第042話
領主アルベルトとしては、息子であるギルバートに危険な事はさせたくなかった
しかしいずれ後を継ぐとなると、戦闘の経験は必要だし、実績も残して置かなければならなかった
不安は残るものの、息子を信じて送り出すしかなかった
それで妻に非難される事になろうとも…
その日は朝から晴天で、澄んだ初冬の空気に朝から身が引き締まる様だった
朝の10時の鐘を合図に、守備隊の宿舎に数人の兵士が集まる
その中にギルバートの姿もあった
ギルバートはスッキリとした気分で、落ち着いていた。
昨日は久しぶりに、真剣に父親と向き合えた。
怒られてしまったが、改めて魔物に対して真剣に向き合おうと決意するきっかけになった。
これまでの自身の力を過信した、浮付いた気分ではない。
危険を冒さず魔物の力をよく見て、今の自分に何が出来るのか見極めようと考えていた。
そういう意味では、既に大隊長の思惑は成功していたのだ。
魔物に襲われそうになってから、自身の無力さを悟るのでは無い。
それ以前に、領主の言葉で自身の幼さに気付かされたのだ。
如何に周りの大人達が、自分の事を守ってくれているのか、改めて思い知ったのだ。
「みんな、よく集まってくれた」
「はい」
大隊長が先頭に立ち、挨拶を始める。
「この偵察任務はあくまで自己責任になる
が、その為自信が無い者は、ここで辞退してもらっても構わない
それによる降格や、減給も行わない」
「え?」
「そんな…」
「今さらだよ…」
兵士達の中には自信の無い者も居たのか、ざわざわと騒然とする。
さあ魔物の偵察に行こうという時に、自信が無ければ残っても良いという。
これは暗に、ギルバートに残れとも言っているのだ。
しかしギルバートは、危険でも食らい付くつもりだった。
今まで見たいに大人の陰から見るのではなく、実際の危険を思い知るべきだと感じていた。
「大隊長
ほとんどが自分で申請しております」
「そうですよ
今さらですよ」
「私は魔物に父親を殺されています
魔物を倒す為なら、精一杯戦います」
「魔物に思うところがある者も居るだろう
しかし、これは偵察任務だ
討伐より、魔物の動向を確認するのが任務だ」
大隊長は戦いに向けて逸る気持ちを、落ち着かせようと注意をする。
その様な気持ちで向かっては、仲間を危険に晒す事になる。
あくまで可能な限り、どの様な魔物が居るのか確認する役目だ。
限りなく戦闘は、避けなければならない。
「魔物と戦闘するとは限らないのか?」
「それなら、ボクでも参加出来そうだ」
ひそひそと若い兵士が話している。
戦闘に自信は無いが、偵察と聞いて安心したのだろう。
「繰り返す
これは強制ではない
自信が無い者は辞退してくれて構わない」
「そんな者は居ませんぜ」
「そうですよ
今日の日の為に、訓練に励んで来たんです」
「駄目と言っても着いて行きますよ」
「お前なあ
誰が面倒見るんだよ?」
「ボクが先輩の面倒を見るんですよ」
「はあ?
おい!」
「くすくすくす」
「こりゃあ負けられないな」
「おいおい」
大隊長はもう一度全体を見回す。
それで兵士達は、私語を止めて正面を向く。
みな真剣な顔をして、大隊長を見詰めていた。
この使命を、果たして見せると決意していた。
「辞退する者は居ないのか?」
『はい』
大隊長は心配そうにギルバートの方を見る。
しかしギルバートは、真剣な表情で見つめ返す。
それは浮付いた功名心では無く、揺るぎない決意を秘めた眼だった。
おや?
何か心境の変化があったのか?
