第9話 葬送曲と狂騒曲
こうして、第二の策も無事に果たすことが出来た。
(もう言い訳できないな。これは現代知識チートそのものだ。それが冤罪を晴らす手段だったとしても…)
そんな不本意な思いを振り払い、下座の二人に問い正した。
「これでも、悪神に取り憑かれたとの疑いを掛ける気ですか?」
取り乱していた二人だったが、真っ先に口を開いたのは山門國の社主サグメであった。
「わたしは、この女の出鱈目な報告に騙されていたのです!」
(さすがに悪い者ほど、逃げを打つのが速いものだな…)
俺は呆れ気味に、今回の主犯格のサグメに対して、冷ややかな視線を向けていた。
しかし、もう一人の老社主イヅノメは、必死の形相で最後の賭けに出てきた。
「神に信を問うには、く…盟神探湯!盟神探湯にて、真実がはっきり致します」
(はぁ…。この占卜祈祷のプロフェッショナルが揃っている目の前で、何を言い出すやら…)
俺が呆れながら、そんな風に考えていると、斜め上の発言が飛び出した。
「このうえは若王様には盟神探湯を受けて頂き、神に信を伺い奉るより外には御座いません」
(????????)
盟神探湯とは、煮立った熱湯に手を入れて火傷をしなければ、神の加護を受けているため真実を述べている者であると証明できる。
逆に火傷を負うことになれば、嘘を付いた罪人とする儀式である。
当然ながら本来は、罪人が自白しない時に煮え立った熱湯に怯えて罪を自供させるもので、実際に手を入れさせるのは稀だ。
今の流れでは、目の前の二人こそ、悪事を自供させる対象である。
(やはり二人とも、真っ黒に手を染めているんだな…)
俺は心の底から失望していた。
「そこの社主イヅノメの言い分こそ、神に信を問うべきではないのか?」
デヲシヒコが正論で、老社主を問い詰めた。
ところが、老社主イヅノメは頑くなに反論してきた。
「此処に侍る二人は長年、神に仕える巫女でございます。神の御意思に逆らうはずが御座いません」
(明らかに正気を失っている。先程、巫女の地位を詐称したことが露見したばかりなのに…)
俺は心の底から嫌なものを見せ付けられてしまったことが、残念でならなかった。
それに一国の王の目の前でする振る舞いとして、既に一線を越えてしまっている。
不敬罪でも十分に死罪を問える状況を、自らで作り出していることにすら気が付けていない。
(少しでも救いがあるなら、助けられたかも知れないのに…)
俺は諦念の感に襲われているのを、肌身に感じていた。
「そこまで言われるのでは、仕方ありません。盟神探湯を承りましょう」
俺がそう言うと、三者三様の反応を見せていた。
下座の二人の社主は、してやったりと、正に悪人が見せる独特の笑みをこぼし始めた。
向かいの席に着座している宗守のウズメは、好奇心一杯に満ちた無邪気な笑みを讃えている。
上座の父王だけが、やや不安げな表情で俺の方を見つめていた。
俺は盟神探湯の準備を侍従長のカラスに委ねると、マリアを奥に下がらせた。
(マリアには、これから起きるだろう光景なんか見せたくないからな)
マリアは俺のことを心配して、最後までここに残ると頑張っていた。
しかしデヲシヒコの命令を受けると、悲し気に俯いて侍従長のカラスと共に退出していった。
暫らくすると、侍従達数人がかりで大振りな青銅の祭事器を運び込んだ。
「それではこれより、盟神探湯を以って、神に信を問いましょう」
俺がそう宣言すると、一同の視線が一点に集まっているのが分かる。
侍従長のカラスに支えられながら、祭事器の前まで進み出た。
侍従が二人掛りで蓋を取り外すと、中からグツグツと熱湯が煮立つ音が聞こえてきた。
(茶番だな…)
俺は左の袖を捲り上げ、左手を祭事器の中へと手を入れて見せた。
(熱っ!)
