16)その後
いつもありがとうございます。
イルージャは帝国の学園を卒業し、帰国した。
実家に帰る前にラシーヌ侯爵家の屋敷に立ち寄り、取り次ぎを頼んだ。
セイレンがもういないことは知っていた。
祖国でなにがあったかも知っている。ロニク帝国でも報道されたので新聞雑誌の類いはすべて読んでいたし、実家からの手紙でも教えてもらっていた。
朗報なのだろう、国にとっては。祖国の王家は腐っていた。
門衛に声をかけてしばらくして、見慣れた執事が出てきた。
「これはイルージャ・ソラン伯爵令息様」
恭しくジャンがお辞儀をする。
「レオネに会いたいのだが」
「誠に申し訳ありません。レオネお嬢様は学園におられます」
「今、三年か。まだ戻られないのか」
「寮にお住まいでおられますので」
「そ、そうか」
イルージャは寮を訪ねようと思い、暇乞いをした。
二年半ほど前まではあんなに頻繁に訪れていたのに、執事は冷たい雰囲気だった。
その理由をイルージャは知っている。
今現在、罪を問われて鉱山にいるベルジュ公爵には、さらなる罪が暴かれていた。
ベルジュ公爵家が絡む汚職は長い年月にわたり行われ失われた公金は巨額となった。
王宮にはベルジュ公爵家を担当する部署があり、そこにはベルジュ家が納入する物品の情報を改竄する係の者が常時いた。
それらの罪が調べられる中で、他にも余罪が山ほどあることがわかった。レダニア・ラシーヌ暗殺もその一つだ。
十年ほど前にかなりの額の使途不明金があった。自白剤が使われ、レダニア夫人を殺すための費用だったことがわかった。
リリアナ夫人も共犯の疑いがあった。
リリアナは第五皇女で、母親は現ベルジュ公爵の妹。ロニク帝国皇帝の三番目の側室だ。
おそらく姪であるリリアナの求めに応じたものであろうと考えられたが、リリアナは伯父に依頼したことはなかった。
ただ「あの女がいなければいいのに」と愚痴を語っただけだった。
それは確かめられた。リリアナは伯父に依頼はしていない。
司法では結局そう判断されたが、リリアナは幼いころから、わざわざ自分の望みをお強請りする必要はなかった。
「こうなったらいいな」「あれがあったらいいな」と無邪気に言うだけで、なんでも叶う環境にいた。
ことに、ベルジュ公爵家ではそうだった。ロニク帝国では三番目の側室など大した力はない。けれど、リリアナが皇帝の娘であることは事実であり、ベルジュ公爵家としては大切な帝国との血の繋がりの証だ。周りが気を回して、なにもかもを叶えていた。
レダニア暗殺もそうだったのだろう。それでも、「依頼はしていない」。端から見れば腹立たしいことだがそれが事実だった。
リリアナは殺人事件の共犯とはならなかった。殺人教唆もなかったと判断された。
裁判が済んだのち、リリアナは離婚しロニク帝国に帰国していたが、すぐに潰れたベルジュ公爵家に戻ってきた。
理由はすぐにわかった。
実家が大罪人として裁かれた側室、クリシラは離縁されていた。皇宮から出されて、皇帝が持っている小さな別荘に移されていた。実家が潰れたので、別荘に住まわせてもらったのは皇帝の温情だ。
リリアナは娘のセイレンを連れて一度は母親に頼ったが、居辛かったのか、あるいは追い出されたのか、サレイユ王国に戻ってきていた。今の住まいは、ベルジュ公爵と離縁した夫人の実家が持っている別荘だった。
リリアナはラシーヌ侯爵家乗っ取りの罪が申し立てられている。おそらく有罪になるだろう。
イルージャは父ソラン伯爵も関わるのではないかと心配したが、それはなかった。そもそも、イルージャも父も、セイレンがラシーヌ侯爵の子ではないなど夢にも思わなかった。
ソラン伯爵は、セイレンとイルージャが侯爵家を継ぐことも「関係者が皆、望めばそれもあり得るかもな」くらいには思っていたが、望んではいなかった。
セイレンとイルージャの婚約も、ソラン伯爵が望んだわけではなかった。
彼は、ただイルージャは体が不自由なので結婚相手は見つからないだろうと案じていた。
そんなときに、リリアナ夫人がイルージャを娘の結婚相手にと望んでくれた。イルージャもセイレン嬢を好んでいる様子だったので了承したという。
