第006話
見よ!
其は厄災の、顕現し給う物だ!
緑の矮躯は、人を穢す毒を現し
黄色い魔眼は、大地を呪っている
女神に仇を成す、魔物の再臨である
住民達が簡易宿舎として用意された仮宿舎は、戦時に兵士達が詰める為の仮宿舎であった。
住民達の避難が終わる頃には、時刻は昼を大きく回っていた。
折から強風と激しい雨が降り始め、雲行きは時間を追って悪くなっていた。
まるでこれから起こるであろう事態を、予見している様であった。
部隊長が戻った事で、住民の部屋割りと作業の分担が進められる。
食料の備蓄は十分ではないが、予備の食料も備蓄してあった。
このぐらいあれば、数日は十分もちそうであった。
問題はそれまでに、救援の兵士達が到着出来るかだろう。
炊事係に食事の準備を任せると、兵士達の就寝用の寝台等も簡単に作らせる。
「お前ら、まだやれるか?」
「はい」
「よおし
次は防壁の点検と投石用の石の用意だ」
「はい」
部隊長は次々と指示を出し、兵士達も慌ただしく動き回っていた。
こうして動いていれば、不安も紛れるだろう。
それに備えなければ、魔物がいつ向かって来るか分からない。
砦に戻った時には不安でビクビクしていた兵士も、いつの間にか生き生きと働いていた。
そうして武器の点検を始めると、笑う余裕すら見せていた。
「奴らめ、今度見つけたら俺の弓で…」
「ハハッ
さっきはビビッて、構える事も出来なかった奴の言う事か?」
「うるせえ!
び、ビビッてなんかいねえよ…」
「そこ!
私語をする元気があるなら、もう二箱持って来い」
「ふえ?」
「そんなあ…」
部隊長に見つかってしまい、彼等には余分な作業が増えてしまった。
兵士は不満を漏らしながら、石の詰まった箱を取りに向かう。
「ほら見ろ
お前が余計な事言うから」
「うるせえ
さっさと行くぞ」
雨に濡れて重くなった石を詰めた箱を、二人掛かりで運ぶ。
外壁に近付く敵に向けて投げ付ける為の、拳大の大きさの石だ。
思いっきり投げ付ければ、致命傷にまでならなくても気絶や重傷を負わせる事は十分出来るだろう。
場合によっては油を染ませた布を巻き、火を掛けて上から落とすのにも使える。
矢は水に濡らすのは駄目だが、石は濡れても問題ないだろうと外に野積みにされていた。
投擲用の槍は、そもそもが需要が無かった。
槍を投擲するよりも、矢の方が精度が高いからだ。
しかし小さな砦だから、矢の準備も潤沢ではない。
少しでも石の準備をしないと、防壁を登られたら後が無いのだ。
近場の崖を掘って、石を作っている兵士もいる。
「よおし
次はこっちの壁の補修だ」
防壁の一部に亀裂が入った箇所がある。
砦も風雨の影響で、どうしても壊れてしまう。
普段はこの程度では、放置してしまっている。
しかし魔物が迫る今、この様な些細な亀裂も見逃せなかった。
あれらがどの様な力を持つのか、未だに判明していない。
この亀裂が原因で、防壁が崩されては困るのだ。
兵士達は練った土を持って、応急処置で亀裂を埋めたりして補修をする。
その他にも補修する場所や、準備が必要な資材があった。
部隊長の指示が次々と飛び、兵士達は急ぎ足で作業を済ませて行く。
夕刻までには粗方の作業が済まされ、激しかった雨も小降りに変わっていた。
雨が止んでくれれば、襲撃も難しくなる筈だ。
雨が降っていれば、視界も音も遮られて不利なのだ。
雨で音が聴こえ難いと、敵が侵入していても分かり難いのだ。
下手をしたら、気付いた時には奥深く侵入を許していて全滅なんて事もあり得るのだ。
しかし雨が完全に止めば、今度は行動もし易くなる。
外で震える事も無く、視界が遮られる事も無くなる。
有利な事ばかりでも無いのだ。
特に雨が降った後の泥濘には、足を取られる危険性もあるのだ。
魔物達もその辺は、注意して向かって来るだろう。
住民達は雨が上がりそうだと、楽し気に夕餉の準備をしていた。
しかし兵士達は、住民達に気付かれない様に不安を押し殺していた。
一番厄介で危険なのは、雨上がりの後の夜襲による襲撃だ。
不安が伝搬すれば、再び住民達がパニックに成り兼ねない。
