第045話
思わぬ魔物との邂逅の後、街はその魔物の噂で持ち切りだった
豚の顔をした人間の様な魔物に、襲われたという噂をする隊商はいた
しかし本当に、豚の様な魔物を見た者は居なかった
それが初めて発見されて、その遺骸も住人に見られてしまった
だから住民達は、その不気味な魔物の事で持ち切りだった
守備隊は遺骸をギルドに運んで、詳しく調べて対策を協議する事となった
その対策会議には、各ギルド長と領主であるアルベルトも立ち会う事になった
守備隊が運ぶ魔物の遺骸は、否が応でも住民の目に付いた
豚の頭が載っているが、あれは本当に魔物なのか?
あれに出くわした隊商はほとんど殺されたのに、一体誰が倒したのか?
見た目は頭だけ豚だが、あれは豚みたいに食べられるのか?
等々といった噂で、街は持ち切りだった
「すっかり噂になってますねえ」
「仕方が無いだろう
大きな図体だったんだ、荷車で運ぶしか無かった」
「その分、一緒に運んだ兵士の死体と間違われて、向こうで大変だったみたいだよ?」
「しかし大きいな」
「大隊長とさして変わらないな」
「豚の面を取ったら、大隊長と同じ顔してるとか?」
「おい!」
「そんなに怒るなよ
冗談だよ、冗談」
「言って良い冗談と、悪い冗談がある」
「はあ…
ダナンは本当、大隊長が好きだねえ…」
「悪いか?」
「いんや」
「なら黙ってろ」
ハウエルは肩を竦めて、同僚の頭の固さに閉口する。
ダナンは大隊長を尊敬していて、その手の冗談が通じない。
予想通りの反応に、ハウエルは肩を竦めて応えた。
その横で、ヘンディーは渋い顔をしていた。
冗談だと分かっているが、自分がこれと一緒にされた事に、ちょっとだけ傷付いていた。
オレ…
ここまで顔は悪く無いぞ
ハウエルめ
酷過ぎるぞ…
街の中に入ると、魔物を見物しようとする住民が集まっていた。
警備隊達が、住民が近付かない様に規制をしている。
大隊長達は、魔物の事が既に、噂になっている事に驚いていた。
外に出ていた偵察隊を回収して、南門から帰還する間に見られてしまったのだろう。
この騒ぎの中を通って、ギルドまで運ばないといけないのだ。
面倒臭いなと、彼は思っていた。
「だが、幸い被害が少なくて助かった」
「そうですね
犠牲が多かったら、この声は非難の声に変わっていましたよ」
「ああ
今は興味深々って感じだな」
「ですが…
それでもうちの部隊は、使者5人に怪我人が8人ですよ
結果としては散々です」
「うむ
坊ちゃんがご活躍なさっていなければ、もう2、3人死んでもおかしくなかったな」
「ええ」
ギルバートでは無く、実際はリーダーの兵士が頑張っていた。
しかし彼は、当たり前の事をしただけだった。
彼よりもギルバートが、評価されるのは仕方が無かった。
「その坊ちゃんなんですが…
あの後邸宅へ帰られたみたいですよ?」
「ああ
あんな事があった後だ、致し方あるまい」
「大隊長…
甘いですよ」
「ん?」
部隊長のハウエルは、大隊長が子供に甘いのを嗜める。
今回の事に限らず、少年兵の失敗にも寛容である。
まあそのおかげか、彼を慕う兵士は多いのだが。
「時にはガツンと叱らないと
子供だからと甘やかしていると、いつか取り返しの付かない失敗をしますよ?」
「分かっている
その為に、お前達が必要以上に厳しいのもな」
大隊長はニヤリと笑い、その様子を見てハウエルは肩を竦めた。
損な役回りとは分かったいるが、彼の性格では心配するほど厳しくしてしまうのだ。
そういう意味では部下の育成が上手いのは、エドワード隊長と亡くなったロンであった。
今でもロンを慕う部下は多く、その損失は大きかった。
「コボルトだけならいざ知らず
ゴブリンにやられた者も多いな」
「ええ」
「まさか待ち伏せされていたとは…」
大隊長の帰還が遅れたのは、後始末もあったが、南に向かった偵察隊の救援に向かった事にもある。
ギルバート達が帰った後に、南側でゴブリンの待ち伏せがあったと報せが届いた。
幸い数は大した事が無かったが、奇襲を受けて死傷者が多く出てしまった。
この事でも、大隊長はもっと修練を課さねばと思い知った。
