プロローグ:時間の英雄の覚醒
朝の空気は、少し冷たくて静かだった。
――ドンドン、と部屋のドアを叩く音が響くまでは。
「アシュ!起きろ!また遅刻するぞ!」
父さんの怒鳴り声に、俺は顔をしかめた。
「……あと五分」
そう呟いて、布団を頭まで引き上げる。
昨日は映画を見すぎたせいで、完全に寝不足だった。しかも、宿題も終わっていない。
最悪だ。
ようやく体を起こすと、ドアが開いた。
「少しは運動しろ。そんな体じゃダメだ」
父さんはそう言ってため息をつく。
「……うん」
小さく返事をするだけで精一杯だった。
運動なんて、自分には無縁のものだと思っている。
気づけば、家を出たときにはすでに八時を過ぎていた。
母さんは慌ただしく動き回りながら、俺と妹の心配をしている。
妹は――俺とはまるで違う存在だった。
頭が良くて、努力家で、いつも結果を出す。表彰状だって何枚も持っている。
……別に、嫉妬しているわけじゃない。
ただ、少しだけ胸が痛むだけだ。
俺は俺。そう割り切って生きてきた。
教室に入ると、すでに騒がしかった。
クラスメイトたちは楽しそうに話している。
でも――その会話は、俺には理解できない言葉ばかりだった。
カンナダ語、タミル語……。
俺が分かるのは英語だけ。
まるで、自分だけ別の世界にいるみたいだった。
俺は静かに席に座り、視線を落とす。
誰とも目を合わせないように。
そのとき――
「おい、お前新入りか?」
明るい声が飛んできた。
顔を上げると、そこには一人の男子が立っていた。
「俺、ヴィシュヌ。よろしくな!」
彼はそう言って、笑顔を見せる。
そのまま、ヴィグネーシュやチェータンたちを紹介してくれた。
気づけば、自然と会話に混ざっていた。
――初めて、ここにいてもいいと思えた瞬間だった。
それでも、俺には目標がある。
テストで95%以上を取ること。
それだけが、自分を証明できる方法だった。
女子とは話せない。
恥ずかしいし、言葉の壁もある。
だから俺は、ただ黙って勉強するだけだった。
「遅刻だ!グラウンド三周!」
体育教師の怒鳴り声が響く。
まただ。
俺は息を切らしながら走り出す。
一周走るだけで、胸が焼けるように苦しくなる。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
二周目に入る前に、もう限界だった。
「す、すみません……もう遅れません……」
そう言うと、周りから笑い声が上がった。
クラスメイトも、女子も。
みんな笑っている。
顔が熱くなる。
悔しい。でも、どうにもならない。
それは、いつものことだった。
十二月。
空は灰色に染まり、冷たい雨が降っていた。
その日、俺は帰り道で――“それ”を見た。
誰もいないはずのグラウンドに、巨大な影が立っている。
身長は三メートル以上。
人の形をしているのに、明らかに人ではない。
低く、不気味な声が響いた。
「この星を征服する時が来た」
足が動かない。
逃げなきゃいけないのに――体が言うことを聞かない。
その瞬間だった。
空から、強烈な光が降り注いだ。
視界が白く染まる。
気づけば、俺と数人のクラスメイトは――闇の中へと引きずり込まれていた。
目を覚ますと、そこは冷たい洞窟だった。
どこからかコウモリの鳴き声が聞こえる。
不気味な静けさ。
そして――声。
「来るのだ、選ばれし者よ」
「世界を魔物から救え」
目の前には、溶岩の上にかかる細い石橋。
落ちれば終わりだ。
足が震える。
それでも、進むしかない。
一歩。
また一歩。
なんとか渡りきる。
だが――その先にいたのは、巨大な魔物だった。
「……っ!」
反応する間もなく、俺は吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられ、息が止まる。
――終わった。
そう思った、そのとき。
視界の端で、何かが光った。
そこにあったのは、小さな装置。
それが輝き、俺に語りかける。
《スキル獲得:リバーサル(逆転)Lv.???》
体に力が流れ込む。
さっきまでの痛みが消えていく。
立てる。
――戦える。
俺は立ち上がり、魔物に向かって走った。
力が、さっきとは比べものにならない。
そのまま押し返し――
魔物を、溶岩へと叩き落とした。
光る装置を手に取る。
それは俺の体に張り付き、形を変えていく。
手袋、靴、そして背中の装備。
機械の声が響いた。
「私はタイムドック」
「お前は私の使い手」
「そして――時の英雄だ」
頭が真っ白になる。
だが、次の言葉で現実に引き戻された。
「全力を使えるのは五時間」
「それを過ぎれば、お前の体は崩壊する」
……時間制限。
残りは、三時間。
だが、その間なら――
時間を操り、世界を越え、元素を支配できる。
次の瞬間、俺は学校に戻っていた。
だが、そこは――戦場だった。
魔物が暴れ回っている。
クラスメイトの二人は、すでに“英雄”として戦っていた。
俺は空に浮かびながら、迷う。
何をすればいい?
どうすれば――
そのとき、俺は気づいた。
時間を巻き戻せることに。
四時間。
世界が逆流する。
すべてが戻っていく。
タイマーも――リセットされた。
そして――
俺の覚悟も。
時計は動き出した。
カウントダウンが始まる。
俺の名前は、アシュ。
これは――
時の英雄となった俺の物語だ。




