第5話 すごいよ!お祖父ちゃん
あの日以来、リハビリから清拭、そして食事という流れが、マリアとの共通の日課となっていた。
マリアの献身的なマッサージは、リハビリの回復過程を飛躍的に高めていった。
「今日は自分で食事をとってみるよ」
俺はマリアからお膳を受け取ろうとしたが、思ったほど力が入らず傾けてしまった。
マリアは俺がやらかすのを分かってたみたいに、手際よく支えてくれた。
「いくらお兄様でも、一足飛びにあれもこれもって、出来る訳ありませんわ」
マリアはちょっと拗ねた表情で、珍しくちょっと怒って見せた。
「そうだったな。“りはーびり”はマリアと一緒にやっているんだもんな。じゃあ今日は、どこまで“りはーびり”してみようか?」
俺はもう十分すぎるほど、マリアを巻き込んでいることに改めて気づかされた。
マリアは真剣な表情で、口元に手をあてながら考えて言った。
「今日はお兄様が、匙でお粥を掬うところから始めましょう」
俺は頷いて、マリアから匙を受け取った。
指先にも力が入るようになったと思ったので、先程無茶をやらかしてしまったのだが、水平に持つことが思いのほか大変だった。
指に力を入れすぎると、木製の匙はくるんっと一回転して、床に落ちてしまった。
「ハハハハハハハハ…」
照れ笑いでごまかしつつ、今度は力の配分に気を付けて再度チャレンジする。
匙を器に入れて、お粥を載せて戻すだけ…そうは分かっていても、その動作は我ながらぎこちない。
お粥を掬うと、その分重量が重くなって、掬ったお粥は匙に均一に乗ってもいない。
それでも慎重に口元へ運び、最後はつい口のほうを匙に近づけて、多少強引にお粥を口に頬張った。
パチパチパチパチパチパチパチパチ!
マリアがすごい勢いで拍手してきた。
「凄いですわ、お兄様」
(うーん、さすがに凄くはないだろう…)
そんな気恥ずかしさが過ぎりながらも、先程までの力加減は、本当にきつかったのも事実だったと思い返した。
すると、すっとお粥の器をマリアは取り上げてしまった。
「はいっ、今日のお兄様の“りはーびり”はここまでです。これ以上続けていては、せっかくのお粥が冷め切ってしまいますわ」
言われて、匙一杯の食事に時間を掛け過ぎていたことに、改めて気付かされた。
腕も心なしか、プルプルと小刻みに震えている。
「ここからはいつも通り、わたしが食べさせて差し上げますわ。お兄様、はいあ~ん…」
全く!そのネタどこで仕入れてきたのやら…。
「ご馳走様でした」
最後は両手を合わせて、食事を終えた。
その後は、ようやくお楽しみのマリアとのお喋りタイムだ。
ここら辺で、この国の成り立ちについて触れてみたいと思う…っと言うのも、マリアもさすがに歴史の話は詳しくなかったからだ。
「次のお話までに調べてきますわ!」
マリアが分からなかったことが有る度に、律儀にふんすっ!と意気込んで、調べてきてくれたからに他ならない。
断片的に集まってきた情報が、ようやく多少は形になってきたっていうところだ。
どうやらウシ國建国の由来は、『牛国』で間違いないらしい。
元々は代々この辺りの邑を治めてきた一族だったが、数十年前に大きな戦争が起きたそうだ。
倭国全域に亘って、ヤマヰ國連合とイズモ國連合が衝突してしまったため、戦火は全国に及んだ。
更に両陣営とも連合とは名ばかりで、一部では内戦化した地域もあったそうだ。
その戦争で一族を纏めて参戦したのが、先代の王…つまり『お祖父ちゃん』だった。
お祖父ちゃんは各地を転戦して、戦争でも活躍したそうだ。
そして最大の功績となるのが、当時は秋津洲…いわゆる本州にしか生息していなかった牛を戦利品として、大量に鹵獲してきたことに由る。
お祖父ちゃんは常々、邑や民を豊かにすることに心血を注いできたらしい。
だから当初は、戦争自体に大反対だったそうだ。
それでも戦争に参加したのは、自らの邑が戦火に巻き込まれないように、予め敵国の要衝を狙い撃つように、出陣したからだそうだ。
そのため一族を始めとして、兵士達一人一人が作戦の意義を共有していたため、戦意は常に高揚していた。
また戦術も巧みであったため、戦は連戦連勝で、味方の被害も極めて軽微の内に進めることが出来た。
とある作戦では敵国の牛を使って、相手の戦線を崩壊に追い込んだことがあったそうだ。
お祖父ちゃんは、敗走する敵軍を追撃することはせずに、作戦に使った牛を再度集めて鹵獲した。
そして多数の牛を引き連れて、堂々と帰国の途に就いたそうだ。
そうして自国の安全を図ることに成功すると、それ以上は戦果を求めることもなしに戦争は終結した。
すると今度は邑の耕作に、牛を積極的に利用し始めた。
元々水利は良いが、荒れていたために放置されていた土地を中心に、牛を使って積極的に大規模な開墾をした。
すると数年で、邑も民も豊かになった。
そして予てから構想を進めていた、牛を飼育する『畜産』の原型に着手していったそうだ。
それが噂になって、周辺国に伝わると人口の流入が始まった。
当然、先住者と流入者との蟠りは深かった。
そこでお祖父ちゃんは、私闘の一切を禁止する御触れを出した。
更に新たに流入してきた者たちには、一定の賦役を課すだけで、未開拓の土地と牛を無償で貸し与えた。
すると10年も経ったころには、もはや邑って規模を大きく超えていたそうだ。
しかしその反面で、牛の重要性に目をつける野盗や周辺国が続出し始めた。
こうした外敵対策にも、お祖父ちゃんは抜かりがなかった。
流入してきた住民の賦役に、警邏や兵役を課したのだ。
また牛舎や集落の周りには、牛を使って堀を巡らし、要衝には水城を築いていった結果、気が付けば軍事的にも強国の仲間入りをしていたのだ。
これだけの下地を作ったうえで、友好的な有力豪族にのみ、牛の貸与をして、国益を着実に積み上げていった。
そんなお祖父ちゃんの真に凄いところは、牛の所有自体を既得権益として、他国に対して牛の貸与以上の便宜は一切行わなかったことだ。
そんな頑なな一面がみられる中、ヤマヰ国を宗主国として臣従することには、一切の躊躇いがなかったそうだ。
「邑と民が豊かならば、それで良し」
それがお祖父ちゃんの一貫した姿勢だったそうだ。
ヤマヰ国からは、『ウシ國』の国号と国王であることを示す、『ヒコ』を名乗ることを認められた。
それは臣下の礼を示したことを意味するのだが、あまり気にもしてなかったと伝えられる。
ところで当初から“お祖父ちゃん”と呼んでいるが、名前が気になるところである。
父王も名前があったかどうかも知らないそうである。
そもそも、この邑の族長は、代々“ヒコ”を襲名していたので、今更“ヒコ”と名乗れるようになったところで何も変わらない。
「ヒコヒコ?煩わしい!」
寧ろ面倒だってことで、単に“ヒコ”と称し通したそうだ。
やっぱり凄い人だな!お祖父ちゃん。