第044話
思わぬ魔物との戦闘に、死傷者が出てしまった
大隊長は直ちに任務を切り上げ、撤退を命じる
ギルバートも街へと戻されて、門の近くで休んでいた
ギルバートは、初めて目の前で人が死ぬのを見た
今までも魔物との戦闘で、死人が出る光景は目にしていた
しかしそれは離れた場所で、どこかで自分は違うと実感を持っていなかった
だが今回は目の前で、人が亡くなるのを目にする
それも仲良くなったばかりの、ローダンが亡くなったのだ
それはギルバートに、大きな衝撃を与えていた
先ほどのたたかいでも、スキルを使って戦う事が出来た
それは魔物を切り裂く、見事な攻撃であった
だから心の中では、死ぬ事は無い筈だと感じていた
そう思いたかった
それでも現実に、目の前で親しく話していた人が死んでしまったのだ
認めたく無いが、アレが自分であったかも知れない
そう思った時に、ギルバートは恐怖に震えていた
今さらながら、戦闘で死ぬという恐ろしさを実感したのだ
ギルバートは南門の前の広場で、呆然として座り込んでいた。
手にはまだ、魔物を切り裂いた時の感触が残っている。
そして脳裏には、頭を潰れた兵士の死体と、首がブラブラしていたローダンの死体が映っていた。
不意に込み上げる物を、路上に戻してしまう。
「うう、うえっ…
げほっ、ごほっ」
「だ、大丈夫ですか?
おい、水を持って来い」
兵士の一人が気遣って、背中をさすって、同僚に水を持ってくる様に言う。
近くに居た兵士が、慌てて水を汲みに向かう。
「魔物を倒したのは…
初めてじゃありませんよね」
「…」
ギルバートは黙って頷く。
「もしかして…
人が目の前で死ぬのは、初めてでしたか?」
「…」
再びギルバートは、黙って頷いていた。
答える気力も無く、ただ茫然と頷いていた。
「そう…
ですか…」
兵士はここで困ってしまう。
声を掛けようにも、ありきたりな言葉しか思いつか無かった。
こういう事で、戦えなくなる兵士も多いのだ。
少し考え込んでから、結局良い言葉が思いつかず、彼はありきたりの言葉で励まそうと諦めた。
「ありきたりの…
言葉で申し訳ありません
しかし生きて帰れたので、それだけを善しとしましょう」
「…」
「そりゃあ、あんな化け物を目の前にして…
戦う事なんて、なかなか出来ませんよ」
「…」
「オレだったら…
真っ先に逃げます
たぶん…」
「…」
「はあ…
元気出してくださいよ
オレだったら死んでましたよ?
坊ちゃんは流石ですよ」
「…んな事は…」
「へ?」
「そんな事は無い!
ボクは何も出来なかった
出来ていなかったんだ」
「出来ていなかったって…
魔物を倒したじゃないですか」
ギルバートは頭を振る。
その眼に涙を浮かべて、彼は悔しそうに嗚咽を漏らす。
「うう…
ひぐっ
彼を…
ローダンを…」
「へ?」
「助け…
られなかった…
うう…」
「そんな…」
兵士からすれば、それは贅沢な事であった。
初陣を生き残る事も、なかなかに難しい。
ましてや魔物を目の前にして、命が有っただけでもマシなのだ。
それが彼は、魔物も倒していたのだ。
犠牲になった兵士には申し訳ないが、それでギルバートが助かったのだ。
彼にしては良くやったと言えるだろう。
それを出来ていなかったと、ギルバートは嗚咽を漏らしているのだ。
ギルバートのすぐ側に、アレックスは蹲っていた。
彼はローダンの死の衝撃で、茫然自失となっていた。
大隊長の手刀で意識を失っていたが、今は放心して蹲っていた。
それがギルバートの様子を見て、アレックスの目が険しくなる。
彼は急に立ち上がると、ギルバートに掴み掛かる。
「…っだよ…それ…
何だよそりゃあ!」
アレックスは怒りを露わにして、ギルバートの胸倉を掴む。
そして激しく揺さぶりながら、ギルバートに迫る。
彼を救う為に、ローダンは命を費やした。
それを救えなかったと、ギルバートは言っているのだ。
彼からすれば、それは許容出来る事では無かった。
「あ!