「兎に角、今日はもう帰って休もう
流石に疲れた」
「いいえ
先に遺骸の検分があります」
「そんなのギルドの連中に任せれば良いだろう?」
「いいえ
こちらはオレと大隊長が出なければ、示しが付きません」
「そんなあ…」
「領主様もいらっしゃるそうですよ
逃げないでくださいよ」
「オレも帰って寝たいよ…」
「駄目です」
「くっくっくっくっ…」
大隊長はガックリと、肩を落として歩いていた。
それは戦闘に疲れた事もあるが、面倒な会議に出る必要があったからだ。
大隊長達が、南門の前でこんな会話をしている頃、アルベルトはアーネストの報告を聞いていた。
その報告は重過ぎて、領主は即決を躊躇っていた。
「本当に、今の報告で間違い無いのか?」
「ええ
残念ですが…」
「あのオークと言う魔物でも…
最低ランクなのか…」
「はい
その上には多くの魔物が存在します」
アーネストは机上に開かれた書物のページを捲る。
そこには様々な魔物が描いてあり、主な特徴が記されていた。
オークも当然だが、まだ見ぬ恐ろしい化け物が描かれている。
「どこまでが真実か?
どこまでが誇張か?
これはまだ、検証の必要が有りますが…
少なくとも今日の事で、ある程度は参考になると確信しました」
「うぬぬぬ…」
アーネストは随分前に、書庫でこの魔物大辞典という絵本を見つけていた。
いや、実際には辞典であったのだが、魔物が見られない以上空想の産物と思っていた。
発見した当初には、子供向けの空想の辞典だと思っていたのだ。
だから気になっていたが、領主には報告していなかった。
それが急に魔物が現れ、女神聖教でも魔物が存在すると発表された。
それを見てアーネストは、この辞典の信憑性が高いと改めて感じていた。
そうして見直して見ると、この辞典には多くの情報が記されている。
魔物がどの様な存在で、古代王国がどの様にして戦ったかが覗えるのだ。
「しかし、書庫にこんな本など在ったか?
ワシは知らなかったぞ」
「陛下の贈り物の中に、入っていたのでは?
アルバート様はその辺の、確認が甘いですから」
「うぬぬ
否定は出来ん…」
アルベルトは国王から頂いた物の、管理が杜撰だった。
全て執事に任せて、目録の確認しかしていなかった。
また、片付けも任せていたので、そう言われても仕方が無い。
執事がいつ、そこに本を置いたのか、それすらも知らなかったからだ。
「この辞典を見てみると、最弱の魔物であるGランクに属していると…」
「Gランク
それが魔物の強さを示す…」
「いえ
正確には脅威の強さですね
同じオークとゴブリンでも、強さに差はあります
それに脅威の内容も違いますし…」
「脅威の内容?」
「ええ
ゴブリンは兎も角…
コボルトは先述の通り、群れを作る事が危険です」
「犬の様に鼻が利くとか、耳が良いとかでは無いのか?」
「それに関しては、他に獣の様な魔物も居ます
まあ、ゴブリンよりは危険となりますが…」
「オークは?
オークはどうなんだ?」
「膂力ですね…
ランクGの中でも、純粋な力は侮れないと…」
「力か…
それはコボルトよりも?」
「さあ?
そこは未確認です
ですが記述には、筋肉質で表皮も固いと…」
「ううむ…」
アーネストは頁を捲って、オークの紹介の箇所を開く。
しかしオークに関しては、それほど記述がされていない。
それよりも恐ろしい魔物が、他に多く存在するからだ。
Gランクの魔物程度では、同じ頁に数種の魔物が、纏めて紹介されていた。
「固いと言っても、どこまでのものなのか…
また、何とひかくしてなのか…
人間?
熊?
あるいはゴブリンやコボルトの様な、同じGランクの魔物の中でって事なのか…」
「そうじゃなあ…
それ次第で意味も変わって来るのか」
「ええ」
アルベルトも顔を突き出して、魔物の載っている頁を覗き見る。
そこには小さな挿絵と、簡単な紹介が書かれている。
なるほど、これだけを見れば、子供向けの架空の図鑑に見える。
ひょっとしたらアルベルトも、そう感じて興味を持たなかった可能性もある。
それでいずれはギルバートに、与えようと放置していた可能性だ。
「それで?
