第067話
父親が意識を回復したと、早朝から兵士が駆け込んで来た
急報を受けて、アーネストも邸宅に駆け付ける
状況は良く分からなかったが、二人は取る物も取り敢えず救護所に向かう事にする
ギルバートは父親が快復したと思い、喜んで急ぎ足になっていた
兵士を急かしながら、ギルバートは救護所に向かう
その隣には、アーネストも懸命に走っていた
魔術師である彼は、そこまで身体を鍛えていないのだ
しかし今は、息を切らせながら必死に追い掛けていた
ギルバートは兵士に容体を聞いたが、兵士は報せを聞いただけで詳細は知らないと答える。
ギルバートは希望に笑顔になっていたが、アーネストは不安で顔を曇らせている。
燃え尽きる蝋燭の様に、死に瀕した者は一時的に回復すると聞いた事があった。
今のアルベルトの回復は、まるでその話を思い出させる様だった。
違っていれば良いのだがと、アーネストは不安を搔き消す様に首を振る。
「それでは貴方は…
父上の容体を知らないんですね?」
「はい
領主様が意識を取り戻されたので、坊ちゃんを呼ぶ様に将軍に言われました
私はそれ以上は知りません」
「そうですか…」
そう答えながらも、ギルバートは意識が戻った事に安堵していた。
そんなギルバートの横顔を見て、アーネストは何も言えないでいた。
何度違うと念じても、頭の中には最期の輝きだという確信だけがあった。
アーネストは不安を振り払う様に、首を左右に振った。
大丈夫だ
きっと大丈夫だ
ギルにはまだあの人が…
アルベルト様が必要なんだ
三人は宿舎の間を走り抜け、領主の居る救護所の近くまで来た。
兵士はそこで立ち止まり、彼等に止まる様に促す。
救護所の前には、ヘンディー将軍が黙って待ち構えていた。
そして三人の前に将軍が近付くと、静かにする様に小声で伝える。
「夜分遅くにすみません
事は急を要する事でしたので」
「いえ、将軍
それで、父上は!」
「しーっ
静かにしてください
大きな声は堪えますので」
「あ…」
「ギル
今は落ち着いて、な」
ギルバートは逸る気持ちを静めて、深呼吸を繰り返す。
すーっ、はあ
すーっ、はあ…
「落ち着いたか?」
「あ、ああ…」
「それでは
領主様に…面談していただきます」
「はい…」
将軍は静かに呟くと、宿舎の前に二人を連れて行く。
彼は音がしない様に、静かにドアを開けた。
ギルバートはその様子を見て、はっと息を飲み込んだ。
静かに開け放たれたドアの向こう、ベットの枕元にはジェニファーが立っていた。
その目は赤く泣き腫らし、暗く俯いている。
彼女はギルバートの方へ見上げると、彼に静かに手招きをした。
ギルバートは黙って頷くと、ゆっくりと室内へ入って行った。
ジェニファーは優しくギルバートを抱き締め、思わず呻く。
「ギル…
う、うう…」
「母上?」
将軍が静かに近付き、ジェニファーを支えながら椅子に座らせる。
ジェニファーは大きな声を上げない様に、必死に嗚咽を堪える。
室内に嗚咽を堪える声が響き、アルベルトが薄っすらと目を開ける。
「ぬ…」
「ち…父上」
「じ…え…ふぁ…」
ギルバートは一瞬声を上げそうになり、慌ててその声を抑える。
アルベルトは消え入りそうな、か細い声で何かを言っている。
よく聞いてみると、それは母と自分を呼ぶ声だった。
「ギ…ル…」
「父上…」
「ワシは…な…が…ない」
「え?」
ギルバートは思わず、父の元へ近付こうとする。
しかし将軍が、その肩をしっかりと押さえる。
何をするかと、思わずギルバートは叫びそうになる。
しかし将軍は、静かにする様に首を左右に振った
「っ!」
「しょ…るい…こく…う
たの…む」
「廃嫡と代行の書類は送らせていただきました
返事も頂いております」
いつの間に隣に来たのか、アーネストが代わりに答える。
「はいちゃく…」
「奥方様!」
大声を上げて立ち上がるジェニファーを、将軍は慌てて止める。
アルベルトはアーネストに頷いていたが、ジェニファーの声に苦しそうに顔を顰める。
ギルバートは慌ててワタワタと手を振り回して、アルベルトの顔を見る。
横でアーネストが黄色い粉を取り出し、手で捏ねながら呪文を唱える。
魔法が効いたのか、アルベルトの苦悶の表情が和らいでゆく。
「風の精霊よ
この者の心を落ち着かせ、安寧を与え給え」
「くっ…はあ…はあ
すま…ない」
「いえ
これで暫くは…
しかし時間の問題ですね」
アーネストは悲しそうな表情を浮かべると、拳を握り締める。
呪文は以前にギルバートに施した、鎮静の呪文と同じだった。
しかし今回の触媒は、そんな生易しい物では無かった。
アルベルトは頷き、ジェニファーを枕元へ手招く。
「あな…た…」
「ジェニファー、ギルバート
話しておく事が、ある」
「何もこんな時に
お元気にな…」
「いや
ワシはもうすぐ死ぬ
アーネストの処方したのは痛みを消す魔法薬
これは死に瀕した者にだけ効果がある」
「な!