沸騰している熱湯に手を入れて見せると、一拍置いて手を引き出して濡れた手は急ぎ拭った。
「神の加護をご照覧あれ!」
芝居がかった言い回しで、皆が見えるように左手を掲げて見せた。
赤くなった左手は、それでも火傷一つしていなかった。
下座に控える二人の社主はこちらを見もせずに、ただただ俯いていた。
パチパチパチパチパチパチパチパチ…。
すると向かい合わせに座っていた宗守のウズメからは、惜しみない拍手をしながら声を上げた。
「さすが若王様、その信仰は神の恩寵を受けていらっしゃいます」
軽やかに一仕切り褒め称えると、視線を下座に控える二人の巫女に視線を移し、非情な死の宣告を行った。
「若王様は、見事に神の信を証明したぞ。次はお前たち二人の信を問わなければなりません」
「この者達への盟神探湯の準備は、同じ巫女である宗守ウズメが取り仕切りましょう」
すっとその場を立ち上がると、態々俺の隣まで来て小声で伝えてきた。
「ウシ國が直接処罰しては、山依國との間に軋轢を生み出しかねません。此処からは宗守ウズメにお任せを」
それだけ伝えると、改めてデヲシヒコに盟神探湯の儀を執り行う旨を奏上し、了承を得ていた。
俺は下座に控える二人の社主を見遣ると、顔面が蒼白になるとは正にこう言う事かと改めて思い知った。
二人は異常なくらいに体を硬直させ、小刻みにガクガクと…まるで壊れたブリキの玩具のように不自然な動きで震えていた。
やがて再び宗守ウズメが、侍従達の手を借りて先程の青銅の祭事器を運び込んできた。
「それでは最初に盟神探湯の儀を提案した、社主イヅノメから神に信を問いなさい!」
先程までとはうって変わったように、さすが高位の巫女の威厳を伴って厳しい口調で命じた。
名前を呼びつけられた老社主イヅノメは、先程からの様子のままに足を震わせながら、一歩一歩と祭事器に向かって進んで行った。
侍従達が再び蓋を外すと、先程とは明らかに違う沸騰音が漏れ聞こえてきた。
(これって…)
俺は静かに目を閉じた。
俺はあの祭事器に仕掛けが有るのを知っていた。
巧妙に仕掛けられた二重底の空間は蓋を開ける際に、下に押し下げられ減圧状態になる。
これによって、沸点は下がり約60℃程度での熱湯が生まれる。
それでも十分に熱い温度であるし、ゆっくりし過ぎれば当然に火傷を負ってしまうので、細心の注意が必要になる。
程よい加減を探るだけでも、丸一日掛かってしまった。
肝心なこの青銅の祭事器をどうして入手出来たかは、別の機会に触れることになる。
最後の悪足掻きをしていた老社主イヅノメだったが、宗守ウズメの一喝で、諦めたようにおとなしくなった。
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
恐ろしい断末魔を残して、バタン!と大きな音が聞こえたところで、俺は目を開いた。
そこには既に事切れた、老巫女イヅノメの骸が横たわっていた。
その投げ出された腕は、骨まで見えるほどに肉が焼け爛れており、先程まで蒼白だった顔は土気色に固まっていた。
それを見据えながら、宗守ウズメは静かに言った。
「神の御心に背きし巫女は、その罪深さ故に天に召された。次は…」
山依國の宗守ウズメの言葉が終わる間もなかった。
「きいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
下座に控えていた社主サグメは、悍ましい奇声を響かせながら、身を翻して外へ躍り出ていくところだった。
(まるでオカルト映画のワンシーンが、スローモーションで流れているみたいだ…)
開き切った扉の向こうには、神御衣を着崩し裾を翻し、束ねた垂髪が解けて広がる漆黒の長髪を振り乱しながら、走り出していく狂乱の巫女の姿が有った。
真直ぐに駆け抜けていく姿が、遠く遠く小さくなっていくまで、いつまでも俺の目に映っていた。
「疾く、捕らえよ!」
デヲシヒコは大声量で、周囲の者達に命じた。
侍従を始め、屋敷の周囲を警護していた衛士なども、一斉に捕縛に動き出した。
外に控えていた侍女の巫女達は全て捕縛されていたが、社主のサグメだけは、遂に捕らえることが出来なかった。
(まぁ、もはや逃げ込める場所なんて無いだろうが…)
それでも俺はここまでしてきた一連の証明に、悔恨の念を以って何度も何度も回想するのであった。