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第一章 第一話 「目覚めの村と魂の衝動」

かつて太陽に近づきすぎたイカロスは、翼を焼かれ地に落ちた。

かつてバベルの塔を築き、天へと手を伸ばした人類は、神の怒りゆえに打ち砕かれた。

どうして、なぜ、人は天を目指さずにはいられないのか。

己にも理由のわからない衝動を胸に、男は今日も“天”を目指す。



――また、死んだのか。


目を開けた瞬間、そんな言葉だけが胸の奥に沈んだ。

理由は分からない。ただ、全身にまとわりつくような“既視感”が、その思いを確信へと変えていく。


ここは、どこだ。

いや……知っている。見覚えがある。


木造の天井。染みのついた梁。窓の外に広がる灰色の空。

まるで、何度目かの朝を迎えたような、落ち着かない感覚。


ゆっくりと身体を起こすと、古びた寝台がぎしりと軋んだ。

粗末な部屋。テーブルの上には冷めた湯と黒パン。

壁には村の地図らしき紙が貼られている。


――ここは“一階層の最初の村”だ。


なぜ知っているのかは分からない。ただ、脳の奥ではなく、魂が“覚えている”。


俺の名前は、シオン。


そう思い出した瞬間、胸の奥が鋭く疼いた。

本当に、その名でいいのか。

もっと長い名前があったような……誰かの声のようなものが、一瞬だけ耳の奥をかすめる。


しかし、掴もうとすると、その記憶は霧のように消えていく。


思い出せない。

だが、“何度もこんな目覚めを繰り返している”という確信だけが、はっきりと残っている。


扉が軽く叩かれた。


「起きたかしら?」


柔らかい声。入ってきたのは、村の世話係だという女性だった。

腰に下げた木匙が、カラカラと鳴る。

女性はメラと名乗った。


「良かった、生き返ったわね。……いえ、“転生”というべきなのかしら」


「転生……?」


「ええ。この世界では、肉体が滅んだ魂は塔の導きにより、新しい身体へと転生させられるの。何度でもね」


メラの声は穏やかだが、内容が重すぎる。


死んだ? 俺は死んだのか?

過去の記憶をたぐり寄せようとするが、頭痛だけが強まった。


「あなた、名前は?」


「……シオン」


「今はあまり、何も考えないほうがいいわ。転生したばかりだもの」


自分に言い聞かせるように名前をこぼした俺に、彼女は優しく語り掛ける。

まるで、この状況を何度も見てきたかのような口ぶりだ。


「……ここは、シンムラ、か?」


「そうよ。“十層塔”の第一階層、その入口のシンムラ。

 この世界に生きる者――“転生者”は皆、ここから始まるの」


塔。階層。転生者。


言葉を聞いただけで、胸の奥が波打つ。

知らないはずなのに、知っている。

まるで、何度も、何度も登ったような――。


メラは続ける。


「あなた、珍しいのよ。普通は転生直後なんて、しばらく起き上がることもできないのに。こうして話せるなんて、何かよほど特別な力でもあるのかしらね」


特別な力――。


その言葉で、脳裏に黒い影が走った。


糸を操る指先。

巨大な人形が吠え、岩を砕く。

そして――塔の頂で、白い光に焼かれながら、何かを願った自分の姿が、一瞬だけフラッシュバックした。


この記憶は、何だ?

俺は、何かを願った……?


「大丈夫? 顔色が悪いわよ」


「……ああ、大丈夫。少し、嫌な夢を見て」


夢、というには、あまりに鮮烈だった。


その時、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえた。

メラが眉をひそめる。


「また“魔獣”かしら……最近、この辺りにも増えてきたのよね」


心臓が跳ねた。

理由は分からないが、魔獣と聞くだけで血が沸き立つ。


戦わなければ――。


そんな強烈な衝動が、胸の奥から湧き上がる。


(なぜ戦いたい……?)


俺は戦士ではない。

だが、魂の底が叫んでいる。


登れ。

戦え。

進め。


それは、本能にさえ近いものだった。


「外に出てみようかしら。村長が避難命令を出してるかも……」


メラが扉を開けて出ていく。

俺も、その後を追った。



村の中央広場。そこに出た瞬間、空気が変わった。


昼なのに妙に薄暗い。森の奥で何かが唸り、木々がざわめいている。

女や子どもたちは家の中へ逃げ込み、武器を持った男たちだけが外に残っていた。


「シオン、あなたはまだ転生したばかりなんだから家に――」


必死の形相で後ろをついてくる俺に振り返ったメラの声が、途中で止まる。


木々を踏み鳴らし、森から“それ”が現れた。


大人の三倍は優にある、見上げるほどの巨大な狼。

漆黒の闇を彷彿とさせる毛皮、深紅に燃える眼。


人喰い狼――《亜狼スコルウルフ》。


「なんで“亜狼”が第一階に……!?」


村人たちがざわめく。

それもそのはず、本来この魔獣は、第二階層以上に生息している。


姿形こそ有名だが、本来この第一階層の村で相まみえることはない存在。

ただの“小鬼ゴブリン”ならいざ知らず、初めて見る異形を前に、男たちの動きが止まっていた。


「――グォオオオオオッ!!」


「――ッあぁああああッ!? で、でかい……でかすぎるっ!」

「む、無理だ……あんなの……!」


目の前の巨獣が、地を抉るように踏み込み、咆哮を上げる。

その声は森の空気を裂き、背後の木々すら揺るがした。


怖気づく村人たちを前に、亜狼が吠え、跳びかかる。


「シオン、逃げ――!」


メラの必死の叫び。その声より早く、俺は動いていた。


いや――俺の手が、勝手に動いていた。


腰に下げられていた革袋から、木製の人形――“傀儡”を取り出していた。


(なんだ……これは……手が……)