そういえば、セイレンがラシーヌ侯爵家の跡を継ぐという話はリリアナが熱心に話していて、父はただ頷いて聞いているだけだった、とイルージャは思い返した。家でそのことを話すことさえなかった。
父はレオネが跡継ぎだということを知っていたのだ。
イルージャはなんら罪に問われることもなかったが、ラシーヌ家にとっては、敵であるリリアナやベルジュ公爵側の人間になっているのかもしれない。
実家に戻ると、両親と兄夫婦が出迎えてくれた。
「ずいぶん、やつれたな」
父たちは数年ぶりに見る息子に目を見開いた。
兄たちは手紙で知らせていたので、そう驚いてはいない。
父たちにも知らせてはいたのだが、あまり実感していなかったのかもしれない。
イルージャは結局、二年半も研究に協力させられた。まるで実験動物だった。
毎日、治験のための薬を摂らされ、体は衰えていった。
おまけに、慣れない帝国語で勉強しなければならなかった。
王国の学歴が通用したので中等部二年からの編入にしてもらったが、それから毎年、落第ぎりぎりだった。イルージャはもともとは首席クラスの成績だった。言葉の壁がなかったら、こんなに苦労しなかった。
くわえて、研究協力という名の実験動物にされていたために、体調がいつも悪かった。
速やかに痩せていったが、浮腫んでいたために痩せて見えなかった。
運動もなんとか、できるかぎりやってはいたが、体調不良がそれを邪魔した。
二年半で理想体重以下に減ったが、健康的な痩せ方ではなかった。筋肉など付きようもない。脂肪が減ったのだけは良かった。
「なんだか、不健康に見えるが、大丈夫か」
「半身の麻痺はなくなったんだ」
イルージャは軽い足取りで足踏みをして見せた。速くはないが、走ることもできる。それだけが収穫だった。
「そ、そうか。それは良かった」
「帝国で中等部は卒業できたんだ。文官試験を受けようと思う」
「帝国の勉強内容とはだいぶ違うんじゃないのか」
「うん、そうなんだ。出来れば、試験準備の家庭教師を付けてもらうか、私学に通いたいんだ」
「まぁ、わかった。向こうでの滞在費とかは側室様が出してくれてたみたいだからな」
「側室様は、当初は出すと言ってくれてたけど、蓋を開けてみたら学費は友好国との留学援助金でまかなわれていた。あと、滞在費は研究所が研究協力費として金を出してくれてた」
「はは、そうだったのか」
父と兄たちが苦笑した。
話が違うと思ったのだろう。イルージャもずっとそれは思っていた。
結局、セイレンとの婚約はなくなったままだった。
数日後、突然にセイレンがやってきて、イルージャに告げた。
「結婚してあげてもいいけど、私がソラン伯爵夫人になるわ」
ソラン家の面々は、呆気にとられて口をあんぐりと開けた。
「悪いけど、それはできない。兄が継ぐってもう決まってるし、手続きもやってあるから」
イルージャは力なく答えた。
兄オランジュは結婚して子も産まれていた。
父は、跡継ぎはもう長兄で良いだろうと手続きを終えていた。
まだ父は働けるが、小さい領地を買ったのだ。その昔、先祖が持っていた領地の一部だ。貯金では少し足りなかったので、ラシーヌ侯爵からも借りた。
領地の面倒を見るために、父は母と領地に行く。だから、早く世代交代をして、王都のほうの商会は兄が経営していた。
イルージャは文官試験を受けたら文官として働く予定だが、商会の仕事も休みには手伝いたいと思っていた。
セイレンを娶ることはできない。
もう、恋心は消えていた。
二年半の間、手紙の返事は一通もなかった。セイレンの祖母である側室殿も、あれから一度も会うことはなかった。イルージャは研究所に売られたようなものだった。
思い知ったのだ。好かれていない婚約者がどんなに過酷かを。
セイレンは「来なきゃ良かったわ」と捨て台詞を吐いて帰って行った。
レオネとは結局、会えないままだ。王立学園にはレオネはいなかった。教えてくれなかったのはわざとだろう。
イルージャはラシーヌ侯爵家の前を通るたびに思う。レオネと過ごしたあの頃は幸せだったな、と。
□□□
リリアナは寂れた部屋で揺り椅子に座っていた。
