憑き物もの書き
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町はずれの神社に近づいてはいけない。そこには長年この世をさまよっている霊の魂が生きた人間に取り付こうと待っているからだ。再びこの世に生き返るために……。
四月二七日午後六時。太陽が傾き始め、周りは少し薄暗くなっていた。町で噂の神社では、古びた二本の灯篭が明かりを灯している。この時間は霊の魂が活発に動く時間なので、誰もいない。しかし、今日は違った。子供の声が聞こえる。一つは少女。もう一つは少年の声だった。
「ほら、こっちよ。早くしないと日が落ちちゃう」
茶色の髪の少女が、黒髪の少年に呼びかける。
「待ってよ。ここって、悪い幽霊がいるんでしょ? お母さんに怒られちゃうよ……」
少年が少女を止めようとする。しかし、少女は聞こうとしなかった。少女は神社へ続く階段を一段飛ばしで上って行く。
「こんな時間に神社へ行くってスリルがあるじゃん。それに、幽霊なんて”ひかがくてきもの”なんていないし、そんな噂早く帰れって言う大人たちのおどしだよ」
少女が階段を上り終える。少年はまだ階段を上っていた。早く先へ行きたい少女は少年を急かすが、少年の息の上り様から時間がかかることが分かった。
「もう、遅い! 先に行くからね」
少女はそう言って少年を置いていき、鳥居をくぐっていった。
そして、しばらくしたあと神社から少年の叫び声が響いた。
「ちょっ! 待ってよ。“お姉ちゃん”!」
1
二〇二四年、四月三〇日午後一時。昼食を終えた会社員たちが一斉に自分たちのオフィスへと戻っていく。ここはR県のとあるオフィス街。多くの会社があり、毎朝電車に乗って会社員たちがやってくる。R県では有名な都市だ。
しかし、そんなオフィス街に似合わない建物が一軒ある。周りは高層ビルばかりなのに、それは二階建ての木造建築物だ。看板には『もの書き怪奇』と書かれている。
誰も立ち寄らないような建物に現代では着る人が珍しくなった書生を身に付けた一人の男が入っていく。
「こんにちは、先生。原稿できていますか?」
男が“先生”と呼ぶ人がいる、であろう部屋のドアを開けると、そこには机に座って外の景色を眺めている着物姿の男がいた。男の名は伏見 怪奇。この建物の主である。
カイクは男に目を移したが、「はぁ……」とため息をついて再び外へと視線を戻した。
「先生無視しないでください。今日は締め切りの日ですよ?」
男はカイクに近づき、彼の尻の下敷きになっている原稿用紙を引っ張り出す。原稿用紙は男が予想していた通り真っ白だった。
「……先生。全然書けてないじゃないですか」
男がカイクを睨む。するとカイクは、やっと男の方に体を向けて面倒くさそうに口を開いた。
「コマイヌ、君は今まで物語というものを書いたことがあるか?」
「まぁ、少しは……。てか、僕の名前コマイヌじゃないです」
コマイヌと呼ばれる男はカイクに訂正を持てたが、カイクはそれを無視するように話を続ける。
「なら、俺たちの気持ちがわかるだろう。毎回毎回締め切り締め切り言われるこの気持ちが。俺は急かされて書いた物語なんぞ世間に出す気はないぞ!」
胸を張って答えるカイクにコマイヌ――駒井 健は半分諦めようかと思った。
彼、伏見怪奇は世間では有名な作家であり、小説界の問題児であった。理由は三つ。
一つは、締め切りを守らないことだ。一年前に締め切りを言っても締め切り当日に原稿用紙に文字が書かれていたことはない。
二つ目に、カイクは実体験を材料に作品を作る。別にそれには問題がない。しかし、カイクは「怪奇現象」をベースとした物語を書くのを好む。この建物『もの書き怪奇』も怪奇現象のネタを集めるために建てられた怪奇案件相談窓口である。
しかし、大半が小説にするほどの大きい案件ではなく、カイクはそれを断っている。それが原因で客はほとんど来ず、ネタが集まらない。
