅(さるすべり)の花びらそのままの明るい紅色の裳裾。背に垂れて床にまで達するつややかな黒髪。そのすべてが水に浸って重たげに濡れてしまっている。

 耳元を飾るのは裳裾と同じ色合いの紫薇(さるすべり)の花だ。

 同じ色の細かな花弁が濡れた床に散らばり、祭壇の手前あたりに水桶が転がっている。


 双樹下国(そうじゅかこく)の後宮において、髪に紫薇を飾れる女君は本来一人しかいない。

 同じ花の名を冠した西院「紫薇殿(しびでん)」に住まう槙貴妃(しんきひ)さまだ。

 今、目の前の女嬬が例外的に紫薇を耳元に飾っているのは、主君たる紫薇殿の貴妃さまの代参として媽祖堂に朝の拝賀に上がっているためだ。


 西院に住まわれる貴妃さまがたの女嬬が朝毎に花と水を、東院桃果殿に住まわれる王太后様の内侍が夕ごとに常夜灯を。それが双樹下国後宮たるこの「桃梨花宮(とうりかきゅう)」の習慣である。


 ――花を運んでいたということは、こっちが柳花どのか。


 秀鳳は内宮の警備を任された熟練の武芸妓官(ぶげいぎかん)らしい落ち着きでもって状況の判断を始めた。

 内宮の貴妃さまがたの御殿の奥仕えの若い女嬬は、同じ細工所で作られたお人形みたいに皆よく似ている。

 だれもが華奢な体つきをし、白い肌と翠の黒髪を誇り、小造りで繊細な細工物じみた美貌を誇っている。

 そんなよく似た二人の美少女のうちのもう一方、おそらくは雪雁と思われるほうは、供えの水を満たした大きな青磁の鉢をしっかと胸に抱え、こぼれんばかりに目を見開いて祭壇を凝視していた。


 乳白色の玉を刻んだ媽祖像の前の祭壇には、夕べ東院の内侍がたが捧げたのだろう一対の蝋燭がともされている。

 一夜のあいだにだいぶ短くなってはいるものの、燈はまだ滅えていなかった。

 その一対の火明かりのあいだに、何か真っ白く濡れそぼった小さな塊が置いてあった。

 祭壇までは朝日が届かないため細部がよく見えない。

 秀鳳ははじめ、ぐっしょりと濡れた綿の塊でもおいてあるのかと思った。


「秀鳳どの」


 鉢を抱えた雪雁が強ばった声で囁いた。


「猫が、猫が死んでおります――――」


 よほどの恐怖に駆られているのか、まるで台詞の棒読みみたいに強ばりきった声だ。


 改めて見れば、なるほど塊は猫だった。

 毛足の長い真っ白な仔猫の死骸が、毛先から水がしたたるほどぐしょぬれになって、まるで奇妙な供物のように、祭壇に横たえられているのだった。


「あの猫、わたくしどもの御殿の――」


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