一.街・スクール・失われた世界
一.街・スクール・失われた世界
❶
ぼくの住む街は、中核市。ぼくは、この中核市という字面が好きだな。ほかにも、透徹という漢字の字面が好きだね。でもこの街のことはあまり好きになれない。この街のことを語るのはどうにも気が進まないよ。苦手なものを想像して、それを手で丸くこねくり回して、ニトログリセリンと一緒に爆発させれば、ぼくが住んでいる街になる。それはとても静かに、そして穏やかに狂ってしまった世界だ。そしてその穏やかに狂ってしまった世界でぼくは青春をおえようとしている。
この街一帯は高い壁が囲まれている。この街一帯は盆地なのだけど、その壁のせいで街をぐるりと包み込む山脈を眺めることができない。夕日が稜線を黄金色に照らす風景を、ぼくたちは想像することしか許されないし、想像することもあまり歓迎されないんだ。
この壁は、ぼくがこの街で美しいと思える数少ないものなので、ときたま、およそ目につく全てのものが嫌になると、車を走らせて壁面に向かうことがある。
詰所の警備員がいぶかしげにぼくを見つめるなか、体育座りをして、その壁と向き合う。【壁の向こう側】を想像して、しまいにはいつも無力感に苛まれるよ。【スクール】で教職者に優れた人間だと認定されれば、通行券を貰えるのだけれど、ぼくは学がないから頂けなかったんだ。壁の向こう側へ行ったヒトを、ぼくは口にこそしないけど羨ましく思っている。これはぼくが抱えるたくさんのコンプレックスのうちの1つ。
壁を見詰めながら、ぼくがまたぞろ想像を働かせていることに気付いた警備員は「破廉恥だ!破廉恥がいるぞ!」と真っ赤な顔をしてさわぎだした。
「うるさいな、黙れよ、ぼくの想像力を奪わないで」とぼくは言う。砂利を手に取り投擲すると、その粒のなかの小石が警備員のあたまにスコーンとクリーンヒットしてしまい(やばい!)ぼくはあわてて車に駆けこんだ。
「もう最悪だよ、お洒落じゃない。こんなの全然お洒落じゃないよ」国道を走りながらぶうたれる。ぼくは明らかに焦っていた。あと数回バースデーケーキの火を吹き消せば、一生【壁の向こう側】へ行けなくなるからだ。ヒトの思想によって個人差があるけど、通行には年齢制限がある。10代の頃は、おおくの優秀な人間と同じように、ぼくも向こう側へ行けると信じていた。それがとんだ勘違いだったと気づくまでにそれなりの時間を要したぼくは、まごうことなきフールであると言わざるをえないよね、まったく。
もちろん壁を壊して向こう側へ行くという手もあるよ。驚いたことに毎年何人かはそういった狼藉者があらわれ【人非人】としてニュースで報道されるんだ。
ぼくの大切な友人も若くして【人非人】となり、でていったときの再現をするように壁を壊して戻ってきた。数年前のことだ。街の中心地までやってくると、よっぽど疲れていたのか、そのまま眠るように死んでしまった。死体を烏が啄むと、やがて凄惨な死体となった。変な臭いもした。熊の死骸だと言われても信じられるくらい凄惨な死体だよ。
子供たちは身を寄せ合いぶるぶる震えていた。大人達はその死体から何らかの教訓を得ようとやっきになっていた。
死体を初めて見る子供たちのなかには、好奇心をひかれたヒトもいたようで、とてとてと駆け寄っては、手持ちのポップコーンを、死体となった友人の鼻に詰め込み、きゃっ、きゃっ、とお酒のまわった天使のようにはしゃいでいた。
ぼくはといえばね、畑の案山子のように呆然としていた。
そりゃあ本来なら、死体に群がる自分と野次馬との違いを大衆に見せ付けるべきだったし、怯える子供に抱擁をするべきだった。教訓を得ようとする大人達を鼻で笑うべきだったし、大切な友人の鼻につまったポップコーンをとりだしてやるべきだった。
ぼくはそれを酷く後悔している。
このとき明確にぼくは、意味の、意味の、意味を求めるべきだと思ったし、その為に誰に批判されようと芸術家になると決心したんだ。
ぼくはハンドルを強く握り、再び決心をする。明日から自分が為すべきことと、そして為さなくていいことをあたまのなかでしっかり分別して気を引き締める。
けれど、あの時のぼくが芸術家を志すよりなによりはじめに友人が壊した壁の修理費を建て替えなければならなかったように、翌朝のぼくがするべきことと言えば、家を訪ねて
きた警備員に誠実に何度もあたまを下げることだったんだ。