それは縛った長い紐で、綺麗な紋様が編み込まれていた
返事をするより先に扉は開かれた。顔を覗かせたのは眼鏡をかけた細面の男だった。
「着替え中じゃないよね?」
まるで気遣いの欠けた振る舞いが相変わらずだ。
「ネヴィル!」
ネヴィル・アーバスノット。我が悪友。ずっと背が伸びていて、屈まなければ戸口に額を打ちそうなくらいのっぽになりやがってはいるが、友達の面影に気付けないほど僕も薄情な男ではない。眼鏡の奥の感情の見えないグリーンの三白眼。爬虫類を思わせる冷め切った目つきの冷笑家――しかし本性は好奇心旺盛のガキでしかないこの男は、人でなしの奴以外にはあり得ない。
「相変わらず不機嫌そうな面してるね、オスカー」
ニッと口角を上げるネヴィル。
僕をオスカーと呼んだ。
「一体、何がどうなってる? 全部お前の仕業なのか?」
不吉な予感があった。何度こいつの実験に付き合わされて死ぬ思いをしたか分からない。……流石に今回は常軌を逸している感があるが。
「まあ、ある程度はね」
しかも妙に歯切れの悪い返答だった。地が無神経の彼らしくなくて、尚更不安になってくる。
「ええと、君は今いくつってことになるんだ?」
「十二だ」
「ガキだね。その割にあまり取り乱していない。君は利口なガキだったんだな」
「むかつくやつだな。相変わらず」
はは、と嗤うと、ネヴィルはポケットから何かを取り出してこちらへ放ってきた。咄嗟に両手で受け取る。それは縛った長い紐で、綺麗な紋様が編み込まれていた。
「それで髪を縛ると良い。出かけるよ」
急にそんなことを言う。
「どこに? というか、先にこの状況を説明してくれよ」
「全部この場で説明して、君に納得してもらうのは無理だと思う」
ネヴィルはもうこちらに背を向けて入ってきたばかりのドアの取手に手を掛けていた。
「順番にいこう。車がある。ついてきてくれ」
「……せめて一つだけ答えてくれ」
僕は彼を呼び止め、一度呼吸を落ち着けてから、尋ねた。
「僕は元に戻れるのか? つまり……メアリは、これ、大丈夫なのか?」
――そう。
何よりもまずそれを確かめなくてはならない。
「一つじゃなかったようだけど」
ネヴィルは笑って答えた。
「大丈夫。この状況は君という意識にとっては夢を見ているのと同じことだ。君の妹も眠っているだけだし、勿論、彼女自身の同意も得ている。身体にも精神にも危険はない」
ネヴィルはろくでなしだが嘘はつかない。嘘をつく優しさをそもそも持ち合わせていないだけだが、正直さにかけては信用できる。僕はホッと胸を撫で下ろした。
「……つまりこの突拍子もない事態は、いつものお前の悪ふざけと考えて良いんだな?」
「そうだとも、オスカー!」
ネヴィルは急に勢いよく両腕を広げて答えた。
「今は悪くない時代だ。何より戦争が終わっている。復興もだいぶ進んでいるし、君の夢見た平和な社会がある程度は実現されていると思う。君に是非、今の世の中を見物してほしくてね」
「……とんでもない奴だな、お前は」
ネヴィルの登場に、少し安堵してしまっている自分がいる。これはいけない。こんな単純だとネヴィルが調子に乗ってしまう。僕は気持ちを引き締めるつもりで軽く咳払いした。
「しかし……何というか、これは一体どういうことなんだ?」
自分の、もといメアリの身体を見下ろしながら尋ねる。
その間にドアを開いていたネヴィルは、身振りで外へ出るように示してきた。
「それこそ、この場で全部説明するのは難しい。歩きながら話すよ」
僕はやれやれと溜息をついた。腰を上げ、貰った紐で髪を縛りつつ廊下へ出る。
……次に気になるのはやはり指輪のことだが、どうにも聞きづらい。まあ、それとなく尋ねるタイミングがそのうちきっとあるだろう。
とりあえず、ネヴィルの手に指輪はなかった。……まあ、確認するまでもなく、この変人に限って妹の婚約相手であるはずがないのだけれど。




