第15話 秋風のロンド
デヲシヒコの言葉に“王族会議”と言う重々しい響きから、家族の暖かみを感じていた。
(この暖かさが家族にあれば、俺の存在なんて将来的には邪魔にしかならないよな)
俺がこの世界に転生して、何らかの役割を果たさなければならないといった責任感は、国家の陰謀という大きな力量の下では、いかに無力であるかを改めて思い知らされた。
それと同時に、未だに転生者が起こしかねない歴史の因果関係にも留意し続けなければならない。
いづれにしても、俺は最良のタイミングでこの穏やかな暮らしを手放して、この宇志國からは距離を置くのが最良に違いない。
本来なら、ヲシリの人生はあの日に終わりを迎えていた筈なのだから。
“王の間”には暫らくは、家族らしい空気が流れていた。
そんな中で遠慮がちにではあるが、下座からカラスの声が掛けられた。
「恐れながら、先日の会議での預かり物はいかが致しましょうか?」
デヲシヒコは膝をハタと打って、頭を掻きながら言った。
「そうじゃった。大事なことを忘れておったのう。カラスよ、例の物をもて!」
カラスは俺とは反対側を通り、恭しく黒い漆塗りの盆をデヲシヒコに差し出した。
デヲシヒコは俺に向かって、悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
「ヲシリよ。先日の会議の終了後に、山依國の宗守から書状を託されておった。我には検閲の努めもあるのじゃが、どうするかの?」
俺は敢えてご随意にどうぞと、この茶番劇をスルーした。
(あのウズメさんが、検閲の可能性を失念する訳ないもんな…)
デヲシヒコはこちらを揶揄うように、書状を手に取り出すと一々説明し出した。
「ほう。これは中々に上質な紙が使われておるのう。一日経つと云うのに焚き染められた香は上品に残っておる。きっと高級品なのであろうな。それに御神札のように、丁寧に添え紙も巻かれて居る」
(え?まさか…)
俺は最後の言葉に引き寄せられるように、書状に目を遣った。
(ひょっとして、この書状に秘策でも書かれているのではないか?あの符牒を使って…)
慌てて書状を手にしたいと思ったが、隣に控えるカラスが残念なものを見るかのように、静かに首を振っていた。
(カラスさんが既に開封済みってことか…符牒も知ってるはずだし、思わせぶりな社交的書状ってことなんだろう)
そう思っていると、デヲシヒコはニヤリと笑みを湛えつつ、黒盆ごと俺に手渡してくれた。
俺は敢えて儀礼的に、恭しくその書状を受け取った。
書状は一目では開封した後など、まったく見受けられなかったが、その添え紙が三つ折りに包まれていることだけは見て取れた。
(部屋に戻ってから、改めて読んでおくか)
そうして、俺の転生から始まった“山門國の陰謀”に、終止符が打たれると共に“王族会議”も終了した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
“王の間”から帰る道程で、屋敷と屋敷とを繋げる回廊に立ち止まると、既に季節は秋に差し掛かっていた。
遠く見える山々の山頂付近は、所々紅葉が色づき始め、庭の草木も秋の装いに移り替わりつつあった。
俺は肩を貸してもらっている、カラスに尋ねてみた。
「我はあの厄災以来、なにか変わって見えるかな?」
カラスは長年仕えてきたのであろう、気安げな微笑みを湛えて答えた。
「ヲシリ様は、御幼少の頃から“今”に至るまで、特異な御方にでございます。慣習の刺青についても、施すのを大変嫌がっておいでで、王族の証ということで10歳の折に、それは贅を掛けた刺青を胸にだけ、お入れになったのです」
カラスは自らの腕に施された刺青を見遣りながら、穏やかに続けた。
「ヲシリ様は大陸の使節にも、積極的に面会されておりました。そして“形ばかりの風習”は、いずれ廃れると、いつも申しておりました」
そして俺に目を遣りながら、話を続けた。
「ヲシリ様は厄災と申されましたが、某には天啓に見受けられました。それと…話し難くいようでしたら“我”でなく“俺”と申してください」
(今までカラスさんは、本当の意味で俺の事を全部知っていたんだな)
これまで俺は意識的に、デヲシヒコと二人の時以外では“俺”ではなくて“我”と称してきた。
(だって、ここは倭国なんだから仕方ないじゃん!)