出歩くことはない。
間もなくもう一つの裁判が始まる。ラシーヌ侯爵家を乗っ取ろうとした罪だ。
きっと有罪だろう。
この国の司法は、リリアナが元皇女であることなど、なんら忖度することはないだろう。
リリアナは一度、婚姻して帝国を出た身だ。しかも、帝国にとって、益となる婚姻ではなかった。正妻ではなく、第二夫人だったことも今思えば悪かった。恋に狂ったあの頃は思い付きもしなかったが。
皇帝のお気に召す婚姻だったらなにか違ったのだろうか。
結局、離縁され、母の実家の公爵家はお取り潰しになっている。
たとえ無罪となっても、美男の侯爵に言い寄り無理矢理、結婚した女と国中で囁かれたリリアナは、もうどこかの後妻に入ることもできない。
レダニア夫人を惨たらしく殺した毒婦とも噂された。そんな危険な女を娶るものなどいない。
リリアナは殺してなどいない。
リュカを愛していた。一目惚れだった。だから、第二夫人になりたいと我が儘を言った。
ベルジュ公爵家と王家が後押しをしてくれた。
手に入れたのは冷たい瞳。
閨を共にしたと思っていた。
でも、なにか変だった。
酒に酔ったようにわからなくなり、気が付いたら朝だったことが数回。
一年、二年近くが過ぎて、無理に結婚しておいて子ができないという目で見られるのは我慢ならなかった。ベルジュ公爵家から連れてきた侍女が慰めて、レダニアに嫌がらせをしてくれる。
当たり前だ。皇女のリリアナを侮った罰を受けなければならない。あの女にはそれ相応の報いをくれてやらなければ気が済まない。
リュカは滅多に来ない。
寂しくて、以前に付き合いのあった商人の男と浮気をした。
子ができて、リュカの子ではないとわかっていた。
リュカは娘を見にくることもない。
彼は、レダニアと幼い娘と三人で頬笑んで暮らしている。
憎まれて、嫌われて、こんな生活、望んでいなかった。
セイレンだけが生き甲斐だった。
レダニアが死んでくれたらいいのにと願ったことは何度もあった。
伯父のベルジュ公爵がやってくれた。
もうリュカは来ない。
犯人はリリアナだろうと国中で噂されているらしい。
こんな生活は望まなかったのに。
リリアナの愛人、セイレンの実父である商家の男に連絡を入れてみた。
返答などなかった。あるわけがない。
リリアナはもうすぐお家乗っ取りの重罪人として裁かれる。関わりたくないだろう。
逃げる気力もない。処刑されたほうが楽かもしれない。
毒杯の慈悲を賜りたいけれど、無理だろう。
セイレンだけでも幸せになってくれたらいい。
昨日はソラン伯爵家に行ったらしいが、もう長兄が後を継いだあとだったと憤慨していた。
セイレンがイルージャとの婚約を嫌がったので、単なる候補のまま立ち消えになったことを忘れているらしい。
家などなくてもいい、愛してくれる相手を見つけてほしい。
そんな風に考えてくれる娘に育てたかった。
「まぁ、私の娘には無理か」
自嘲の笑みが口元に浮かんだ。
のちに、リリアナはラシーヌ侯爵家乗っ取りを画策したとして有罪となり、北の作業所での終身刑を言い渡された。
セイレンはロニク帝国の祖母のもとに帰されたが、行き摺りの男と恋に落ちそのまま姿を消したという。
□□□
レオネはもう魔導学園の三年だ。
卒業したらグルミア王国に行こうよ、とダラスに誘われた。
ダラスはもともと、ワディエ伯爵家で暮らしたことはなかった。ダラスの母は実家の持っていた別邸で暮らし、ワディエ伯爵はその家に通っていた。
ダラスはグルミア王国には頻繁に行っていたらしい。なにしろ、祖母は王女で、王宮が実家だ。王家の親類たちはいつも歓迎してくれたと聞いた。
サレイユ王国と違って、振りかざす権威がないので「気さくだよ」とダラスが言う。だから、「国王は親戚のおじさんでしかない。不敬罪って、あの国ないから」と怖ろしいことを聞かされた。
本当に、なんで王国と名乗っているのだろう。ダラスの推測では「変えるのが面倒だからじゃない?」という。
ダラスは最近、けっこうしつこく「行こうよ」のお誘いをしてくる。
それもいいかな、とレオネは思う。
父リュカは、リリアナとの裁判が待っている。
