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シニシファン・ブンガク・アンダーグラウンド

詩人になりたい、

    でなければ何者にもなりたくはない

                       ヘルマン・ヘッセ


【これは完成されることのない1度きりの詩だ】


“ロゴスは世界に意味と嘘を与えました。その嘘が湖畔を渡りわたしの傍に寄り添ってくれるのですから、虚飾を愛することで、わたしたちは真実と向き合うのです”


あたまの可笑しなヒトと、あたまの可笑しくないヒトの境界線を、ぼくはおそらく知りたがっている。ぼくはとても退屈だから、退廃に身をまかせて1日に2箱の煙草を吸って肺を汚したり、下腹が膨れるくらいビールを飲んだり、ブロンを40錠流し込んでへらへらしたりするけど、そんな時間のつぶしかたにはちっとも納得がいっていない。

 沢山のことに<意味>を求めるのは、まったくもって実用的な生き方だけど、間違えて偏執的になってしまえばきぐるいになると、精神医学か臨床心理学の本でおそわったことがある。ぼくは本が好きだな。詩はもっと好き。だって彼らはだれにたいしても公平でしょう?ぼくも彼らのように誰にたいしても公平になりたいな。そうなりたいし、日頃つとめているから、きっとなれると思うけれど、甘いかんがえかしら?

 ぼくはきっと自分の人生に意味を求めているんだね。

 なんの為に生まれて、なんの為に死ぬ。

 判らないままおわる? そんなのは嫌だ。

 学がないからむずしいことをかんがえるのは苦手だけど、死ぬことについてはよくかんがえるよ。死というのは絶対的な力がある。それは連続性を断ちきる力だとぼくは思う。勿論、ぼくを傷つけたあのヒトよりも強い。ほんとうに誠実に自分と向き合うなら、あのヒトの名前をここに書き殴るべきなのだろうけど、想いだすのは辛いことばかりだし、徒労なので、やめておくことにしようかな。

もし自分の気持ちに正直になれたら、ぼくは、ぼくのことを全て書きおえることができるかもしれない。ヒトが自分のことを韜晦したりして、打ち明けることをしたがらないのは、おそらく自分の限界を知りたくないからなんじゃない?ある哲学者が話したとおり、言葉の限界が、そのまま世界の限界なら、誠実に語りおえたぼくにいったいどれだけの価値が残されるの? 

 ぼくたちは生きているかぎり強制力にしたがって生活しなければなれない。それは法律に代表される社会のシステム。むかしは、聖書が信仰という形でその役割を果たしていたらしいよ。ぼくの祖父の、祖父の、そのまた祖父が生きていた頃よりずっと大昔は、聖書の権力は絶大で、強烈だったんだって。当時もっともすぐれた学問の1つとされていた西洋哲学とくっついて「スコラ」が生まれるくらい聖書は偉大だったんだ。

現代の日本では、聖書の役割を資本主義が果たしている。そうぼくの父は言っていた。父は国の財産管理を【壁の向こう側】でやっていて、キャリアとよばれている。

 父は賢いけれど、やっぱり強制力の下で汗を流している。ぼくの父は各地を動きまわる。東京、大阪、名古屋、福岡、宮城。大昔のインディ―ズバンドだってこんな過酷な日程は組まない。父のこころは新幹線の速度についていくのがむずかしくなっていて、離陸と着陸を繰りかえす飛行機に、しっかりとした意味を求めるのが困難になっている。

死というのは、強烈だから、やはりそういった強制力を断ち切ることができる。それをおそろしいと思うヒトがいれば、救いだというヒトもいて、それがぼくには興味深いことに思えるんだ。ぼくの姉はこの前<自死>した。ぼくもおそらくそうなる気がする。自殺と<自死>という概念のちがいについては、のちのち語る機会があると思うよ。ぼくには話すべき事柄がやまほどあり、果たしてあなたには時間があるのかな?それだけがぼくには不安です。

 ぼくはあまり家をでない。駅前のカフェ(小瓶ほどの量のエスプレッソを500円で売りつける悪名高い店だ)でアルバイトをする以外は、とくに外のヒトに用事がないからだ。でも、ほんとうはみんなと仲良くしたいと考えている。自ら孤独を求めて、手痛い打撃を受け、みじめに憐憫をさそうのは、もうこりごりだからね。ぼくが22年間生きてきて判ったことの一つに、ぼくの孤独は孤高ではなかったということがあるよ。ぼくはおおらかとは言えないけれど、人当たりはいい方なので、頑張って光彩陸離たる微笑みをふりまけば、多くのヒトの仲良くなれると思うのだけれど、自意識が邪魔をして上手くいったためしがない。かげでぼくの挙動の不審さが笑いの種になることもしばしばあり、そのたびに当然悲しい思いをしてきた。