そんな思いを強く、持ち続けていた。
それに、以前のヲシリが築いていた人生を、根底から俺のものとするのは、何か違うように考えていた…いや、思い込んでいた。
俺はカラスに向かって、訊いてみた。
「あの落雷後から俺と以前のヲシリとでは、何かしら違って見えないか?」
カラスは優し気な口調で答えてくれた。
「以前のヲシリ様も、年齢不相応に聡明でいらっしゃいました。そうしたところは全くお変わりありません。きっと“今”は更にご成長されていらっしゃるのでしょう。そして某も、いづれ“オレ”などと自らのことを称すようになるのかも知れませんな」
珍しく初老の侍従長は、小声で笑って見せた。
秋風が庭を駆け抜けていく、彩り豊かな季節の草花が踊るように揺れている。
俺はその光景を見終えると、カラスの肩に力を入れながら声を掛けた。
「カラスよ、そろそろ部屋に戻ろうか」
二人は肩を並べながら、回廊を再び進み出した。
私室に戻ると、先程の書状に目を遣った。
確かに厚手の高級そうな紙からは、高級そうな香と柑橘系の香りが微かに残っていた。
俺は、ゆっくりと添え紙の包みを解いていく。
包みはあの日、社で俺が引いた符牒と同じ三つ折りだ。
ゆっくり書状を広げると、そこには流麗な文字で次のように書かれていた。
彌呼宇受女
(みこうずめ)
斯巴支利支觚都
(しはしりしこと)
丹年之呼奴
(にとせのこと)
御子宇斯利謨
(みこをしりも)
多委泄委難利汀
(たいせいなりて)
伊對馬難利須
(いつまなりす)
この表韻文字を思いっ切り現代風に直すとこうなる。
「巫女の宇受女は、暫らく離れることになりました。長年のことになるでしょう。御子のヲシリ殿も、大成なさっていくことでしょう。いつの間になるでしょうか」
(うん、大分意訳し過ぎてビミョーだけど。普通にお別れの挨拶文だな…しかし符牒を使って、実際の内容は三文字ごとに拾うんだっけ)
宇斯利都乃御斯多委汀馬須
(をしりとのみしたいてます)
これも、表韻文字に直すと。
「ヲシリ殿身慕いてます」
(“慕い”って…符牒のほうが、告白みたいじゃないか!)
“王の間”でカラスが、残念なものを見たとばかりに首を振る姿を思い出していた。
俺は脇に広げた添え紙に目を向けていた。
(なんか、この三つ折りってところが気になるんがよな…)
あのウズメのことだ、まったく同じ様式の書状を預ける…ってところに違和感を感じていた。
それにこの添え紙も、あの時のようにシッカリした物を使っていた。
(ん?柑橘系の香り?)
俺は再度、書状と添え紙の二枚の紙から漂う香りを交互に嗅ぎ分けてみた。
書状からは本来の上質な香が多く香っており、添え紙の方からは柑橘系の香りが染み付いていた。
俺の脳裏には、ウズメの茶目っ気タップリな姿が思い浮かんでいた。
そろそろ、夜の帳が降りかけて、室内も大分暗くなっていた。
普段めったに使わない灯りに、火を燈した。
近頃は、夜と言えば真っ暗闇が当たり前に慣れてきたので、久々の光源はひどく明るく感じた。
だが、本命は明かりの方じゃない。
俺は添え紙の方を、火に炙ってみた。
すると、指先で書かれたような文字が浮かび上がってきた。
(ここにきて、ようやくオーソドックスな炙り出しの技法が、日の目を見るのか!炙っちゃったら、さすがに親書を盗み見たのが、バレバレだもんなぁ…)
俺は正直、浮かびあがった文字を見て驚いた。
二七、八、十一、二二、十九、七、九、二六、二九、二八。
(…って言うことは、十文字か)
俺は書状を見比べながら、一文字づつ拾っていく。
するとこんな文章が浮かび出てきた。
伊都之泄謨觚丹汀馬對
(いとのせもこにてまつ)
つまり、『伊都國の接問処にて待つ』だ!
接問処とは、外交・裁判関係の役所のことだ。
一大府に属する役所である。
ウズメにとって、俺の選択する行動なんて、お見通しって言われている気がした。
(ウズメさんはそもそも、山依國の脅迫じみた要求も、きっと不本意だったんだろうな)
俺は一息溜め息を吐くと、改めて書状を見返してみた。
(なるほど、丹年《にと(し)》は長い意味ではなくて、具体的に“二年後”と読むべきなのだろうか?)
確かに二年後に元服の儀を行っていてもおかしくはない。
それにしても元服の暁に会いましょうとは、随分と気の長いデートの約束である。
(これが俺の選択肢が正しかったという、証左になれば良いのだけれども…。やっぱり俺の行動って、単純で推測しやすいのかなぁ…)
それでも、伊都国でウズメさんが待ってるっていう、国外での大人のアバンチュールを期待させる…等と、色っぽい話ではないのだろう。
寧ろ危険が多い中へ飛び込んで行くのを、陰からフォローするって話のように感じる。
(それとも山依國の陰謀が、彼の地で計画されてる?または既に始まっているのかも知れない…)
俺はそこまで考えると、秋に備えて部屋の片隅に運び込まれていた、火鉢を引き出し、中に火を焚べた。
そして白灰の上に敷かれた炭が赤みを帯びてくると、炙り出しに使った添え紙をそのまま火鉢の中に放り込んだ。
赤黒い着火点はあっという間に、炎を纏ってひと挿し舞ったかと思うと、直ぐに真っ黒く燃えて小さな灰の塊となった。
燃えカスは、白灰に掻き混ぜると跡形も無くなった。
そして転生以来、息も吐かせぬ程の“山門國の陰謀”と、その裏に潜んでいた“山依國の策謀”のイベントに、思いを馳せるのであった。