兵士達は必死に平静を装っていたが、住民達にはそんな事は関係無いのだろう。
中には気楽に、兵士に話し掛けて来る者もいた。
「あの変な生き物も、みなさんに掛かればすぐに追い返せそうですね」
「ああ…」
「そうだな」
「はははは
お願いしますぜ」
「ああ…」
兵士もそう答えていたが、状況を考えると楽観は出来なかった。
魔物の数が分からない以上、油断は出来ないのだ。
一匹では勝てても、集団では太刀打ち出来ないかも知れない。
小雨が降る中、いつもよりも多めにランタンを壁に配置していく。
篝火も焚きたいが、雨で消えてしまうので、雨水が多く掛かる場所には置けなかった。
ランタン以外にも、松明もあちこちに置かれていた。
避難用の仮宿舎の周りにも設置されたが、あまり配置すると狙われ易くなる。
特に見通しが悪くなる場所に、最低限の設置をされていた。
予備の武器も何ヶ所か隠して配置すして、準備が出来た頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
「よし
今から一旦休息とする
先に休んでいた者が巡回に当たるので、安心して休んでくれ」
「はい」
「分かっていると思うが、酒はダメだぞ」
「ええ!」
「こら」
「はははは」
ふざけてわざと叫ぶ兵士も居た。
部隊長の心情を察して、彼も合わせていたのだ。
その兵士を叱る仲間も、一緒になって笑っていた。
「今は気が高ぶっているが…
後で疲れから眠くなっては不味い
順番で睡眠もしっかり取っておけよ」
「はい」
兵士達が休息に入るのを見送り、代わりの兵士が来たところで警備の打ち合わせをする。
一通りの注意事項を伝え、確認を済ませた頃には、辺りは真っ暗になっていた。
部隊長も休息を取る為に、自室へと向かった。
恐らく、襲撃はもう少し遅くなってからだろう
雨はもうすぐ止みそうだ
今はまだ、起きている者も多い
休息を取るなら今のうちだろう
部隊長は部屋に入ると、そのまま鎧を着たまま横になる。
敵の…
魔物の知能がどのぐらいのモノか不明だが…
仮に我々に近いものであるなら、それは危険だな
偵察や釣り等をされれば、無駄に消耗が激しくなるだろう
疲れから生じた隙を突かれると、一気に瓦解させられる恐れがある
過去にそうした失敗で、落とされた砦もある
過去の戦争の経験から、先達にそう教え込まれていた。
戦いは常に、冷静な判断が必要なのだ。
知恵が回る敵を相手には、相手のペースに乗せらるのが一番危険なのだ。
逆に伝承通りに子供ぐらいの知能なら、こちらが有利になるのだがな…
だが、それはあり得ないだろう
仮にも2回目の襲撃では、第1砦の兵士も居たのだ
彼等が簡単に、魔物の誘いに乗ったとは考え難い
それに1回目の襲撃でも、痕跡から統率がある程度取れていた事も見られていた
自室のソフアーに倒れ込み、部隊長は強い眠気に襲われながらも深い思考に沈んでいた。
もし奴らが、何の考えも無しに突っ込んで来たら…
恐らく投石だけで大勢は決まるだろう
だが偵察を繰り返し、少しづつ戦力を削がれていけば…
この程度の兵力では…危険…
いくら砦に籠っているとはいえ、魔物の弓もそれなりの威力はあった。
それに籠っていては、補給も補充もままならないだろう
籠っている方が、安全とは限らない。
また、避難した住民の被害も心配である。
迂闊に中に入られては、多数の死傷者を出すだろう。
住民達は兵士達の様に、訓練を積んではいない。
恐らく魔物が入り込んでは、逃げ惑うしか無いだろう。
それに…
そこで部隊長は、急に寒気を感じて跳ね起きる。
自身の考えが間違えであって欲しい。
これが本当の狙いなら、今の体制では不十分で危険だった。
慌てて起き上がると、急ぎ足で警備隊長の執務室に向かった。
ドカドカドカ!
ドンドンドン!
慌てた足音に続いて、執務室のドアが激しく叩かれる。
「なんだ?
どうした?」
「すいません、失礼します」
息せき切ると、部隊長は中に入った。
「どうしたのだ、そんなに慌てて」
「すいません
急ぎ報告したい件がございまして」
肩で息をする部隊長が落ち着きを取り戻すのを待って、警備隊長は尋ねる。
「それで?
