10)密偵
本日、2話、同時に投稿してあります。
こちらは、今日、2話目の投稿です。
ブーレ共和国との小競り合いは悪化の一途を辿っている。
父は深刻な顔でそうに告げた。
「わかりました。お父様。私は何を占えばいいですか」
レオネは持ってきたカードをテーブルに置いて尋ねた。
王宮の父の執務室はどこか殺伐としている。几帳面な父の性格から隅々まで片付いているせいか、あるいは今現在の仕事の緊張感が表れているのかもしれない。
調度品は重厚で品が良く、書棚には書籍だけでなく資料のファイルも収められている。
執務机は書類の山が幾つかできていた。
部屋の隅には小さな給湯室への出入り口があり、レオネが見る限りいつも開きっぱなしだ。
父は今は王宮職員寮の部屋を使っているという話だ。それ以前はすぐ近くの宿に泊まることもあり、あるいはこの執務室のソファで寝てしまうことも多々あったという。
父は疲れた顔をしていた。
「レオネ。先に確認しておきたい。私が今から尋ねたいのは、とても重要なことだ。二つの国の運命に関わる。そのような重大な占いをすることで、レオネに何か代償はないのか? 例えば、時間を遡る魔法は、命を削るような負担があると聞いたことがある」
「お父様。私もそのような話を本で読みました。でも、もっと多くの例では、長生きしている占術師はたくさんいます。普通の人より長命な方もたくさん記録にありました。ですから、心配はしていません」
「そうか」
父はひとまず安堵したようだ。
「私の推測では、魔力を持っている占術師は、魔力を代償にしてるんだと思います。占術のやり方はそれぞれですので、魔力がなければ生命力などを代償に注ぎ込む方法があるのかもしれません。あるいは、想いを込める特別なやり方があるのかな、とも思いますし。私の場合は、魔力をけっこう使います。でも、魔力量はあるほうですから、その点は大丈夫です。あとは、技術の問題です」
レオネが技術の問題という言葉を出すと、リュカは真剣な顔で頷いた。リュカはレオネの技術を信じていた。レオネには、明らかに才能があった。
「私が占いを始めたばかりの頃は身近な人の簡単な占いしかできませんでした。でも、今はもっと色々と占えます。つまり、私の技術と魔力の範囲で占えることしかできません」
「それはもちろん構わないよ。できる範囲でも良いんだ。では、魔力回復薬を用意しておいた方がいいね。持って来よう。魔力回復薬は疲労にも効くので厚生部の売店で売っているんだ。待っていてくれ」
リュカは香草のお茶と焼き菓子を置いてすぐに魔力回復薬を取りに行き、間もなく帰ってきた。
レオネは、父が用意した魔力回復薬の瓶や吸い込むタイプの魔力回復薬が入った噴霧器を眺め、それから、不安そうな父の顔をチラリと見た。
「こんな噴霧器みたいな薬もあるんですね」
「私が知らないうちに売り出されていた新作だな。医療関係では前からあるものなんだろう。昨今のブーレ王国とのいざこざで、疲弊している外交部や国防関連の部署では執務室でこれを振りまいているらしい。確かに疲労回復薬代わりにはなる。おかげで私が購入しても目立たなかった」
「それは、あまり良くない理由ですが、都合は良かったですね」
レオネは王宮内はそんな状態なのだ、と今更ながら思い、不安が過った。
「レオネ。これは機密だ。心して聞いてくれ。どうやら、我が軍の作戦が敵に漏れている」
「密偵が?」
「そうだ。密偵などどこにでもいるが。だが、今回、問題となっているのは、上層部に裏切り者がいるとしか思えない情報漏洩が続いていることだ」
「えぇ?」
それは大変なことだ。レオネは思わず寒気がした。
リュカは眉間に深々と皺を寄せていた。
レオネは父の目の下に濃いくまがある理由を悟った。
「そのせいで我が国の軍は劣勢に追い込まれている。今の騎士団が優秀なおかげでなんとか踏みとどまっているが、このまま情報漏洩が続けば国境の領地はブーレのものになるだろう」
「そ、そんな事態なんですか」
「兵糧の運搬路から、武器弾薬の貯蔵庫まで、要所要所で敵方に情報が流れている。末端から漏れているのではない。かなり上の方にネズミが入り込んでいる」
