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6)入学




 船上でイルージャは吐き気を堪えていた。

 船が絶えず揺れるせいで三半規管と胃がおかしい。船室に入る気が起きない。風に当たっていると少しはましだ。

 明日にはロニク帝国に着くだろう。

 この話が決まってから、必死に帝国の言葉を習った。おかげで、今のところ言葉に不自由はない。

 単語などは、サレイユ語は帝国の影響を受けているので習いやすかった。

「結局、レオネには言わなかったな」

 まぁ、年度末休み中には帰れるからいいか、と胸中で言い訳をした。

 セイレンのために必死になって治療を受けるなんて、言いたくなかった。

 レオネに好かれているのは知っている。

 あの幼気な子供に好かれても、特に何も思わない。

 小さな頃からレオネは能天気で、お転婆で無邪気だった。なんの苦労も悩みもない子供。

 レオネは、単にイルージャの想い人の妹でしかなかった。

 イルージャにとって、セイレンは特別だった。

 初めてあった時、あの華やかさに圧倒された。

 まだ八歳だった。それなのに、艶めくような魅力があった。

 美しく明るい金色がかった赤毛に、海を思わせる青い瞳。少女なのに、成熟した女性のように惹き付ける笑い声、仕草。

 婚約者になれるはずだった。

 なれなかったのは、イルージャが体が不自由で醜かったからだ。

 何も知らない両親は、イルージャをラシーヌ家に追いやる。セイレン嬢に会いにいけ、と。

 イルージャは嫌われているのにしつこくするほど厚顔無恥ではなかった。

 だから、レオネと会っていた。他に居場所がなかった。

 レオネが嫌いなわけじゃない。一緒にいると気楽にできた。イルージャに居るところを与えてくれたことは感謝している。

 とはいえ、レオネの面倒を見てやった側面もあるのだから、差し引きゼロだろう。

 お相子というものだ。

 レオネは、イルージャがカード遊びを教えてから変わった。

 あんなにお転婆だったのに、文字を真剣に学び、本を読み、調べ物をするようになった。

 占術に興味があるらしい。

 暇さえあればカードの一人遊びをしている。

「占い」と言っていたが、単に運不運をみるやつだろう。

 カードの一人遊びがうまくいけば、その日の運は良いとか、悪いとか。そういう運の見方は兄から教わり、やったことがある。

 一人カードゲームがうまくいってカードをめくる度に良い札が出ると、運が良い、今日はツイてるという気になる。少し気分が良い。

 そんな程度のことだ。

 イルージャが来るか来ないか、それで占ったと言われた。

 イルージャが来ることがそんなに運が良いことと思っているのか。

 好かれても、妹に懐かれているだけのものだ。それ以上には思えない。

 レオネは、恋愛的な意味でイルージャを好いているのだろう。

 物好きだよな、と思う。親切に遊んであげたからだとは思うが。

 父ラシーヌ侯爵に愛され、立派な離れを丸ごと与えられ、何不自由なく暮らしている令嬢。侯爵令嬢の気まぐれで愛されても嬉しくもなんともない。でも、ちょっとした優越感は確かにあった。セイレンに侮蔑の目で見られる屈辱を、その優越感は癒やしてくれた。