そのランクという物は、どの様な基準なんだ?」
「そうですね
ランクGの基準は、あくまでも一番人間に近いという意味合いでしょう
魔石も殆ど有しておらず、魔法の行使も出来ないと書かれています」
「魔法か…」
そう言ってから、アルベルトは違和感に気付く。
「人間に近しい?」
「ええ」
「それじゃあ人間が…」
「ええ
何も持たない人間が、一番弱いとされています
まだ亜人の方が…」
「何だと?
亜人は弱いのでは?」
「いえ
ドワーフは力を持ち、暗視と鍛冶の能力を持ちます
エルフは精霊の力を借りられます
獣人ですら、人間を超える力や、丈夫な毛皮などを有する…
でしょう?」
「むむ…
そう言われれば…」
「アルベルト様は、どうして亜人が弱いと…
そう考えられたんです?」
「それは…
ああ!
そうか!
帝国での教えで…」
「やはり
そこが弊害だったんですね」
「ぬう…」
アルベルトは、幼少期は帝国の教育を受けていた。
それが知らず知らずに、亜人蔑視の基準となっていた。
「焚書に、奴隷制…
人間至上主義という、過去の魔導王国の影響…
帝国だって、それを払拭できませんでした」
「そうじゃ
考えてみれば、ハルもエルフやドワーフは過去の存在だと…」
「国王様は、獣人の恐ろしさを説いておられます
ですが他の亜人は…」
「現に姿を消しておるからなあ…」
「ですが彼等の力は、人間を超えていますよ?
このダーナの城壁だって…」
「ぬう…
そうじゃ
ドワーフの建造物じゃ」
ダーナが安心していられるのも、堅牢な城壁を誇るからだ。
一部崩れて、人間が補修した箇所もある。
しかしドワーフが造った城壁は、頑丈で容易に崩せない。
事実帝国の攻撃も、防いだ実績がある。
「王都の城壁…
あれが帝国の攻撃を防ぎましたからね…
当時の帝国には、攻撃魔法を扱える魔導士も居たんでしょう?」
「ああ
火球や雷撃も、城壁を破壊する事は敵わんだった
それを考えれば…」
「ですからそれを造ったドワーフも、それだけの力を持つ事になります
少なくとも、人間の魔法程度では容易には…」
「それでは何故?
何故彼等は人間に?」
「それは女神様の教えでしょう
兄弟で争うなという…
女神様の教えです」
「ああ…
それで戦わなかったと言うのか?」
「ええ
実際に魔導王国の記録には、ドワーフは無抵抗だったと…
エルフは抗おうとしていますが、姿を晦ましました」
「ぬう…
確かにそうじゃな
気が付かなかった」
「仕方がありません
その様に、帝国が教育していたんでしょう?」
「じゃが…
ワシ等はそれで、慢心して…」
「ええ
魔物に備えていませんでした
既に過去の物として…」
魔物が滅びたと、心のどこかで思っていた。
それで魔物は存在しないと、いつしか安心していたのだ。
脅威を感じて備えていたのなら、少なくとも魔法を絶やす様な愚行は行わなかっただろう。
今では帝国も、魔法を満足に使える者は少なくなっている。
帝国でも魔物には、対処出来るか怪しいだろう。
「もし仮に
魔物が魔法を使えたなら…
どれほどの脅威になる?」
「少なくとも、ランクは1つ上がりFランクになります
Fランクの魔物となると、オーガやトロールと同等になるかと…」
「オーガやトロールとは?」
「そうですねえ…」
アーネストは頁を捲って、不気味な男の様な挿絵の頁を開く。
片方は筋骨隆々で、頭に何か伸びている。
もう一方の頁には、崩れて溶けた様な男が描かれていた。
アーネストは先ず、筋骨隆々とした男を指差す。
「先ず、オーガから
身長2m~3m
表皮は頑丈で、巨体から繰り出す強力な一撃は、城壁でも崩される恐れがあるとか…」
「おい…」
「この頑丈が、何と比較してなのか…」
「まさか…
人間と比べてじゃ無いよな?」
「でしょうね
でないと、ランクが上がる事も無いでしょう」
「じゃろうな…」
アーネストは次に、崩れた男を指差した。
「次にトロールですが
こちらは2m~2m50cmぐらい
力もオーガほど有りません
動きは遅く、剣や斧でも傷付けれます」
「ああ…良かっ…」
「しかし、問題は表皮にあります」
「ん?」
アーネストは、その男の溶けた身体を指差す。
「トロールの表皮はこの様に…
溶けた様に見える、ブヨブヨした柔らかい物なんですが…
腐食性の粘液を出します」
「おい!」
「これは人体に掛かれば、溶かされて危険ですし…
武具も傷んでしまいます」
「はあ…
北で見た巨人の影が、これで無ければ良いのだが…」
「どうなんでしょうね?