両手が勝手に動き、何本もの糸が傀儡から伸びる。

その糸は光の筋となり、俺の指先に絡みついていった。


「シオン……その能力は――」


メラの驚きが耳に入る。


自分自身も驚いている。

だが、俺はこの力を知っている。


動かし方も、敵を倒す方法も――全部、知っている。


糸が輝き、傀儡が跳ぶ。


顕現(オーダー)――《荒天王》」


瞬間、傀儡が光に包まれた。

煌めく粒子は小さな木人形を覆い、その輪郭を塗り替えていく。


やがて、それは瘦躯の甲冑武者へと成り代わった。


ガラリ……ガシャンッ。


重金属が擦れる、耳に刺さるような音。

最初に姿を見せたのは、赤黒く染まった足甲。

次いで胸甲、肩当て、篭手――


まるで血潮を吸ったような朱の鎧が、ゆっくりと影から立ち上がる。


赤備えの武者鎧。面は完全に覆われ、表情は一切読めない。

ただ、幽鬼のように眼孔の奥でぼうっと灯る黒い光が、そこに“何か”が宿っていると告げていた。


右手には、常人では持ち上げられぬほど巨大な大太刀。

刃渡りは長く、まるで大地そのものを断ち切るために鍛えられたかのようだ。


ズ……ッ、ズズ……ッ。


足を踏み出すたび、大地がわずかに震える。

人ではない。

獣でもない。


――器に魂の欠片を縫い付けた、傀儡の戦鬼だ。


亜狼が威嚇の咆哮を上げる。

だが、赤い武者は反応しない。


ただ一歩、また一歩と前進し、大太刀を静かに肩に担ぎ上げた。


風が止み、村人たちの呼吸すら止まる。


そして――


《荒ぶる天の王》。


そう呼ぶにふさわしいその武者は、

まるで天を裂くような重低音を鎧の奥から響かせ、大太刀を構えた。


鎧の隙間で、魂火が赤々と揺らめく。


その瞬間、巨狼でさえ、一歩だけ後ずさった。


亜狼が吠えた。

空気を押し潰すような咆哮と共に、巨体が地を抉って突進する。


村人たちの悲鳴が一斉に上がる。


だが――


赤い武者は、一歩も動かない。


風すら触れられぬ静寂。


カチリ。


刹那、赤甲冑の面の奥の黒い光が、強く瞬いた。

その瞬間、世界がわずかに“歪んだ”。


亜狼の足が、空を掻く。

視界を裂く獣の影が迫る。


――なのに。


武者の大太刀は、もう“振り終えていた”。


ザシュッ。


音が遅れて聞こえてくるほどの速さ。

赤い残光だけが魔獣の体を横切り、巨狼は走り抜けた勢いのまま三歩ほど進み――


ドウッ……!


地面に膝をついた。


最初は、誰も倒れた理由が分からなかった。

だが、巨狼の首元から、細く赤い線が浮かび上がる。


その線は、ゆっくりと開いていった。


次の瞬間――


ザバリッ。


巨大な獣の身体が、まるで布のように左右へと崩れ落ちた。

返り血すら浴びていない。

大太刀には傷一つ、汚れ一つない。


断末魔すら上げず、斬られたというわずかな痛みさえ――

亜狼スコルウルフは理解しないまま、絶命した。


赤い武者は、静かに大太刀を下ろす。

その動きは、まるで初撃が“儀式の一部”でしかなかったかのように滑らかだった。


村人たちは、言葉を失う。


「……なんだ、あれ……」

「人……なのか……?」

「いや、違う……あれは“武者の形をした何か”だ……」


俺の指先から伸びていた糸が、ふっと緩む。

その瞬間、武者は面を伏せたまま、淡い光となって霧散した。


その場に残ったのは、砂ぼこりをまとった一体の木人形だけ。



初撃で終わらせた。


まるで、山を断つことと獣を断つことの区別など、存在しないかのように。


周囲が静まり返り、静寂が訪れた。

誰一人声を発せず、ただ驚愕の沈黙が降りる。


(……身体が覚えていた? この人形の扱いを?)


白くたなびく傀儡の糸を引き寄せると、血の匂いがふわりと漂った。


「……すごい。さすが転生者。世界に選ばれた者……」


メラが、呆然と呟く。


その時。


「……そう、あなたは特別。でもその中でも、最も特別。ずっと、探してた」


唐突に、背後から声がした。


振り返ると――赤い角を持つ少女が立っていた。

白髪に朱の瞳。人族ではない。鬼族の血を引く少女。


彼女はまっすぐ俺を見つめ、小さく震える声で言った。


「……ようやく、また会えた。『不屈の傀儡師』シオン」


胸が締めつけられた。

事切れそうな、か細い声。


しかし、その声で名前を呼ばれただけで、胸に熱が走る。


なぜだ。

誰だ、お前は。

俺は、彼女を……知っているのか?


「……誰だ、君は」


問いかけた瞬間、少女は涙を零した。


「やっぱり……忘れてるんだね。でも、いい。

 もう一度。もう一度、あなたと一緒に登るから」


その言葉が、魂に突き刺さった。


――そうだ。


俺は、登らなければならない。


理由は分からない。

だが、魂が叫んでいる。


塔を登れ。

二度目の踏破を果たせ。

あの日、頂上で果たせなかった“願い”の続きを――。


胸の奥に、焼け付くような痛みが広がった。


そして気づく。


俺はもう、後戻りできない。

すでに“二度目の旅”の入口に立っているのだ。


挿絵(By みてみん) 

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