お嬢様の掟
次の日からというもの、ことあるごとに蘭香は百合愛の前に現れた。因縁をつけたりだとか、何かと突っかかったり、上から目線でしつこく百合愛に絡む。
けれどそれは構って欲しさの裏返しで、百合愛がのらりくらりと躱す内に、次第に焦りを見せはじめる。そして百合愛はあしらいはするものの、絶対に二度目のキスだけはしなかった。
初めての味を覚えた蘭香は、昇降口での口づけを反芻し、夜には気がおかしくなるほどに胸を締め付けられる。間もなく露骨にキスを誘うような言動に出る蘭香だが、それでも百合愛はおとぼけて、最後には希うように。
「お願い……ちゅうして欲しいの……お願いしますわ」
「もう……嫌がらせのように突っかかってきた癖にさ。それじゃあ――ちゅ」
軽く唇を重ね合わせて、それで百合愛は踵を返す。そんな百合愛の背中に縋りつく蘭香。
「た、足りない……全然足りないよぉぉぉ」
「だってぇ、満足したらまた意地悪するんでしょう? こういうのってツンデレだっけ? 私あんまり好きくないんだよね」
「しないしない! もうしません! 身も心も捧げますから……いっぱい愛して欲しいのぉ!」
「しょうがない奴だね、蘭香は。じゃあ目を瞑って?」
「はひ……」
ねっとりと絡みつく舌先を味わい、蘭香の荒野には一面の花が咲いた。
百合愛は蘭香に攻略の道を見出して、更なる欲望を植え付けんと、右手は頭を撫でながら首筋へ、左手は腰を跨いで秘密を探る。そんな花畑を覗き見る、桃姫の瞳は涙に濡れる。
その後の百合愛は蘭香と付き合うことになる。噂は瞬く間に校内に知れ渡り、百合愛に恋心を抱いた者たちは悲しみに暮れる。
しかし百合愛は女生徒たちとの関りを薄れさせることはしなかった。金銭的には蘭香だけで十分だが、夢中にさせるには必要なこと。
気を抜けば奪われる。絶対に手放すまいと、蘭香は余計に百合愛にのめり込む。対して女生徒たちは、百合愛はいったい誰が好きなのかと、困惑の渦に巻き込まれる。
中でも特に混沌とした想いを抱くのは、百合愛の隣の席である御薬袋桃姫だった。
「ちょっとお話があるの……百合愛ちゃん、お時間いいかな?」
連れて来られたのは校舎裏の桜の木の下。上目遣いで見上げる桃姫に、百合愛は微笑みながらも冷たい視線を落としている。
「なんで……百合愛ちゃんは今でも私に優しくするの?」
「ん? 桃姫が優しくしてくれるからだよ」
俯く桃香はぐっとスカートの裾を握り締める。
「なんで……なんで百合愛ちゃんは天上院さんなの……」
「ん~、ツンデレってかわいいって思ってさ」
適当に思い付いたことを飄々と語る百合愛。
桃姫は呟くようにそっと漏らした。
「嘘だよ……苦手って言ってた」
「……え?」
瞬間、百合愛は背筋に寒気を感じた。確かその台詞は蘭香にしか言ってないはず。しかし思い違いもあるかもしれないと、百合愛は嫌悪の表情をぐっと堪える。
「桃姫のことは……愛してくれないの?」
「いっぱい可愛がってるじゃないか」
「桃姫なら……百合愛ちゃんと結婚してもいい。お家を飛び出して、百合愛ちゃんと結婚する覚悟があるよ!」
全てを投げうち百合愛に捧げる意志を見せる桃香だが、百合愛が欲しいのは投げ捨てられる方の側であって――
「それじゃあ、余計駄目じゃんか……」
百合愛はぽつりと、小さく呟いた――つもりだった。
「そっかぁ……やっぱり百合愛ちゃんは……お金が欲しかったのかぁ……」
「も、桃姫……そういう訳じゃ――」
取り繕う百合愛だが、桃姫の瞳には御薬袋家の令嬢としての威厳が光る。
