第14話 得るもの。失うもの。
自分の名付けの由来を聞かされて、深い意味合いが込められていたことに深い感慨を受けていた。
デヲシヒコは俺のそんな様子に、満足気に何度も頷いている様であった。
「そこで若王ヲシリよ。他に訊きたいことは在るか?」
俺はこの話だけで十分にも感じていたが、先日の会議についても今の内に訊いて於いたほうが良いと思い、率直に訊いてみた。
デヲシヒコは会議の経緯を説明してくれた。
「ヲシリも此度の陰謀が、どういう経緯で起こったかは聞いておるの?」
下座に控える、侍従長のカラスを見遣りながら尋ねてきた。
(やっぱり、ウズメさんとの別れの遣り取りは、筒抜けだったんだな。まぁウズメさんも知ってて、話してたんだろうからな…)
公人のプライバシーが無いことに、残念さを滲ませながらも、質問には肯定して頷いた。
「基本的には山門國の陰謀が露見したということで、この件は終わりとなった。もちろん宇志國にもお咎めなしじゃ。嫌疑は全てヲシリが晴らしてくれたからの」
デヲシヒコは、俺を頼もしげに見詰めていた。
「しかし宇志國に置かれた社の件については、かなり揉めてのう。当然廃社となると考えておったのじゃが、新たに赴任する巫女達は信頼のおける者を厳選するので、社を残す様に迫って来たのじゃ」
デヲシヒコは憎々しげに語った。
「しかし今回の一件で“日の神”信仰が、山依國への忠誠を浸透させて、巫女達は実質的な諜報員であることが、明白になったのではありませんか?」
俺は率直に、社の本来的な危険性を指摘した。
デヲシヒコは大きく頷くと、話を続けた。
「所詮は山依國連合の盟友国とは名ばかり、宇志國の国号も含めて、我らはあくまで属国ということよ!」
珍しく苦々しげに吐き捨てるように言って、一息付くと更に先を続けた。
「山依國は社の存続を認めなければ、数年の内に宇志國の御子を、一大府に出仕するように求めて来おった。ヲシリも知っていようが、一大府は山依國直属の軍事および外交の役所じゃ。元々の対外的な防備の役割の他にも、伊都國の従属化を確かにする策謀も担って居る。その様な処への出仕は、態の良い“人質”を出せと迫っているのだ」
デヲシヒコはいつもの八束髭を撫でつけながら、悔し気に一旦言葉を区切った。
俺はデヲシヒコの思案気な表情を見詰めながら、タイミングを見計らって言葉を掛けた。
「そこで父王は、この取引にどの様に対応するお積りですか?」
デヲシヒコは暫し沈思黙考していたが、やがて結論を出すように口を開いた。
「やはり激して敵対しても、亡国の憂き目を見よう。しかし此度の件を看過する訳にもいかん。ましてや廃社の好機を逃すのも得策では無い」
「今年にはミノタロも15歳となり、元服の儀を執り行う。その後に一大府に出仕させるつもりじゃ」
苦渋に満ちた内心を示すかのように、その固く握られた手をブルブルと震わせていた。
俺はその震える手を見詰めながら、深い思考の闇に沈んでいった。
(山依國連合は、数十年前の大戦では連合内で一部が内戦化したと聞いた。次に出雲國連合との大戦が起きれば、連合間の結束も危ういと感じていて、各国への対応を急いでいるのだろう。多少乱暴な手段を取ろうとも、各国を実質的に支配下に置くまではその手綱を緩めることは無いだろう。例え武力行使に至ろうとも…)
「若王様、若王様…」
下座に座る侍従長のカラスからの声に、我に返って見回すと、二人の視線を集めていることに気が付いた。
デヲシヒコは俺に対して静かに訊いてきた。
「若王ヲシりよ。何か策が有るのかの?」
俺はデヲシヒコに改まって、向き直ると平伏して奏上した。
「父王は以前に、此度の陰謀を見事に解決する献策に対して、我に褒美を取らすと仰いました」
「我は此度の廃社か?人質か?の二択に対しての対抗策を尋ねたのだが…まぁ良い。好きに褒美を取らして進ぜよう。何を所望するのであるか?」
デヲシヒコは不機嫌そうな表情を隠さずに答えた。
俺はデヲシヒコに対して、決意を込めた口調で願い出た。
「我の願いは二つです。一つ目は、庭に面した私室を下賜願いたいこと。もう一つの願いは…元服後に一大府に出仕させて下さい」
デヲシヒコは瞠目したかと思うと、大きく首を振って答えた。
「もちろん、私室に関しては雑作もないことじゃ。しかしヲシリよ、お主は人質の運命を知らんから気軽に申せるのじゃ。それに跡継ぎに関しては、前々から“ヲシリ”とすることに決まっておる。お主は唯一の正嫡子じゃ。元服後は、正式に世継ぎとして“人守”に任じられる。これだけは譲れん」
デヲシヒコは硬い意志を示す様に、俺を見詰めていた。
俺は静かに答えた。
「先程、献策についてお尋ねになられました。それに関しては正直に最善策が浮かびません。しかしながら…より最良の策であるならば申し上げられます」
一旦、言葉を区切って続けて奏上した。
「異母兄様の元服となると、あと数か月後には一大府に出仕せねばなりません。その点に関しては、我であれば出仕を三年後まで伸ばすことが出来ます。山依國も“数年の内”と期限を区切って、我が宇志國に譲歩して見せてはいます。しかし実質的には、直ちに人質を取ろうとする思惑が透けて見えます。そして三年後の事となれば、何が起きているかは誰にも分かりません。少なくとも…山依國の思惑の裏はかけるかと存じます」
俺は一通り献策について述べた後、間を取って改めて説明を続けた。
「今の正室は、『美那彌』お義母様と伺っております。その長子ならば嫡子も同然でしょう。ミノタロ異母兄様が後継者として、“人守”に任じられることは、当然のことかと存じます」
直ぐに意外な反論が返ってきた。
「ヲシリが嫡子ゆえ、マリアを許婚としておるのだ。あの厄災さえ起きなければ、マリアが10歳になった今頃は、正式な婚約の儀を執り行う予定だったのじゃ…」
デヲシヒコも俺の反応を見て、意外そうな表情で訊いてきた。
「ひょっとして、マリアから何も聞かされていないのか?」
(えっ?い・許婚?しかも婚約って?)
