第12話 栄枯盛衰の果て
そして話は、三日後の“謁見の儀”に繋がる。
二人の巫女の召集から始まった一連の出来事は、後味の悪い結果だけを残して終わった。
あの後、午後からは父王と山依國の宗守に侍従長も加わって、会議が行われることになった。
もちろん俺にも参加するように促されたが、体調不良を口実に辞退することを願い出た。
未だに松葉杖を使っても一人では歩けないので、マリアの介添えを受けて私室に戻った。
最初こそは、俺が考えたトリックに興奮冷めやらぬマリアだったが、俺の具合が悪いってことを思い出してか、適当に話を切り上げて、横になる支度を整えてくれた。
「お兄様、今日はお疲れでしょうからお休みください。何かあればいつでもご用を仰ってくださいね」
それだけ言うと、マリアは静かに退室した。
俺は布団に入って横になると、想像以上に疲労が蓄積していることに気が付いた。
眼を閉じると脳裏には…、聴覚情報として“絶叫して息絶えた老巫女の断末魔”。
そして視覚情報として“漆黒の長髪を振り乱し、神御衣を翻して駆け抜ける狂気の巫女”。
そうした脳内情報が果てることなく、グルグルと回転し続けている。
どう言い繕ったところで、二人の人生に関与して、最悪の結果を生じさせてしまった自覚があった。
特に自分が転生者であるため、本来は起こらなかった出来事を引き起こしてしまった責任に悔恨の念が襲い掛かってくるのだ。
(この世界にとって、俺は一体何者なんだ)
答えの無い設問と言い訳に満ちた解答で、頭の中が飽和状態になっていく。
「今頃は会議で、山門國に対する処遇が話し合われているんだろうなぁ」
俺がこの会議に参加するだけで、今度は一国の行く末すらも左右してしまうかも知れない。
そのことが、例えようもなく怖かった。
目蓋を閉じると先程の聴覚情報と視覚情報が、再び容赦なく俺を責め立ててくる。
すると先ほど退室したマリアが、引き戸の外から声を掛けてきた。
「お兄様、お加減の方はいかがですか?実は是非とも面会したいという人物から、取次ぎをお願いされてしまったのですが…」
「一体誰から?」
布団から上体を起こして、軽く身支度を整えていると、引き戸が開いてマリアが入室した。
「お兄様、取り合えずお加減の方はよろしいのですか?」
俺は軽く頷いて見せた。
「面会希望の方は、山依國の宗守を名乗っていた…ウズメ様ですわ」
(今は会いたくない。具合が悪いとでも言い訳すれば…)
「フーッ。これから会うので、マリアも手伝ってはくれないか?」
俺は大きく溜息を漏らすと、感情とは真逆の選択を口にしていた。
それは今一番嫌いな言葉が言い訳だったからに他ならない。
面会の場所は、今日“謁見の儀”に使っていた建物だった。
俺は忌まわしい記憶しかない中央の大広間を横に見遣り、扉一枚隔てて脇に用意されている“控えの間”に入った。
そこには宗守のウズメが、既に着座して待っていた。
俺は一礼して、向かいの席に座って対面した。
「ヲシリ様、本日は本当に申し訳ありませんでした」
対面早々に、宗守のウズメが深々と頭を下げて謝罪していた。
俺は別に謝って貰わなければならないことなんて、思い付けなかった。
だからだろうか?
目の前での謝罪の光景を見ても、なにか他人事のように現実感が伴わずに黙って、ただ見詰めていた。
二人の間に長い沈黙が訪れた。
やがて、宗守のウズメが頭を下げたまま、言葉を続けた。
「軽々しく王族の前で、二人の巫女の処罰などはするべきではありませんでした」
(あぁ、この謝罪ってそういう意味だったのか)
実感のないまま謝罪を聞いても、やはり他人事のようにしか聞こえなかった。
(今一番に考えていることは、俺が転生者であること。そしてこの世界にとって、俺が何者であるのか?と言うことだけだ…)
このまま謝罪を受入れてしまえば、面会も終了だ…だが、やはり空虚な言葉を出すことは躊躇われた。
ようやく宗守のウズメは下げていた頭を上げて、こちらに正対した。
「これからお話しすることは、他言無用に…。いえ、わたくしの独り言です」
そう前置きしてから、ゆっくりと息を整えながら語り出した。
「そもそも今回の出来事は、山依國による身勝手な都合から始まっているのです」
宗守のウズメの話は長く続いた。
そもそも山門國の凋落は、山依國にとってもお荷物でしか無くなっていた。
嘗ては対外的な外交交渉についても、山依國の代理権限が与えられていた。
そうした経緯から、山門國の王である“日子”は、代々山依國の王族の直系血族から、選任されるのが慣例となっていた。
そのため、山門國の処遇についても賛否が分かれた。
そんな折に、山門國の先代の王が他界した。
山依國は王族の内から、弱冠15歳の『稚』を次代の国王である“日子”として任命した。
そして国王の後継にあたる人守には、山門國の中枢で権力を掌握していた、阿遅族の長『志貴高』が就任した。
この場合の人守は、関白にあたるらしい。
志貴高は、娘である『下照姫』を稚日子の正室として嫁がせることで、外戚として国政を専横するようになった。
そうした中で、稚日子の王としての立場は傀儡化していった。
更には山門國の社主として、新たに巫女『探女』を任命した。
元々サグメは、宗守に次ぐ程の地位に在りながらも、私利私欲に駆られたために地位を剝奪された“札付き”の人物であった。
