呪いの加湿器
うちの部署は呪われている……らしい。
社員が次々と咳き込み、熱を出して休む。
今日も課長が休み、主任が早退した。机の上には風邪薬が残されている。
庶務担当の私は、勤怠システムに休暇届を入力する。
かくいう私も、のどの奥がひりついている。
「ん…ごほっ。」
他の部署では誰も体調不良を訴えていない。この風邪みたいな症状が流行っているのは私たちの部署だけ。
だから、社員たちの間でくだらない噂が広がっていく。
「昨日、部長がお祓いに行ったらしいよ。水子供養してるとこだって。」
「ってことは、これって水子の呪い??」
そんな馬鹿な話、と打ち消そうとした瞬間。
ちゃぷん。
ピーピーピー。
耳障りな電子音が、私の席の後ろから鳴り響く。
加湿器が水タンクの空を知らせる。
私はため息を吐きながら立ち上がる。
職場環境改善のために、私が頼んで入れてもらった加湿器だが、水が切れたら意味がない。
「あの子、またサボったのかしら。」
加湿器の担当は入社四年目の若手社員。
彼女は遅刻の常習犯だったから、始業前に出社して水を補給する仕事を割り当てた。
おかげで遅刻が減り、彼女が部署を異動してもその役目は続くことになった。
でも、彼女はまた遅刻が増えてきているらしい。
「はぁ……。明日、注意しなきゃ。っごほ。」
誰かが嫌われ役にならないといけない。その役目は、私みたいな三十を過ぎたお局様が丁度良い。
こんな小言を言わなきゃいけないなんてのも、噂の呪いのせいかもね……。
翌朝。彼女は遅刻せずに来ていた。
マスクを外して隣の部屋に入ろうとしていたところに声をかける。
「ん…ん、ごほん。」
のどの痛みで、咳払いになってしまった。これじゃあ嫌味ったらしく聞こえたかもしれない。
彼女はダルそうに振り向いて、挨拶してくる。
「おはようござい……」
ちょっと誤魔化しぎみに注意する。
「昨日、加湿器の水が切れてたわよ。なんでそんな簡単な事ができないの?」
「有給休暇だったので。」
「そんなの知らないわよ。」
だったら当番を誰かに代わってもらうべきでしょう。
社会人四年目なのに、そんな常識も身に付けていないなんて。
「そのくらいちゃんとやってよ! ごほっ。あんたのせいで、最近調子が悪いわ。」
彼女の口元が、わずかに歪む。
あのくらい強く言えば、遅刻が他の人に迷惑をかけるんだという自覚は持ってもらえただろう。
ちょっと言い過ぎたかもと思いながら、私は自分の席に戻る。
ちゃぷん。
加湿器のタンクが給水する音。今日は水の補給をやってくれたようだ。
このまま続けてくれると良いけど。
「げほっ。」
今日も二人から休むと連絡があった。
私も早退したい……でも、月末の締め日まではどうしても難しい。
何の呪いかわからないけど、私まで巻き込むのは勘弁して欲しいな。
一週間後。私は病院のベッドで寝ていた。
診断は細菌性肺炎。
「加湿器の手入れしてます?」
主治医から言われて、呪いの原因が分かった気がした。
頭の中で、あの水音が蘇る。
ちゃぷん。
……彼女だ。
加湿器の清掃を怠った過失。……いや、意図的か。
朝早く来るのが嫌で、そこまでやるか。
私は退院前に、会社に辞意を伝えた。
呪いなんかよりも恐ろしい、人間の悪意。
もう二度とあの水音を聞きたくない。
もし良ければ、彼女側の視点「加湿器の仕事」もお読みください。
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