この逆賊め!」
ジェニファーはアルベルトの言葉を聞き、アーネストをキツく睨む。
それをアルベルトは窘めて話を続ける。
「止しなさい
この子はワシの為に時間をくれた
薬が切れる前に、手短に話そう」
「そんな…」
「父上…」
「アーネストを責めないでやってくれ
どの道ワシは…
くっ!」
「アルベルト様
感情を押さえて
この薬にも限界があります」
「はあ、はあ…
その…様だな…」
「風の精霊よ…」
再びアーネストは呪文を唱えると、怪しい粉をアルベルトに振り掛ける。
今度は直接振り掛ける事で、より効果を高める。
しかしその分、寿命を大幅に削ってしまう。
アーネストとしては、それは苦渋の決断であった。
二人に最期の言葉を話せる様に、こうするしか無かったのだ。
「アーネストに頼んでおいたのは、ギルバートの廃嫡と新たな領主となる者を立てる事…
その為に、既に後任の領主を…
ハルに代行を寄越す様に、書類を用意しておいた」
「何故ですの?
何故ギルが廃嫡ですの」
「それは後で、今は話しておらん事を伝える」
「あなた!」
「頼む、ジェニファー…
聞いてくれ…
ワシの最期の…最期の…ゴホゴホ」
「マズい!」
アーネストが再び近付き、薬と呪文を唱える。
「風の精霊よ
この者の心を落ち着かせ、安寧を与え給え」
「ごほごほ
ヒュウ―
ヒュー…」
「ふう
これで暫くは落ち着きますが、あまり興奮させないでください
薬の効き目が短くなってしまいます」
「すまん…」
アルベルトはゆっくり息を吐き、再び話始めた。
「ジェニファー
このお方はアルフリート殿下だ」
「え?」
ジェニファーは言葉の意味が理解出来ず、目を見張って驚いた表情で夫を見た。
「ワシ等の息子は
本物のギルバートは、生まれて間もなく息を引き取った」
「え?
嘘でしょ…」
「嘘ではない」
「でも、この子には私の…」
「そう
お前がそう感じるのは当然だ
ワシも最初は信じられなんだ
この子の中には、確かにギルバートの魂も宿っておる」
「そん…な」
ジェニファーは力無く崩れ落ち、その場に座り込んだ。
「うそ…
うそ…」
譫言の様に繰り返すと、目の焦点が合わなくなる。
将軍が優しく支えて立たせ、そのまま手を引いて部屋から連れ出す。
「あいつには…
後で話してやってくれ」
「はい」
「必ず」
アルベルトは頷くと、ギルバートの眼をしっかりと見詰めて話す。
「思えば、不思議な体験だった」
アルベルトはそう言って、何かを懐かしむ様な遠い目をする。
「アルフリート殿下
これからワシが話す事をしっかりと胸に刻み込んで…
よく考えて行動してください」
「はい」
アルベルトはどこか懐かしむ様に、思い出しながら語る。
「本当なら、ワシも一緒に、ハルと語る予定でしたが…
ワシの知り得る限りを、伝えます」
「はい」
「あれは…
あなたが産まれた日から始まりました」
アルベルトは、残り少ない時間に思い出を語る事にする。
「あなたが産まれた時、あなたは痣を持って産まれました
救国の王、その者の宿命を示す聖なる痣…
それを胸に受けて産まれました」
「痣?