「わかりました。裏切り者を探せばいいんですね。もう少し、私に言える情報はありませんか」
「契約魔法なしで言える情報は、あとは、最初の始まりは三年前、つまり、今回のブーレ問題が起こる頃には、すでに密偵は入り込んでいたはずだ。あるいは、密偵は派遣されたのではなく、元から我々のそばにいた人間が裏切ったのだろう」
「もとから」
レオネは呆然と呟く。
「その可能性は高い。裏切り者は、王宮に出入りしているのは確実だ。その人物は多くはない。せいぜい二人か三人と推測している。性別はわからない。すまないが、言えるのはこのくらいだ」
「わかりました」
レオネはカードをテーブルに置くと、両手を乗せて目を閉じた。
幾らか情報をもらえたので、知りたいことがより把握できた。
リュカは案じながら娘を見つめた。
いつもより時間がかかっている。
レオネは占術に浸り込んでいるようで、表情は無く、目を閉じたまま気配さえも封じ込められたように見える。
先ほどからレオネの指先からテーブルの上のカードに魔力が溢れるように流れ込み、カードの小さな山が瞬いている。
やがてレオネは目を開いた。
カードを滑るような手つきでかき回し、束ねて手に取った。
「裏切りは、いつから?」
静かな声。
めくったカードは「樹木」の四。
リュカは息を呑んだ。
「四年前」とレオネが呟く。
引かれたカードは元に戻され、カードの山は白い指先に崩されてはまた山になり、幾つもの山がまた一つにまとめられる。その様は魔力で瞬いて、生きているようにさえ見える。
レオネは次の質問に入る。
「裏切り者は何人?」
めくられたカードは「鳥」の二。
「どんな二人?」
次のカードも「鳥」だ。数字は三。
親子だろうか。あるいは兄弟か。
大きな鳥と小さな鳥。
「どんな関係?」
次のカード。「本」だ。
学生と教師のような二人が本を持っている。数字は九。
「大きめの数字。この場合は、力関係を表している可能性。主たる一人に、もう一人はその手先と思われる。おそらく、手先の一人は大した価値はなさそう。主たる一人はどんな人物?」
リュカは核心に近づくにつれ、息を吐くのも忘れて聞き入った。
レオネの細い指がカードを選ぶ。
「『樹木』の絵札。役人ね。次に説明のカードを引くわ。どんな役人か?」
選ばれたカードは「本」の八。二人の男が描かれている。主人を世話する執事か従者のようだ。
「これは、数字は高め。側近と解釈できます。もう一枚、補助カードで確かめます」
レオネは再び魔力を込めてカードをきる。
選ばれたカードは、再度、「樹木」の「役人」。
疑いようもない。
さらに引かれた補助のカードも「樹木」。
大木を支える細い木は、リュカの目にも「側近」を表しているように見える。
「側近は、誰の側近?」
レオネは問いながらカードを引く。
「『本』のカード。この瓶は薬。厚生部の可能性。補助のカードで確かめます」
次もまた「本」のカードだった。数字は七。
寝台に横たわる老人と、布と瓶を持つ女。
介護や病を暗示させる。
厚生部。
リュカは思わず声が出そうになり堪えた。
レオネの集中力を邪魔してはならない。
それにしても、厚生部とはあまり考えていなかった。
軍事機密の情報漏洩といえば、真っ先に騎士団が疑われていた。
リュカからみれば、自分たちの命や任務を危うくするのだから、どちらかというと裏切りの可能性は低いと思うが、機密に触れられる機会は確かにある。
それに、王宮の連中は、騎士団の連中は荒くれ者、信用ならない、と言う印象を持っていた。
次に疑われたのは、国防部勤務の武官たちだ。
王族の周辺の文官たちも疑いの目で見られた。国王と王子たちにも情報が入っていたからだろう。
疑われるくらいなら、王族たちは情報を欲しがらなければ良かったのだ。現場の役には全く立たないのだから。
外交部や法務部にも多少は関わる部署はあるが、直接は関係ない。
厚生部は医療品関係で、やはり間接的に軍事の機密に関わっていた。
そうだ、とリュカは寒気とともに思い出した。
上級の魔導薬は、日持ちがしないのだ。魔導薬、つまり魔力を持つ素材で作られた薬液だ。
理想的には、作られて三日以内が最も効果がある。
十日以上過ぎると効果は半減する。そうなっては割引して投げ売りだ。
