第九話 未知数の魔法『ヒール』
俺は一日に一度は、とある詠唱を解き放つ。
「ヒールッ!」
特に身体に、体調に変化は見られない。
俺は周囲の魔素を感じるように神経を研ぎ澄まして、再度魔法名を唱える。
「ヒールッ!」
やはり身体にも、体調にも変化は見られない。
俺は体内に周囲の魔素を貯め込むように大きく腹式呼吸を行い、何度目かの魔法名を大声で叫ぶ。
「ヒールッ!」
全身から魔法による光が溢れ出し、身体の隅々の細胞や神経組織まで、回復魔法の効果が満ち溢れてて……いく筈もなかった。
「これじゃあ、ただの中二病だな」
我ながら、苦笑いするしかなかった。
この身体は本来の年齢なら、中二病真っ盛りでもおかしくは無いのだが、精神のほうは立派な三十路のオッサンだ。
この手のダメージは、精神のほうに重くのしかかる。
しかし、多少くらいの言い訳をしても良いだろうか?
異世界に転生して、怪しげな魔女の集団の儀式に立ち会った挙句に、雷神か雷の精霊を宿した魔法使い。
一時はマジ物のファンタジー路線か? と思わせるような展開だったのだ。
あの目覚めた時の大声を思い出すと、10日間も寝たきりだった子供が出せる声量だったのだろうか?と思わずには居られなかったのだ。
そうして、フッと下の胸元を見る。
今は薬草か何かの膏薬が厚く塗られた上に、麻の布が幾重にも巻かれている。
そう、胸には広範囲の火傷の跡が、生々しく残されていた。
膏薬を取り替えるため、包帯を解いたことがあるのだが、その痛々しい火傷の痕とその下地の焼け爛れて歪んだ刺青が見えた時に、ある有名な絵画に似ているのを思い出した。
(俵屋宗達の風神雷神図屛風じゃあないか!)
元々は王家のシンボルというべき雄々しい牛の絵図が、極彩色な刺青で彩られていたそうである。
ところが焼け爛れてしまった結果、元の原型から大分遠ざかってしまったようだ。
しかし俵屋宗達の描く風神雷神の顔は、まるで牛を擬人化したような顔である。
その力強く描かれた発達した筋肉の描写などは、元々あった雄々しい牛の筋肉の盛り上がった様とよく似ていた。
『御身は火雷神の現身なりや?』
脳裏にあのヤマト國の宗女サグメの声が、リフレインする。
これは、《《あの日の出来事》》だけは、頑なに話たがらないマリアから、無理やり聞き出したことなのだが、どうやら落雷の際に胸の皮膚が焼かれる際に、炎が天高く立ち昇っていたのだと言う。
まるで火雷神様が立ち尽くすように……。
(そんなんで、良く生きてたな)
マリアはしっかりしているが、まだまだ幼い。
見たもの聞いたものが、大袈裟に見えてしまうことも在るのだろう。
しかし、そんな話を聞かされてしまったら、こんな考えが浮かんでくる。
(万が一にも、俺の身体に神とか精霊とかが宿されているのでは?)
そんな風に思いを馳せて、血迷った振る舞いをしたところで、誰がこの俺を責められようか?
「俺自身だよ!」
自虐ネタに一人突っ込みを入れて、再び言い知れようもない羞恥心に襲われる。
間もなく、朝の食事の時間だ。
あの戸口の向こうから、可愛らしい声が涼やかに届くのだろう。
「お兄様、何やら大きなお声が聞こえましたけれど、何か在りましたか?」
涼やかどころか、《《冷ややかな》》声が届いてしまった。
「マリアか?起きてるから、構わないよ。入ってくれても大丈夫だよ」
俺の顔はやや頬を赤らめていたらしい。
戸口を開いたマリアは、慌てる様に近づいて来た。
「お兄様、顔が赤いですわ。なにか悪い病魔に憑りつかれたのかも知れませんわ」
するといきなりおでこを合わせてきた。
「だ、大丈夫そう……なのかしら?熱が益々上がってきているような」
俺は慌てて否定した。
「少し体力を付けようとして、無理したみたいだ。たぶん朝食を摂れば、直に元に戻るよ」
マリアは用意してあった朝餉の御膳を、そっと俺の前に運んでくれたのだった。
今日も、食後はマリアとのお喋りタイムだ。
これはリハビリの一環でもあるが、やっぱりどちらかと言えばご褒美だからね。
マリアは毎食後、決まって楽しい話題を持ってきてくれる。
大抵は他愛のない出来事が多いのだが、こういうさり気ない気遣いがとても嬉しいのだ。
しかし、そろそろこの癒しタイムを遮っても、《《あの日の出来事》》について詳しい話を訊きたい頃合だ。
当初はマリアがあまり触れたがらない話題だったから無理にも聞かなかったのだが、今ではお互い結構気さくに打ち解けてると思っている。
そこで、こう切り出してみた。
「なぁマリア、以前に落雷の時に、一緒に居たって話しをしてくれただろう?」
マリアはハッ! と一瞬体が硬直したように見えたが、直ぐにいつものように微笑みつつある種の諦念のような表情を浮かべながら、こちらに向き直った。
「何からお話ししましょうか?」
「俺は何を聞かされても、一切動揺などしないよ。ただあの日の一部始終を正確に知りたいんだ……いや、知らなければならないと思っている」
俺も自由に動かせない足は投げ出したまま、居住まいを正した。
「以前、お兄様の胸の火傷の話を致しました。そのあと父王から、厳しく叱られました。あの時は父ではなく王として、他言無用と命じたのだと。これではまた父王に、叱られてしまいますわね」
マリアは静かに語り出してくれた、《《あの日の出来事》》の一部始終を。




