第一章 第一話 「目覚めの村と魂の衝動」
かつて太陽に近づきすぎたイカロスは、翼を焼かれ地に落ちた。
かつてバベルの塔を築き、天へと手を伸ばした人類は、神の怒りゆえに打ち砕かれた。
どうして、なぜ、人は天を目指さずにはいられないのか。
己にも理由のわからない衝動を胸に、男は今日も“天”を目指す。
◇
――また、死んだのか。
目を開けた瞬間、そんな言葉だけが胸の奥に沈んだ。
理由は分からない。ただ、全身にまとわりつくような“既視感”が、その思いを確信へと変えていく。
ここは、どこだ。
いや……知っている。見覚えがある。
木造の天井。染みのついた梁。窓の外に広がる灰色の空。
まるで、何度目かの朝を迎えたような、落ち着かない感覚。
ゆっくりと身体を起こすと、古びた寝台がぎしりと軋んだ。
粗末な部屋。テーブルの上には冷めた湯と黒パン。
壁には村の地図らしき紙が貼られている。
――ここは“一階層の最初の村”だ。
なぜ知っているのかは分からない。ただ、脳の奥ではなく、魂が“覚えている”。
俺の名前は、シオン。
そう思い出した瞬間、胸の奥が鋭く疼いた。
本当に、その名でいいのか。
もっと長い名前があったような……誰かの声のようなものが、一瞬だけ耳の奥をかすめる。
しかし、掴もうとすると、その記憶は霧のように消えていく。
思い出せない。
だが、“何度もこんな目覚めを繰り返している”という確信だけが、はっきりと残っている。
扉が軽く叩かれた。
「起きたかしら?」
柔らかい声。入ってきたのは、村の世話係だという女性だった。
腰に下げた木匙が、カラカラと鳴る。
女性はメラと名乗った。
「良かった、生き返ったわね。……いえ、“転生”というべきなのかしら」
「転生……?」
「ええ。この世界では、肉体が滅んだ魂は塔の導きにより、新しい身体へと転生させられるの。何度でもね」
メラの声は穏やかだが、内容が重すぎる。
死んだ? 俺は死んだのか?
過去の記憶をたぐり寄せようとするが、頭痛だけが強まった。
「あなた、名前は?」
「……シオン」
「今はあまり、何も考えないほうがいいわ。転生したばかりだもの」
自分に言い聞かせるように名前をこぼした俺に、彼女は優しく語り掛ける。
まるで、この状況を何度も見てきたかのような口ぶりだ。
「……ここは、シンムラ、か?」
「そうよ。“十層塔”の第一階層、その入口のシンムラ。
この世界に生きる者――“転生者”は皆、ここから始まるの」
塔。階層。転生者。
言葉を聞いただけで、胸の奥が波打つ。
知らないはずなのに、知っている。
まるで、何度も、何度も登ったような――。
メラは続ける。
「あなた、珍しいのよ。普通は転生直後なんて、しばらく起き上がることもできないのに。こうして話せるなんて、何かよほど特別な力でもあるのかしらね」
特別な力――。
その言葉で、脳裏に黒い影が走った。
糸を操る指先。
巨大な人形が吠え、岩を砕く。
そして――塔の頂で、白い光に焼かれながら、何かを願った自分の姿が、一瞬だけフラッシュバックした。
この記憶は、何だ?
俺は、何かを願った……?
「大丈夫? 顔色が悪いわよ」
「……ああ、大丈夫。少し、嫌な夢を見て」
夢、というには、あまりに鮮烈だった。
その時、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえた。
メラが眉をひそめる。
「また“魔獣”かしら……最近、この辺りにも増えてきたのよね」
心臓が跳ねた。
理由は分からないが、魔獣と聞くだけで血が沸き立つ。
戦わなければ――。
そんな強烈な衝動が、胸の奥から湧き上がる。
(なぜ戦いたい……?)
俺は戦士ではない。
だが、魂の底が叫んでいる。
登れ。
戦え。
進め。
それは、本能にさえ近いものだった。
「外に出てみようかしら。村長が避難命令を出してるかも……」
メラが扉を開けて出ていく。
俺も、その後を追った。
◇
村の中央広場。そこに出た瞬間、空気が変わった。
昼なのに妙に薄暗い。森の奥で何かが唸り、木々がざわめいている。
女や子どもたちは家の中へ逃げ込み、武器を持った男たちだけが外に残っていた。
「シオン、あなたはまだ転生したばかりなんだから家に――」
必死の形相で後ろをついてくる俺に振り返ったメラの声が、途中で止まる。
木々を踏み鳴らし、森から“それ”が現れた。
大人の三倍は優にある、見上げるほどの巨大な狼。
漆黒の闇を彷彿とさせる毛皮、深紅に燃える眼。
人喰い狼――《亜狼スコルウルフ》。
「なんで“亜狼”が第一階に……!?」
村人たちがざわめく。
それもそのはず、本来この魔獣は、第二階層以上に生息している。
姿形こそ有名だが、本来この第一階層の村で相まみえることはない存在。
ただの“小鬼”ならいざ知らず、初めて見る異形を前に、男たちの動きが止まっていた。
「――グォオオオオオッ!!」
「――ッあぁああああッ!? で、でかい……でかすぎるっ!」
「む、無理だ……あんなの……!」
目の前の巨獣が、地を抉るように踏み込み、咆哮を上げる。
その声は森の空気を裂き、背後の木々すら揺るがした。
怖気づく村人たちを前に、亜狼が吠え、跳びかかる。