以前までの坊ちゃんじゃ無い様な…
こりゃあ様子を見る必要があるな
大隊長は、改めてギルバートを見る。
そこには少年にしては、落ち着いた真剣な眼差しが窺える。
先日までの、ただ力を試したいという、子供っぽいプライドの高さは見えない。
むしろ訓練を終えた、少年兵士の様な落ち着きさえ窺えた。
「はい」
「うむ
宜しい
それでは偵察任務を決行する」
「はい」
大隊長が下がると、部隊長のハウエルが前へ出る。
「オレが今回の偵察部隊の隊長を務める、ハウエルだ」
「よろしくお願いします」
「うむ
危険が無い様に、慎重に行動するぞ」
「はい」
ハウエルは全体を見回し、問題のありそうな者に鋭い視線を投げかける。
「任務は偵察だ
魔物に思うところはあるだろうが、独断専行で行動しない様に」
「はい」
「特に魔物を発見しても、単独で行動しない
必ず周囲に報告し、オレにも報せる様に」
「はい」
「でないとオレも、お前等を守れないからな」
「先輩は特に注意してください
すぐに突っ込むから」
「お、お前こそ
オレの後ろに隠れて、仲間を呼ぶんだぞ」
「はーい」
「くすくす」
「おい
真面目に聞けよ」
「は、はい」
「はーい」
ハウエルは愛用の大楯を叩きながら、視線を兵士に向ける。
特に魔物に親を殺されたと言っていた兵士と、ひそひそ話をしていた兵士を見る。
彼等もハウエルに睨まれると、慌てて口を閉じていた。
それからギルバートの方を見てから、意味深な眼差しを向けた。
ピリリと緊張が走る。
一瞬ギルバートは不安に苛まれ、剣に手を掛けそうになる。
必死に不安に堪えながら周りを見ると、数人の兵士が剣を抜いたり、狼狽えていたりしていた。
ハウエルの放った殺気に、反応してしまったのだ。
「ふむ
まあ、まずまずか…」
「おいおい
新入りも居るんだ、お手柔らかにな」
ハウエルの発言に、大隊長が突っ込む。
こんな場所であの様な殺気を向けられれば、新入りの兵士は委縮してしまう。
そうで無くとも、熟練の兵士でも身構えるだろう。
そういう意味では、ギルバートは殺気に耐えていた。
まだ気付いていないが、感じる事も出来ている。
これなら隠れた魔物からの、殺意にも勘付く可能性が高い。
ハウエルの視線が和らぎ、不安感が治まった。
兵士達は改めて、部隊長達が格上の存在だと感じていた。
「魔物との遭遇に慌てるのもマズいが、委縮して固まるのはもっとマズい
常に冷静な判断をしてくれ」
「は、はい」
「はい…」
「それと、今の感覚を忘れるな
殺意を向けられると、あの様な感覚を感じる筈だ
それで生死を分ける事もある
重要な事だから、忘れるなよ」
「はい」
「それでは隊を分ける」
部隊長はそう言い、兵士を6人一組に分ける。
これは6人一組で、お互いの死角を補う為だ。
それと何かあった時に、仲間に伝え易くなる。
一人でも無事なら、それだけ危険を伝えられるだろう。
ギルバートは先の、若い兵士達と同じ組に入っていた。
「よろしくお願いします」
「よろし…あれ?
ギルバートじゃん」
先ほどは気付かなかったが、若い兵士の一人はアレックスであった。
「アレックス?」
「おう
久しぶりだな」
アレックスは気さくに話し掛けてきて、肩を叩いて来た。
彼だと気付かなかったのは、一回り大きくなっていたからだ。
彼はあれから真剣に訓練に励み、すっかり鍛え上げられていた。
それで顔を見るまで、アレックスだと気付かなかったのだ。
「遠征から帰って来て、それっきりだったからな
元気にしてたか」
「ああ
アレックスも元気そうだな」
「まあな」
二人で和やかに話していると、もう一人の兵士が話し掛けてきた。
彼は先程、アレックスを先輩と揶揄っていた兵士だ。
「おい
ギルバート殿下じゃないのか?
大丈夫なのか?」
「ああ
大丈夫だよ
こいつはそんな事を、気にしないから」
「不敬罪にならないか?」
「そんな事はしませんよ
それより殿下は止めてください」
「え?
