第19話 暗殺者の思惑
明け方にようやく、眠りについた。
もちろん“寝室の間”では、あまりに危険で刺激的な記憶が強すぎるため、布団を主室に移して横になった。
何だか、以前の狭い六畳の部屋が懐かしく感じた。
(懐かしいも何も、昨日まで使ってたのだが…)
俺はまた目の前で死人が出てしまったことに、強いショックを受けていた。
しかも今回は明らかに、俺自身が標的だった。
(もしも?部屋に戻って“あの食事”に手を付けていたら…。今頃は一体どうなっていたのだろう…)
自分が死神の吐息を、紙一重のところで躱せたという事実を噛みしめながらも、さすがの疲労感に深い眠りに落ちていった。
(きっと夢の中なのだろう…)
食事の御膳の蓋を開くと、大きな毒蛇が鎌首を持ち上げてきた。
慌てて後ろずさると背後には死んだはずのロイロトとかいう侍従が横笛を吹きながら、その身に毒蛇を身に纏っている。
身を翻して這うように逃げようとすると、あのサグメとかいう狂気の巫女が高笑いをしつつ、行く手を阻んでいた…。
「…若王様…」
どこからか、俺を呼ぶ声が聞こえる。
「若王様、起きておいでですか?ヲシリ様…」
どこからか、俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ヲシリ様、ご無事ですか!」
俺は急激に現実に引き戻されて、目を覚ました。
「カラスか?今起きた。入ってくれ」
気が付くと全身汗だくであった、昨日の鍛錬からか筋肉痛もひどい。
入室したカラスは、俺の状態を見て取ると清拭の準備を始めた。
俺は渡された手拭いで、顔から上半身に掛けて身体の汗を拭った。
カラスは心配気な表情を隠そうともせずに、話を切り出した。
「今はちょうどお昼になります。食事の用意も出来ておりますが…如何なさいますか?」
俺は昨日から何も食事を摂っていないことを思い出して、食事の支度をお願いした。
食事が運ばれてくると、夢の中の毒蛇を思い出して、御膳の蓋を取るのを一瞬躊躇した。
しかし一旦、蓋を開けて暖か気な湯気が鼻孔を擽ると、一気に空腹感から食事に手が伸びていた。
(ご飯の米が美っ味ぁ。新米かなぁ…)
人間とは欲望の権化である。
あれ程の恐怖心を味合わされた後だというのに、美味しく食事が喉を通る。
お替りまでして食事を摂り終わると、再び睡魔に襲われかけた。
しかし、先ずはカラスの報告を聞かなければならない。
俺は報告を受ける者として、居ずまいを正した。
カラスも承知していたかの様に、昨夜の報告を始めた。
「先ずは昨日逃げた侍従の名は『ワザヲキ』と申します。10年以上当家に仕えており、年齢は45歳になります。直ぐに後を追わせておりますが、夜陰に紛れて足取りも掴めておりません。但し顔や素性を知る者も多いので、必ずや捕縛して見せまする」
死んだ旧友だった専属侍従“カシハデ”を思っているのか、誓うように報告を続けた。
「あの部屋付きの侍従を騙って死んだ暗殺者でございますが…“ロイロト”とは偽名の様です。身寄りなども架空の者を偽っておりました。恐らくは全て、侍従の“ワザヲキ”が事前に用意してあったものと存じます。更には先週雇ったばかりとのことで、侍従の“ワザヲキ”に見習いとして預けられておりました」
そこでカラスは一呼吸を置き、続けて報告した。
「またお食事の御膳からも毒が検出されました。王も今回の事態を重く捉えておられまして、若王様の体調が戻りましたら、改めて“王の間”で会議を行いたいとの意向でした」
俺は身支度を始めながら、カラスに答えた。
「それでは、これから父王にお会いしよう」
するとカラスは首を大きく振って、俺に対して諫めるように言った。
「若王様、さすがにご負担が過ぎます。あまりご無理を重ねられては、お身体の方が持ちません。まずはご養生を優先なさいませ」
(確かにカラスさんの言う通り、いま会議に参加しても全く頭が働く気がしない。しかし…)
「カラスの助言はありがたいが、まずは父王の意向も確認したい。頼むから会議の予定を訊いてきてくれないか?」
カラスは更に何かを口にしかけたが、深く頷きデヲシヒコの元に向かって退室した。
俺は考えるべきことが多過ぎることにウンザリしながらも、それを判断付ける材料が少な過ぎることにも頭を悩ませていた。
宮に仕えるベテランの侍従が、何故俺の命を狙ったのか?