「シオン、逃げ――!」
メラの必死の叫び。その声より早く、俺は動いていた。
いや――俺の手が、勝手に動いていた。
腰に下げられていた革袋から、木製の人形――“傀儡”を取り出していた。
(なんだ……これは……手が……)
両手が勝手に動き、何本もの糸が傀儡から伸びる。
その糸は光の筋となり、俺の指先に絡みついていった。
「シオン……その能力は――」
メラの驚きが耳に入る。
自分自身も驚いている。
だが、俺はこの力を知っている。
動かし方も、敵を倒す方法も――全部、知っている。
糸が輝き、傀儡が跳ぶ。
「顕現――《荒天王》」
瞬間、傀儡が光に包まれた。
煌めく粒子は小さな木人形を覆い、その輪郭を塗り替えていく。
やがて、それは瘦躯の甲冑武者へと成り代わった。
ガラリ……ガシャンッ。
重金属が擦れる、耳に刺さるような音。
最初に姿を見せたのは、赤黒く染まった足甲。
次いで胸甲、肩当て、篭手――
まるで血潮を吸ったような朱の鎧が、ゆっくりと影から立ち上がる。
赤備えの武者鎧。面は完全に覆われ、表情は一切読めない。
ただ、幽鬼のように眼孔の奥でぼうっと灯る黒い光が、そこに“何か”が宿っていると告げていた。
右手には、常人では持ち上げられぬほど巨大な大太刀。
刃渡りは長く、まるで大地そのものを断ち切るために鍛えられたかのようだ。
ズ……ッ、ズズ……ッ。
足を踏み出すたび、大地がわずかに震える。
人ではない。
獣でもない。
――器に魂の欠片を縫い付けた、傀儡の戦鬼だ。
亜狼が威嚇の咆哮を上げる。
だが、赤い武者は反応しない。
ただ一歩、また一歩と前進し、大太刀を静かに肩に担ぎ上げた。
風が止み、村人たちの呼吸すら止まる。
そして――
《荒ぶる天の王》。
そう呼ぶにふさわしいその武者は、
まるで天を裂くような重低音を鎧の奥から響かせ、大太刀を構えた。
鎧の隙間で、魂火が赤々と揺らめく。
その瞬間、巨狼でさえ、一歩だけ後ずさった。
亜狼が吠えた。
空気を押し潰すような咆哮と共に、巨体が地を抉って突進する。
村人たちの悲鳴が一斉に上がる。
だが――
赤い武者は、一歩も動かない。
風すら触れられぬ静寂。
カチリ。
刹那、赤甲冑の面の奥の黒い光が、強く瞬いた。
その瞬間、世界がわずかに“歪んだ”。
亜狼の足が、空を掻く。
視界を裂く獣の影が迫る。
――なのに。
武者の大太刀は、もう“振り終えていた”。
ザシュッ。
音が遅れて聞こえてくるほどの速さ。
赤い残光だけが魔獣の体を横切り、巨狼は走り抜けた勢いのまま三歩ほど進み――
ドウッ……!
地面に膝をついた。
最初は、誰も倒れた理由が分からなかった。
だが、巨狼の首元から、細く赤い線が浮かび上がる。
その線は、ゆっくりと開いていった。
次の瞬間――
ザバリッ。
巨大な獣の身体が、まるで布のように左右へと崩れ落ちた。
返り血すら浴びていない。
大太刀には傷一つ、汚れ一つない。
断末魔すら上げず、斬られたというわずかな痛みさえ――
亜狼スコルウルフは理解しないまま、絶命した。
赤い武者は、静かに大太刀を下ろす。
その動きは、まるで初撃が“儀式の一部”でしかなかったかのように滑らかだった。
村人たちは、言葉を失う。
「……なんだ、あれ……」
「人……なのか……?」
「いや、違う……あれは“武者の形をした何か”だ……」
俺の指先から伸びていた糸が、ふっと緩む。
その瞬間、武者は面を伏せたまま、淡い光となって霧散した。
その場に残ったのは、砂ぼこりをまとった一体の木人形だけ。
◇
初撃で終わらせた。
まるで、山を断つことと獣を断つことの区別など、存在しないかのように。
周囲が静まり返り、静寂が訪れた。
誰一人声を発せず、ただ驚愕の沈黙が降りる。
(……身体が覚えていた? この人形の扱いを?)
白くたなびく傀儡の糸を引き寄せると、血の匂いがふわりと漂った。
「……すごい。さすが転生者。世界に選ばれた者……」
メラが、呆然と呟く。
その時。
「……そう、あなたは特別。でもその中でも、最も特別。ずっと、探してた」
唐突に、背後から声がした。
振り返ると――赤い角を持つ少女が立っていた。
白髪に朱の瞳。人族ではない。鬼族の血を引く少女。
彼女はまっすぐ俺を見つめ、小さく震える声で言った。
「……ようやく、また会えた。『不屈の傀儡師』シオン」
胸が締めつけられた。
事切れそうな、か細い声。
しかし、その声で名前を呼ばれただけで、胸に熱が走る。
なぜだ。
誰だ、お前は。
俺は、彼女を……知っているのか?
「……誰だ、君は」
問いかけた瞬間、少女は涙を零した。
「やっぱり……忘れてるんだね。でも、いい。
もう一度。もう一度、あなたと一緒に登るから」
その言葉が、魂に突き刺さった。
――そうだ。
俺は、登らなければならない。
理由は分からない。
だが、魂が叫んでいる。
塔を登れ。
二度目の踏破を果たせ。
あの日、頂上で果たせなかった“願い”の続きを――。
胸の奥に、焼け付くような痛みが広がった。
そして気づく。
俺はもう、後戻りできない。
すでに“二度目の旅”の入口に立っているのだ。
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