だから、自らネタになりそうな心霊スポットへ行き、取材をするのだが空振りが多い。一度海外へ行って危険地帯とされている心霊スポットへ取材したが、付き人は憑かれたのにカイクだけ何も起きなかったという。自分に何か起きなければ臨場感を出して作品を書けないらしく、ペンが進まない。そして作品が出来ない。
三つ目に、カイクの作品は出す度に賞を得るので読者は減らず、収入には困らないのだ。俗にいう印税生活というやつだ。
これが作家――伏見怪奇である。カイクは毎日、この建物『もの書き怪奇』で景色を眺めながら物語のネタを考えている(らしい)のだ。
「あぁ、どこかに俺好みの怪奇現象が落ちてはいないだろうか」
再び外へ視線を戻したカイクが言う。
「怪奇現象は落ちてません。起きるんです」
駒井が軽くツッコむがカイクは気にしなかった。
しばらくして、カイクが口を開く。
「……ところで、コマイヌ。君はいつまでここにいるつもりだ。見ての通り、原稿は出来ていないぞ。書く気もないがな」
いや書けよ! と駒井は言いたくなったが何とか堪え、怒りを外へ出すように盛大なため息を吐く。
「それなら、書く気にさせてあげます。これを……」
駒井はカイクにスマホを渡した。スマホ画面には『神隠し事件再び! 少女(十一歳)の行方はどこへ?』という記事が映し出されていた。
「……なんだ、これは? このご時世に神隠しとか……。いくら手掛かりがないからといって、神隠しのせいにするのか。日本の警察も落ちたな……」
カイクは机から降り、駒井からスマホを奪い取る。
「どうやら、あの噂の神社で遊んでたら急にいなくなったらしいですよ。一緒にいた弟が泣きながら親に言ってたそうです。捜索隊も周辺を探しましたが手がかりになるものは一つもなく、犯人からの連絡もないとかなんとかで、R県警が頭を抱えていましたよ」
駒井が事件について説明する。カイクは「ふ~ん」と興味なさげに応える。
「警察がそんなに手こずった事件か……。いじりがいのある事件だな」
にやりと笑うカイク。しかし、何かに気づくとカイクは覚めた表情でスマホを駒井に返した。
「久しぶりの怪奇現象ですよ。取材いきませんか?」
「パスだ」
カイクは即答した。駒井は「えっ!?」と驚いた。
「これは怪奇現象ではない。失踪事件だ。神社で消えたからって神隠しにあったとは限らない。証拠もないからな」
「そんなぁ……」
駒井はため息とともに肩を落とす。
「もっとも、その弟が本当に姉の消えるところ見ているというのであれば信じてやる。取材のし甲斐があるからな」
カイクはそう言い、再び机の上に座ろうとした。しかし、呼び鈴の音がそれを妨げる。カイクは玄関の方を見る。
「……誰だ?」
カイクは玄関の方へ行き、扉を開ける。しかしカイクの目の前には誰もいなかった。悪戯かと思い扉を閉めようかと思ったが、下の方で「ここです」と声がした。カイクが下へ目をやると、十歳くらいの少年が立っていた。
「こんにちは。”かいきげんしょー”を解決してくれる人ってあなたですか? お姉ちゃんを助けてください」
怪奇現象という言葉を聞いて、カイクの目が大きく開く。その表情はまるで何か楽しいものを見つけたかのようだった。
「中へ入れ。茶ぐらい出してやる。それともオレンジジュースか?」
「それじゃあ、お茶で」
2
少年の依頼は子供の頃悪霊に憑りつかれて行方不明になってしまった姉を助けて欲しいというものだった。少年は最近、姉らしき人を町で見かけ、話しかけようとしたが、不思議な力で姿を消したらしい。
少年はまだ姉が悪霊に憑りつかれていると考え、カイクの元を尋ねたのだ。
「……なるほどねぇ。お前の姉を悪い霊から助け出してほしいと。で、それはいつのことだ?」
一通りの話を聞き終え、カイクは茶を一口飲む。
「それは……、えっと。七? ……八? 年前、くらいだと思います」
「随分あやふやなんだな。まぁ、そのくらいなのは分かった。ちなみに、お前の姉の特徴を教えてくれ。”使えない”とは思うが、無いよりましだ」