「百合愛ちゃんのお家、裕福じゃないもんねぇ。団地住まいでとっても辛そう」
「なんでそれを桃姫が知って……」
「んふっ、なんでだろうね?」
冷えた背筋が凍り付き、百合愛の顔はここで遂に引き攣った。
「あ、そうそう……パパから聞いたんだけど、天上院さんには許婚がいるんだよ?」
「う、嘘……」
計画にひびが入り、百合愛は賽の河原で石の塔を必死に支える。そんな健気な百合愛を、歪んだ鬼の顔が覗き込んだ。
「天上院さんは百合愛ちゃんとの関係を、恋止まりって分かってるの。ううん、それだけじゃない。他の皆も百合愛ちゃんを好きだけど、届かないことを知ってる。届かないというのは百合愛ちゃんの意志うんぬんではなくて、だって私たちお嬢様だもの。お家の為に良い家の殿方と、結婚しなければならないんだもの」
「そ、そんな……」
困り果てた百合愛は途方に暮れて、同時に石の塔は崩れ去った。
絶望に項垂れる百合愛の頭を、菩薩の笑みを浮かべる桃姫が優しく撫でる。
「お家、困るよねぇ。このままだと、破滅だねぇ。分かるよね? 百合愛ちゃん。結婚はできないけど、分かるよね?」
落とした視線の先の地面に、ひらりと落ちる一万円札。
百合愛は金を手に取ると、潤んだ瞳で桃姫を見上げて――
「私を……飼って頂けませんか……」
「嬉しいっ! 嬉しいよ百合愛ちゃん!」
桃姫が飛びつくと、力なく揺れる百合愛。虚ろな視線の先には蠢く女生徒の数々が映る。
「あれは……」
「百合愛ちゃんを諦めきれないのは、私だけじゃなかったみたいだね」
ぞろぞろと群れを成すアモリリー学園の女生徒たち。中には教師の璃々子が不自然な笑みを浮かべている。
「ごめんね、百合愛さん。先生もお金の力に負けちゃった」
「ど、どういうこと?」
「先生が百合愛ちゃんの情報を売ってくれたの! お住まいとか、ご家族とか!」
腕には札束を抱き締めて、女生徒たちに愛想笑いを振り撒く璃々子。
「皆さん、先生からのお願いです。百合愛さんに恵むのは一回につき一万円までです。あげすぎず足らなすぎず、ちゃんとルールは守りましょうね!」
「はぁい!」
元気よく返事をする女生徒たちは、さっそく談笑に華を咲かせた。
「お金なんかで解決できて良かったね」
「みんなお金持ちだから、お金で解決できるとは思わなかったね」
「お金で言うことを聞くんなら、お家の少女と同じだね」
息巻く女生徒たちの手には、無垢を演じていた百合愛が知らない、えぐい得物の数々が握られる。
「桃姫……なんなのこれは……」
「私たち、恋愛にはとてもピュアなの。欲しいものはお金で買えるし、でもお嬢様の百合愛ちゃんは買えないから、どうしていいのか困っちゃった。でも百合愛ちゃんは違ったんだ。少女の扱いには慣れてるから、安心してね、百合愛ちゃん!」
ごくりと息を吞む百合愛。百合愛が初心だと感じたお嬢様たちだが、確かに百合愛の知る平民の恋愛観では純粋だった。しかし百合愛は金に初心で、金で解決できる嗜みを、人権を奪って弄ぶ、お嬢様たちの不純を知らなかった。
「こ、壊される……」
脅える百合愛の視線の先、人波を割って出てくるのは、悲し気な瞳で見下ろす蘭香だった。
「蘭香……お願い……助けて……」
「百合愛が私のお金しか見ていなかったなんて、少し寂しい……だけど……」
百合愛は本気ではないけど結婚を望んでいて、彼女らは本気だがお遊び止まり。果たして真に誑かされていたのは――
「卒業までいぃぃぃっぱい! 可愛がってあげるねぇぇぇ」