本当は、もうあの女に会いたくはないらしいけれど。でも、母を殺した人だ。最後まで戦いたいのかもしれない。
実際に母を殺したのはベルジュ公爵だが、公爵は不正の罪で捉えられて有罪となり鉱山にいる。どうせ長くは生きられないだろうとアーシュが教えてくれた。
ダラスが「あのさ、レオネ」と、なにか言い難そうにしている。
「なあに?」
「レオネ、婚約って、考えてる?」
「ううん、まったく。どうしたの? 急に」
レオネが首を傾げると、ダラスが「ああ、いや」とさらに言い難そうにしたが、観念したように続きを話した。
「先日、兄の婚約披露の宴があったんだ。で、俺も来いというから仕方なく行った。俺は一応、ワディエ伯爵に認知してもらってるからかワディエ家の催事にはいちいち呼ばれる。母は来ないけどさ。本音では行きたくないんだけどな、すんごく居心地が悪いから。ワディエ家の正妻は、いつもは来ない。最近、知ったんだけど、正妻と愛人の間に男児が生まれてる」
「ワディエ家、ぼろぼろじゃない?」
「ハハハ」
ダラスは眉間に皺を寄せたまま笑い、「この間の宴で正妻に初めて会ったよ、なんと、愛人との息子を連れてきてた」と言い、また「ハハハ」と笑った。
「うっそ、ホントに? 愛人との子?」
「その子、八歳だってさ。笑えるだろ、『うちの子も継承権持ってるわ』とほざいて、ワディエ伯爵のこめかみの血管がぴくぴくしてた」
「正妻さん、頭悪いの? ワディエ家の継承権よね? 一滴もワディエ家の血が流れてない子よね?」
「うん、頭悪いし、ワディエ家の継承権の話だし、ワディエ家にとっては血筋的に赤の他人」
「政略結婚って、離婚、できないの」
「この間のやらかしで、たぶん、離婚できると思う。乗っ取り発言だから。俺が催事に顔を出してるから、自分の愛人の子もいけると思っちゃったんだろうな」
「そうね。で? ダラス。それがなんで、婚約の話になるの?」
「うん。その婚約の披露宴に、俺の婚約者候補の令嬢が幾人も招待されてたんだ。正妻のやらかしでうやむやになったけど。もちろん、お断りしたし、母からも『二度とそういうことやらないでくれ』って返答してもらった。冗談じゃねーよな、俺の親権は母方の祖父母が持ってるんだぜ。親父は認知しただけじゃねーかよ。教育費やなんかだって、みんな祖父持ちだったってのに」
「な、なるほど」
「んで、レオネの婚約は?」
「ないない。お父様は、家の存続なんか考えなくていいからねって言ってくれるわ。そんな不幸のもとみたいなことは忘れて人生を楽しんでほしいって」
「いいね、理解ある父上」
「でしょ。今は裁判と仕事で忙しいけど、一段落したら、若いくせに『引退しようかな』なんて言ってて」
「高官なのに」
「だって、王家は没落したけど、他にもイラつく大臣とかいるみたいでね」
「そっか。レオネがグルミア王国に行くのは、許してくれた?」
ダラスが心配そうに尋ねた。
「まぁ、なんとか。ホントは一緒に行きたいみたいだけど」
「ふうん。だけど?」
「うーん、何年かあとになるかも」
父と一緒にグルミア王国に行きたいと思い占ってみたところ、アーシュに引き留められる、と出た。旧友で強い人、といったらアーシュだろう。頭文字もそうだ。
どうやら、王宮の「膿み出し」の協力を頼まれるらしい。膿み出しはぜひやってほしい。そういう事情なら仕方ない。それが終わったら来てくれるようだ。
「ふうん? そう? 何年かあとに来てくれるって?」
「私の勘がそう言ってる」
「あー、レオネの勘って、当たるんだっけ?」
「まぁね」
レオネは、自分がグルミア王国に行くことも占おうかと思ったけれど、やめておいた。
わくわくする予感しかしないのだから。
カードで占わなくてもわかる。きっと楽しい旅になりそうだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
おかげさまで、完結いたしました。
感想やご支援をいただきまして、心より感謝申し上げます。
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