俺の命を狙って、誰がどういう利益を得られるのか?
この件にも、山依國が関わっているのだろうか?
尽きない疑問符の山で、脳内が飽和状態になっていくのが良く分かる。
(やはりカラスさんの言う通りに、本当は養生とリハビリに専念すべきなんだろうなぁ…)
そんな止めどもない思考の渦に囚われていると、不意に扉の外から優しい響きが届いた。
「お兄様、今入ってもよろしいでしょうか?」
声の主は妹のマリアだった。
俺は昨日の引越しの折に、マリアに部屋に来ても良いと約束していた事を思い出した。
「勿論だよ。お入りマリア…。だけどゆっくりは出来ないかも知れないんだ」
入室してきたマリアに、残念な思いでそう声を掛けた。
すると意外な言葉を、マリアから聞くことになった。
「先程になって、今朝の出来事をマリアも耳にしましたわ。これから、お兄様と一緒に“王族会議”に参加させて頂きます。実は父王の許諾も得ていますわ。さあ参りましょう」
そんなやり取りをしている内に、カラスさんが戻って来た。
どうやらデヲシヒコの準備も整ったらしい。
俺は松葉杖を手に、三人で“王の間”に向かうこととなった。
“王の間”では上座にデヲシヒコ、脇のいつもの位置に俺が座り、向かいの座にマリア、下座にカラスの並びとなった。
デヲシヒコから始めに声が掛かった。
「今日の王族会議はマリアの発議である。しかし我もちょうど同じ様に考えていたところであった」
そこで一旦言葉を途切ると、俺の方に向き直り言葉を繋いだ。
「まずは若王ヲシリよ。我から詫びねばならん。すまなかった」
あの巨躯のデヲシヒコが頭を下げた。
(…って、ここには臣下のカラスさんも同席なのに、頭なんか下げちゃダメじゃん!)
俺は慌てて、デヲシヒコに向かって言った。
「頭をお上げください。我には父王に謝られることなど、全く在りませんので」
本当に何で謝られているんだろう?って想いも強かった。
デヲシヒコが頭を上げると、反省気味に説明を始めた。
「謝罪とは二つの事に関してじゃ。一つ目は其方に下賜した部屋であるが、元々先代のヒコ様が私室として、愛用していた部屋なのは伝えてあったの。十年前になるのかの…あの寝室で先代のヒコ様は息をお引き取りになった。前日までお元気にされて居ったのにじゃ。我も急報に駆け付けたのじゃが、先代のヒコ様は虫の息で告げたのじゃ…“まだらの紐”と」
一息入れて、デヲシヒコは改めて話を続けた。
「当時、先代のヒコ様にお仕えていた侍従は『心の腑が弱くなったのでしょう』とか抜かしておったが…今なら分かる。何しろ今回失踪した侍従だったのじゃからな。あの時の“まだらの紐”という言葉も、死を前にした譫言などでは無かったのじゃ!」
そして、俺を見遣りながら言った。
「二つ目はあの様な卑劣な暗殺者を、今日まで放置しておったことよ。危うくヲシリまで失ってしまうところであった」
そして自らの拳を床に叩きつけた。
すると下座に控えていたカラスが、深々と平伏して奏上した。
「此度の失態は、永く侍従長としてお仕えしておりました、某こそ罰せられるべきと存じます」
デヲシヒコは侍従長カラスの言を制すと、自戒の念を込めて言った。
「我はカラスを便利に使い過ぎておった。先代のヒコ様がお亡くなりになった折も、他国への親書を託されていたのであったな。そして先代の王命を果たして戻った頃には、葬儀も粗方が終わっていた」
下座に控えるカラスは、今度は俺の方に向き直り話を続けた。