作戦遂行の数日前に数を揃える必要のある薬は多い。
あとは、運搬関係に協力者を潜ませておけば、密偵としては万全だろう。
そう簡単にはわからないように他の荷も運ばせ誤魔化すようにしているが、おおよその日にちが漏れていれば念入りに調べることができる。
「厚生部で間違いないようだわ。厚生部の誰?」
引かれたのは「竜」のカード。獲物の猪を格下らしき竜に投げ与えている、巨竜が描かれている。
「『竜』のカード。数字は十一。かなり強いカード。大臣と思われます。高官だとしたら、よほど力のある人。その人の名前は? 頭文字は」
カードを引いた途端、レオネの体がぐらりと揺れ、華奢な肩が傾いだ。
「レオネっ!」
リュカは慌ててレオネを抱き抱え、用意してあった噴霧器の薬を撒いた。
虚だった瞳に光が戻る。
「飲みなさい」
薬の瓶を開けて、レオネの唇にあてがう。
頬に少し溢れたが、こくこくと薬を飲む姿にリュカは安堵した。
上級魔力回復薬は速やかに効いた。
蒼白だった顔色が少しずつ色づいてゆく。
「すまなかった、無理をさせてしまった」
リュカはレオネの頬にこぼれた薬の滴をハンカチで拭いながら辛そうに眉間に皺を寄せている。
「いえ。そう酷くありません。無理するとお父様が心配すると思っていたので気をつけるつもりだったんですけど。つい、夢中になってしまって。でも、これくらいなら、魔法の授業で前にあったし」
「授業に問題があるようだな」
「お父様、過保護すぎ。ちょっとクラッとくる程度なら、後遺症もないし問題ありません。お父様が上等のお薬を用意してくれたからだいぶ良いみたいです。途中だったのが悔やまれますけど」
「この頭文字のカードは、家名の方かい? それとも名か」
「家名の方です」
最後のカードは二桁の数字をリュカに教えてくれた。
間違いようがない。数字に基づいて数えれば文字がわかる。
「わかった。これで十分だ。もう、させる気はないよ」
「いいえ。そんな風に言わないでください、お父様。私、もっとやりたかったし。また回復したらやります」
「いや、もう十分だ。レオネ。軽蔑されてしまうかもしれないが。私は国などどうなってもいいんだ。私にとって唯一、大事なのは妻によく似た可愛い娘だけだ。命よりも大事だ。私の幸せの全てなんだ。今回のことも、迷った末に頼ってしまった。軍事機密が漏れて真っ先に犠牲になるのは、騎士団の下の者たちなんだ」
「わかります。私もお父様と同じ気持ちです。きっと、騎士の斥候の方達が犠牲になったのだろうと思ったんです」
「その通りだよ、レオネ」
リュカが辛そうに顔を歪ませた。
「私、お父様がそう言うの、わかるような気がするんです。私はこの国よりお父様が大事。それから、王宮の上の方で守られた人たちより、真っ先に犠牲になる人たちのために占いたい。不敬でも構わないわ」
「レオネ」
「あのリリアナ夫人を押し付けられた話は許せないもの。娶れとうるさく言ってきたって」
「そうだ。忘れやしない」
リュカの声に低く憎悪が籠る。
「ラシーヌ家は母が跡継ぎだった家なので、私なりに大事に思う気持ちはあります。でも、あの王族を崇める国なんて、要らない」
思わず気持ちを吐露した。気持ちが昂ぶり、息が荒くなりそうだ。
父は宥めるように娘の髪の撫でた。
「私の前では正直に言っていい。仕方のないことだ。感情はどうにもならない。王国と言う国家形態は難しいものだ。今の我が国の王は愚物としか言い様がない。他の王族にはさらに始末の悪い連中がいる」
父はもう心情を隠さないことにしたのだろう。
レオネは寮に帰ったら、うちの王族を占ってやろうと心に決めた。
「国王は、彼らを制御できない」とリュカは絶望的な言葉を紡ぐ。「一人の愚王のせいで国が地獄となることもある。そうならないように、国王に権力を集中させるのなら帝王学は完璧にすべきだ。だが、我が国は違う。状況によっては、私はレオネと一緒に亡命も考えている」
「お父様。その時は迷わないでください。私は一緒に行きたいです」
「わかった。ありがとう、レオネ」
レオネはそっと父の手を握り返した。
ありがとうございました。
明日も夜、20時に投稿いたします。