オレにはそんな物は…」
ギルバートは思い返してみたが、そんな痣は胸には無かった。
「それは帝国の初代皇帝、カイザードの持っていた物」
「え?」
「そして…
古代王国の建国者、ミッドガルドのイチロー国王が遺した物です」
「古代?」
「王国?」
二人はその言葉の意味を、理解しようと飲み込む。
歴史や伝承に出て来る、幻の古代魔法王国ミッドガルド。
多くの魔物を従え、世界の半分を治めたという伝説の王国の事だ。
女神に逆らい、一夜にして消えたとされる幻の古代王国。
急に現れたその王国の話が、何故今に関わるのか?
「あなたにはその二つの…
宿命の血が流れております」
「オレに?」
「ええ
正確にはワシやハルも…その末裔です
あなたはその血を色濃く受け継ぎ、産まれました…
ゴホゴホ…」
「アルベルト様
風の精霊よ
お願いだ
この者の心を落ち着かせ、安寧を与え給え」
アーネストが再び呪文を唱えて、魔法を掛け直した。
しかし先に告げた様に、その効力は徐々に落ちていた。
痛みに苦しまない時間が、先ほどよりも短くなっている。
アーネストは悔しそうに、アルベルトの枕元で涙を流した。
「アーネスト
何とかならないのか?」
「無理だ
これは痛みを誤魔化すだけの呪文なんだ
傷の痛みを誤魔化すだけで、治している訳では無いんだ
アルベルト様の寿命は…既に…
くっ」
「良いんだ
続けさせてくれ」
ギルバートは泣きそうな顔をしてアルベルトの手を握る。
女神に対して言い知れぬ怒りが込み上げる。
沸々と湧き上がる怒りに、身体が熱くなってくる。
その余熱が伝わったのか、アルベルトが呻く。
「う、うう…」
「父上」
アルベルトがそう呟いた時、軌跡が起きた。
ギルバートの身体がボウっと輝き、腕に痣が浮かび上がる。
その文字の様な痣は、腕から胸元を通って、全身を淡い輝きで包み込んだ。
そこから輝きが伝わり、アルベルトの身体も包み込む。
アーネストはその輝きを、昨日にも見た様な気がする。
あの魔力の暴走の時に、似た様な輝きを見た様な気がした。
しかしその輝きは、この様な心安らぐ銀色の輝きでは無かった。
「う…
痛みが?
薄れる?」
「これは?」
「痣が…輝く?」
アルベルトは身を起こし、ギルバートの手を握ったまま見詰める。
その胸に輝く痣は、まるでペンダントの様に首に向けて文字が連なっている。
そして痣の真ん中に、紋様の様な形の文字が見える。
その文字が輝き、神聖な淡い銀色の輝きを放っていた。
「やはり伝承の通りです
アルフリート殿下、あなたこそ救国の英雄
聖なる王の後継者です」
「この痣が…」
「不思議な輝きだ
心が落ち着いて、不安や悲しみが押し流される様だ」
「アルベルト様
これは恐らく…」
「うむ
聖王家に伝わる、神聖魔法の輝きじゃろうな
恐らくこの輝きが、ワシに最期の力を与えてくれておる」
アルベルトは頷き、静かにギルバートを見詰める。
だがこの輝きも、傷を癒すほどの力を持ってはいない。
今はただ、アルベルトの苦痛を誤魔化しているだけだった。
「しかし…」
「しかし?」
「女神はこの力を恐れました」
「女神様が?」
「ええ」
「何故だ…」
「アルフリート殿下が産まれた時、女神はある神託を下しました
これから産まれるであろう痣を持った子供
その子供は後に、世に災いを齎す
早急に見つけ出し、殺す様に…と」
冷水を掛けられた様な気がして、その場が静まり返った。
この場に将軍や、兵士が居なかったのは幸運だろう。
こんな事を聞かれれば、大きな問題になっていた。
女神は王子である、アルフリートを殺せと言ったのだから。
「ころ…す?」
「赤子を?」
「ええ、そうです
女神からの神託です」
それは信じられ無いことであった。