どうしたのかね?」
「はい
実は気になる事がありまして
急ぎ対策をした方がいいと思いまして」
「ふむ
聞こう」
警備隊長に促され、部隊長は話始める。
よくよく考えてみれば、襲撃者は結界が発動していても侵入出来ていた
恐らくは結界の破壊が目標なのは、これまでの状況から判断出来ている
問題は住民が多く集まっている今の状況では、格好の贄が集まっているのでは?という事だ
住民を数人殺害し、結界石をダメにされては集落の二の舞になるのでは?
そうさせない為にも、結界石の周りにも兵士を配置すべきでは?
一気に捲くし立てる様に、部隊長は自身の仮説を話した。
それを黙って聞いていた隊長は、ゆっくりと立ち上がると静かに告げた。
「君の懸念は最もだ
だがね、オレがそこに気付かないと思うかね?」
「え?」
そう言われて、部隊長も対策が取られていると気付いて安心した。
ホッと一息吐くと同時に、上司の判断を甘く見ていた自分に急に恥ずかしくなてきた。
「ハハハッ
まあ、安心してゆっくり休みなさい」
「はい」
安心した部隊長が部屋を出ようとしたその時、表が急に騒がしくなった。
部隊長は警備隊長の方へ向き直り、頷くと急ぎ表に向かって駆け出した。
「そっちに回ったぞ!」
「気を付けろ!」
ギャヒッ
「ぐわっ」
「ふん!」
ギャヒャアア
バキン!
ザシュッ!
兵士の一人が大振りに振った剣を、躱されて左腕を切り裂かれる。
そこへ大股に踏み込んできた、部隊長が大雑把に切り込む。
バキンと鈍い音を立てると、粗末なダガーごと魔物は叩き切られた。
「部隊長!」
「大丈夫か?
怪我した者はすぐに後方へ下がれ」
「はい」
「おい
大丈夫か?」
「う…
あ、ああ…」
「こっちだ」
兵士が肩を貸されて、後方に運ばれて行く。
そこへ好機とみて、他の魔物が切り掛かろうと迫って来る。
しかし部隊長は、その魔物の動きを見逃さなかった。
左から突進を仕掛けた魔物を、下から逆袈裟に切り上げる。
グギャギャギャ
「甘い!」
グギィイ…
ザシュッ!
短い呻き声を上げながら、小さな身体が斜め真っ二つに宙を舞った。
その小さな身体は、宙を舞ってから地面に落ちる。
部隊長はそれを確認してから、周囲に他に魔物が居ないか確認する。
それから警戒しつつ、部下達に声を掛ける。
「怪我した奴はポーションを使え!
いいか、傷口に掛けるんだ
何の病気があるか…」
「部隊長!」
ギヒャアアア
兵士の一人が声を上げたが、彼は背後の気配に向けて、振り向き様に真一文字に切り裂いた。
「ぬううん!」
ギャピ―
ドシュッ!
悲鳴を上げて、再び魔物の死体が宙を舞った。
「何の病気を持ってるか分からない
いいか!
傷にはポーションを掛けろ」
「部隊長…」
「さすがノルドの荒猪」
部隊長は兵士達の心配を他所に、しっかりと後方にも警戒していた。
それで近付く魔物にも、鋭く切り返していた。
その様子を見て、兵士達からは歓声が上がる。
彼はその剣戟から、ノルドの荒猪と呼ばれていた。
部隊長は改めて、周りを見回してみる。
侵入したと思われる魔物は、見た限りでは全部で4匹。
うち3匹は既に切り伏せてある。
残る1匹も、仲間がやられたのを見て動揺している。
隙を突いた兵士に、後方から武器を持った右腕を切り落とされる。
さらに逃げようとしたところで、別の兵士に首を刎ねられた。
「ようし
これで全部か?」
「はい
斥候でしょうか?」
「登ってきたのはこいつらだけです」
「ふむ
怪我した奴は?
