第077話
ギルバートは模擬戦を終えた後、フランドールの剣技を褒めていた
流石は王国の騎士ですね、凄い剣捌きだと褒めて、自分にも教えて欲しいとまで言っていた
しかしフランドールは、その言葉にしゃくぜんとしない物を感じていた
実際にギルバートは自分の全力の剣技を捌き切り、互角に打ち合っていたからだ
その力の差を、不公平だとも感じていた
模擬戦の腕を見た上で、ギルバートはフランドールに提案していた
翌日にでも狩りに出て、魔物の討伐をしないかと言うのだ
勿論兵士も参加するが、今のフランドールの腕なら十分に戦えると言うのだ
フランドールはそれを聞いて、その話に乗る事にする
そうすれば、自分も力を身に付けれると思ったのだ
「このダーナで、大型の魔物と戦えるのは将軍と私ぐらいです
よろしかったら、明日でも魔物の討伐に森に出掛けませんか?」
「私はまだ、ゴブリンとコボルトしか戦った事が無い
その私がそんな魔物と、果たして戦えるのでしょうか?」
「いえ
今のフランドール殿なら、十分に戦えますよ
先ずはオークでも探してみましょう」
自信無さ気に言うフランドールに、ギルバートは大丈夫だと話す。
実際にあれほど動けるのなら、オーク程度では負ける事は無いだろう。
オーガに関しては、まだまだ狩られた数が少なかった。
しかしフランドールの実力なら、決して勝てない相手では無い様に感じられた。
「オークですか?」
「はい
豚の頭の魔物です
大型の魔物は滅多に出ませんから
先ずはオークを狩って練習しましょう」
「豚の様な魔物…
噂には聞いていましたが…」
「膂力はありますが、動きは決して早くありません
兵士では厳しくても、フランドール殿でしたら…」
「倒せると?」
「ええ」
「分かりました
試しにやってみましょう」
フランドールは、不承不承ながら承諾した。
今のままでは、ギルバートに抜かれる日も近い。
それならば少しでも実力を着ける為に、魔物を狩りに出るのが良いのだろう。
話しを聞くと、ギルバートも魔物を狩って実力を伸ばして来たと言う。
それならば自分も修練の為には、魔物と戦う必要が有りそうだ。
それに兵士達も戦わせて、戦う経験を積ませる必要がある。
明日は実力のある兵士を、何人か同行させるべきだろう。
そうして機会があれば、彼等にも戦わせる必要がある。
このままでは、彼等は足手纏いにしかならないからだ。
フランドールは将軍とギルバートに約束して、明朝腕の立つ兵士と東門に集まる事にした。
そうしてフランドールは私兵を連れて、宿舎の訓練場の一つへ向かった。
このままでは、兵士の自信が失われる一方だ。
訓練場を借りて、実戦訓練をする事としたのだ。
フランドールは少し離れた場所で、その様子を見守る。
しかし、どこにでも問題のある人間は居るものだ。
私兵の内の数名が、ダーナの兵士を侮蔑する言葉を言い続けていた。
実力の差を見せられても、納得が出来ないのだろう。
自分だけは違うと、言い聞かせる様に不満を言い続ける。
フランドールに聞こえていれば、叱責されただろう。
「何が魔物だ
我々王都の兵士の方が優秀だ」
「何を勘違いしているのか知らんが、あんな素振りなど役に立つまい」
「そうだそうだ」
「その内隙を見て、我らが強い事を見せてやる」
「こんな田舎の兵士等、簡単に切り殺してやるわ」
数人の兵士がそう息巻いていたが、他の兵士は関わりたく無いので無視を決め込んでいた。
それに気付かず、そのガラの悪い兵士達は汚い言葉を吐き続けていた。
それが聞こえているダーナの兵士も居たが、彼等も無視をしていた。
不愉快ではあるが、フランドールの私兵であるし、下手に問題を起こしたく無かったからだ。
それにダーナの兵士が本気になれば、私兵達は簡単に制圧出来ると判断していたのもある。
見るからに、口の悪い兵士達は腕が未熟だったからだ。
彼等の動きから見ても、コボルトの方がまだ脅威である。
コボルトは集団で、隙無く囲んで攻撃して来る。
それに比べれば、人間の兵士の方が戦い易いだろう。
特に纏まりも無く、あの様に隙だらけの兵士であるのなら…。
この件で両者の間に溝が出来ていたが、ギルバートもフランドールも気が付いていなかった。
将軍だけは何となく察していたが、問題が起きるまでは静観しておく事にしていた。
下手に頭ごなしに口で言っても、納得出来る事では無い。
