選択
目を覚ますと知らない場所にいた。
下を見ると地を覆うように、いくつもの雲が重なり合っている。上にはベタ塗りしたような青が広がっていた。風はなく、気温も丁度良い。ここは生きていくのに最適な場所だと思った。
僕以外にも多くの人がいた。他の人はここがどこだか知っているのか、あまり驚いた様子はない。
カーン、カーン、カーン。
鐘の音が聞こえた。大きい音だがうるさいとは思わなかった。小学校のチャイムを思い出した。
鐘の音を合図に、人々が一つの方向に向かって動き出す。どこに向かっているのかわからないが、置いていかれると困るので、とりあえず後を追うことにした。
初めて雲の上を歩いたが、思っていたよりずっと硬い感触がした。
どれくらいの時間歩いていただろう。景色はさほど変わり映えがなかった。雲の形が少し変わっていたくらいだろうか。途中から気にするのもやめてしまった。
果ての無い開けた空間に出た。人々は左、真ん中、右と間を大きくあけて三列に並んだ。僕は何となく真ん中を選んだ。両側に人がいた方が安心するような気がする。
列は順調に前へと進んでいった。しかし、先は長くなかなか先頭の様子は見えてこない。
この先に何があるのだろう。このまま暇を持て余すのも考えものだなと思いたって、前の人に話しかけることにした。「すみません」と声をかけると、前にいた男が振り返った。無愛想な髭面の男だった。
「ここはどこなんでしょうか」
僕は尋ねる。男は鼻で笑い、すぐに前へと向き直ってしまった。質問に答えてはもらえなかった。
勇気を出したのに、と悲しい気持ちが僕を襲う。その感情は次第に苛立ちへと変わっていった。髭を毟り取ってやろうかと考えていたところで、後ろから腰の辺りを揺すられた。
「ここは上と下を選ぶ場所だよ」
背の低いおばあちゃんが笑顔で教えてくれた。親切な人もいたものだ。僕は嬉しくなった。
「なぜ上と下を選ぶんですか」
僕は続けて質問した。おばあちゃんは驚いたように目を見開き、当たり前のことを聞くなという顔で答える。
「そういう決まりだからね」
そういう決まりだからか。心の中で繰り返してみたが、納得はできなかった。「ありがとう」とおばあちゃんに感謝の言葉を伝えてから、僕は前へと向き直った。
気づくと列の先頭まで来ていた。目の前には、玉座に腰掛けた大男がいる。実に大きい。
「上か下か」
大男は地震が起こりそうなほどの声で尋ねてきた。僕は必死に考えた。どちらが良いだろう。こんな事になるのなら、並んでいる間に決めておくべきだったかもしれない。
「上か下か」
答えない僕に追い討ちをかけるように、大男は再び尋ねる。しかし、答えは出ない。
「なぜ上と下を選ぶんですか」
僕は質問した。
「お前の行末を決めるためだ」
大男は答えた。図書館で友達と会話をする時のような、控えめな声だった。意外と親切な人なのかもしれない。
「上を選ぶとどうなりますか」
「星になる」
大男の口から星という言葉が出た。何だか可笑しな気持ちになった。
「では、下を選ぶとどうなりますか」
大男はすぐには答えなかった。言葉を選ぶような間があり、軽く体勢を直してから口を動かす。
「地獄へ行く。落ちる途中で止まることが出来たのであれば、あの世界に戻ることになる」
僕は納得した。「少し時間をください」と言って、腕組みをして顎に手を当てた。考えた。真剣に考えた。これ以上なく考えた。長く考えた後に、僕は意を決して大男を見上げた。
「お前は面白い奴だ」
大男は笑っている。雲も弾けるような豪快な笑い声だった。
「私以外の執行者であったら、お前は死んでいたであろうな。運が良い」
他の執行者が気になって、左を見た。こちらの列と同様に、列の先頭に玉座があった。赤い目の化物が座っている。実に恐ろしい。
続けて右を見た。こちらは玉座すら無いように思えた。
「では、答えを聞こう」
大男は優しい声で言った。僕は答えた。
「やはり、お前は面白い奴だ」
再び大男は笑う。太陽のように活動的で、温かな笑い声だった。一頻り笑ってから、大男は僕の前に右手を差し出した。岩のようにゴツゴツとした力強い手だった。
どうしたらいいものかと躊躇していると、大男は察したように言う。
「握手がしたい」
大男は微笑んでいたと思う。僕が狼狽えながら右手を出すと、大男はその手を握ってくれた。
初めて大男と握手をしたが、思っていたよりずっと柔らかな感触がした。