13)出立
週末明け。
レオネはぼんやりと昼食のパンを手に中庭のベンチに座っていた。
週末休みの間、魔力回復薬の世話になりながら占術をやり過ぎたせいか、頭の芯が疲れているような気がする。
まだ安心できないために、やり遂げた感じがしなかった。
レオネは不安という形で予感を得ると、占術で不安の正体を探る。
探り終えて対策をすれば、不安は消える。
今回は絶望感がひどく、対策など出来る気がしなかった。
父を失うくらいなら、死んでしまいたい。
大事な人をわかってて失うのと、何もわからないままに失うのとどちらがましなんだろうか。
レオネはすでに母を亡くしている。
もうたくさんだ。
こんな世の中に一人で放り出されるなんて、耐えられない。
食欲がないままに膝の上のパンを見下ろしていると、不意に手元に影が落ちた。
視線を上げると、心配そうな顔のダラスがいた。
「レオネ。具合でも悪いのか」
そう言いながらレオネの隣に座った。
今朝はメイベルにも心配された。
レオネは「父が多忙すぎて心配なの」と半分、正直に答えた。
ブーレ共和国がらみで、今は王宮が嵐のような状態だと、王宮で身内が働く学生たちは皆知っている。
メイベルは察したらしく「レオネがそんな顔してたらお父様は余計に辛いわよ」と言ってくれた。
レオネはダラスにも同じように答えた。
「父が大変なのよ」と。
「ブーレの関係か?」
ダラスも察したようだ。
「ええ。多分、父は」
そう答えて少し考え、これくらいは秘密ではないだろうと続きを口にした。
「使節団に入るわ」
本当は入るのは確定しているが、そこまでは言わないでおいた。
「そうか」
ダラスが自分のことのように眉間に皺を寄せた。
「危険な道を行くことになるわ」
レオネは、もうそれだけで泣きそうになる。
あの絶望的な不安感はだいぶ減っていた。
副団長のアーシュに予言を告げたことで、未来は確実に変わっている。
でも、まだ不安が残る。
運気はどちらに転がるのだろう。未来は今、揺れている。
レオネには見えるだけで、それを変える力が足りない。
「あのさ、俺の祖父、商売やってるって言っただろう」
「え? ええ、聞いたわ」
レオネは戸惑いながら答えた。
「魔導具もたくさん商ってる。グルミア王国から仕入れてるのもある。防犯の魔導具も、変わったやつから標準的なやつまで。サレイユ王国では売ってないやつ」
「買えるの?」
外国の魔導具を仕入れるのは規制が厳しいと聞いている。
サレイユ王国は魔導具の開発は遅れていた。予算が乏しいし、才能ある研究者を育成する体制も粗末だ。
「レオネのお父さんが装備できるような小型で高威力なやつを聞いてみるよ。きっとたくさんあるから、な」
「ダラス」
レオネの不安が、ふと軽くなる。
あぁ、これは、予感だ。
占術の結果を誰かに告げて未来が変わるときの予感と似ている。
ダラスが分岐点を与えてくれるのだ。
レオネは涙腺が緩みそうになるのを堪え、微笑んだ。
「ありがとう、ダラス。お願い」
□□□
翌週末。
レオネとリュカはまたアーシュの家を訪れていた。
リュカはダラス経由でグルミア王国から輸入した魔導具を持っていた。
ダラスは幾つか呉れようとしたのだが、高価そうな品だったので、父と相談して秘密裏に購入した。
ダラスの実家の方でも秘密にしなければならない理由はよく心得ているので配慮してくれた。
アーシュは、それら防犯の範疇を超えた魔導具をじっくりと見た。
「これは優れものだ。確かに援軍が来るまでの間、持ち堪える可能性が高まる」
アーシュは断言した。
「ああ。私もそう思う」
リュカが頷く。
「だが、大っぴらには配れない。敵に対策を取られたら不味い。意味がなくなるだろう」
「その通りだ」
二人の眉間に苦渋の皺がよる。まだ内通者の始末ができていなかった。
裏切りがわかりやすかった護衛の二人は、今は泳がせてある。
その二人に関しては内通者であることは間違いなく、当日はうまく排除する予定だ。情報を吐かせてから極刑だ。
だが、今の段階では迂闊に排除できない。
残り二人の内通者が特定できていないからだ。敵に警戒されてはならない。油断させておきたかった。
レオネの占術によると、アーシュがレオネの情報を得て動いた段階で、壊滅の可能性は無くなっていた。
だが、まだ半数くらいは「死」と出ていた。
半数くらい、とはっきりしないのは一桁目の数字に絵札が出てくるからだ。
確実に未来は変わりつつある。安心はできないが、絶望から微かずつ希望へと変わった。
さらに、ダラスの協力を得た。
自衛のための魔導具を導入し、レオネの不安はかなり軽くなった。
