犬の仕業?
停めろと喚いたが、ネヴィルはすぐ着くからと呑気なことを言って応じなかった。ドアを開けて飛び降りようとしたところで驚いた様子のネヴィルに腕を掴まれた。そうこうしている内にエリナーさんの待つダニエルズ宅に到着した。結構近いのだった。
車が止まってすぐに、僕はネヴィルの手を振り払って外へ飛び出した。エンジンを止めてから遅れて出てきたネヴィルと、車を挟んで対峙する。
「どうしたんだい? 急にそんな慌て出して?」
「説明しろ! 何でっ、何でメアリの首にこんな痕がっ……」
メアリのこの首の痣は明らかに荒縄か何かで強く締められたものだ。
暗い想像が沸き起こる。――だって――こんな――
「落ち着いてくれ」
ネヴィルはなだめるように両手を胸の前で上下させて言った。
「君は誤解しているよ」
「これが落ち着いていられるか!」
僕は激昂して言った。泣き虫ではないつもりだが視界が滲んでいた。気持ちを上手く処理できていない。衝撃が大き過ぎる。
「メアリは首をくって死のうとしたってことだろっ!?」
叫んでしまってから、僕は頭を抱えてうずくまった。
――一体未来の僕は何をしていたんだ!
――妹がそんな状況にまで追い込まれていたときにっ……
「いや、だから普通に誤解だって」
……いつの間にか車を回って近くに寄っていたらしいネヴィルが、そう言って僕の肩に手を置いた。
「それは自殺未遂の痕じゃない」
「……」
顔を上げ、じっと彼の眼鏡の奥の瞳を睨む。相変わらず何を考えているか分からない三白眼だが、しかしかつて人の家の葬儀中に庭で花火を作って爆発させた過去を持つこの男は、こういうセンシティブな話題でいちいち相手を安心させるためだけの嘘を吐けるような人間ではない。
「……それ以外、どうしてこんな縄を掛けたような痕が首に付くんだよ? 明らかに……首吊りしようとした痕だろ、これは?」
「確かにそう見えるかもしれないけど、違う。それは、犬のリードが首に絡まって引きずられたときについたものだよ」
「……犬?」
そう犬の仕業だよ、とネヴィルは言った。
「確かメアリが十三歳のときだった。死に掛けたのは確かだが」
「犬……」
「本当のことだよ。左肩と右足のふくらはぎにも、そのとき噛まれた痕が残ってる」
「何だと?」
早速ズボンの裾を捲って右足のふくらはぎをチェックしてみる。
……本当にあった。大きな歯形が、綺麗な楕円形にくっきり残っている。相当に大きな犬だったらしい。歯形から予想される図体なら、子供のメアリを引き回すだけの力はあったはずだ。
「左肩のはもっとすごいぞ。見せてもらったのはその二か所だけだけど、他にも傷があるかもしれないね」
「……」
僕は膝に手を当てて立ち上がり、服の土ぼこりを払った。
うむ。
……なんとも恥ずかしい。ネヴィルの前でかなり取り乱してしまったようで、頬が熱くなる。
一つ咳払いして、彼に尋ねた。
「……しかし一体、犬に襲われたときはどういう状況だったんだ?」
「詳しくは知らないな。わたしも後から聞いたことだし。ただまあ、そのときは君も彼女の傍には居なかったんだ。君はそのことでとても後悔していた」
「そうか……」
僕にとって未来のことではあるが、慚愧の至りだ。メアリはとても怖い思いをしたに違いないのに、肝心なときに側にいてあげられなかった。女の子なのに、後まで残るような傷まで身体に負うことになって……
「……」
……その出来事を、事前に防ぐことはできないのだろうか?
「因みに、犬に襲われたときの日付と時間帯は分かるか?」
「その情報を知識として保持しておくことで、過去に戻った後メアリを怪我から守ろうという魂胆だね? 面白い発想だ」
簡単にこちらの意図を当ててみせたネヴィルは高らかに笑って、思い出したら教えるよ、と軽い調子で請け合った。
「頼むぞ。とても大事なことなんだから」
「……確か、君の妹が犬に襲われたのは街の中でだ。現場に行けばもっと具体的な内容を思い出せるかもしれないね。あとで行こうか。他に案内したいところもあるし」
「ああ、頼む」
じゃあ行こう――、と歩き出したネヴィルに続いて、僕はダニエルズ宅の玄関につながる花の咲いたアプローチを歩いて行った。
メアリが将来被ることになる不幸を取り除く。……何だか、この未来見学に目標のようなものができた気がして、気の引き締まる思いだ。
――しかし、とふと思う。
しかし……未来の出来事を改変した場合、その先の未来まで大きく変わってしまったりとかしないんだろうか? 少なくともメアリが怪我することはなくなるわけだし、それに付随していろんなところで辻褄が合わなくなるなんてことが……
……まあ、あまり難しい話は分からない。
そういう分野はネヴィルに頼るのが一番だが、今のところ考えを否定されていないということは、取りあえずこのアイデア自体には可能性があると考えて良いはずだ。こいつは気を回さない性格のため問題も多いが、率直な分やはり頼りになる。
それに僕よりずっと頭が良い男なのは、今も昔も間違いないのだから。
……というか、何気にいよいよエリナーさんとの対面だ。
まだメアリの傷のことを引きずっている気持ちもあるのだが、そのことでエリナーさんに心配されるのは申し訳ない。
「……」
何だか改めて緊張してきた。僕は現状メアリになってしまっているわけだけれど、そもそもこんな状態で会ってしまって平気だろうか?
「おーい。連れてきたよ」
不安が頭をもたげつつあるこちらの気も知らず、ネヴィルは無遠慮にガチャリと玄関の扉を開けて中に声を掛けた。
少しして、はーい、とよく通る女性の声が返ってきた。エリナーさんの声だ……。
僕は少しの間胸に手を当てて気持ちを落ち着けてから、ネヴィルの後に続いて屋敷へと足を踏み入れた。