おい!」
「止さないか!
「ローダンは命を懸けて、オレを…
オレ達を守ってくれたんだ!
それを…
それを!」
「あ、ぐう…」
「離すんだ」
「領主様のご子息だぞ
無礼だろう」
水を持って来た兵士が、慌ててアレックス手を掴む。
ギルバートを励ましていた兵士も、アレックスの凶行に、慌てて羽交い絞めにする。
アレックスは相手が領主の息子だという事を忘れて、ギルバートの胸倉を掴んでいた。
二人の兵士は、アレックスを押さえようと拘束する。
「ちょ、ちょっと!
ダメだって」
「離せ!
あいつは…
ギルバート!
お前はローダンの死を愚弄したんだ!
許さんぞ」
「ああ…
ローダン…
アレックス…」
周りの兵士も止めに入り、アレックスを押さえ込んだ。
しかしアレックスは、押え付けられてもギルバートを睨んでいた。
ギルバートはそんなつもりは無かったが、結果としてローダンの死を否定したのだ。
ギルバートがどうであれ、あの状況では救えなかった。
彼が死んだのは、アレックスを魔物から救おうとしたからだ。
それを救えなかったと言う事は、彼の死を否定する事になる。
「ごめん…
ごめんよ…」
「うおおおお」
放されたギルバートは、地面に座り込んで譫言の様に繰り返す。
アレックスは兵士達に押さえられ、突っ伏して号泣していた。
そんな二人を見て、兵士は呟いていた。
「あーあ
こんなのは新米には日常茶飯事だぜ
悲しんでる暇は無いんだ」
そう呟きながら、門の向こうを振り返って見る。
魔物が本格的に攻めて来たなら、彼だけではない。
より多くの死者が出るだろう。
そんな魔物の襲撃に備える為にも、今日の様な無茶な偵察が必要だった。
結果としては死者が出たが、収穫は大きかった。
噂の魔物に出くわし、これを討伐したからだ。
情報となる死体も重要だが、倒せるという事が証明出来た事が大きかった。
「だが…
奇襲で倒した様なもんなんだよな
正面から行ったら、どれぐらい削られるか…」
「それは言うなよ」
「そうだぜ
考えたくも無い」
不意討ちで倒せたが、正面からなら何対1で勝てるのか?
想像したくも無かった。
仲間の兵士達も、それを考えてうんざりした顔をする。
そんな事を考えても、自分達が立ち向かう事には変わりない。
そして戦闘の際には、そんな事を考える暇も無いだろう。
考える事すら出来ずに、魔物に殺される可能性が高いだろう。
暫くすると兵舎やギルドから人が来て、魔物の遺骸を回収した。
それから兵士の死体も荷車に載せられ、兵舎へと運ばれる。
アレックスもそれに着いて、兵舎へと向かった。
アレックスは去り際に、ギルバートを睨んでいた。
それは憎しみからでは無く、彼の言葉を許せなかったからだった。
「坊ちゃんは…
どうなさります?」
「…」
兵士が尋ねて来て、ギルバートはぼんやりと見上げる。
このままここに居ても、何もする事は無いだろう。
しかし今のギルバートには、それすら満足に考える事も出来なかった。
「もうすぐ隊長達も帰って来ますが…
待ちますか?」
「…」
「坊ちゃん?」
「いえ…
このまま…
このまま帰ります…」
「そのほうが良いでしょう
大隊長には、オレから報告しておきます」
「はい…」
兵士はそう言うと敬礼をした。
「ごくろうさまでした」
「ありが…とう…」
ギルバートもお礼を言い、フラフラと領主邸宅に向かって歩き出した。
ギルバートは、先の戦闘を思い出していた。
その足元はふらふらとしておぼつかなく、頭は靄が掛かった様になっていた。
そんな中で、魔物に対する憎悪だけははっきりと覚えていた。
殺せ!
魔物を殺せ!
殺せ殺せ!
あんなに誰かを、憎いと思ったのは初めてだ
これは相手が、魔物だからだろうか?
それとも目の前で、人が殺されたから?