慈愛と平和を望む創世の女神が、産まれたばかりの赤子を殺せと命じたのだ。
「何かの間違いでは?」
「ワシもハルもそう思った
だが、何度問い合わせても、神殿からの答えは変わらなっかったよ」
そして…使徒が来た」
「使徒?」
「そう
あなたもよく知っておられる、あの使徒です」
「そこからは、私が話そう」
窓際から人影が現れて、静かにベットに近付く。
「運命の糸…」
「エルリック…」
アルベルトとギルバートは、その者の姿を凝視する。
いつの間に侵入したのか、彼は部屋の一角に立っていた。
トレードマークの赤い帽子を脱ぎ、恭しく礼をして、エルリックは枕元に跪く。
「アルベルト
よく頑張って話しましたね」
「ふん」
「あなたの寿命は…
既に尽きています
この子の力で留まっていますが、このままでは…
アンデット化しますよ」
「じゃろうな」
「知っていましたか」
「ギルの力って、この輝く力か?」
「ええっと
正確には違います
アルフリートが受けている、反魂の邪法の影響ですかね」
「反魂?」
「邪法?」
ギルバートは訳が分からず、アーネストは邪法の響きが気になった。
「アルフリート殿下は…
死ぬ筈でした
女神から受けた呪いで、死んだ筈でした」
「呪い?」
ギルバートは呪いと言う言葉を、アーネストから聞いた事を思い出した。
二人は昨日にも、その様な話をしていた。
ガストン老師は、ギルバートの病を呪いの様じゃと言っていた。
そしてそれが、まさに女神様の呪いの仕業と聞いて、再び驚いていた。
「本当に…
呪いなのですか?」
「ああ
呪いじゃ」
「それじゃあギルの病って…」
「衰弱の呪い
そのまま放置すれば、ほどなく命を失う呪いです」
「それじゃあ何で?
何でギルは?」
「そうだよ
オレは生きているぞ?」
「そうですね
ガストンとヘイゼルが、私の言葉を信じてくれたのは僥倖でした」
「何が僥倖なものか
そのせいでアルフリート殿下は死ぬ事も出来ずに、ただ時間から切り離されていたんだぞ
お身体の成長も止められ、ただ魔法で世界から切り離されて…
その間にハル達がどんなに苦しんだか…」
「しかしそのお陰で、彼は生き残れました
犠牲は大きかったのですが、彼が生きている事が重要なんです」
「くっ
それは…
そうだが…」
「時間から?
切り離されていた?」
当時の宮廷魔術師ガストンは、禁術を行っていた。
ヘイゼルは止めたが、ガストンは強引に行ったのだ。
そのせいで魔力を大幅に失い、彼は宮廷魔術師を辞する決意をする。
しかしその事を、アーネスト達は知らされていない。
それはその魔法が、禁術と指定されていたからだ。
「あなたはよくやってくれました
この子を我が子として育て、よくぞここまで真っ直ぐに育てました
誇って良いと思いますよ」
「ふん」
アルベルトはそっぽを向くが、その頬は照れてか赤くなっていた。
「さあ、アルフリート
あなたの初めての試練です」
「試練?」
「何をさせる気だ?」
アーネストは身構えると、厳しくエルリックを睨み付ける。
「なあに、簡単な事です
ただし覚悟してください
これを失敗すると、彼は輪廻の輪から外れてアンデットして永遠に彷徨う事になります」
「アンデット…」
「止めろ
やるならオレがやる」
「アーネスト…」
「アーネスト君
君が彼を父の様に慕うのは勝手ですが、これはアルフリートにしか出来ない仕事です」
「な!」
「アーネスト?」
「アルベルト…
君にはそのつもりは無かった様ですが…
親の居なかった彼には、あなたが父の様に慕える大切な人になっていたんですよ?」
「くっ」
アーネストは顔を顰めると、アルベルトから視線を外そうとする。
アルベルトにバラされた事が、とても気恥ずかしかったのだ。