少年は頷き、話し出した。少年の姉は、茶色の髪で緋色の目をしており、年齢は少年の一歳上という。服装はハートがプリントされたTシャツに短パン。活発な少女だったらしく、神社へ行った理由も幽霊の正体を暴くためだったようだ。夕方親に内緒で神社へ行き、霊に取り付かれ姿をくらませたというわけだ。
「お前の姉は随分めんどうなものに巻き込まれたようだな……。しかし、神隠しで消えた姉が再び現れる、というのはなかなか面白そうな話にできそうだ。……行くぞ、コマイヌ、少年。取材の時間だ」
「あっ、ありがとうございます!」
「先生、やっとやる気を出してくれたんですね」
カイクは椅子に掛けていた羽織ものを手に取り、支度を始める。
「久々の外出だ。これも持っていかねばな。いいネタ(怪奇現象)が落ちていたら勿体ないからな」
と言って、引き出しから紙と万年筆、そして虫眼鏡を取り出した。少年は不思議そうに虫眼鏡を見つめる。
「どうして、虫眼鏡を持っていくんですか? こういうしょくしゅ? の人ってみんな持っているものなんですか?」
「そういうわけではないが、後でわかるさ」
カイクは何も言わなかった。
3
二〇二四年四月三〇日午後五時。街外れの神社にて。
「さて、ここが噂の神社だな。良いねぇ、いかにも何か居そうな場所だ」
カイクは目を輝かせながら周囲を観察していた。
「君のお姉さんが消えた場所って、どこらへんですか?」
駒井が少年に尋ねると少年は「えっと……」と周りをきょろきょろと見渡して、神社の奥にある古びた鳥居を指さした。
「あそこを通ってお姉ちゃんは消えちゃったんだ」
「なるほど……。噂の霊があの鳥居に細工をしたんだな。向こう側はあっちにつながってはないのだが……」
カイクは口元に手を当て、その鳥居に近づいた。しかし、男の声がカイクを止めた。声の主は警察官だった。カイクは「お前か……」と面倒くさそうな顔で男を見る。
「警察というのは随分暇なんだな。なあ、サワドリ」
カイクが“サワドリ”と呼ぶ警察官に皮肉を言う。しかし、男はそれを気にしなかった。
「お前が何か珍しく外に出ているから、何か事件かと思ってな。ていうか、俺の名前は澤嶋だ。シマとトリを間違うな」
「いいじゃないか。島より鳥の方が似合っている。あと、人をトラブルの原因みたいに言うな」
互いが嫌味交じりで会話していると、駒井が割って入る。
「まぁまぁ、二人とも。それより、早く取材を終わらせましょう、先生」
「取材? この神社にか? まぁ、ここは七年前に少女神隠し事件があったからお前好みの事件だけどな」
「えっ? 神隠し事件って? 前にもあったんですか?」
駒井が驚いた顔で言ったが、澤嶋は「何言っているんだ?」という顔をした。
「少女神隠し事件が起きたのは一回だけだぞ?」
「えっ、だってこのネット記事に……、ってあれ? これ七年前の記事だ!」
駒井がスマホ画面を見ながらひとりで騒いでいた。カイクは「やっと気づいたか」という言い、腕を組んだ。
「お前は相変わらずだな。素材の出どころや日付を調べるのは基本中の基本だ。大学出ているのだから、レポートの閲覧日と更新日、そして出典元などは書いているはずだったろう?」
カイクの説教を、肩をすくめながら聞く駒井。
「申し訳ないです……。えっ、じゃあおかしくないですか? だって、行方不明になった少女の年齢は十一歳で、この子の一歳上の姉なんですよ? だったら、この子は十七歳のはずなのに十歳くらいの姿をして……、てことは、まさか……」
駒井は少年の方を見る。少年は「バレちゃいましたか……」とつぶやき、「すみませんでした」とカイクたちに謝った。
「僕は幽霊です。理由はわかりませんが……。でも姉の事件と関係していると思います。あの日、姉はあの鳥居をくぐろうとしました。その時、僕は何か嫌な予感がしたので姉を止めようとしました。