互いにぶつかってみて、納得出来る落ちどころを見出すしか無いのだ。
ギルバートと将軍は、その後暫くフランドールに森に出る魔物の話をしていた。
私兵たちの訓練を眺めながら、フランドールの知らない魔物の説明をしていた。
フランドールはコボルトとゴブリンは戦った事はあったが、その他は見た事も無かったからだ。
フランドールからすれば、他の魔物は聞いた事も無い魔物が多かった。
特にオーガやトロールは、まだ王都では話題にも上がっていなかった。
「それでは、王都の周りではその2種だけなんですか?」
「はい
豚の頭の魔物等見た事もありません」
「そうですか
それなら実戦訓練には持って来いかも知れません」
「と、言いますと?」
「オークは膂力のある屈強な兵士が、頭だけ豚になった様な魔物です
コボルトより力は有りますが、集団で行動もしませんので戦い易いです」
「それに、知能も高く無いですからな
簡単な作戦にも引っ掛かります」
「なるほど…
それならばあるいは、うちの兵士でも…」
「ええ」
一度に現れる数も、数体程度しかない。
脅威に感じる程の、危険な魔物では無かった。
訓練を積んだ兵士ならば、冷静に対処出来る相手である。
問題はその兵士が、相手の力に恐れない事であった。
だからこそ兵士によっては、勇敢な者という称号を与えられていた。
「スキルの練習には打って付けの魔物ですから、兵士達にもやらせてみてはどうでしょう?」
「そうだな
恐れずに向かって行けば、倒せない相手では無い」
「そうですか…
それなら、お言葉に甘えて、私の兵士達の練習に使わせていただきます」
「注意すべきは力です
まともに攻撃を防いでは危険です」
「ああ
金属製の盾でも、こう…」
将軍はそう言って、数cmへこんだ時の説明をする。
膂力が強いので、棍棒でもまともに受ければ危険だった。
しかし拳なら、そこまでの威力では無い。
それに棍棒だって、躱したり受け流す事も出来る。
「それは危険では?」
「いえ
フランドール殿の様に、躱す事で隙を誘えます
それに受け流せれれば…」
「受け流すって…
そんな簡単そうに」
「いや、案外簡単だぞ?
要は慣れだな
剣の腹に当てる様にして…」
「こう…ですか?」
「違う
おい!」
「はい」
将軍は兵士を一人呼んで、実際に構えて見せる。
そうして受け流しからの、返しの剣術も見せてみせる。
「こう…」
「そう
そこから…」
「上手いですね」
「こうかな?」
「そうそう」
フランドールも真似して、兵士と実剣で打ち合ってみせる。
最初は本物の剣なので、及び腰ではあった。
しかし数合も打ち合えば、それは実戦でも使えそうな剣術に変わって行く。
それを遠目に見ながら、私兵の数名もそれを真似し始める。
私兵の中の数名にも、まともな剣士が居たのだ。
彼等はフランドールの真似をして、何とか受け流しを会得しようとしていた。
その光景を見て、ギルバートは感心していた。
王都の兵士の中にも、出来る剣士は居るものだと感じていた。
それから数合打ち合って、フランドールは休憩をする。
模擬戦用の木剣では無いので、自然と緊張して打ち合っていた。
その為に思ったよりも、身体は疲労していた。
そこでギルバートは、休憩しながら違う話題を振ってみる。
「あ、それと
オークは魔石を持っているかも知れません
討伐したら回収してください」
「魔石ですか」
「ええ
コボルトやゴブリンに比べれば、高い確率で持っています
それを使って装備を整えましょう」
「なるほど
そうやってダーナの兵士は良い装備を作っているんですね」
「ええ
私の剣にも魔石は使っています」
ギルバートは自分の剣を持って来て、抜いて見せる。
フランドールはそれを受け取ると、驚きの声を上げた。
それは刀身に、何かの骨を加工して使っている。
それで思ったよりも軽いのだが、それでも刃は頑丈そうに見える。
何よりも持ってみると、身体の奥底から力が沸き上がる様な気がした。
「おお…
これは…持っているだけで力が湧いて来る様な?」
「ええ
身体能力の強化が掛かっています
それと強度と切れ味も上がる様に、魔石で強化しています」
「なるほど
良い剣ですな」
彼は数回振ってみて、その剣の使い易さを確認する。
見た目は武骨で大きいものの、振るうにはそこまでの膂力は必要では無かった。
何よりも身体強化があるので、フランドールでも何とか振るう事が出来た。