巨人としか言われていませんし
確かに大きな男でしょうが…」
そこでアーネストは何か言いかけたが、状況が分からない為に躊躇った。
それがもし本物の巨人なら、ランクは更に上がってDランクになる。
それは城壁なんぞ軽く砕く、まさに化け物だ。
そんなのが来たら、ダーナも城壁を破壊されて、即座に危険な状況になるだろう。
「確証の無い魔物の話をしても、仕様がありません
先ずは当面の脅威を取り除かなければ」
「そうだな」
「先ず、今後当面は、開拓や貿易の為の隊商は無理でしょう」
「ああ」
「備蓄の食料は?
どのくらい余裕がありますか?」
「うーむ」
アルベルトは考え込む。
今年の収穫は、ほとんど終わった後だった。
後は家畜で賄えば、春まではもちそうだろう。
しかし来年の事を考えれば、種や家畜の消費を抑えても半年はもたない。
「冬を越すのが…
やっとだろう」
「それは何故です?」
「穀物よりも、肉の供給が止まるからだ」
「ああ、なるほど」
アーネストは顎に手をやり、暫し考える。
これはアルベルトが、顎髭を弄る癖を真似ていた。
知らず知らずに、尊敬する領主の癖を真似していた。
「肉の供給があれば、もっともちますか?」
「それは可能だろうが…
だが、どうするのだ?」
「これは、これから調べますが…」
アーネストはひそひそ声で、領主に耳打ちをした。
アルベルトはそれを聞くと、驚愕に目を見開く。
それから嫌悪感からか、眉を顰めていた。
「な!
しかし…
ぬう…」
「無理にとは言いません
領民の反対もあるでしょう」
「当然じゃ!
しかし…
それなら何とかなるのか?」
「ええ
まだ確証はありませんが
この書物に書いてある事が本当なら、今回の厄災は贈り物に変わるでしょう」
「うーむ
後は領民の倫理観だけか…」
「はい
そこは領主様の…
手腕を信用しています」
「むぐ!
本当に、お前は口が悪いな」
「はは…」
問題の後始末を丸投げされ、アルベルトは閉口する。
確かにどうするかは、アルベルト次第であろう。
彼が説得に失敗すれば、領民はここを離れてしまう。
上手く説得して、領民を納得させる必要があった。
アルベルトは、その後もアーネストと細かい話を詰める。
それからアーネストは、魔物の遺骸を調べる為に、守備隊の宿舎に向かった。
この後に領主達と、各ギルド長との会談がある。
それまでの間に、魔物の詳細を調べる必要があった。
アーネストが宿舎前に着くと、そこには多くの領民が集まっていた。
恐ろしい魔物が出て、討伐されたと噂が広まったからだ。
彼等は少しでも、魔物を見たいと集まっていた。
「はいはい、ごめんよ」
アーネストは小柄な体を活かして、するすると人込みを掻き分けて行く。
そうして宿舎に辿り着くと、数名の兵士が入り口を塞いでいた。
領民が押しかけない様に、クリサリスの鎌を持って見張っている。
「どうも、ご苦労様
おじさんは居る?」
「誰だ!
ここは通さな…なんだ、アーネストか
大隊長なら中だ」
「ありがとう」
アーネストは軽く挨拶をして、慣れた様子で入って行く。
それを見た男が喚く。
「なんであのガキは良いんだ!」
「あの子は特別だ!」
「ふざけるな!
何であんなくそガキだけ…」
「あんた、アーネストを知らないのかい?」
「あの坊やを知らないとは…」
「愚かな…」
「可哀想に…」
「へ?」
「ちょっと!
あんた!」
「この男、今坊やの事を…」
「許せないわね」
「はへ?