何で?」
「殿下って王位の継承者に使う言葉でしょう?」
「いや、だって殿下も…」
「確かに父上は、継承権の範囲内かも知れません
しかしボクは、その子供だから関係ありませんよ」
「そうそう
陛下の親戚は領主様だからな
ローダンは勉強不足だよ?」
「うるせえ」
彼は不敬にならないか、心配をしていた。
しかしむしろ、殿下という敬称の方が危うい。
アルベルトは確かに、国王の従弟に当たる。
しかしギルバートは、その嫡男でしか無い。
王位の継承権からは、彼は外れているのだ。
「今のボクは、一介の新人兵士の一人です」
「そうなのか?」
「そうそう
変に気を遣う必要は無いよ」
「アレックスはもう少し、気を遣ってよ」
「ん?
必要か?」
「はは…」
「こら!
そこ!
私語は控えろ」
「は、はい」
「はーい」
ギルバートは改めてその兵士に向き合い、挨拶をする。
「初めまして
ギルバートと申します
よろしくお願いします」
「あ、ああ
オレはローダン
アレックス先輩と一緒に、第3部隊に所属している
よろしくな」
ローダンはぎこちなく挨拶をして、握手をしようと手を出して来た。
ギルバートも手を差し出し、握手をする。
彼の手は固くゴツゴツとしていて、毎日必死で練習しているのだろう、豆の痕があった。
この時ギルバートは、初めて思った。
兵士の手って、こんなに固いんだ
ボクとそんなに歳が変わらないのに、必死に努力しているんだ
それなのに、彼でも魔物は恐いんだ…
ギルバートは不意に、自信の考えの甘さに恥ずかしくなる。
あの程度の訓練で、魔物を簡単に倒せると思っていた自分が恥ずかしくなってきた。
そもそもが、あれが訓練と呼べるかも微妙なのだ。
ギルバートがしていたのは、ひたすら走り込みと素振りだった。
型を身に着けるには、確かに素振りは重要だった。
しかしギルバートは、誰かを相手にした、実戦形式の訓練をしていなかった。
「ローダンは凄いんだ
オレより歳は下なのに、一生懸命練習していてさ」
「いや
オレはまだ、魔物と戦っていなくて、怖いと思っているから…
魔物と戦うのが怖くて、必死なんだよ」
これが普通の兵士なんだ
「先輩や殿下の方が凄いよ
初陣で魔物と戦っているんだろ?」
「いや、偶々だよ
それに自分の身を守るのに必死だっただけだよ」
「そうそう
オレなんて負傷しただけだし」
ボクは戦ったなんて言えない
恐くて必死になって、気が付けば倒していただけだ
「ギルバートで良いよ
ボクの方が年下だし
兵士としては新人だし」
「そうか?」
「ああ
変に意識するなよ?」
「う、うん
分かったよ」
アレックスにも言われて、ローダンは少しずつ言葉を崩す。
彼も平民の出で、粗雑な言葉の方が素なのだ。
「で…
ギルバートも魔物と…
戦ったんだよな?」
「え?