フランドールは剣を返し、自分の剣を抜いて見せた。
「私の剣は長剣ですが、魔法は特には掛かっていません」
「それでも美しい剣ですね」
「刺突と切り裂くのと両方出来そうですな」
「ええ」
フランドールの剣術は、主に素早さを活かした物となる。
ギルバートの様な力を活かした物では無く、素早く切り込む事を目的としている。
だから細身で、鋭く突き刺す事に特化している。
受け流すのは、それ相応の実力が必要になるだろう。
このままの剣では、オークの棍棒を受け流すのは難しい。
「よろしければ、手に入れた魔石でこの剣を強化しませんか?」
「出来るんですか?」
「はい
恐らく出来ます
アーネストに相談してみます」
「出来るのなら…」
「加工済みの剣でも、魔法陣を刻み込めば…
しかし刀身が細長いからな…
強力な剣を作るなら、最初から打ち直す必要がありそうですね」
「うーん
悩むところですね」
強力な剣は魅力的だが、それが仕上がるまでは時間が掛かるだろう。
フランドールは、当座はこの剣の強化だけで良いのではと考えていた。
それから新たな剣を一から打ってもらう。
時間が掛かると言っても、せいぜいが2週間ぐらいだろう。
先ずは魔物を狩る事から始めなければ。
フランドールは改めて翌日の魔物の討伐に期待していた。
「オークなら探せば、日に数匹は見付かるでしょう」
「先日も5匹狩ったばかりですからな」
「そうですか
それでは、明日は5匹と言わず10匹でも20匹でも狩りましょう」
「それはちょっと…」
「はははは
そんなに居ては困りますぞ」
「そうですか?
ははは…」
そう言ってフランドールは笑ったが、ギルバートはそこまで出られたら困ると笑った。
そのまま翌日の準備の話をして、今日の模擬戦は終了となった。
フランドールは暫く私兵の訓練に付き合う事にした。
数人のダーナの兵士も、彼等のスキルの訓練に付き合う事にした。
彼等の中には、自分達も強くなろうという向上心の高い者も居たのだ。
そういった兵士達に、ダーナの兵士達も好感を抱いていた。
しかしやはり、どうしようも無い者達は居るものだ。
先程の無礼な私兵達は、見た目こそ大人しく訓練をしていた。
しかし彼等は、自分達が強いという根拠のない自信で訓練を途中でさぼり始める。
そうして訓練場から、こっそりと抜け出して行った。
そのまま街に出て、酒場や花街に出掛けてしまった。
真面目な私兵はダーナの兵士に頼み込み、スキルの構えを教えてもらっていた。
そうしてすぐには習得出来なくても、基礎の構えをしっかりと教えてもらった。
後は真面目に繰り返して、それを見に刻み込む必要があるのだ。
ここで差が出るのに気付かない者は、後ほど魔物との戦いで後悔する事となる。
辺境と王都の周りでは、魔物の強さが違っていたのだ。
フランドールは夕刻まで訓練に励み、空が茜色になるまで訓練場に居た。
兵士達は宿舎に風呂がある事を喜び、疲れた体を癒しに向かった。
訓練場の一角に、魔石でお湯を沸かせる装置を作ってあるのだ。
辺境の街でこんなに風呂が用意出来るのは意外だったが、魔石が手に入る事が理由だったのだ。
フランドールも邸宅に向かい、風呂と夕食を頂く事にした。
宿舎の風呂は、自前の魔力が必要になってくる。
兵士の中には、魔力が少ない者も多かった。
しかしそこは、ダーナの兵士達が協力してお湯を注いだ。
そうして協力する事で、徐々に仲間意識が持たれる事になる。
真面目に訓練する兵士は、こうしてダーナの兵士と親交を持ち始めていた。
フランドールも邸宅で、沸かしてあるお湯を使って湯浴みをする。
そうして今日も、美味しい料理に舌鼓を打っていた。
今日は焼いた野鳥の肉と、周辺で採れた野菜のサラダがメインであった。
焼かれた野鳥の肉には、香草の芳ばしい香りが含まれている。
それが葡萄酒に合っていて、思わず酒が進んでしまっていた。
フランドールが夕食を終えてバルコニーで涼んでいると、誰かが近付いて来た。
ローブの衣擦れの音がして、その人物が誰か示していた。
アーネストは書類を数点と、書物を抱えて現れる。
「おお
アーネスト君かい」
「こんばんわ
昨夜はどうも失態を晒した様で、申し訳ありません」
「いやいや、若いんだから
酒の失態は今の内に経験した方が良い
大きくなってからでは言い訳出来ないからね」
「えっと…」
「ははは
私も失敗はあるよ?