 生涯の(といえるほど長く生きてきた自信はないけれど)ほとんどの時間をぼくは1人で生きてきた。あんまりヒトと話さないでいると気分が憂鬱になり、あたまのなかで様々な空想にふけることになった。空想は真実ではないから、真実にふけるヒトからはよくよく馬鹿にされることになった。空想はマスターベーションより恥ずかしい行為だというのが、ぼくの周りの方々の共通認識で、教養のある家庭に子供が生まれると、父母の名前よりさきに、以下の2点を教えられることになる。1つは創作をしてはいけないこと、のこりの1つは小説を読んではいけないこと。数学や外国語の教科書であれば喜ばれるけれど、哲学書はグレーゾーン。主義が生活を豊かにするとはかぎらないからね。理想だって人々を幸福にするとはかぎらない。ハイデガーが一時期ナチズムに傾倒したことは、その一例なのかもしれないよね。そういえば半年前に【スクール】の生徒の男女二人が未成年であるにもかかわらず、体育館倉庫でこっそり中原中也の詩集を読んで問題になったこともあった。教育委員会は学校側に適切な処罰を求めていた。

 ぼくの空想の多くはここに書く価値のないメロドラマだ。自分が死んだとき果たしてどれだけの人間が涙を流してくれるか、といったきわめて自己愛的な妄想をしたこともある。けれど価値のある文章とはなんだろう?ぼくには価値のある文章を書く自信はない。

 三島由紀夫は、太宰治の病気を、体を動かせばなおるものと言っていたけど、太宰治は運動が苦手だったのかな?ぼくにはそれがきがかりだ。いずれにしても、太宰治のような女たらしの孤独とぼくの孤独は違う、三島由紀夫の美意識にはとても共感ができないよ。これは嘘でね、ほんとうは、みんなにちやほや賞賛されているものをにくたらしく思っているだけなんだ。

 ブンガクを書くてっとりばやい手段は正直になることだよ。自意識と虚栄心が文学者の敵でることは、1度作家を志したことのある人間なら判ってくれるはず。村上春樹は芸術を生み出すには、古代ギリシャの奴隷制度が必要と話していた気がするけど、ぼくはそれが間違いであってほしいと願っている。だって、それがほんとうならぼくは文学者ではなく、奴隷になるほかないもの。それはあんまりな話でしょう?

 祖父へ。どこにいるのかは判らないけれど、なにか伝えることができるならば、ぼくは祖父へこんなことを伝えます。ぼくはもうすぐ22歳になるけれど、どうやら立派な大人にはなれません。でも、ぼくは、意味の、意味の、意味を知るために頑張ります。それを多くのヒトがどう検討されるかを理解します!

 ブンガクを書きたいから、ぼくは努めて正直に、真摯に、韜晦なく、ぼくの心象を伝えたいな。詩やメタファーは、あたまのいい人間がするものだから、勿論こころみるつもりだけど、ぼくにはできそうもない。そんなぼくでもやっぱりブンガクはできるのだ。だって、小説の器の広さは、ぼくの想像力なんかよりもずっと、広大で茫漠としているんだから。

 ぼくは、ぼく以外のヒトを好きになれない。ぼく自身のことだってたまに軽蔑することがある。極めて打算的で、私利私欲しかあたまにない人間だからだよ。それでも、たまにですが、世界の人々、それもすれ違ってすらいない赤の他人の悲劇を思い、涙を流すこともある。これまで出会った全てのヒトと、これから出会う全てのヒトに、空と海の重なる場所で接吻を交わしたくなる。拒絶されたならば代わりに大地に接吻するだけの博愛のこころが芽生えることがある。

今のところ、ぼくは正直なんだ。それでもこれから、すこしばかり嘘をつくことになる。嘘はつくけど、その嘘はヒトを傷つける種類のものではなく、ブンガクに必要な空想。その空想はきっと、死に際の白鳥の声のような音がするのだろうと、いつもぼくは思う。小説家は真摯に嘘をつく。ほんとうのことを語るには、ほんとうでないことを語る必要があるからだ。正直な嘘には、必ずヒトを救う力があるとぼくは信じている。

今のところ、ぼくは正直なんだ。あなたは優しくて聡明なので、真実を与えてあげたい。勿論、へそ曲がりの大馬鹿ものにだって、ちゃんと真実を届けてあげたい。むしろ、ぼくはそういった人間の味方をしたい。なんでかって、ぼく自身がそういう人間だからだよ。


簡単に言えば、これは独我論に対する、ぼくに許された唯一の抵抗なんだ。













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