サグメもまた、山依國の“お荷物”だった訳だ。
こうして役者を配した後は、致命的な不祥事を起こすのを待つのみだった。
全ては山依國の思惑の中で、事件や陰謀が起きるのは必然の流れだった。
第一報は、一大府に齎された。
人守の志貴高が、隣国の『三妻國』での王族の相続争いに加担して、家臣の者にライバルの若王を毒矢で暗殺させたという内容であった。
三妻國に新たな王が“彦”に就任すると、志貴高は新たな王の弱みに付け込んで内政にまで深く関与していった。
そういう経緯で憂国に駆られた反体制派から、先の若王暗殺の疑惑が表沙汰にされた。
報告を受けた一大府は本格的に内偵を進めて、王族暗殺の証拠固めを進めていたという。
また時を同じくして宇志國の利権を簒奪する陰謀が、社主のサグメから献策された。
山門國の人守である志貴高は、サグメに対して、成功の暁には宗守の地位と莫大な報酬を約した。
そのころ山依國でも、本格的に山門國の陰謀を解明するため動き出していた。
その任務に白羽の矢が立ったのが“日巫女”の命を受けた、宗守の『宇受売』であった。
そして宇志國を舞台に起こされた、陰謀に関する証拠の確保と、“日の神”に仕える巫女が。、関与していた事実を、葬り去るべく任を与えた。
併せて、二人の社主の口封じも厳命されたのであった。
「…ですから、あの社主の巫女二人に関しては、わたしの手で葬り去らなければならない宿命だったのです」
宗守のウズメから打ち明けられた、告解のような長い話は終わった。
俺はこの一件を聞いて、山依國の王族が支配国に任じられる『日子』と、従属国の王が任じられる『彦』が明確に使い分けられていることを知った。
但し、この一連の流れを聞いてもあまり思うところはなかった。
ただ一点を除けば…。
「今後の山門國と隣国の三妻國の処遇は、どうなるのでしょう?」
宗守のウズメは、ようやく口を開いた俺に向かって、続きを語って聞かせた。
「山門國と三妻國は国号を廃されて、ただの邑となるでしょう。その領土は併合されて、新たに筑紫國の国号となるところまで決まっていますわ」
「いま、山依國では大陸の情勢を推し量っているところなのです。一見落ち着いたように見えてるけどまだ予断を許さない段階のようですの。その間に大規模な都の建設を進めて、大陸に正統なる皇帝の国が生まれた暁には使者を送り、正式に相手の使者を王都に迎える予定で、計画は既に始まっているのよ。その頃には山依國の国号も変わって、新たに『山都國』という新たな国号になると聞いているわ」
(こんな陰謀ですら“國譲り”などと呼べるんだろうか?)
俺は少しだけ憤りの感情を覚えて、つい言葉にしてしまった。
「“日巫女”は国号を山都國に変えたいだけで、こんな回りくどい策謀を巡らしていたんですか?」
宗守のウズメは、静かに頷いて見せただけだった。
それは全ての事件が仕組まれたものであったことを、認めたことに相違ない。
(俺は思い上がっていたのかも知れない。《《転生者》》だからと言って、何かに影響を与える力なんて無いのかも知れない)
俺は心からの安堵感と無力感を覚えた。
「わたしは明日にはこの地を発つわ。これでお別れね。もう会うことも無いのかも知れないわね…」
次の瞬間、ウズメは目の前まで近づくと、その柔らかな唇を俺の唇に重ねてきた。
暫しの沈黙と静寂の時間が、二人の間に流れた。
俺には時間が、長く長く引き伸ばされてる様な錯覚を覚えた。
心の奥では、三十路のオッサンの乾いた思考が駆け巡っていたはずであった。
しかし、そんな思考とは真逆に、身体の鼓動はそのスピードを増していく。
まるで思考がこの幼い体に引き摺られるように、純粋で儚げな大切な想いが胸を満たしていく感覚に包まれていく。
そっと両手が俺の頬に添えられると、甘い時間は終わりを告げた。
最後に俺の耳元に、ウズメの囁く声が聞こえた。
「もし叶うのであれば、わたしはヲシリ様の元でお仕えしたかった…。深く物事を考えて、責任を負う覚悟をお持ちの貴方様の元で…」
すると俺を残して、ウズメは“控えの間”から姿を消していた。
俺はウズメの天真爛漫な振舞いの裏で、自分の意思で行動が出来ない運命にある人だったことを知った。
(そう言えば、ウズメさんは志能備だったと、侍従長のカラスさんが教えてくれてたっけ…)
俺は松葉杖を突きながら、壁伝いに屋敷の外に出た。
そこには、マリアが待っていてくれていた。
「お兄様、随分遅かったのですね…。こんな時間から逢引なんて、マリアはあまり感心しませんわ」
マリアから、いつもとは違う冷たい目線が注がれていた。
「いやっ、あ・逢引なんてしてないよ。彼女は明日には帰国するからって、今回の経緯を聞いてただけだよ…ホントに」
慌てて訂正するのを見遣りながら、いつもよりも低い声が返ってきた。
「ふーん、彼女ねぇ…。それよりもお兄様の口元に紅が残ってますわよ」
俺は慌てて口元を拭うと、手の甲が薄っすらと朱色に染まっていた。
「まぁ、お兄様は素敵ですから、おモテになるのは分からなくはないですけど…」
(マリアよ、お兄ちゃんはそんなにモテたことなんか…自慢じゃないが、前世で一度もないぞ)
「そろそろ外も冷えてきたな、もう部屋に戻ろうか」
マリアの肩を借りつつ、部屋への道を一歩一歩進んで行った。
いつの間にか外は夕闇に染まり、空には満月が浮かんでいた。