志賀直哉(ちくま日本文学) 志賀直哉
ごきげんよう、しんどうみずきです。
秋分も過ぎてすっかり夜の訪れが早くなりました。残暑の気配は薄く、急に秋が深まっているように感じます。
ところで秋といえば読書です。
目指せ百冊とかタイトルに書いている割に一年の四分の三が過ぎようとしながらまだ半分にも到達していないこのエッセイも、きっと更新が加速度的に早くなっていくことでしょう。
しかし、私は致命的な問題点を見つけてしまいました。
今年はあと残り約百日。読まなければいけない本は約六十冊。
私の今までのペースからして一冊読むのにかかる時間はおよそ一週間。
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それに加え、私は面白い本を読んでいると途中で辞めたくなるという妙な性癖があります。
早く読み終わってしまうともったいない気がするんですね。
そうして一章か二章ずつくらい読み進んでいくと結果的に一週間はかかるという図式です。
…………。
根本的にスピードタイプではないみたいです。
まあいいや、量より質だ!というわけで前フリが長くなりましたが小説の神様と呼ばれる志賀直哉を紹介したいと思います。
本巻には志賀直哉が小説の神様と呼ばれるようになったきっかけとなる『小僧の神様』や教科書でお馴染みの『城の崎にて』『清兵衛と瓢箪』などが収録されています。
すべて短編なので自分の気に入った作品だけ読んでいくのもありでしょう。
ちなみに私の個人的なお気に入りは『清兵衛と瓢箪』と『網走まで』ですね。
読みやすい文体と洗練された文章が素晴らしいです。
教科書で読んだけどあんまり面白くなかったなあ――という人は、エッセイっぽい作品を飛ばして見てはいかがでしょうか。
一人称が多いせいかかなり作者目線で書かれている作品が多いので『或る朝』の鮮やかな心理描写や『転生』のユーモアを楽しめると思います。
とはいえ、この時代の有名な作家は(今もそうですけど)好き嫌いが分かれるので無理に読む必要はないです。
いくら一般常識レベルの作品であっても肌に合わないものは合いません。
無理して読書嫌いになるのが一番つまらないですからね。
そういうわけで、読書の秋を楽しんでいきましょう!
ーーーーここからネタバレ有りーーーー
ネタバレもなにもあったもんじゃありませんが、せっかくなので私のお気に入り『清兵衛と瓢箪』の魅力について語らせて頂きます。
実を言えばこの話、教科書に載っていたので授業中に暇を見つけては飽きるほど読んでいました。
おかげで暗唱できそうなくらい頭に染み込んでいます。
ざっとあらすじをおさらいすると、清兵衛という才能ある子どもを正しく評価できない大人たちを皮肉った作品といえるでしょう。
瓢箪をいじるのが好きな清兵衛を親が叱り、先生が叱り、最後にはお小遣いをはたいて買った瓢箪を取り上げてしまう。
よくもまあ、そんな小説を教科書に載せたものです。
先生が厭味ったらしい役に描かれていますから、不評を買うんじゃないかしらと勝手に心配してしまいます。
子どもには好きな事をさせるべきか、それとも大人がやっておけということをやらせるべきか。
前者は理想論、後者は現実というふうに解釈されることが多いように思います。
何倍も生きている大人が言うんだから間違いない、だからお前の価値観じゃなく俺の価値観に従え。そんなメッセージが伝わってきそうです。
そんなことないよというあなた。
子供の頃からゲームと漫画ばかり好きなようにやらせて、本の一冊や新聞も無理に読ませようとしない親を世間は評価するでしょうか? 私にはそうは思えません。
教育を放棄しているとお叱りを受けるはずです。
ホントにゲームや漫画は悪いんですかね。
64のスマブラやマリオカートを友達と囲んで遊んだ記憶は、外で草野球した思い出に劣るんでしょうかね。
どちらも経験している私としては、どちらも甲乙つけられない大事な人生の1ページです。
もちろん読書も勉強もやりました。それほど腐るくらい。
けれども、家でゲームしているのと勉強しているのと、どちらが大人は喜ぶでしょう。
……ちょっとずるい質問になってしまいましたが、こういうことを考えるのも必要です。
子どもが好きな事をやらせるべきか、大人がやるべきだと思うことをやらせるべきか。
どっちかに決めようとするからいけないんですけどね。どっちも大切だというのが私の意見です。
ひとつあるとすれば、押し付けすぎて嫌いにさせちゃいけませんね。
勉強が大嫌いという風に育ったらそれこそ致命傷ですから。
それでは、勉学の秋でもあります。
みなさん張り切っていきましょう。今回はこのへんで失礼します。