「若王様にはご記憶に無いかも知れませんが、これまで某めが専属の侍従を務めて参りました。マリア様が側付きになられた折に、一時的に侍従長の任に戻っておりましたが、此度の任命には何をおいても専属侍従の任に復するべきでした」
すると向かいに座っていたマリアが、デヲシヒコに奏上した。
「やはりマリアが側付きの任を引き継ぐべきでしたわ。あのお部屋の広さなら、寝食共にお世話できますから一番の適任ですわ。それにマリアでしたらお兄様に対して、不敬にも不義にも当たりません」
三者三様の発言を聞きながら、俺は今回の話の争点はそんな事じゃないと考えて、改めてデヲシヒコに奏上した。
「父王の謝罪は勿体なくも承りました。マリアやカラスの意向も良く分かりました。しかし本来話し合うべきは、今回誰が責を負うか?ではございません。専属の侍従を誰にするか?でもありません」
俺は三者に向かって訊いた。
「何故に今頃になって、我の命が狙われたのか?なにか心当たりはございませんか」
皆がお互いの顔を見合わせては、深く考え込んでしまった。
「皆が存じておりますように、我には記憶がありません。しかし暗殺は、先代の王に対して行われていた方法と人物が一致しているのです。そこには何らかの関連性があるに違いないと考えております」
再度、三様の表情で考え込むのを確認しながら、本題を切り出した。
「そして肝心なのは先代の王が暗殺されてから、10年もの間を何もしてこなかった事です。それでは彼らはその間は何をしていたのでしょうか?どうして今になって我の暗殺に踏み切ったのでしょうか?」
俺は前置きをしつつ、意見を述べた。
「あくまでも仮定の域に過ぎないのですが、今回の暗殺は社の処遇に、深く関与していると推察しております」
そして一つづつ説明し始めた。
「我がこの三人の前以外で行動したのは、二回だけだと思います。一つは、社の制圧を指揮したこと。そしてもう一つは、二人の巫女を摘発したことです」
俺は深く推察しながら、説明を続けた。
「もちろん侍従が二人の縁者ならば復讐の可能性も否定できませんが、先代の王の暗殺には繋がるとは思えません。何故なら二人の巫女が社主に任命されたのは、ここ数年の内と考えられるからです」
デヲシヒコは深く頷きながら呟いた。
「だから社に起因しておるのじゃな」
俺も肯定の意を示しつつ、仮説を話し続けた。
「あとは動機です。侍従が“日の神”信仰の熱狂的な信者であったか?或いは…山依國からの諜報員として、宮に潜り込んでいたのか?そこから先を考察するには判断する材料が乏しすぎます」
侍従長カラスからは、次のように奏上が上がった。
「某から申し上げるに、彼の侍従は社建立の後に仕官したと存じております。併せて申し上げるに、先代の王から託された任は、廃社に及んだ国への経緯の確認と親書の取り交わしでございました。親書に関しましては、ちょうど代替わりされた王にお渡しした次第です」
俺は確認する様に、デヲシヒコに訊いた。
「確か十年前には、先代の王が宇志國に牛の神話体系を作ろうとしていた頃では在りませんか?そのため我の名前も“牛利”と名付けられたと記憶しております」
デヲシヒコは重々しく、頷いて答えた。
「ヲシリの申す通りじゃのお。先代のヒコ様が出された親書ヘの返書にも、社を廃社した折に注意すベきことや、國神の信仰に変更する折の山依國への対応などが記されておった。当時の我には、今一つ理解が及ばない内容であったと記憶しておるの」
その後、各々で情報の共有がなされた。