考えてみても、答えは出なかった。
それはギルバートが、まだ子供だという事も関係していただろう。
それにギルバートは、領主の息子である。
だから優しくしてくれる人が多く居ても、ギルバートに危害を加える様な者は居なかった。
その事もあって、ギルバートは殺意や憎しみを持つ機会が無かった。
魔物を倒した時も、仲間を救いたかったからだ。
殺したいと思う事も、憎しみを持つ事も、今回が初めてだったのだ。
どうしてボクは、あんなに殺したいって思ったんだ?
ローダンが殺されたから?
それとも、みんなが危険だと思ったから?
いや、違う!
何か言い様の無い、訳の分からない気持ちになったんだ!
しかし考えても、どうしてそうなったのか分からなかった。
急にどす黒い感情に染められて、魔物を殺したくなった…。
いや、何か声の様なものが聞こえて、それで魔物を殺す事で、頭がいっぱいになったのだ。
あれは…
あの声は何だったのだろう…
ギルバートは、理解出来ない事でいっぱいいっぱいになっていた。
感情の波に翻弄されて、何も考えられなくなる。
彼はどうして良いのか、分からなくなってしまっていた。
ギルバートはふらふらと歩き、気が付くと邸宅の前まで来ていた。
そこには報せを聞いて、心配した父親とアーネストが待っていた。
「ギルバート」
「ギル!」
父親が真っ先に抱き着き、アーネストも傍らへ駆けて来る。
「心配したんだぜ」
「ちち…
あー…」
「む?
これは…」
「どうしたんだ?」
「風の精霊よ
この者の心を落ち着かせ、安寧を与え給え」
アーネストは異変を感じて、ギルバートに向けて呪文を唱える。
呪文を唱えながら、懐から何やら枝を取り出す。
呪文に合わせて、その枝から光の粒子が零れる。
辺りに柔らかな香りが漂い、気分が落ち着いて来る。
ギルバートの暗く沈んだ瞳も、その呪文の効果を受ける。
その瞳は光を取り戻し、先程までの殺意は感じられなくなっていた。
「ふう…
鎮静の香と呪文だ
これで落ち着いただろう」
「鎮静?
どういう事だ?」
「危険な状態でした
しかしこれで大丈夫です」
「そうか…」
「アー…ネスト?
父上?」
アーネストはそう呟くと、ギルバートの方を見てニカっと笑った。
アルベルトはギルバートの背を擦り、優しく声を掛ける。
それでギルバートは、正気を取り戻していた。
声も先ほどと比べれば、幾分かしっかりとしていた。
「さあ、中へ入ろう
何が起こったか話してくれ」
「は、はい」
アルベルトがそう促し、三人は邸宅の中へと入っていった。
執務室に入ると、アルベルトは執事のハリスを呼ぶ。
そして彼に、お茶を淹れる様に頼んだ。
ハリスがお茶を用意し、部屋から出て行く。
それからアルベルトは、ギルバートを見ながら質問する。
「さあ
それでは何が起こったか、話してくれ」
「はい…」
アルベルトは開口一番、そう切り出していた。
ギルバートは頷き、南門から出たところから話し始める。
それはまだ記憶が、ハッキリとしていないからだ。
「今日の任務は…
偵察でした…」
ギルバートは呪文が効いたのか、心は落ち着きを取り戻している。
彼は少しずつだが、気分を落ち着かせながら思い出す。
そうしてポツリポツリと、思い出しながら話した。
「ボク達は南門から出て…
魔物の動向を探りました」
「ああ
ワシもそう聞いておった」
「ええ
それは、簡単な…
いえ、簡単だった筈でした」
「だった?」
「ええ」
ギルバートは、言葉を探る様に静かに話し始めた。
「魔物はすぐに見つかりました
犬の頭をした魔物です」
「な…」
「コボルトか
奴らは群れるから危険だ」
「危険?」
アルベルトは、言葉を失っていた。
目撃情報はあったが、それは森のもう少し奥の方だった。
今回の任務では、ゴブリンしか居ないエリアの筈だったのだ。
安全な偵察任務が、いきなりの危険な魔物との邂逅。
不運とは言え、よくぞ無事に戻ってくれたと思った。
アーネストもまた、危険な魔物との邂逅に驚いていた。
しかし、内情はもっと複雑だった。
コボルトの事を、もっとよく知っていたから、彼はよく無事に戻れたと思っていた。
「魔物は…
コボルトは12匹居ました」
「なんだと!」
「やはり…な」
「やはりって…」
「言ったでしょう?
