第三十話 ミノタロという異母兄
因みに、この時代にもちゃんとした履物が有る。
木製のソールになめし革を取り付けたものが、割と一般的に使われている。
庭を散策するならサンダル感覚で使えるので、かなり使い勝手がいい。
外出時には、藁で編んだ襷みたいな物を、木製のソールごと足に結んでしまうと履物が脱げづらくなる。
しかし本日は夜明けから歩行練習を始めるために、松葉杖を使いながら《《素足》》で降りていく。
足の裏の肌感覚が、歩行の練習に不可欠だと考えているからだ。
秋も深まりつつあるため、早朝の庭土はひんやりと冷たい。
(転生したあの日から、二ヶ月間か……比較のしようがないから分からないけど、順調に回復してるのだろうか?)
昨日の不様な練習結果を思い出すと、不安が頭を過ぎる。
あと数ヶ月で歩行の目途が立たなければ、ミノタロが元服の儀を取り行った後に、一大府への出仕を命じられてしまうかも知れない。
平行棒にたどり着くと早速、昨日のように右手から棒を握りしめた。
左手の方は握っているだけで、十分に握力が伝わっていない気がする。
前回は右半身の力に、頼り過ぎていた。
室内での鍛錬でも、念入りに左の筋肉を付けるべく四苦八苦している。
なるべく体の重心を中心に整えて、目線を前方に向けて、胸を張るように右足を出した。
(昨日は足元を気にするあまり、前屈みになり過ぎてたんだ。だから左足より前に足が踏み出せなかったに違いない)
そんな事前に済ませていた、脳内シュミレーションの結果である。
歩幅は小さめに、左の足を前に引きずる様に踏み出す。
やっぱりシッカリと地面を踏みしめる感覚がしない。
膝を滑らかに持ち上げられる様に、左大腿筋の筋トレメニューも取り入れるようにした。
しかし一朝一夕に筋肉が付いている訳も無く、相変わらず左足を前に引き摺るのが精一杯であった。
ついつい足元が気になって前屈みになってることを思い出して、改めて姿勢を整えた。
萎縮しがちな気持ちを振り払って、右足をさらに前に踏みしめる。
(やった!成功だ。三歩まで進めたぞ……)
そんな思いも束の間、直ぐにバランスを崩して平行棒にしがみ付くように膝を崩してしまった。
なにが悪かったのか分からないまま、また一からやり直す。
何度目かの転倒の折に、再びあの牛の彫刻が目に入った。
本当に写実的に彫り込まれた牛は、彫刻の中では活き活き歩みを進めているような躍動感を想起させる。
俺は暫らく目を閉じて、再度チャレンジしようと体勢を起こすと、向こうから異母兄のミノタロがやって来るのが見えた。
お互いに目が合うと、何気なく会釈を交わして、それぞれが自分の鍛錬を始めた。
何度か以前の部屋にお見舞いに来てくれたが、こうして庭で会うのは初めてだ。
(きっと毎朝欠かさずに、鍛錬を続けてるんだろうなぁ……)
ミノタロは、デヲシヒコによく似ていると思った。
その恵まれた体格に鍛えられた筋肉、そして全身に隈なく入れられた刺青。
まだ髭を蓄える年齢ではないが、父王のように立派な髭を蓄える様になったら、今後は益々デヲシヒコに似ていくことだろうと思った。
片手には青銅の剣を携え、俺のリハビリの傍らで素振りの鍛錬を始めた。
やはり毎日の鍛錬なのか、その太刀筋は綺麗に体重が乗っていて、一振り一振りが重そうだ。
俺も負けていられないと歩行練習を続けるのだが、二歩三歩と進むたびに踉めいて手擦りにしがみ付く羽目になる。
最初は見て見ぬふりをしていたミノタロだったが、途中で剣の素振りを止めるとこちらに近づいて来た。
(歩行訓練を手伝ってくれるのかな?やっぱり異母兄弟。いいところが有るな)
そんな風に思っていたのだが、手に持っていた剣をこちらに向けて言った。
「ヲシリ殿、歩く練習などよりも、剣を振る練習をするほうが大事ですぞ」
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(どういう理屈なんだろう?)
俺が戸惑っていると、ミノタロは手にしていた剣の柄を突き付けて言った。
「我は剣も振れぬような者が家督を継ぐなど、断じて認めませんぞ!」
そして俺が手に取れるように、青銅の剣を傍らに立て掛けていた。
(あぁ、やっぱり嫡子、庶子で後継者が選ばれるのが気に入らないんだろうなぁ)
既にミノタロこそが後継者に内定してる事を伝えたいと思ったが、デヲシヒコからの王命で話せないことが歯痒かった。
「ハハハハ……ミノタロ様も無茶を仰る。逆に歩けるようになってからでなければ、そもそも剣を握ることも出来ませんよ」
この険悪なムードを躱すように、やんわりと断ったつもりだった。
「ミノタロ様? 今まで“様”付けで呼ばれたことなど、有りませんでしたな」
こちらを不審そうにジロリと睨み付けてきた。
「あ、あぁミノタロ《《兄》》様と申し上げた心算だったのですが……。ご存じの通り、我は会話も徐々に回復に努めているうえに、記憶もだいぶ曖昧なところが残ってます」
(ちょっと言い訳として厳しいかな?)
俺は付け加えるように話を続けた。
「それに兄様は間もなく元服されると聞いております。元服後は大夫として、国務にお忙しくなるでしょう。その残された時間だけでも、兄弟としての善き思い出となればと存じております」
(王族は元服を迎えると、みんな大夫になるって言ってたよな。大夫って何らかの国務大臣のことだから、正式に王の臣下になっちゃうんだよなぁ)
しかし元服を前にミノタロの言動が、良くない方向に向かっていることに不安を覚えていた。
(まぁ反抗期ってことなら、年相応に真っ只中で一過性のことなんだろうけど……)
俺は何やら、胸騒ぎのような感覚を抱いていた。