あぎゃあああああ」
「はあ…」
「言わんこっちゃない…」
アーネストは自称大魔導士とか領主と懇意にしているとか、兎角噂も多い。
しかし何よりもその容姿で、一部の住民には人気者になっていた。
可愛い顔と小柄な身長、そして大人顔負けの毒舌が人気の秘訣だ。
一部のご婦人や女性達から、『アーネスト坊や』とか言われて可愛がられていた。
それを知らない者はどうなるのか?
アーネストの事に文句を言っていた男は、若いご婦人方に囲まれる。
彼は暴言の報いを、思い知らされる事になった。
そんな外の騒ぎを後にして、アーネストは慣れた様に階段を上がる。
大隊長の執務室は、階段を上がった上の部屋にあった。
「お待たせしました」
「おう
来たか」
大隊長は魔物の解体ををする為に、自身の執務室に居た。
それから部屋を移動して、人が集まっている会議室に向かう。
本来の予定では、解体も検分もギルドで行う予定であった。
しかし領民が集まり、遺骸を運ぶ事が困難になってしまった。
そこで急遽、この兵舎で行う事に変更になった。
「待っていたよ」
「遅いぞ」
「それでは、これで揃ったかね?」
大隊長の後ろに、第1、2、3、4部隊の部隊長が並ぶ。
ダナン、アレン、ハウエル、エリックが、今の騎兵部隊の部隊長だった。
先の遠征で、二人の部隊長が亡くなったり、行方知れずになってしまった。
それに兵士の人数も減って、今では4部隊に縮小されている。
それから歩兵部隊、弓兵部隊を代表して、エドワード隊長が出席していた。
騎士団からはオーウェン副隊長が、将軍の代理として出席していた。
今回の魔物の報告を受けて、大急ぎで街に来てくれたのだ。
彼の代わりに残された騎士達は、膨大な書類の山に嘆いている事だろう。
他にも魔術師、冒険者、商工ギルドの代表として、各ギルド長が出席している。
ギルドマスターは多忙なのだが、時間を割いてまで来てくれていた。
彼等は領主から、今後の相談を受ける予定になっている。
「領主様がおられませんが?」
女神聖教の代表として、司祭が立ち合っていた。
彼も仕事があるのだが、今回の解体に立ち合っている。
「ボクが後程、報告する手筈になってます」
「そうですか
アルベルト殿も多忙ですなあ」
「ええ
喫緊の問題もありますので」
「外の魔物の問題ですか?」
「ええ」
司祭は魔物の脅威を憂慮して、女神様に祈りを捧げる。
それからアーネストに振り返ると、疲れた表情をしていた。
彼も魔物の脅威から、領民の相談を多く受けていた。
そういう意味では、彼も忙しい身ではあった。
「私は解体なんぞ、見たくは無いんですが…
女神様の託宣もありますからねえ」
司教は魔物の遺骸を見て、嫌そうな表情をする。
そもそも司祭なので、生き物を安易に殺す事には反対なのだ。
例え魔物でも、女神様がお創りになられた生き物には違いない。
しかし人間の脅威となる為、襲い来る魔物には対処する必要があった。
その為には、こうして魔物の正体を知る必要もあったのだ。
それで嫌々ながら、こうして出席している。
「そう言うなよ、オレも領主の頼みで無かったら、こんな物見たくもないぜ」
冒険者ギルドの長も、嫌そうに遺骸を睨んでいる。
彼の場合は、領民を害する危険な害獣に近い存在だ。
司祭とは違った意味で、遺骸に侮蔑の視線を送っていた。
商工ギルドのギルド長も、同じく顔を顰めている。
彼は侮蔑というより、怖くて顔を背けていた。
しかし彼等は、ここで魔物を詳細に知っておく必要がある。
どんな危険性があるか?
彼等はどんな生き物なのか?