しかしアルベルトはそんなアーネストを優しく見詰めると、微笑んで片手を差し出す。
そのままアーネストを抱き締めると、彼の頭を優しく撫でてやった。
「あ…」
「そうか
いつの間にか…
ワシには二人の息子が居たんだな」
「アルベルト様…」
アーネストは悔しそうに顔を歪めていたが、アルベルトの差し伸べた手に身を委ねる。
両の瞳から止め処も無く、涙が溢れ出ていた。
「お前達は…
ワシの自慢の息子達だ」
アルベルトはそう言うと、そっとアーネストの背中から手を離す。
そうして二人の息子を見詰め、嬉しそうに微笑んだ。
二人はアルベルトの手を取ると、一頻り涙を流した。
「さあ
それでは時間ももうありません」
エルリックが厳かに宣言する。
それと同時に、ギルバートから溢れていた光も収まっていた。
二人が手を放すと、アルベルトは急に苦しみ始める。
二人は気が付かなかったが、徐々に光は弱まっていたのだ。
あくまでもあの光は、時間稼ぎでしか無かったのだ。
「ぐ、うう
くう…」
「アルベルト様!」
「父上!」
「ダメです
今は彼の生き様を、その眼にしっかりと焼き付けなさい!」
思わず伸ばした手を、二人は力なく垂らす。
「ここまで来ては、魔法でも痛みは消せませんよ?」
「くっ…」
アーネストは魔法の、粉薬に手を伸ばしていた。
しかしエルリックの言う通りで、最早効果に期待は出来なかった。
アルベルトの身体の色は、死者のそれと違わなくなっている。
何とかもたせていたが、身体は既に死んだも同然なのだ。
「それに、アルフリート
君の力が暴走しているとは言え、そのまま力を使うと危険ですよ?
君も父上も、闇の呪力に蝕まれますよ!」
そう言って、エルリックはギルバートの肩を叩いた。
全身を覆っていた、銀色の光は消え去る。
それと同時にギルバートは、力が抜けた様に崩れてその場に座り込んだ。
「何をした!」
「暴走した力を抑えました
幸い覚醒していなくて良かったです」
「う…あ…」
ギルバートは急に力が抜けて、声も出せなくなっている。
「さあ
二人で看取ってあげなさい」
エルリックがそう優しく囁き、アルベルトの側に近付く。
「アルベルト
あなたは良くやりました
後は二人に任せて、安心して逝きなさい」
「ぐ…あ…
は…」
最期にアルベルトは目を見開き、二人に優しい眼差しを向ける。
そのまま頷いたと思うと、彼は静かに息を引き取った。
その表情は、心なしか微笑んでいる様にも見える。
「ち、父上…」
「アルベルト様…」
「さあ、もういいですよ
今はお泣きなさい」
「う、うぐう…
あああああ…」
「アルベルト様
ああ…
うわああああん」
「さあ
心ゆくまで…
お泣きなさい」
エルリックが優しく二人の肩を叩き、二人は声を上げて慟哭した。
二人の泣き声は夜明けまで続き、ダーナの街を深い悲しみに包み込む。
ここにダーナの領主、アルベルト・ダーナ・クリサリスはその生涯の幕を閉じた。
その頃王都近郊では…
「義父上」
「構わん!
そのまま押し込め!」
「はい」
「うおおおお!」
王都近郊では、魔物と王都軍の戦いが行われていた。
王都軍の将軍は、嘗ての将軍バルトフェルドが任されていた。
彼は将軍の職を辞して、王都の守りを担っていた。
しかしダーナの訃報を聞いて、王都周囲の魔物の殲滅を任されていた。
「このまま押し込むぞ」
「おう!」
「フランドール様
一気にやりましょう」
「おう!」
「頼むぞ
フランドール」
その前線を維持するのが、バルトフェルドの息子にして元嫡男、フランドールである。
彼は国王からの命で、この戦場に立っていた。
本来ならフランドールは、廃嫡されている身である。
それでもダーナの領主代行になる為に、こうして活躍の場を与えられていた。
「うおおおお!