けれど、何かが姉に近づいて体を乗っ取ろうとしました。その後は、覚えていません。気づけばここに立っていて、姉は行方不明になっていました。僕は警察にこのことを言いましたが、死んでいたので聞いてくれませんでした」
「なっ、死んで?」
駒井が驚く。
「はい、たぶん死んでいます。ポックリです」
少年は自分の死のことなのに軽く流した。
「続けます。死んだ後の僕は姉を調べました。姉の肉体、精神ともにこちら側から消えました。でも、あちら側にもないのです。たぶん、霊に取り込まれて生と死の境にとじ込められているんでしょう。
悲しいことに僕は“こちらとは離れた存在”になっているので、姉を助けることはできません。
だから、伏見怪奇さんに助けてもらおうかと思いまして」
「なるほど、姉だけでなくお前も面倒くさいことになっているとはな……。とりあえず、その鳥居を調べてみない事には進まないからな……」
一通り聞くと、カイクは鳥居の方へ向かった。
少年の姉が消えたであろう鳥居をよく観察する。石でできており、苔で覆われている。一見してみれば古びた鳥居だが、よく見てみると札が一枚はがれかけた状態でついていた。
「これは……、古いが何かを繋ぎとめるための札だな。これが霊を鳥居に縛り付けていると考えられるなぁ……。それか……」
カイクがじっくりと鳥居を観察している後ろで、澤嶋は少年に話しかけた。
「さっきのことなんだが、R県警の調べでは少女の行方は分からないままだったが、君の所在は把握している。……君は本当に死んでいるのか?」
澤嶋が少年に言うと少年は少し顔をしかめた。駒井によれば、少女の行方がわからなくなったことを弟が述べたと記事にあったが、少年の話では、少年は警察に行く前に死んでいる。少年の話が本当だとすると、記事に書かれた弟の証言は一体誰のものだのだろうか。
「それも僕です。中身は違いますが、僕だと思います」
「どういうことだ?」
澤嶋が少年に問い返す。
「自分でもよくわかっていないので推測になるのですが、僕は中身(魂)と身体(入れ物)が離れてしまっている状態だと思います。中身の僕が離れたことで、行き場の失った身体は仕方なく僕がいたころの記憶を使って今を生きているのだと思います。
実際どうしているのかわからないのですが、僕という存在は死んでいるのと同然なので……」
「そういうことだったのか……」
カイクが鳥居の観察を終え、少年たちの方を向いた。カイクの手には文字の書かれた紙に虫眼鏡があった。紙には焼き付けられたような文字がびっしりと書かれていた。
「『そういうこと』とはどういうことですか、先生?」
駒井がカイクに尋ねる。
「お前の姉はやはり霊によってとらわれている。だが、生死の狭間で眠っているわけではないぞ。あれを見ろ」
カイクは少年たちの後ろを指さす。そこには十七歳くらいの男だろうか。少し長い黒髪に、虚ろな碧色の目をした男が怪しげな気を発しながらこちら側へ歩いてきていた。
「あれって、君に似ていますね?」
駒井は少年に尋ねる。少年は驚いた顔で、男を見ている。まるで、そこにいるはずのないものを見るかのように。
「あれは少年、お前の身体だ。どうやら、中に入っているやつがお前の存在に気付いたらしい。ちなみに、近づいたら何するかがわからないから気を付けると良い」
カイクが少年たちに注意をする。目の前の男が少年を見る。すると低く、途切れ途切れの言葉を発し始めた。
「みぃ、つけ、た……。あい、たかっ――ダ、め ……。あなた、じゃ、ま!」
男は少年を求めているような言葉を発しているように聞こえたが、どこかそれを拒んでいるかのような発言もしていた。
「何を言っているのかわからないだろうが、察しが良いサワドリならわかるであろう?」
カイクが澤嶋に問う。澤嶋は少し考えたが、何か分かったような顔をして「本当か?」という顔でカイクを見た。
「まさか、あの中に少年の姉がいるというのか?」
「そうだ。おそらく七年前、霊が少女から少年へと狙いを変えたとする。それを少女が庇うために少年に覆いかぶさるとする。
