僕が何者かになっているはずの世界
数秘術。俗称はカバラ。
文字や数の持つ魔力によって構成されるこの世界で、超常の力を行使することのできる技術体系の総称である。
ネヴィル・アーバスノットは、十二にして、その数秘術の一学問である数秘工学の分野で我が国最高の頭脳機関である学府から才を認められた早熟の天才だった。
……壊滅的なまでの変人でもあったが。
「君は『昨日』のことは覚えているかな? つまり、君の意識が時間を跳躍する直前と目を覚まして以降の記憶の接続について知りたいんだが」
玄関へ向かう途中、ネヴィルがそう聞いてきた。
「……おぼろだな。かなり長い時間熟睡したような感覚がある。昨日が何曜日だったかも覚えていない」
「成程ね。ふむ、多分、思い出せないだけだ。夜にわたしが君の家を訪ねたことは覚えている?」
「そんなこと、たくさんあっただろ?」
「そんな何度も夜中にお邪魔してたっけわたし?」
迷惑な子供だなぁ、と嘯くネヴィル。
「ほら、タイムリープの実験で、君に協力を求めただろう?」
「タイムリープ?」
「ああ、そちらの名称もまだ知らないんだったね……。ほら、『意識に時間を跳躍させる理論を見つけた』と言って君に協力を仰いだじゃないか。もう眠る時間だと言って君は嫌そうにしていた。頼んだらすぐに折れてくれたんだけど」
そういえば……そうだ。
昨日――つまり、僕が十二年前の世界で最後に覚えている記憶。
まだぼんやりしているが、途中までなら思い出すことができる……――
「意識に時間を跳躍させる理論を見つけた」
「ネヴィル。今何時だと思ってる?」
深夜、僕は目を擦りながら寝巻のまま玄関に立ち、器具やら何やらでパンパンに膨れた荷物を背負って急にやって来た訪問者にうんざりした気持ちで応対していたのだった。
「人間の意識を時間跳躍させる理論が完成したんだ。ここ最近、人間の脳機能の俗に霊的なんて言われてる面についてずっと研究していたんだが、三つほど面白い発見をした。うち二つを組み合わせれば精神体のみを未来へ投影することが可能だ。思うに巷の怪談に登場する例のゴーストなどもあながち眉唾物ではなく、肉体を失って後の精神体が光学的な出現条件を偶発的に満たしたために視認できる形で空間に投影された結果――」
「ネヴィル・アーバスノット。今は夜の十二時だ。そして重要なことなんだが、僕は十二時にはベッドで眠っていたいんだ」
「一日くらい遅くなったって平気だろう。手伝ってくれ、オスカー。一人じゃ無理なんだ」
「他を当たれよ」
「それは出来ない。君以外に友達がいない」
「断りにくいな……。じゃあ明日の陽のある時間にまた来いよ」
「夜じゃないと駄目だ。だから、明日に回しても結局今夜の繰り返しになる」
「それなら……今、済ましてしまいたいかもな……」
「だろう? 入るよ」
「……あまり騒がしくするなよ。妹が寝ているんだから――」
――……
「思い出せるのはそこまでかい?」
「ここまでだが……え? つまり、お前の言ってたアホみたいな実験は成功したのか?」
「成功したのさ。今わたしと話している君という意識が、そのことを証明しているだろう?」
「……すごいな。……でも、肝心の実験の内容が全然思い出せないんだが?」
「直前の記憶は流石に無いか。君は被験者で、実験の間は熟睡していたからね。被験者が深く眠っていないと成功しないから夜に行ったわけだが。簡単に説明すると、君の霊魂の情報を未来の世界に送ったわけさ。そして君と同じ血を持ち器の近しい君の妹に協力を仰ぎ、肉体を貸してもらった。何故未来の自分自身じゃなく妹の肉体なのかと疑問に思うだろうが、それは諸々の事情が許さなくてね」
最後、ネヴィルがどこか切なげな表情をしたように見えた。
……大人になった僕は彼の実験に協力することを普通に断ったのかもしれない。僕はドライな奴になったのだろうか? 或いは、仕事もしていることだろうし、そう毎回付き合ってもいられなくなっただけか。
「……説明されても正直よく分からないけど。まあ、でも、お前がすごいのはよく分かったよ。しかしそんなの、完全に上級数秘術の部類だろ? 素人の実験は学府から制限されているはずだぜ?」
ネヴィルはシャツの襟を捲ってみせた。そこには金で縁取られた盾のバッジが留めてあった。
「金章数秘術師のバッジ! 持ってるのか!」
銅・銀・金とある数秘術師の等級の中で、金章は最高のものだ。毎年十名ほどしか選出されないと聞く。
「取得したのはだいぶ前だよ。これがないとわたしみたいな在野の技術者が数秘術の研究なんてできないからね」
「完全に違法なことに付き合わされていると思っていた……」
「君のわたしに対する評価は相変わらずだなぁ」
そうこう話している内に玄関についた。
このドアの向こうは、僕にとっては未来の世界だ。
妹が結婚できる年齢に成長した世界。
友達が皆大人になっている世界。
戦争が終わった世界。
そして僕が何者かになっているはずの世界。
……メアリの身体を借りていることには罪悪感があるが、かといってここでネヴィルの厚意を無下にして無理矢理にこの未来見学を終了させるのも忍びないし、それに正直、僕自身この体験にとても興味が湧きつつある。
ワクワクしてしまっている。
――ごめん、メアリ。……一日だけ。
そう心の中でメアリに謝って、僕は外への扉を開いた。




