エレベーター内の死闘
深夜のオフィスビル、22階。
私は疲れた体を引きずるようにしてエレベーターに乗り込んだ。
スーツのスカートが少し皺になり、ハイヒールが足の裏を痛めている。
今日も残業で終電ギリギリだ。
「ふぅ……」
ため息をついたその瞬間、閉まりかけたドアの隙間に手が差し込まれた。
「すみません」
低い声とともに、男が入ってきた。
スーツ姿で、ネクタイを緩め、髪は少し乱れている。
三十代半ばくらいか。
一瞬、目が合ったが、私はすぐに視線を逸らした。
この時間、この階。同じ会社の人かもしれない。
でも、知らない顔だ。
エレベーターは静かに下降を始めた。
1階まであと少し。
私はスマホをいじりながら、早く家に帰ってシャワーを浴びたいと思った。
そのとき——
男が突然、ニヤッと笑った。
唇の端が歪み、目が細くなる。
次の瞬間、彼は私の腕を掴み、壁に押し付けた。
「へへ……いい匂いだな、お嬢ちゃん」
吐息が耳にかかる。
酒の匂いと、男の体臭。
私は反射的に抵抗しようとしたが、力の差は歴然だった。
男のもう片方の手が私の胸元に伸びてくる。
「やめ……!」
声が震えた。
膝で蹴ろうとしたが、男は素早く脚を絡めて封じてきた。
壁に叩きつけられ、肩が痛む。
スマホが床に落ち、画面が割れる音がした。
「大人しくしてろよ。すぐに終わるから」
男の指が私のブラウスを乱暴に引き裂こうとする。
恐怖が喉を締め付ける。
負けるかも——そう思った瞬間、頭の奥で別の声が響いた。
(……こんな男やっつけちゃえ!)
私は空手の黒帯だ。
高校から大学、社会人になっても続けている。
稽古で何百回、何千回と打ち込んできた技が、体に染みついている。
男がさらに体重をかけてきたその瞬間——
私は息を止めた。
男の右腕が私の首を狙ってきた隙。
腰を沈め、わずかに体を捻る。
その動きは、ほとんど無意識だった。
「——っ!?」
男のバランスが一瞬、崩れる。
今だ。
私は渾身の力を込めて、男の脇腹に肘打ちを叩き込んだ。
「てりゃぁぁぁぁぁっ!!」
肘が肉にめり込む感触。
男の体が大きくのけぞる。
「ぐぁっ……!?」
目を見開き、男が後ろに下がる。
その顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。
「な、なんだお前……!」
私は一歩踏み込み、構えを取った。
スカートが少し捲れ上がっているが、そんなことどうでもいい。
ハイヒールは邪魔なので、片足で脱ぎ捨てた。
「あなたこそ、何様のつもり?」
声が低く、冷たく出た。
男が再び襲いかかってくる。
パンチを繰り出してきたが、それはあまりにも遅く、隙だらけだった。
私は軽くステップを踏み、男の拳を外側に払う。
そのまま体を入れ替え、一撃を決める。
これが女の本気よ!!
「でりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
正拳突き。
拳が男の鳩尾に、綺麗にめり込んだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
「この俺が女に負けるなんてぇぇぇ」
男の悲鳴がエレベーター内に響き渡る。
体がくの字に折れ、口から泡を吹きながら膝をつく。
そのまま床に崩れ落ち、大の字になってピクピクと痙攣した。
私はゆっくりと息を吐いた。
「……参ったか?」
「ぎょぇぇぇぇぇぇ、たすけてくれぇぇぇ」
白目を剥いて、泡を拭きながら床に転がる男
ピンポン!
エレベーターのドアが開いた。
1階ロビー。
私は落ちていたスマホを拾い、乱れたブラウスを直しながら降りた。
ハイヒールは片方だけ履き、もう片方は手で持つ。
振り返ると、男はまだエレベーターの床に大の字のまま倒れていた。
ドアがゆっくり閉まっていく。
私は小さく微笑んだ。
「空手を習ってて……本当に良かった」
安堵の息が、夜のロビーに静かに溶けていった。