そして、何かの拍子に少女と霊が合わさり、少年の中へ入ったとする。少女に霊の妖気があったとすれば可能かもしれないからな……。
少年の中に二つ分の魂が入ると、もともと入っていた少年の魂が外へ出てしまい、残った魂は身体の中で混ざり合ってしまった。その後は混乱した記憶の中で、少年として生き続けていたが、先日少年の魂を認知し、自我が不安定になっているというわけだ。これが、今回の神隠し事件の真相だ」
カイクが神隠し事件の真相を話終えると、鳥居にある札に触れた。
「この札は、その中にいる霊をこの鳥居に縛り付けるための物だったのだろうが剥がれかけているのを見ると少女が、剝がそうとしたか、もともと剥がれていたかと考えられる。まぁ、どちらにせよ封印が弱まっていたことがわかる。とりあえず!」
カイクが札を勢いよく剥がした。
「ちょっ、先生! 何しているんですか?」
「もともと、弱まっている封印なんだ。取ろうが残そうが関係ないだろう。それに、出てくれないと霊は本性現わさないだろう。ほら」
カイクが男を指す。男は先ほどとは異なり、身体からどす黒い気を発しており、苦しんでいた。そして、碧色だった目が黄色に変わり、身を丸めてこちらを睨みつけていた。
「封印が解けて、自由になったようだ。出てくるぞ、あいつの本性が!」
カイクが少年たちの前に出て、紙と虫眼鏡を構えた。
「せ、先生!?」
「下がってろ。ここからは執筆の時間だ。なぁに、締め切りには間に合わせるさ!」
カイクは紙を上へ放り投げ、バラまいた。不思議なことにその紙は地面に落ちることなく、空中にあり続けた。
そして虫眼鏡を男に向ける。
「な、にを……?」
男が警戒する。
「すぐに終わるさ。―― 鏡は姿を現し、真実の光を集める。紙は言葉を残し、物語を残す。さぁ、焼き刻め。その姿、物語を! すべて俺が綴る物語にしてやる! ――」
カイクが向けた虫眼鏡が男を映し、光が乱反射した。光は空中に散らばる紙に当たり、文字を刻んでいく。
「これは……」
少年が目を丸くして見ていた。怪奇現象を解決してくれるとだけしか聞いたことはなく、実際にどのようにするかなど知らなかったので、少年にとってその光景がとても不思議だった。
「先生。ついに執筆を……。これで締め切りに間に合う」
少年とは違い、駒井はカイクが仕事を始めたことに対して涙を流していた。ちなみに澤嶋は、そんな駒井をかわいそうな目で見ていた。
「……なに、を、する。きさ、――お、願い! こいつを、こ、こから、出して!」
苦しむ男から少年の姉らしき言葉が発せられた。先ほどとは異なり、姉の言葉が表に出るようになっていた。
カイクが執筆を始めて、しばらく経った。カイクが投げた紙も白紙部分が無くなり、物語が刻まれていた。
「さて、このくらいで良いだろう。……そろそろ出てくると良い。その(少年の)身体も居づらくなっただろう?」
カイクが男に言うと、苦しげな声をあげながら怪しげな気を空へと出した。黒き気は男の身体から出ると、女の姿を形とりその場に生まれた。
「き、さま……――ありが、とう。……ころして、や――くだ、さい。私を、殺して!」
女性――少年の姉がカイクに向かって叫んだ。
「……ふざけるな。俺はもの書きだ。人は殺さない。一応そこに警察がいるし、刑務所に行けば物語が書けないからな……。それに、そいつ(霊)は殺さなくとも何とかなるぞ。ただの可哀そうな呪縛霊なのだから……」
「……えっ、?」
カイクが地に落ちた紙を一枚手に取る。その紙に書かれている文字をカイクが読み上げた。
「――少女は一人涙した。自由を奪われ、横になるしかなかった少女は外を夢見た。どうか、この身から抜け出し、他の身を奪い、再び外へと願った。その願いは少女の死後まで続き、呪いとなった―― これが、今回の霊の正体だ。そして……」
カイクが女性の形をしたものへと近づき、虫眼鏡をそれの額に押し付けた。
「自分の死を受け入れろ。“お前はもう、ここにはいない”」