それで酒に慣れて行くんだ」
「はは…」
フランドールはグラスの葡萄酒を軽く呷り、にこやかに笑った。
「そうですか…
私はあんなに酔ったのは初めてで、朝にはベットで驚きました」
「はははは
それでは、昨夜の宣言は無効かな?」
「え!
宣言…?」
「ん?
やはり覚えていなかったのか」
アーネストは顔色を変えて、フランドールを見る。
酒で意識を失っていたので、何をしたのか覚えが無いのだ。
てっきり失態は、途中で意識を失った事だと思っていた。
しかしフランドールの言葉から、何かとんでもない事を言った様子だった。
やばい!
オレは何を言ったんだ?
「はははは
他愛も無い宣言だよ
私もギルバート殿も気にしていない
寧ろ好感が持てたぐらいだよ」
「ええ…と
そ、その内容は…」
「それはギルバート殿に聞いてみなさい
ただ…
素直に教えてくれるでしょうかね…」
「い?」
アーネストはさらに困惑した顔を浮かべ、困った様な顔をした。
ギルバートが教えてくれていない以上、余程の事なのだろう。
むしろ親友は心配して、何も触れなかった可能性すらある。
そうなって来ると、よほどマズい事を言った可能性が高かった。
アーネストのその慌てた様子を見て、フランドールはさらに笑った。
「はははは
まあ、そんなに気にする事でもないさ
ただ君はこの街を守る為にも、もっと精進しないとね」
「は、はあ…」
フランドールの口ぶりから、外交上マズい発言では無いらしい。
そして恐らくは、自分を過大評価した発言なのだろう。
しかしそれでも、顔から火が出そうな気分である。
何を言ったか覚えて無いのが、より不安にさせていた。
フランドールは知らなかったが、アーネストは街を守る為に色々活動していた。
それこそ領地経営を学んだり、魔法を広めて戦力の拡充を計ったり。
凡そ考えられる事は全て、実践していた。
自分の力では出来ないので、誰かにお願いして回るのだが、それでも表に出る事は無かった。
「それで
その抱えた荷物は何かな?」
「は?
あ、ええ」
アーネストは話題を変えられて、ホッとする。
そして手元に抱えた、書類の束を手渡した。
それはダーナの領主に上げられた、最近の報告書の纏めである。
報告書をアーネストが確認して、分かり易く纏めていた。
「こちらが直近の報告書と、ここ数日の魔物の出現報告書です」
「ほう、どれどれ」
「先ずは今年の作付けと…
こっちが現在の収穫量です」
「ふむ」
「それでこっちが、魔物の中でも食料に向いたもので…」
「食べられるのかい?」
「いえ
現在発見された魔物は、とても食用には向いていなくて…」
「だろうね
人型だし、それを食べようだなんて…」
「しかし肉は貴重です!
それこそ生きて行くには」
「酒の肴も無くなるからね」
「あ…
真面目に聞いてください」
「ははは」
実際に肉の供給は、深刻な問題である。
今はまだ、隊商が入って来るからそこまでの問題では無い。
しかし魔物が居る以上、獲物を狩る事が困難になる可能性も十分にある。
それならば、食用出来る魔物の発見は重要であった。
「現在は見付かっていませんが、獣型の魔物も存在します」
「ほう」
「鹿や熊、猪の魔物が狩られています
しかし魔物が狩った痕跡だけで…」
「未発見だと?」
「見付かっていないだけで、必ず居る筈です
魔物が狩って食べているんですから」
「だが、食べられる保証は…」
「ありますよ
記録も残っています」
「記録だと?」
「ええ
古代の王国の記録に、魔物を狩っていた記録があります
飼育して、食用にしていた記録も…」
「ならば…
可能性もあるのか」
「ええ」
フランドールは書類に興味を示し、順番に読んで行く。
暫く静寂が訪れ、書類を捲る音だけがしていた。
やがて一刻程時間が経ち、フランドールは書類を読み終えて顔を上げた。
「幾つか気になる事が有る
これから執務室に向かって良いかな?」
「ええ
そのつもりでしたから」
二人はそのまま執務室に向かい、道中でも収穫量や税の割合の話をしていた。
それから執務室に入り、過去の書類との突合せが始まる。
細かい数値の比較は後回しにして、今年の取れ高の概算だけでも出そうと言うのだ。
これから秋を迎えて、今年の収穫も終わってしまう。
そうなれば、これまでの収穫量で年を越す必要もあるのだ。
「これを去年の値として、ここから引いてみると…
この数値を去年の全体作付け数に掛けて…」
「なるほど、それならここの数値と比べてみてください」
「ええっと…」
「違います
ここの数字が…」
「ああ!