コボルトは集団で行動する」
「しかしゴブリンも…」
「あれはボスが居たから、軍の様に統率が取れていたんです
通常じゃあり得ません」
「そうなのか?」
「ええ」
「そうですね
大隊長も、ゴブリンは数匹で行動するって…」
街の近くで目撃されたゴブリンは、数匹単位で行動していた。
居ても5、6匹程度で、集団で行動する事は少なかった。
しかしコボルトは、10匹前後の集団で行動している。
今回の偵察でも、それが証明されていた事になる。
「コボルトは、ゴブリンと違って集団で行動します
それはそれこそ犬の様に、仲間意識が強いからです
そして危険になると、仲間を呼びます」
「うーむ…
それは非常に厄介な…」
「ええ
ですから言ったでしょう?
危険だって」
「そんな魔物に遭って、よくぞ無事に…」
「あの…
まだ途中なんですけど?」
「ああ
すまない
続けてくれ」
「はい」
ギルバートは、再び報告を続ける。
「魔物は…
コボルトは獲物を仕留め、解体を行っていました」
「解体だと?
それならば、思っていたよりも知性がある事になるな」
「それにつきましてはボクからも、後程報告が有ります」
「うむ
後で聞かせてくれ」
「はい」
目撃情報はあったが、こうしてコボルトの出現が確認された。
アーネストからもコボルトの危険性には報告が必要だと思われた。
「で、どうなった?
続けてくれ」
「はい
魔物は血の臭いによって、こちらの存在に気付いていませんでした
それで気付かずに立ち去りました」
「ん?」
「戦ったのはコボルトじゃないのか?」
「だから途中だって…」
「あ…」
「すまない
続けてくれ」
ギルバートは何度も中断されて、少しむくれて話を続ける。
「それで…
コボルトは去って行きました
後を追う事も出来ましたが…
集落を探るよりも、先ずは報告をする事が先決となりました」
「うむ
当然だな」
「それで戻って来たのか?」
「だから…」
「ああ、分かった
続けてくれ」
「はい」
ギルバートが再び邪魔されて、いよいよ怒り始める。
アルベルトは慌てて、話を続ける様に促した。
「それで…
帰ろうとはしたんですが、そこに豚の顔をした魔物が現れたんです」
「な…んだと?!」
「オークだと!?」
アルベルトとアーネストは、それぞれ別の意味で驚いていた。
しかしギルバートは、今度は邪魔されない様に続ける。
「その魔物は、ボク達の潜んだ場所までは判りませんでした」
「うーむ…」
「コボルトほど鼻は利かなかったワケか…」
「ああ
そうみたいだね
鼻を鳴らして探していたよ」
ギルバートは頷いて、話を続ける。
「魔物は最初、当てずっぽうに棍棒を振りました
しかし恐怖に堪えられなかった兵士の一人が、逃げ出してしまいました」
「ああ」
「そりゃあまた…」
アルベルトは頭を抱えた。
いくら訓練された兵士でも、目の前で暴れる魔物は恐怖であったろう。
そこは同情するしかない。
しかしギルバートは、黙っている事があった。
それは恐らく、魔物が気付いたのは別の兵士が原因だったという事だ。
そこを話せば、また話が中断される。
その報告は、大隊長達に任せる事にした。
「それで魔物は、その兵士に棍棒を振り下ろし…
兵士の頭は、一撃で砕け散りました」
「な…」
「くっ
やはり相応の力を持つか…」
「そのまま兵士の死体は蹴り飛ばされて、ボク達の目の前に落ちました
そして、そこで他の兵士も見付かり…」
「そうか…」
「不運とは言え、そりゃあ無いな」
「ボクは咄嗟に立ち上がり、スキルを使いました
しかし後ろから切り掛かった兵士は殴られ、彼も首が折れてしまいました…」
「うーむ
それほどか」
「う…
えげつないな」
アーネストは、オークの力が強い事は知っていた。
彼は資料から、魔物も事を多少は知っていた。
しかしその力が、殴っただけで首をへし折れるほどとは思っていなかった。
「彼の加勢もあって、ボクはスキルで魔物を倒せました
しかし、彼が居なければ…
今頃はボクが…」
「そうか