 なんら意味も無いくだらない心のやり取りだ。

 心なんて、なければいいのにな、と思う。

 そうすれば、体が不自由なことも、思う通りにならない恋愛も、なにも感じずに済むのに。

 イルージャは、セイレンに夢中なことなんて、決してレオネには言えなかった。相思相愛なら自慢したいところだが、嫌われているのだから。

 セイレンのために半身の麻痺を治し、ついでに痩せてふさわしい婚約者になって帰る。そのために、年度末休みの半月を使う。

 きっと、帰ってからも食事制限だろう。

 運動できるようになれば痩せるのはもっと容易いはずだ。


 あくる日。

 予定通り、ロニク帝国の渡船場に到着した。

 そこから乗合馬車に乗り帝都に向かう。

 イルージャには従者が一人付いているが、彼は帝国の言葉が話せない。

 イルージャが標識を読んだり、人に聞いたりしなければならなかった。

 丸一日かけて帝都に到着すると、ヴェルジュ公爵が帝都に持っている屋敷まで馬車を雇いなんとか辿り着いた。

 馬車の中で一泊したので、朝は服が皺だらけだった。

 従者が服のブラシでほとんど直したが、身なりを気にしながら応接間に案内された。

 一時間ほど待って、ようやくセイレンの祖母であり、リリアナ夫人の母親にあたるクリシラ夫人と対面した。

「そう。あなたがセイレンの婚約者候補なのね」

 挨拶をすると、それに答えることもなく品定めのように言われた。

 品定めのようではなく、品定めそのものかもしれないが。

「まぁ、痩せれば可愛らしくなるかもね。わかったわ。リリアナの頼みですしね。ヨーム、この子を連れて行ってちょうだい」

 ろくに説明もないままに、ヨームと呼ばれた公爵家の執事に研究所に連れて行かれた。

 研究所では白衣の研究員に研究に協力するようにと言われる。

 ロニク帝国では魔力持ちが少なく、魔力閉塞症による疾病などほぼ例がない。閉塞によって、体にどんな不具合が蓄積されているのかを見るという。

 例も少ないような国で、どうやってイルージャを治すというのか。不安になる。

 おまけに、研究員の話によると「半月で帰る? そんな短期間で終わるわけがないだろう」とにべもない。

 今更、逃げ帰ることもできなかった。

 治してもらわないと困る。食事制限は自分で自己流でやろう。成果もなしに帰るなんて、ありえない。

 イルージャは研究所に通いながら帝都の学園に留学できることになった。心底、安堵した。いくら何でも中等部も卒業できない学歴では、セイレンの婚約者になれない。

 費用はクリシラ夫人が持ってくれるという。

 イルージャは心の準備もなしに、いつまでかもわからない留学生活に放り込まれていた。


□□□


 レオネはぼんやりと学園長の挨拶を聞いていた。

 今日は魔導学園の入学初日だった。式典のような説明会のような催しが講堂で行われた。

 言葉が頭に入ってこない。集中したいのだが、心は千々に乱れていた。

 半月ほど前。

 レオネには何も告げず、イルージャは旅立った。

 わかっていたことだ。占ったのだ。だから、驚きはなかった。

 レオネが王立学園ではなく魔導学園に通うことは父に「秘密にしておきなさい」と言われていた。妨害が入らないようにと言う配慮だ。

 ラシーヌ家で知っているのは執事のジャンだけだった。

 仲の良いイルージャに話せないのは辛かった。

 イルージャが「学園で会えるね」と微笑むたびに胸が痛んだ。

 ジャンがレオネの気持ちを察して「試験に落ちたことにすればいいですよ」と言っていた。

 いざとなったらそう言い訳しよう、とレオネも一時期は思っていた。

 けれどレオネは、イルージャのことを占い、別れが近いことを知った。イルージャこそ、レオネに肝心のことを話していなかった。

 レオネはイルージャとの別離の意味も知っていた。

 イルージャは遠くに行く。大河を越えた向こうだ。

 治療のために行く、とレオネのカードは教えてくれた。

 半身の麻痺を治しに行くのだろう。

 なぜ話してくれなかったのか、その理由は後からわかった。ジャンが探ったのだ。

 リリアナ夫人の紹介で帝国の治癒師の元へ行く。だから、言い難かったらしい。

 イルージャは、セイレンに相応しい婚約者になるために河を渡る。レオネの学園のことなど本音では興味はなかった。

 レオネは従兄弟を失ったことを知っていた。

 ジャンは「治療がうまくいけば帰国されるそうです」と言っていた。

 でも、イルージャはそのまま帝国に滞在するだろう。レオネの占いではそう出ている。

 数年後に帰国しても、彼はレオネの元へは帰ってこない。会えないわけではないが、彼は変わってしまう。数年後のことなので、はっきりとは出ない。

 その頃には、彼とはもう以前の仲良しの従兄弟とは違うのだと、漠然と読めるだけだ。

 寂しさが込み上げて目が熱くなる。数年後のことだというのに。

 知らぬ間にため息が出た。

 何度も確かめて何度も涙を零して、別れを受け入れたつもりだった。気持ちを切り替えて魔導学園に来たというのに、今も胸が塞がれて治らない。なんてしつこいんだろう、恋の病というものは。

 学園長の挨拶が終わって、次いで教務からの説明が始まった。

 クラス分けは廊下に張り出されているので、それを確認して各々の教室に入るようにという。

 科によっては、先に業者から参考書をもらってから教室に行くようにと説明があった。

 魔導学園には魔導科と治癒術科と騎士科があった。レオネは魔導科だ。

 教師の紹介も終わり、新入生への説明と歓迎式典は終わった。

 皆が立ち上がり、まずは廊下のクラス分けを見に行く。

 次いで、魔導科の学生は業者から参考書を受け取って、教室に行くようにという指示だった。向かうのは、説明のあった西棟一階の教務窓口前だ。

 ふと斜め前の男子が目についた。

 制服を見ると、彼も魔導科だ。なぜか彼は、治癒術科の学生の流れについて行っている。

 そういえば、とレオネは思った。

 教務からの説明を聞いたときに、少しわかり難いと思ったのだ。

 魔導学園は、初等部から通う学生が八割だという。初等部から通ってる学生なら、簡単な説明でも迷うことはない。けれど、中等部から入った学生には少し紛らわしい。

 東棟の一階には来客用受け付け窓口があり、入試の時などはそこで手続きをしたのだ。

 レオネは早めに寮に入ったので学舎はすでに見て回っている。西棟が教務の棟だと知っている。

 もしかしたら、彼は勘違いしてるのかもしれない。

 レオネは少し迷った。

 近くの学生がきっと教えるだろうと期待したが、誰も彼を振り返らない。

 どうしよう。

 もしも自分だったら、教えてほしいだろうと思う。

 レオネは彼の近くまで小走りで近寄り、声をかけた。

「あの、魔導科の学生、ですよね」

 男子は訝しげな顔で振り返った。

 鮮やかな金の髪が揺れる。深い青の瞳がこちらを見た。

「教務の方は、魔導科の学生には西棟一階の教務窓口前で参考書が配られる、って言ってました。東棟ではなくて。ですから、こちらですよ」

 レオネがそう教えると、件の男子は大きく目を見開いた。

 綺麗な少年だった。

「では、これで」

 レオネは伝えようと思ったことは言えたので、そそくさと参考書が配られているであろう西棟に向かった。



ありがとうございました。明日も、夜20時に投稿いたします。

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