ややこしい」
「駄目ですよ
これは年越しまでの重要な収支に関わります
ちゃんと計算しないと」
「ううむ…
だが、計算は苦手で…」
「はあ…
領主になる人って、どうしてこう…」
二人で暫く計算し、今年の見込み収穫量を算出したり、税率の計算をする。
フランドール一人では、間違いだらけでとんでもない値になっていただろう。
アーネストがその都度訂正して、より正確な値が計算されて行く。
気が付けば2時間以上掛かっていた。
フランドールはすっかり酔いも醒め、書類の束を纏め直す。
「さて、これで大体の作業は終わったのかな?
君はこういった計算も得意のようだね
本当に部下として欲しいよ」
「ダメですよ
オレはギルの右腕になるって決めてるんです
それに…
アルベルト様もそうでしたが、みなさん勉強が足りませんよ?
それでは領地経営に悪影響が出ます」
「ああ…
計算は苦手だが、そうも言ってられないからな」
フランドールは溜息を吐いて、疲れた眼を擦っている。
その姿を見て、アーネストは嘗てのこの部屋の主を思い出す。
かれもこうして、よく書類の制作で不満を溢していた。
その都度アーネストが呼ばれて、間違いが無いか確認させられていた。
その姿が、フランドールに重なって見える。
「本当、アルベルト様もよく計算を間違われては、オレが添削していましたからね」
「そうなのか?」
「ええ
だから、ギルには算学の勉強をしていたのですが…
すぐに魔物討伐に逃げて…」
「く、はははは
そりゃそうだ
私も算学と魔物討伐なら、喜んで魔物討伐に向かうさ」
笑うフランドールを見て、アーネストは困った様に溜息を吐く。
「それが困るんですよ
魔物の討伐も重要ですが、算学も大切です」
「そりゃそうだが…」
「もう
困った人達だ…」
そう言いながら、アーネストは書物を机の上に置く。
「それは?」
「これは私が翻訳した書物に記されていた、戦術指南です
役に立つか分かりませんが、戦闘の際に参考にしてください」
「へえ…」
「ですが、読むのは書類を纏め終わってからです」
「手厳しいな」
「駄目です
すぐそっちに逃げる
ギルにしてもアルベルト様にしても…
真面目にやってくださいね」
「はいはい」
アーネストは魔法や算学には詳しいが、戦術や戦闘における戦い方に関しては素人だ。
多少は魔物の討伐で学んではいるものの、やはり実戦経験が少ない。
だから書物を読んでも、実戦には応用出来なかった。
あの時も備えていれば、城壁の破壊は免れていたかも知れない。
それだけが、悔やんでも悔み切れなかった。
アーネストの責任では無いのだが、彼はアルベルトの死を自分のせいだと感じていた。
事前に大型の魔物の事を考えて、その襲撃にも備えておくべきだったと考えていた。
そんな事は、恐らく女神で無ければ予想すら出来なかっただろう。
だがアーネストは、二度とその様な後悔はしたく無かった。
だから戦闘に長けた者の方が役に立つだろうと、ギルバートや将軍にも渡していた。
「明日には算学の書物も用意しておきます
くれぐれもさぼらないで、しっかり勉強してください」
「う…
分かったよ」
フランドールは書物を広げ、その内容を読み始める。
アーネストは溜息を吐き、肩を竦めていた。
今夜は疲れているので、このまま寝る方が良い筈なのだ。
しかしそこに書かれた内容に、彼は意識を奪われて集中し始めた。
「これは…」
「それは差し上げます
オレはもう寝ますが、フランドール殿も明日は早いんでしょ?
ほどほどで寝てください」
「う…
ああ
ふ…む」
フランドールは無意識に返事をし、アーネストはそれを見ながら退出した。
「やれやれ
あれではギルと同じだな
脳筋はああいうのが好きなのかねえ」
アーネストはボソリと呟き、邸宅を後にした。
執務室の前で護衛していた従者は、思わず吹き出していた。
確かにフランドールは、頭を使う様な者では無いのだろう。
悪口では無く、無意識の感想なので咎める気にもならなかった。
むしろ彼等自身も、時々主の行動にそう感じていたからだ。
それから暫く、フランドールは書物に熱中していた。
従者が心配して声を掛けるまで読んでいて、仕舞いには明日の事があるからと引っ張られて行った。
執務室の上には、開かれた本がそのまま置かれていた。
そこには『兵法』より抜粋と書かれた、兵士の配置や陣の敷き方が書かれていた。
フランドールはそれを見て、傍らの羊皮紙にそれを書き写していた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。