仕入れた魔導具を有効な手段とするためには、どれだけ慎重にしても足りない。
助けたい人はいる。けれど、その「助けたい人物」が口が固いとは限らない。
内通者に、たとえ間接的にでも、どんな形でも、情報が漏れたら不味い。
「とりあえず俺が確実に信頼している部下たちには、決して敵に知られんように確約させた上で渡す」
「頼む。私も確実に信頼する部下には渡す。他に助けたい者がいても、こういう場面での情報管理はなんとも言えん。びびって動揺しそうなんだ」
「そりゃ、普通の文官はびびるだろう」
アーシュは渋い顔だ。動揺するなと言い聞かせても無理なものは無理だ。
「仕事の機密に関しては信頼できるんだが」
リュカは辛そうだ。
部下も行くのだ。助けたいだろう。
「仕方がない。これが終わったら、俺も身の振り方を考える。仕方がないんだよ、リュカ」
仕方がない、と繰り返す旧友の言葉に、リュカは苦く笑った。
□□□
金の月の三日。
レオネが予言した通りの日に使節団一行は出発した。
特定できていた内通者二人はアーシュが速やかに捕縛した。
罪状は適当に作った。
部下たちは事情を知っているが、表向きは「汚職疑惑」だけで捕らえたことにした。
相当抵抗したが容赦しなかったし、どこにも連絡をさせなかった。
ブーレまでは馬車では十三日の距離だ。
さらに半月遅れて王子たちが出発する頃にはアーシュも護衛任務となる予定だが、実際にはその前に多忙となる。
救援に駆けつけるためだ。
その日もわかっている。
レオネは、襲撃の詳細をアーシュの屋敷で占っていた。
まず、内通者たちは食事に薬を混ぜる。
占術では「悪意」「薬」と出た。
毒なら「薬」のカードの次に、反転のカードが出る。
今回は「薬」を示すカードに「竜」四の「悪意」のカードが捕捉された。
毒ではないが、「悪意」がある。
アーシュは内通者がいれば、食事の細工は容易くできるだろうと納得だ。
毒であれば、むしろ、事前の身体検査で弾くことが出来る。
軽い睡眠導入剤や整腸剤のような下剤は、チェックに引っかからずに持ち込まれてしまう。
アーシュは、先駆隊について行く護衛の騎士に「異物が混入される可能性がある。必ず食事の支度時には見張れ。見張りは密かにやれ」と指示した。
これだけで、レオネの不安感は減った。
この時から、占術に予言される犠牲者は「壊滅」から半減した。
どれだけ薬がこちらの戦力に影響するか、内通者の存在が怖ろしいかを思い知った。わかっていたつもりだったが、カードで「半減」と出てしまうと天を仰ぎたくなる。
情報がなかったら本気で壊滅だったな、と得心した。
レオネの友人、ダラスから魔導具の情報が入ったのも運が良かった。
第一王子が口出ししたために、リュカたち先行する使節団は魔導具すらも乏しかった。その情報は敵に漏れていただろう。その乏しい装備を補えた。
グルミア王国は、魔導具の先進国だ。
だが、防御や攻撃の魔導具は戦力となるために、他国への輸出は制限がかかる。
ダラスの祖父の店、バドワフ商会の商品は、個人の防犯用ではあるが威力が高かった。
値段も高いが、命の値段だと思えば安い。
もっと高威力となると、輸出はされていない。ぎりぎり個人用で販売可能なものだ。
その程度の威力であるからこその利点がある。
小型なのだ。そっとポケットに忍ばせておける。
アーシュは護衛たちにそれらの魔導具を十二分に装備させた。
準備はすでにほぼ終えてある。
アバデンの残党に、地獄を見せてやろう。
□□□
レオネは父が出発してから、食欲がまるでなかった。
クラスメイトたちは遠巻きに見ている。
レオネの父が使節団のメンバーに選ばれたことは、報道されたので国中が知っている。
クラスの皆はなんとなく親切だ。そっとしながらも、気遣ってくれている。
レオネがぼぉっとしていると「そろそろ訓練室に移動した方がいいよ」と教えてくれたり、ペンを落としたまま気づかずにいると「落としたよ、大丈夫?」と声をかけてくれたり。ほんの少しの気遣いが、あちらこちらに感じられる。
魔導学園の学生たちは社交的ではない。でも、情がないわけではなかった。社交的でも心のない言葉よりも、そっけなくても暖かく感じる気遣いの方がいい。
この学園でよかった。
今は占術をしていない。したくないのではなく、心が乱れすぎて出来なかった。
ただ祈るだけだ。
父が発つ前にアーシュの家で「使節団は無事に任地に着くか」を占った時には、はっきりとした答えが得られなかった。
数字は出ない。絵札が出る。「樹木」の神官は、巨木の下で経典を掲げている老神官だ。
アーシュが「まさか、葬儀の絵か」と目を剥いたが、違う。
「このカードは、不吉とは違います」