場合によっては、獣の様に素材を手に入れれる好機でもある。
特にコボルトに関しては、毛皮の需要があるかも知れない。
そして冒険者ギルドからすれば、爪や牙も貴重な素材になり得る。
そうした経緯もあって、この検分には価値がある。
ここは我慢をしてでも、見ておく必要があった。
「それでは始めますぞ」
商工ギルド長が声を掛け、解体専門の職人が、ナイフを手に前へ出る。
彼等は獣の処理を、専属で行う職人達だった。
彼等が検分すれば、使える素材も見付かるだろう。
慣れた手付きで、職人達は魔物を解体して行く。
先ずはオークから、解体台の上に置かれる。
魔物の解体は2時間ほど掛けて、慎重に行われた。
表皮は人間よりも、豚のそれに近い事が分かった。
しかし素材としての価値は低く、皮として扱い難い事が分かる。
豚の皮は、そもそも毛皮としても価値が低いのだ。
加工が難しく、特筆すべき利便性も無かった。
次に肉が削がれ、切り分けられる。
この辺は人間に近く、食用には向いていないだろうと判断された。
種族が違う高ランクのオークは、食用に適していたと記録があった。
しかしこのオークは、臭みが強くて飼料や肥料に回す事になった。
臓物も同様で、これも乾燥して、飼料や肥料にする事となる。
次いで、魔石だ。
魔石は3体あった内の1体にしか見られず、それもとても小さい物だった。
しかし、ここで魔術師ギルドから意見が出る。
彼は事前に、アーネストから魔石の報告を受けていた。
「この魔石を触媒にすれば、魔術の発動を楽に出来る様になる」
「と、言うと?」
「何か知っているのか?」
「ええ」
「具体的には?」
「魔術の発動に必要な魔力を、これから供給出来る様になります
ほとんどの魔術は、個人の魔力に依存していますから
本来なら不可能でしょう」
「そりゃあそうだ」
「ああ
そもそも魔石という物が、帝国の魔術師から手に入れた物だからな」
「詳細もよく分かっていない」
「ええ
しかしれを使えば…
既存の魔石と同様に、外界から魔力を供給出来るでしょう…」
「魔力を溜めておけるのか?」
「恐らくは」
「それなら魔石を集めれば…」
「ええ
魔力が無い者でも、魔石を使った魔道具を扱えます
そして魔力がある者ならば…」
「より強力な魔術の…
行使が可能になる?」
「そうです」
一般人には、魔石に関しては実はあまり知られていない。
王都に住む者であれば、商人が持ち込む魔道具を見る事もあるだろう。
しかし辺境のダーナでは、それも叶わぬ事であった。
それで魔石に関しては、ギルド長でもよく分かっていなかった。
「嘗て強力な魔法を持った…
王国が在りました」
「そんな話、聞いた事が無いぞ」
「ちょっと待て
それは子供の寝物語の…」
「そんなおとぎ話を、今さらする気か?」
「王国は滅んで、書物もほとんど残っていません
帝国の愚行もありましたからね
教会では?
記録は?」
「実は…
古代王国の資料はあります」
「ええ!」
「何だって?」
その場に列席したほとんどの者が、騒然としていた。
それは今まで、物語として聞いていた魔導王国が実在すると言うのだ。
しかもその王国に関して、記録まであるという事だ。
驚くなと言うのが無理だろう。
「正確な資料は…
ほとんど残っていません
ですがそういう王国が在って、帝国によって滅ぼされたという記録はあります」
「馬鹿な!」
「それじゃあ実際に、魔導士の国が在ったと?」
「しかし帝国は…
六英雄はどうやって倒したと?」
「それは物語通りに?」
「だが、それが本当なら天を割いて、地を穿ったという事になるぞ?」
「まさか?
ははは…」
「それこそ子供の寝物語だろう?」
場は騒然とし、古代王国と魔石の事で話し合われる事となった。
この後もコボルトの解体もあったのだが、すっかり興味が失われていた。
コボルトは毛皮と、牙や爪が回収される。
こちらも肉や臓物には、価値が無いと見なされる。
そして魔石に関しては、コボルトからは発見されなかった。
「今後、魔物の遺骸を回収し、魔石を集める
それでよろしいですな?」
「はい」
「冒険者ギルドでも、クエストとして推奨するぞ」
「おお」
「頼みましたぞ」
「ああ」
「次に…
得られる素材ですが
現状では骨ぐらいですかね?」
「ああ
それもどこまで耐久力があるかは、試してみんと分からん」
「爪や牙は?」
「コボルトのか?
こちらも試してみんとなあ…
先ずは加工してみてからじゃ」
「そうか」
「報告は後程で」
「ええ」
「はい」
「コボルトの皮はどうじゃ?