カイクがそう言うと、虫眼鏡から光が発せられ女性を包む。
「な、……あぁ、そうか……。私は、もう、自由だった(存在しなかった)のか……」
女性を覆う黒い気が消え始める。まるで空へと還るかのように……。
「お姉ちゃん! 待って!」
少年が消えゆく女性のもとへと駆け寄る。そして、女性の手に触れる。
「――!!」
女性が何か言った。しかし、聞き取ることは出来なかった。少年が女性の手を握ると温かな光が発せられ、黒い気と交わる。
「消えないで! また、一緒に遊ぼうよ!」
黒い気と交わった光がはじけた。カイクたちは眩しさで目を覆う。再び少年たちが立っているところを見ると、そこには先ほどの男と、地面につくほどの温かな茶色の髪の女が手を握って立っていた。
「……終わったか?」
カイクが彼らに話しかける。二人はカイクの方へ向き、「はい……」と言った。
「ありがとう。伏美さん。私を……弟を助けてくれて」
女がカイクに頭を下げる。男も続いて頭を下げる。
「いや、こちらも良い取材が出来た。……しかし、まだお前の中に“それが”いるな?」
「……はい。還ろうとする彼女を引き留めてしまいました。ちゃんと、こっち側の世界を見たいだろうし……」
「なるほどな……。なら、一緒に見るが良い。これからのお前たちの世界をな」
「……ありがとうございます」
4
こうして、七年前の神隠し事件は幕を下ろした。メディア各所は失踪した少女が見つかったと報道し、世間はその話題で持ちきりだった。カイクもそれに関わっていたのだが、面倒くさいと言い、澤嶋にすべてを押し付け、再び自宅で外を眺める生活を始めた。
何もなく、ただ、じっと外を眺めて、アイデアを待つ(考える)。そんな生活に……”もう、戻ることはなかった……”。
「……どういうつもりだ、お前たち!」
机を思いっきり叩き、彼らを睨む。そこには桜色の着物と茶色交じりの深い桃色の袴を着た女と書生姿の男がまるで自分の部屋かのようにくつろいでいた。
「どういうつもりって……。働きに来たんですけど?」
「求人を出した記憶はないぞ!」
「それに、まだ、世間がざわついてて自分の時間を作れなくて……。ここなら良い隠れ……安全かなって思って」
「本心が見え見えだぞ、馬鹿者ども……」
カイクが不機嫌そうに彼らを見る。今まで駒井が来る以外平和な時間だったのに、彼らのせいで台無しになったのだ。一人を好むカイクにとっては最悪である。
そんなカイクを落ち着かせるかのように駒井が言った。
「良いじゃないですか。僕としては誰かが見張ってくれる方が助かりますし。それに、彼らにはまだ妖気が残ってると思うので先生が好きな怪奇現象に出会えるかもしれませんよ?」
「っ!! ……それは……」
カイクが黙る。何かを考えているかのように頭を抱え、机でうなだれる。そして、何か決めたかのように顔をあげる。
「よし、わかった。半年契約だ! その間で俺に怪奇現象を持ってきたら契約続行だ! いいな?」
「本当? やったぁ! 頑張ろう、優!」
「うん、鈴姉ちゃん!」
二人は子供のように跳ねて喜ぶ。
「なんだ、お前ら。名前あるのか?」
カイクが意外そうな顔で言う。二人は「当たり前だよ!」と言い、怒る。
「名乗らなかったのでな、かわいそうな境遇で育ったのかと思てな」
笑いながら言うカイクを二人は睨む。しかしカイクはそれを気にしなかった。
「それならお前らのここでの名前は“ゆう”と“れい”だ」
「「……なんで?」」
「二人合わせて“ゆうれい”だ。俺にとって平和を脅かす疫病神になりそうだからな」
小馬鹿にするかのようにカイクが言う。そんなカイクにイラついたのか二人は近くにあった本を手に取った。そして、大声をあげてカイクめがけて本を投げた。
「「バカにするなぁぁ!!!!!!」」
二人の声は建物の外まで響いた。
R県のとある街のビル街にはおかしな建物がある。そこに住む作家は有名作家であり、問題児である。人々はこういう「憑き物もの書き」と……。