あ…うん」
「強かったのかい?」
「ううん
無我夢中だったから、分からないよ」
「そうだよな
あんなのがいきなり向かって来たら
必死になって身を守るのがやっとだよ」
「そうなのか?」
ローダンは最初は、ギルバートに気を遣っていたが、少しずつ打ち解けてきた。
ギルバートも歳の近い少年兵が一緒だったので、すっかり安心していた。
これは、ギルバートの立場が高いのが原因であった。
先の遠征の時も、常に隊長が近くで見ていたし、他の兵士は大人か新兵しか居なかった。
歳の近い兵士と親しくなるのは、これが初めてだった。
これはアレックスも同じだった。
アレックスもローダンに良い影響を受け、この一月で腕を上げていた。
ローダンのがむしゃらな頑張りに、引っ張られる様に鍛え始めていた。
そうして気が付けば、大楯を任せられるぐらいに成長していた。
ハウエルはその様子を見て、大隊長に耳打ちした。
「どうやら、あの二人に会わせて正解だった様ですね」
「ああ
殿下に良い影響を与えてくれそうだ」
「歳も近いし、すぐに打ち解けそうですね」
「ただし、油断は出来ない
必ず守るぞ」
「はい」
二人は班分けを終わらせると、兵士を連れて南門へ向かって歩き出した。
門に向かうまでは、多少の私語にも目を瞑っている。
それは兵士達が、お互いに話して慣れさせる為だ。
そうでもしなければ、急造の班分けでは危険である。
兵士達は話をする事で、お互いを知って打ち解ける。
中には仲の悪くなる場合もあるが、そうならない様に注意して分けられている。
それで兵士達は、門までの道中で仲良くなっていた。
後はこのまま、上手く連携出来るかどうかだった。
「これから向かうのは南門だ」
「東門ではないのですか?」
「東門に魔物が多く出るのは承知している
しかし、今回は魔物の調査だ」
「東門から回り込み、南門の周囲を偵察する」
「平原に主に現れるのは、格下のゴブリンだけだ」
「しかしゴブリンと言っても、油断はするなよ
あれに殺された者は多い」
「そうだな
膂力も大人並みだ
油断出来ない相手だな」
「門に着くまでに、気合を入れておけ」
「はい」
魔物の出没状況、現れる魔物の数、魔物の行動を見る為の調査だ。
討伐ではないので、遠くから様子を見るだけの任務である。
そう聞けば、簡単な任務に聞こえる。
しかし実際は、かなり危険な任務である。
他の魔物に急襲される恐れもあるし、目の前の魔物に見付からない必要もあるのだ。
「討伐には、東門から別動隊が出ている
こちらは偵察が任務と心得よ」
「はい」
東門では別の部隊が待機しており、状況を見て討伐に動く予定になっていた。
これまでの報告では個体数も多くなく、いまのところは討伐が可能だという事であった。
偵察隊に危険が及ばない様に、別動隊が東門から出て露払いをするのだ。
それから偵察部隊が、平原に向けて出撃する。
「本当に偵察が任務なんです?」
「ああ
そうだ」
「見つかってしまった場合は仕方ないが、極力戦闘は避ける
無理はせずに、敵の動向を見極める様に行動してくれ」
「はい」
大隊長からも注意が飛ぶ。
みなはそれを黙って聞いていた。
「南門から南、南東、東の3方へ向かう
事前に発見報告のあった場所へ向かい、先ずは魔物が居るかを調べる」
「魔物が居ない場合はその痕跡を調べ、付近の捜索も行う」
「痕跡の調査や追跡は、慣れたベテランが各部隊に入っている
彼の言葉をよく聞いて、指示に従って欲しい」
ギルバート部隊の先輩兵士が、仲間の方を見て親指を立てる。
任せろというジェスチャーだ。
各部隊に2名ずつ、そういった偵察に慣れた兵士が組まれているのだ。
それを見て、みなが無言で頷く。
「また、魔物が居た場合は、警戒しつつ行動を見張る
魔物の集まる場所や集落があるなら、これも調べておきたい」
「はい」
先の集落跡を使っている魔物も居るだろうが、他にも集落が出来ている可能性が高い。
魔物が集まれば、即席の集落も作られるだろう。