「婚約の儀ってどういうことでしょうか?相手は妹のマリアですよね?」
驚きの余り、途中から心の声が大きな声で飛び出していた。
デヲシヒコも頷きながら答えた。
「その通り異母妹であるな。そなたの義母のミナミも正嫡子との縁談とのことで、大いに喜んでおったのじゃぞ。それに正統な王家の血筋を残すことも“人守”の大きな責務であるぞ」
(いや初耳だって、そんな重要なことを今まで誰も教えてくれなかったじゃないか!)
そこで初めて今まで得てきた知識のほとんどが、マリアから聞いたことばかりだったことに気付かされた。
これまで献身的に尽くしてくれたこと全てが、異母兄妹としての家族愛からだと思っていた。
(だけど…俺の心根は三十路のオッサンだ。マリアのことがいくら可愛くても、どうしても娘のように見えてしまう。きっと本来のヲシリだって、愛らしい異母妹としてしか、接してこなかったはず)
そして俺の脳内では、常識的に判断すべきだという考えに満たされていく。
(そもそも現代の倫理観では、10歳の女児相手も異母妹相手の近親婚も、どっちも違法で完全にアウトだ!)
一方で頭の片隅では、まさに悪魔の囁きってやつが細やかな抵抗をしている。
(しかし古代日本に於いては、結婚は適齢期は10代迄で、王家の近親婚だって、そこそこ在ったのもまた事実…)
それでも俺の倫理観から、そんな因習を是とする訳にはいかない。
俺は動揺を抑えようと、大きく深呼吸してから父王に進言した。
「今後、ミナミ義母様が男子をお産みになられたら、その子は嫡子となりますよね。実の兄を差し置いて、年の離れた弟が後継者となるのでしょうか?それは王家の跡目争いの、火種にもなりかねません。義母様が正室になられた以上、ミノタロ異母兄様にこそ、嫡子の権利があると考えます」
併せて、俺は本心からの願いを付け加えた。
「それにマリアだって、狭い王家の世界しか知らずに育ち、余りにも幼過ぎます。マリアには、もっと色々な知識と経験を積ませてから、人生の選択肢を与えてあげたいのです」
デヲシヒコは深く溜息をつくと、問い掛けてきた。
「まずはミノタロの“人守”への就任についてじゃが、それはヲシリが若王の地位を義兄に譲ることとなるのだぞ。王家の御子ではあるが、継承権を譲ることとなる。本当にそれで良いのじゃな?」
俺は深く頷き、肯定の意を示した。
デヲシヒコは親として、言葉を続けた。
「再度問うが、ミノタロが“人守”に就任するということは、正統な王家の血筋も譲るということじゃ。そうなるとマリアとの婚約の儀自体が、必要なくなるぞ。ヲシリよ、本当にそれで良いのか?マリアの本心は良く存じておろうに…」
俺もマリアの本心と言われると、単に頷く訳にはいかないと思った。
しっかりとした考え、誠意を語るべきだ。
「我もいままで支えてくれてきた、マリアの気持ちには応えたいと思います。しかし正統な王家の血統などの縛り付けた考えを一旦、取り払った上でのことです。これからの数年は、マリアにとっても多くを学ぶ時期となるでしょう。その上で自らで立派な判断ができる様になってから、本人の気持ちを最大限に尊重してあげたいと存じます」
俺は存念を申し上げた。
デヲシヒコはいつからか、その太い腕を組みつつ、深く思考を巡らしているように見えた。
暫らくの静寂が“王の間”を包み込んでいた。
やがて重々しい口調で話し出した。
「ヲシリよ、其方の存念は確と聞き届けよう。しかしミノタロが15歳の元服の儀を終えるまでは、他言無用じゃ。これは王命である。そして一度出した結論は二度と覆すことは罷りならん」
一息入れて続けて、付け加えるように命じた。
「但しミノタロの元服の儀までなら、翻意を認めることとする」
デヲシヒコの表情は普段、刺青と顎鬚で覆われていて分かり難いのだが、その時の表情は正に父親のそれであった。