チャージ!」
「うおおおお
チャージ!」
フランドールの部隊は、鍛え上げたスキルを発揮する。
それは騎馬部隊が使う事の出来る、突進技のスキルである。
手にした武器に魔力を纏わせて、一気に敵に突進する。
そうして強烈な一撃で、敵を突き飛ばす突進技であった。
ドギャッ!
ズドシュッ!
グギャン
ゴギャアアアア
突進は成功して、魔物の群れに大きな乱れが見える。
そこへ目指して、フランドールの私兵の歩兵集団が突進する。
「うおおおお」
「オレ達も続け!」
「フランドール様に認めてもらうんだ」
「お前達!
無理はするな」
「いいえ!
ここは任せてください」
「うおおおお」
「スラッシュ」
「ブレイザー」
シュバッ!
ドシュ!
ザクッ!
グギャン
ギャイン
魔物の群れはコボルトで、熟練の兵士には倒せない敵ではない。
しかし群れで向かって来るので、なかなかに手強い敵である。
歩兵もスキルを身に付けていたが、それでも油断は出来ない。
数人の兵士が、コボルトの振るった棍棒に倒される。
「うりゃああ…あぶしゃ」
「アンドリュー
この野郎」
ギャヒャヒャヒャ
「スラ…げひゃっ」
ギャヒャハハ
「くっ…
やはり油断は出来ないか」
「焦るでない
大勢は決した」
「しかし兵士達が…」
「堪えろ
彼等はお前の代わりに戦ってくれておる」
「ですが!」
「ここで堪える事も、将として必要な事じゃ」
「くっ…」
バルトフェルドに諭されて、フランドールは何とか思い留まる。
このまま感情に任せて出れば、彼も危険に晒される。
そうなれば兵士の士気も、下がってしまって危険になる。
その事が分かるので、フランドールは歯嚙みをしながら堪えていた。
「良いぞ
それで良いのじゃ」
「しかし義父上
魔物はこの程度なのですか?」
「ううむ…
コボルトじゃからな」
「そうなると、こいつ等に負けたアルベルトという男も、大した事が無いのでは?」
「アルベルトを侮るな
奴は強い騎士であった」
「しかし強い騎士でも、この程度の魔物に負けたんですよ?
オレ達の方が…」
「調子に乗るな
何か理由があったのやも知れない」
「そうなんでしょうか?」
フランドールは、コボルトに勝てた事で気が大きくなっていた。
それでアルベルトの訃報を、コボルトに負ける様な大した事の無い男だと思っていた。
確かに負けた相手が、コボルトならそうであっただろう。
しかし実際には、そんな程度の魔物では無かったのだ。
「これで私も、国王様に認められる」
「そうじゃな
思えばお前には…」
「良いんですよ
私は義父上に拾われたんです
それだけでも十分に幸せです」
「ふふ…
嬉しい事を言ってくれるな」
フランドールは、本来なら然る商人の妾腹の子であった。
そのまま認知されずに、路上で貧困に喘いでいた事だろう。
いや、もしかしたら、窃盗や盗賊に身をやつしていたかも知れない。
そこをバルトフェルドに拾われ、こうして出世の道を見出していた。
それも一時は、廃嫡されて荒れている時期もあった。
折角養子として拾われたのに、バルトフェルドに子供が出来たのだ。
それでフランドールは、バルトフェルドの嫡男から廃嫡される。
その上で王都の一代領の、領主として出向する事となった。
そこで腐らなかったのは、彼がバルトフェルドを尊敬していたからだ。
彼はいずれは、バルトフェルドの様な領主になりたいと思っていた。
それで一代領に就任してからも、懸命になって領地経営を学んでいた。
それを見た上で、彼はダーナの後継者として選ばれたのだ。
「このまま何事も無く、上手くやってくれれば良いが…」
バルトフェルドは、頼もしく育った義理の息子の背中を見ていた。
最近では彼も、領主としての貫禄が出て来ていた。
しかしそれと同時に、悪い噂も聞こえて来ていた。
彼の周りに、国王に反対する声が出ているというのだ。
それだけがバルトフェルドにとっては、心配な事であった。
彼の心根が腐らない様に、そう願いながら彼は義理の息子を見詰めていた。