分かった」
「大変だったな」
「くっ…」
アルベルトは優しく、息子の肩を叩いた。
アーネストも、仲間の死を思うギルバートに同情する。
「うぐっ…」
「ギル…」
ギルバートの瞳に、再び涙が溜まる。
アーネストは呪文を唱えて、再び鎮静の香を取り出す。
アルベルトは泣き出した息子の背中を撫でてやり、優しく抱きしめた。
そんな親友の姿を看ない様に、アーネストは背中を向けていた。
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻し、再びギルバートは話し始めた。
気持ちを吐き出したからか、今は落ち着いて話せていた。
「魔物に向かった時、不思議な感情が湧きました…」
「不思議?」
「ええ」
「まさか…」
そこへ様子を伺っていた執事が部屋に入ると、そっとジャスミンティーを目の前に置いた。
その香りを胸に吸い込みながら、ギルバートは気分が安らぐのを感じた。
心の中で執事に感謝を述べながら、ギルバートはお茶を一口啜る。
そうして落ち着きを取り戻すと、ギルバートはその感情の話をする。
「魔物と対峙した時、最初は恐怖で混乱していました」
「うむ
初めて見た魔物だ
それに目の前で人が死んだのだからな
落ち着いてはいられんだろう」
「ええ
しかし必死に怖さを押さえようと、声を上げて構えていると…
不思議な事に恐怖とか感じなくなったんです」
「戦いの興奮か…」
「いや
そうじゃ無いんだ
アーネスト
ボクは魔物を殺したいって…
殺さなきゃって気持ちになったんだ」
「え?」
「はあ?」
ギルバートの言葉を聞いて、二人共間の抜けた声を上げてしまった。
それはそうだろう。
普段のギルバートを見ていたら、そういう感情を持つ様には見えなかった。
そもそもギルバートは、あまり争い事は好きでは無いのだ。
魔物をどうにかしたいというのも、領民に危険が及ぶと思っていたからだ。
「ちょっ
それはどういう…」
「文字通り、憎悪ってやつだと思うんだ
あんなに殺したいって思ったのは、初めてだよ」
「そ、そうなのか?」
「はい」
ギルバートは静かに頷いた。
今度はさっきと違い、混乱もしていないし、落ち着いてハッキリと感じていた。
二人のお陰で、あの時の感情が憎悪だと確信が持てた。
しかし確信を持てたのは良いが、肝心の理由が分からなかった。
それは恐らく、単純に魔物を憎んでいたのでは無いと理解している。
知り合いが殺されそうになったとか、目の前で人が殺されたからとかでは無いと確信していた。
思い返してみると、何か腹の底から沸き上がる様な、強烈な殺意を抱いていたのだ。
「目の前で…
人が死んだからとか?」
「違いますね
ボクも最初は、そう思っていました」
「それじゃあ、単純に殺されそうになったからとか?」
「それも違うよ
何て言うんだろう…」
ギルバートは少し考えてから、それを言葉にしようとする。
「それは…
根っ子から相容れない何か?
存在を認めたく無い?
そんな感じの気持ちでした
この世の中から全て消し去りたい、そう思える様な…」
「そんな感情を?」
「ギルバート
お前がか?」
「アーネスト
これが憎悪ってヤツなんだね?」
「いや
少し違う気がする」
「え?
そうなの?」
「ああ
確かにお前は、さっきは黒い感情に囚われていたと思う
だからボクは、鎮静の呪文を唱えたんだ」
「うん
それで胸の奥にあった、変なモヤモヤした感情が無くなったんだ」
「だろうな
そういう魔法なんだ」
「ありがとう」
「はは…
あんな顔をしたお前を、見たくはないからな」
アーネストはそう言って、照れて横を向く。
アルベルトは真剣な表情で、ギルバートを見ていた。
「それは…
本当に憎悪なのか?」
「ええっと…
今まで感じた事が無い感情なんです
殺したいっていう…
みんなを守りたいとか、魔物を倒したいとか思った事はありましたが…
あんな気持ちは初めてです」
「それは…
どんな感情だったんだ?」
「うーん
そうだ!
あ、いや…」
「ん?
