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◇ ◇ ◇
「昨日は無事、家に帰れた?」
はっはっはっと笑いながら、武は慎の背中を叩いた。
慎はじろりと睨む。
「あれー、ご機嫌斜めだね、何かあったの」
こいつには教えたくない。
慎はさくっと無視をする。
それを許す武ではない。
「慎先生、珍しく飲んでたもんね。ご機嫌だったし。楽しそうだったし」
「君が心配することはない」
じりじりと脳みその奥が焦げそうな痛みが彼を襲う。
「そうー? でもしんどそうだよ? 大丈夫? 薬、持ってこようか?」
武の笑い声がびしばし頭に突き刺さる。痛い。
「君が心配することはない」
慎は同じセリフを繰り返し、インクの匂いも芳しい、刷りたてのプリントをさばきながら言った。
「だよねえ。ならいいんだ。茉莉花さんに怒られなかったかと思ってさ」
茉莉花?
動く手が止まる。
「……君は何か知ってるのか?」
「知ってるも何も。やだなあ、ホントに覚えてないの? まずいよ―、そりゃ」
武は真顔で慎を見る。
見映えほどの真剣さや真摯さはないくせに、彼は頼れ、信頼に価する人物だと数多の人々を魅了する表情で。
「もちろん、忘れてはいない」
嘘をついた。
「ふーーん」
目を眇めて慎を見る武はまったく信じてない。
「まあ、いいけどお? 僕はてっきり、また悪い病気が復活したのかと」
「どの病気だ」
「やっぱり覚えてないんだ」
図星だった。
ふう、とため息をつき、両手を広げながら、アメリカあたりの著名なプロフェッサーが壇上を行き来して演説するように、歩きながら武は語る。
「二軒目だったかなあ、僕たちひとりひとりに女の子がついたでしょ。その子たちがまとめて三軒目のお店についてきて、さあ、四軒目に行くよ! ってなった時に慎先生は抜けたの。かなりできあがってたし、女の子は側から離れないし? 随分と親しげで良い雰囲気だったからさあ、きっとお持ち帰りするのかなあと」
――本当に覚えがない。
「冗談は止せ」
平静を装いたいが、語尾が震えた。
「あれえ。昔の君ならよくやってたでしょ。九州から戻ってからも続いてたよね、そーいうの」
これも図星だ。
「知らないと思ってた?」
……気付いていたのか。
「なっ、何の話かよくわからないな」
「ま、僕の勘違いかもしれないしー? いい歳した大人だもん、遊び方も人それぞれ、いろいろあるもんねえ」
はははははと、武は良く笑ってくれる。
うるさいいいい!
「そうそう、女の子がさあ、しきりに慎先生の住所聞きたがってて。慎先生ってば、その子にべらべらしゃべっちゃうんだもん。さすがの僕も心配したさ。だって、口にしたの、高輪の家だったよ」
なんだと!
プリントがひらひらと床上に散らばった。
「……止めてくれれば良かったのに」
「ええ? 何か言った?」
「いや、何も言ってない」
武は落ちた紙を拾い上げ、ニカッと笑って慎に手渡した。
「ま、おふざけもほどほどにしときたまえよ。何事もね」
四軒以上をはしご酒。しかも鯨飲をして元気いっぱいな武。
貴様はバケモノだ。
慎は深く、もうすごーく深くため息をついた。
もう、お酒なんか飲まない。
強く心に誓って。