可能であれば、その集落の場所も特定しておきたい。
討伐をする為には、重要な情報だった。
南門に近付くと、部隊長は静かにする様に告げた。
「静粛に
一同静粛に」
「はい」
「これから門を少し開けて、随時出撃してもらう」
部隊長は、全体に聞こえるぐらいの小声で続ける。
その間にも、兵士達は私語を止めて真剣に耳を傾ける。
ここで命令を聞き逃せば、最悪仲間諸共死ぬ可能性があるのだ。
しっかりと命令を聞いて、指示通りに行動する必要があった。
「各自ベテランの指示に従い、魔物に見つからない様に指定のポイントに向かってもらう」
「はい」
「調査は日没前迄とする
それまでに帰還出来る様に行動する様に」
「はい」
「それでは、行くぞ」
「ギルバート
こっちだ」
「オレ達は南東に向かう」
「くれぐれもはぐれるなよ」
「はい」
部隊長が合図をすると、門番が門扉に油をかけてから、慎重に押して開ける。
大きな門扉が、音を立てない様にゆっくりと開く。
そのまま機械仕掛けで動かせば、軋み音で魔物に気付かれる。
機械の仕掛けを外して、慎重に手で押し開ける。
部隊長が合図を出し、各リーダーがサインを出して出て行く。
他の兵士もそれに続き、慎重に進んで行く。
その間にも、合図を受けた別動隊が出撃する。
そうして周辺の魔物を、別動隊が片付けて行く。
耳を澄ますと、遥か北の方から戦闘の音と怒声が聞こえて来る。
別動隊が陽動の為に起こした、戦闘の音だ。
暫く騒然とするが、やがて物音は聞こえなくなる。
それを確認してから、部隊長は出撃の合図を送る。
各部隊は粛々と進み、やがて森の木立や茂みの中に消えて行く。
ギルバートもそれに付き従い、南東の繁みの中に身を潜めた。
ベテラン兵は、頭の出ているローダンを押さえる。
そうして一行は、すっぽりと繁みの中に隠れる。
少し時間を置いて、兵士達は安全を確認する。
リーダーが各自に順番に指示を出し、一人ずつ茂みや木立を移動する。
ギルバートも肩を叩かれ、頷いてから木立の陰へ移る。
リーダーは離れた兵士には手信号で合図を送り、合図に頷いて移動する。
そうして暫く移動を繰り返すと、不意に一人が片手を挙げた。
こうして繁みの中を、一人ずつ移動して進む。
これでも魔物には、見付かってしまう可能性がある。
斥候に慣れた兵士は、風の向きにも気を付けて合図を送っていた。
それで魔物に見付からず、ここまで進めていたのだ。
にリーダーが頷き、手信号で待機を合図する。
リーダーは、スルスルと音もなく移動し、先ほどの兵士の脇へと移る。
すっと消えたと思ったら、不意に隣に現れる。
解っていても、兵士は面食らっていた。
それから暫く、兵士とリーダーは手信号で何かやり合う。
暫くやり取りが続くと、不意にリーダーの姿が消えて、再び元の位置へ戻っていた。
リーダーはみなの方を見回すと、こちらへ集まれと合図を出す。
それに合わせて、音を出さない様に注意してみなが集まる。
手信号の詳細は一部判らないが、指の数で魔物が12匹居て、獲物を捌いている様だった。
リーダーは首を絞める仕草をしてから、食べる仕草をしていた。
魔物は狩の興奮と、獲物の血の臭いでこちらに気付いてない。
手信号の全ては覚えていないが、恐らく間違いないだろう。
リーダーも新兵の事を考えて、手信号以外にもジェスチャーも行っている。
それで彼等は、より詳細な情報を得たいた。
リーダーはみなをその場で待機させ、様子を見ている兵士の合図を待った。
ここで戦闘をしては危険だし、折角見つけたチャンスを無駄にする。
慎重に待って、魔物が帰る場所を特定すべきであろう。
見張りの兵士はそのまま、魔物の様子を見張っていた。
この時ギルバートは、まだ魔物の正体に気付いていなかった。
犬の頭をした獣人、コボルト。
この魔物の力も、危険性も知らなかったのだ。
この魔物は人間並みの知性と、犬の様な聴覚と嗅覚を持っている。
今はまだ、獲物の解体で出た血の臭いで気付かれていない。