どうした?」
ギルバートはその感情に囚われた時に、不思議な声が聞こえた事を思い出す。
しかしハッキリしない事から、それを報告しようとはしなかった。
もしかしたら、自分の思い違いかも知れないと思ったのだ。
「ただ…
あんなに殺したいって思った事は…」
「ギルバートが?」
「うーん
戦場の気に当てられたか?」
「戦場の気?」
「ああ
戦場とは殺し合いの場だ
慣れないお前が、それに当てられて殺さなければと感じたのだろう」
「そうかなあ…」
「そうだと思うけどな
実際にお前は、何か黒い感情に…
蝕まれるというか…」
「む?
アーネストは何か知っているのか?」
「えっと…
あくまでも魔術的な物ですが」
「そうか
それで鎮静の呪文を?」
「ええ
戦場で興奮した兵士には、効果覿面ですから」
「そうか」
「そうなのかなあ?」
ギルバートは腑に落ちていなかったが、二人はそれで納得していた。
それは普段の、争いを嫌う性格を知っていたからだ。
まさか彼が、その様な感情を持つとは思っていなかった。
「そりゃあ…なあ」
「そうですよね
普段のギルを見てると…
とてもじゃないけど、誰かを憎むだなんて…」
アルベルトもアーネストも、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「そうですか?
アーネスト
ボクだって怒ったりするよ?」
「そうは言っても…」
「うーん」
「兎に角、よくは判りませんが、そういう気持ちに支配されていたのは確かです
そして…
今はそれほど憎く感じないんです
不思議な事に」
「そう言われれば…」
「鎮静の香や呪文では、そこまでの効果は出ないぞ
勿論、このお茶でもだ」
「だろ?
だったら…」
「だけどギルだからな…」
「そうだな…」
「ええ?
そうなのかなあ…」
段々とギルバートは、先の感情に自信が無くなって来る。
確かに声がして、何か黒い感情に囚われていた気がしていた。
しかし二人の話を聞くと、自分には無縁な気がして来る。
それではあの殺したいって気持ちや、声は何だったのだろうか?
本当に戦場の気とやらに当てられて、意識を持って行かれていたのだろうか?
ギルバートにはまだ、それがよく分からなかった。
ともあれ、報告が一段落して、アルベルトは一安心していた。
アルベルトとしては、ギルバートが感じた感情というのは気になっていた。
似た様な報告が、幾つか上がっている。
しかしどれも、先の説明の様に戦場の気に当てられたとされていた。
アーネストが何か気にしていたが、それ以上は分からない。
それに今は、何よりも息子が無事だった事が嬉しい。
亡くなった者達には悪いが、息子を助けてくれたことに感謝をする。
そして彼は報告を終わりにして、ギルバートを休ませる事にした。
これに懲りて、息子は戦場に立たないだろうと思っていたのだ。
「何はともあれ、無事で良かった」
「はい
今回の事は…
自分の未熟さを思い知らされました」
「うんうん」
「みんなの助けが無ければ…
あそこで死んでいたのはボクです」
「そうじゃな」
「友達も傷付けてしまって…
すぐにでも謝らないと」
「今は止めておけ」
「そうだぞ
その友達も、色々と疲れているだろう?」
「だけど…」
「明日でも良いだろう?」
「そうじゃぞ
今日はもう休んで…」
アルベルトは、暗に早く休めと言っていた。
しかしギルバートは、ここで予想外の言葉を返した。
「父上
父上の言う通り、魔物は恐ろしい強敵でした
ボクは知らないうちに、自分のスキルを過信してしまっていました」
「そうじゃな
じゃから、これに懲りて…」
「今度ボクが戦いに臨む時は、もっと力を付けて…
今度こそみんなを守れる様にならないと」
「ん?
あれ?」
「その為にも、もっともっと自分を鍛えます」
「おや?」
「見ていてください
今度出撃する時には、オークなんて3枚に下ろしてやりますから」
「だから、違うって!
お前が出てはならんって!」
「アルベルト様…」
アーネストがアルベルトの背中を叩いて、首を左右に振る。
ギルバートは既に、アルベルトの声が聞こえていない。
今度はローダンの様に、誰かが死なない様にしなければ
その為には、もっと鍛えて強くならないと
よし!
さっそくスキルの特訓だ!
「それでは早速、修練に行って参ります
失礼します」
「あ!
ちょっと待て!
ああ…」
「はあ…」
アルベルトはがくりと、膝から崩れていた。
アーネストはやれやれと、首を左右に振るのであった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。