全員無事か?」
「はい
裂傷など5名負傷しましたが…」
「指示通りポーションを掛けています」
「そうか…
傷を負うなとは言わん、怪我したら直ちにポーションを使え
病気になりましたじゃ、奴さんも待っちゃくれないだろうからな」
「はい」
再び周囲を見回し、他には魔物が隠れていないか探る。
「外壁の見張りはどうだ?」
「はい
負傷した者は居ましたが、今は交代した者が立って居ます」
「ふむ
引き続き負傷したら、他の者が見張りに立つ様に
いいか、隙を見せるなよ
入られたら一巻の終わりだと思えよ」
「はい」
部隊長の一言に、数名が緊張してブルリと震えていた。
彼等が思うよりも、事態は思わしく無かったのだ。
「見ろ」
部隊長は数名の兵士に、見える様に魔物の持っていた短剣を持ち上げる。
それは銅で出来た武骨で粗末なダガーだ。
ダガー
金属製のナイフで、柄と本身が一体な鋳物が多い
ナイフに比べると肉厚で、物を切る事よりも刺したり叩き切る事で怪我を負わせる武器である
小剣として扱われる事もあるが、大概が兵士に支給される小剣に比べると小さかった
寧ろその小ささを生かして、接近戦でより深く懐に入り、急所を狙うのに適した武器である
小柄な子供や非力な女性でも、接近すれば危険な武器に変わるのだ
まさに子供サイズで腕力も低い、ゴブリンにはお似合いの武器である
このようなダガーや小さくて小回りの利く短弓、小型の腕盾などが主な武装となっていた
小柄で隠れ易いからこそ、厄介な暗殺者となるのだ
表面は碌に手入れをしていないのか、何かの体液の痕や腐食した錆や黴も生えている。
これで傷を負わされては、部隊長の言う通り病気になりそうだった。
ポーション
ポーションとは本来、飲み薬の事である
薬効成分を含んだ薬草等を特殊な加工で液体状にした飲み薬が主にそう呼ばれる
本来は服用して簡単な病、風邪や発熱、食中り等を治す飲み薬である
薬草が主成分なので、とても不味い
正直なところ、これを飲むなら虫下しの薬草を生で食べた方がいいとまで言われている
兵士の多くが、新兵の訓練で飲まされて慣れさせられる
塗る事で怪我から罹る病をある程度抑えられると信じられている
使われる薬草で効能が違い、傷薬、解熱や腹下し等と分類されている
ポーションの効き目は万能ではない。
傷薬のポーションでも、傷を早目に塞ぐとかその程度だ。
しかし薬草を含むので、傷から壊死や腫れを抑えるぐらいの効能は持っている。
昔は魔法使いが、魔力を込めたポーションを作っていた。
魔力の籠ったポーションならば、傷を即座に癒す事も出来るだろう。
しかしそれも、今では昔話で登場するアイテムだ。
魔導王国は、今では実在したかも怪しまれていた。
王都の高名な魔導士様のポーションなら、小さな裂傷ぐらいは瞬時に治ると言われている。
しかしこの砦には、そんな高価な物は支給されてはいない。
安い痛み止めや、傷の治りを良くするポーションしか無かった。
まあ、それでも病気の予防ぐらいにはなるだろう。
その後も2度侵入を許したが、即座に部隊長が応援に駆け付けて事無きを得た。
3度目には城壁の見張りも慣れてきたのか、投石で追い払える様になってきていた。
やがて、空が明るくなり始めると、魔物は撤退したのか襲撃は収まっていた。
怪我人は8人にまで増えたが、幸いにも重傷者や死者は出ていなかった。
傷口はポーションで消毒がされ、薬草が巻かれていた。
少し痛むが、任務には支障が出ない程度で済んでいた。
「あと1日
あと1日頑張れば、救援が間に合う予定だ」
「はい」
「それまで持ち堪えるぞ」
「はい」
広場に集まった兵士は、疲労から眠そうにしている者もちらほら見られていた。
それでも部隊長の激に、応えて頑張っていた。
「よし
疲れただろう、交代だ
熱い風呂を用意して、しっかり食ってから休め」
「はい」
兵士達は襲撃に走り回り、泥や汗で汚れていた。
沸かした湯で、簡単な湯浴みをする必要があった。
そうしなければ不衛生で、病気や体調不良の原因になるだろう。
兵士を交代させてから、部隊長も仮眠を取りに戻った。
明るい内は襲撃も無さそうだった。
勿論、油断は出来ないだろう。
それでも休める内に休んでおかなければ、敵が来た時に太刀打ち出来なくなる。
恐らく今夜が山場だろう。
部隊長はそう考えると、軽く湯浴みを済ませて寝台に転がった。
まだまだ続きます。
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