レオネはそう説明をしてアーシュをひとまず安心させた。
「私の解釈は」とレオネは言葉に迷ったのち答えた。
「結果は、神に委ねられている状態です」
レオネはさらに説明を加えた。
皆が無傷であるならば、もっと喜ばしいカードが選ばれる。あるいは、少なくとも死者がゼロならば、そう読めるカードとなるはずだった。けれど、厳かな老神官だ。
何かを暗示させる。
アーシュの言うように、どこか儀式めいた葬儀を思わせる絵かもしれない。けれど、葬儀とも言い切れない。ただ老神官がいるだけなのだから、説法の雰囲気もある。
補助のカードを引いても、同じカードが出る。
他にふさわしいカードはない、という意味だ。
「葬儀」を示すなら「死」がなければならない。だが、そうではない。
被害が出るのか、有無はわからない。一人でも二人でも犠牲が出るのなら喜べる結果ではないが、「犠牲はない」と判断できるカードでもない。
ゆえに、レオネは「結果は揺れている」、「神に委ねられている状態」と結論した。
それでも、「絶望」よりはずっといい。
一番最初に占った時には、「竜」の「敗北」と「本」の「経典」だった。レオネは「壊滅」と「死の儀式」と解釈をした。犠牲者の数も数字のカードが示していた。使節団の人数が、そのまま犠牲者の数だった。
ようやくここまで漕ぎ着けた。
何かは起こるだろうし、無傷では済まないのだとしても。傷つき倒れる鳥や竜のカードよりはいい。
レオネは「どうしても、なにかは起こるようです」と伝えたのだが、アーシュとリュカは苦笑いしながらも、少し安堵した様子だった。
なにかが起こるくらいは、レオネの予言を聞く前から二人は知っていた。
未来は揺れている。
不確定要素が占術師によってもたらされた。もたらされ過ぎた。
危険から脱したわけではなくとも、壊滅の危機からは逃れた。そのうえ、使節団の中枢は未来を知っている。
だから数が出ない。揺れているのは犠牲者の数だった。
□□□
アーシュは、レオネの占術で敵が襲ってくるのは出発から九日目と知っていた。
アーシュも「危険なのは九日目の峠だろうな」と推測していた。旅程を聞いた時からそう思っていたのだ。地形的に見た結果だ。
ゆえに、占術ではっきりと「九日目に死がある」と聞いた時に、今更ながら寒気がした。
運命でもそう出るのか、と。
アーシュたちは、王子の護衛があるために動けない、と敵どもは思っているだろう。
だが、そうではない。
「無理をすれば」動ける。
リュカたち先駆隊も、後から出る王子たちも馬車での移動だ。それも、なるべく整備された道を行く。村があればそこで宿泊する経路を選んでいる。
馬車ゆえに速度はさほど出ない。
アーシュたち援軍は騎馬での移動だ。
しかも、屈強な軍馬だ。馬車の三倍は速い。道も、馬車ほどは選ばない。
ゆえに、襲撃地点のほど近くに移動し、占術で告げられた日まで待機しても王子の出発までに戻れる。
かなりぎりぎりなスケジュールだ。普通はやらない。
これに付き合わされる部下たちも気の毒だが、アーシュが声かけをして人を集めると案外、付いてきてくれた。
腕の良い者が揃った。
「待ってろ、リュカ。アバデンの腐者ども」
ついでに役立たずの第一王子の脳天もかち割ってやりたい気分だが、今は意識の外に追いやっておいた。
□□□
リュカは予言された日が近づくにつれ、心が凪いでいった。
それまでは平静を保つのがやっとだった。
リュカは、自分の部下を選んで連れていかなければならなかった。
レオネの予言を聞いた時は、なぜ彼らを選んでしまったのかと悔やんだ。だが、後には引けない。
彼らも、また国の使命を背負い、覚悟を持って任務に臨んでいる。
三名の部下のうち、自衛の魔導具を予め渡せたのは一人だけだった。
新入りの頃から知っている。入りたての頃は生意気な若造だったが、今では自分の右腕として任せられる男だ。
「決して誰にも言わずに身につけるように」と、リュカが渡した時点で、彼は色々と察したようだった。
リュカの部下は、あと二名いる。
彼らの分も結界の魔導具を用意した。襲撃予告時刻の直前に上手く渡しておくつもりだ。
さらに、バドワフ商会に密かに「応急処置」の魔導具も注文し、なんとか間に合わせてもらった。
レオネがそういう魔導具もあるらしい、と情報をくれたおかげだ。
傷部分に当てて発動させると、消毒、解毒、止血、痛み止めの効果がある光魔法がもたらされる。
他にも魔導具のナイフも持った。使いこなせるように充分とは言い難いが練習をしておいた。
リュカはそれらの魔導具を携えて出発した。
お読みいただきありがとうございました。
明日も夜20時に投稿いたします。