アレは犬みたいに毛むくじゃらだよな?」
「魔物の毛皮か…」
「可能とは思う
だから、そいつの皮も集めてくれ」
「分かった
こちらも回収じゃな」
「後は食用の魔物か…」
「今のところ、見つかってはいませんね」
「ああ
そこが問題じゃ」
「領主からも要請が出ておる
家畜が減るとなれば、代わりになる食肉は必要じゃ」
領民が外に出れない以上、家畜は城内の物だけになる。
そして猟にも出れないので、獣を狩る事も出来なくなる。
そうなれば、食肉を得る機会が減ってしまう。
商人の往き来も難しくなるので、それも難しいものとなる。
アーネストは辞典を開き、Gランクの魔物のページを示す。
「ここにある…
ワイルド・ボア、こいつが有力な候補です」
「ボア?」
「猪か?」
「ええ
猪の魔物…
そう考えればよろしいかと」
「ううむ…」
「確かに見た事が無い」
「私もありませんねえ…」
「まだ目撃されていませんが、魔物が居たとなればこいつらも居る可能性が高いです
魔物が飼っていたと、そういう記録があります」
「本当か?」
「どこにそんな物が?」
「それはまだ…
公開は出来ません」
「それじゃあ信憑性が…」
「しかし、領主様が知っておられる情報だと…」
「ぬう!」
「それは信じるしか」
「ですな」
「それで冒険者ギルドで、クエスト対象にして欲しいんです
先ずは目撃情報
それから討伐して確保です」
「分かった」
「兵士の方でも、見つけ次第報告する
出来れば討伐もしたい」
「お願いします」
魔物について、一通りの確認が終わる。
それを確認してから、アーネストは領主からの伝言を伝える。
「後は…
各自の力の底上げです」
「それは…」
「難しい事を…」
「領主からの要請ですよ?」
「ぬう…」
「冒険者ギルドでも、スキルの推奨をしてはどうかね?」
「兵士がやっている、あの奇妙な踊りかね?」
「き、奇妙な?」
「貴様!」
「抑えろ!
分らぬ者からすれば、そう見えても仕方が無い」
「ですが…」
「ふん」
冒険者ギルドは、兵士のスキルの訓練を馬鹿にしていた。
それで無くとも、元々冒険者ギルドと兵士は仲が悪い。
それが見た事も無い変わった訓練を始めたものだから、こうして馬鹿にしているのだ。
「まあまあ…
魔術師ギルドでは、目下新開発の魔法の習得に力を入れています」
「おお!」
「新開発ですと?」
「それは素晴らしい!」
これはアーネストが調べた、魔導大全から得た魔法の事だった。
しかしそれを言えば、また不信感から問題が起こる。
そこで魔術師ギルドの長は、新開発の魔法としたのだ。
こうすれば、多少なりとも信憑性が増すだろう。
「後は冒険者ギルドと兵士のみなさんに、スキルの習得をしていただきます」
「例のヤツだな
少しずつだが、習得させている
これもクエストとしてやらせている」
「何で冒険者ギルドが…」
「領主様の命令ですよ?」
「ぐぬう…」
「くくく」
「ざまあみやがれ」
「しっ!」
「止しなさい
みっともない」
ハウエルとアレンが、ここぞとばかりに揶揄おうとする。
しかしダナンとエドワードが、それを小声で窘めた。
ここでくだらない事で、揉めても仕方が無いのだ。
「後は…
先ほどの魔石なんですが
数が揃ったら、商工ギルドにも協力していただきたいんですが」
「魔石を使った装備じゃな
任せろ」
「魔術師ギルドでも、加工して魔道具の開発を」
「ああ
それは構わないが…
時間は掛かりますよ」
「ええ
お願いします」
アーネストは頭を下げて、体裁上の依頼をする。
現実には、その魔道具の開発もアーネストがする事になる。
しかし表向きには、魔術師ギルドでの開発という事になる。
「それでは、今後の方針は以上です
何か質問は有りますか?」
冒険者ギルド長と、司教が手を挙げる。
「それは…
本当に領主の命令なんだな」
「信じて良いんですね?」
「はい
ボクと領主様で、先ほど相談して決まりました」
「ならいい」
「教会としては、魔物の討伐に思うところはございますが…
領主のお決めになられた事なら、異存はございません」
こうして急遽開かれた魔物の解体作業に伴い、今後の対策が決まった。
魔物の襲撃が、いつ起こるか分からない。
しかしそれまでは、出来る事を精一杯やって、襲撃に備えようと決まったのだ。
まだまだ続きます。
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