しかし相手は、犬の頭をしているのだ。
風上では無いが、普通の魔物や人間よりも匂いに敏感なのだ。
少しでも風向きが変われば、気付かれる危険性は十分にあった。
そしてもう一つの危険性が、これも犬の特性に由来する。
コボルトは仲間意識が非常に高く、ゴブリンに比べると知性も高い。
仲間がやられていると、ゴブリンの様に馬鹿にして笑う事も無い。
仲間を助けようと、集団で襲い掛かって来る。
しかも耳も良いので、遠吠えで仲間を呼んだりもする。
最初に見つけた数が少数でも、決して楽観視出来ない危険な魔物なのだ。
リーダーは兵士が、魔物が去ったと合図を送ったのを見てホッとした様子だった。
それが理解できず、ギルバートは追おうと合図した。
それを見て、リーダーは即座に首を振る。
このまま暫く待機せよ、と再び合図を出していた。
そんなリーダーの態度が、ギルバートには腑に落ちないでいた。
小一時間ほどたっただろうか、ようやっとリーダーが動き出した。
リーダーは先ず、周囲の索敵の為に各自を移動させる。
すぐに踏み込まずに、解体場所の周囲を調べさせたのだ。
周囲に敵が居ない事を確認すると、やっと安心したのか解体場所へとみなを集めた。
そして小声で、今の状況を説明し始める。
これは手信号では、細かい事が伝えられないからだ。
「ここに居たのはコボルト
犬の魔物だ」
「犬ですか?」
「頭が犬で、毛むくじゃらの人間みたいな魔物だよ」
「何それ?
気持ち悪い」
「オレの家
家畜を飼ってたから…
アレの身体が人間みたいなの?」
「しーっ
静かに」
「そうだ
頭が犬って事は、耳や鼻も良いんだ
気付かれるぞ」
「う…」
慌ててリーダーが、小声で注意する。
他の兵士も状況に気付いて、声を潜めていた。
暫く様子を伺い、魔物が周囲に居ない事を確認する。
それから再び、小声で話し始めた。
「それであんなに待っていたのか」
「よくバレなかったな…」
「コレのお陰だよ
でなきゃ既に襲われていたよ」
「…」
一同は無言で、解体跡を眺める。
それは鹿が数頭と、熊を解体した跡だった。
既に肉は全て剥ぎ取り、皮も持ち去られた後であった。
残っているのは、骨と臓物だけだった。
しかしそこには、成体の熊の死体もあったのだ。
熊は雄雌と、子供も居た様だ。
一回り小さい骨もある。
子供を連れた熊は、通常よりも狂暴になる。
子供を守る為に、危険な存在になる。
それをこうも容易く、小熊ごと殺しているのだ。
「熊も狩れるとなると、厄介だな」
「それだけ戦えるという事だ…」
「はあ…
子連れは狂暴なんだぞ」
「ああ
集団で狩る様な危険な相手だ
それをあの人数で…」
他にも、見た事も無い骨が在った。
「おい、これは何の骨だ?」
「判らねえ
もしかしたら、これも魔物なのかも知れないな」
「魔物が魔物を?」
「あり得ない事では無いだろう?」
「そりゃ…まあ…」
言われてみれば、一言に魔物と言われても、それが人型とは限らないだろう。
動物の魔物が居ても、おかしくはない。
しかし魔物が、魔物を狩って食している。
となれば、食された側の魔物も存在するという事だ。
それも見た事も無い、未知の魔物が居るのだ。
それはコボルトに見付かる以上に、危険な事だった。
「これは…
報告する事が増えたな」
「ああ」
「マズい事になったな」
「そんなにマズいのか?
新種の魔物が見付かったんだぜ?」
「馬鹿
逆にそれがマズいんだ
未知の魔物が、この辺に居るって事だ」
「え?」
「分かったか?」
「先輩…」
「アレックス
マズくはないかい?」
「ああ
危険だな」
リーダーの呟きに、他の兵士達も真剣な表情になる。
今まで見た事も無い骨格の、未知の魔物が居るのだ。
それがどれ程の危険性で、どの様に戦うべきかも分からない。
これ以上は、ここで推論を述べても仕方が無かった。
ここは一旦退いても、報告を優先すべきであった。
「敵にはまだ気付かれていない
今回はこのまま撤退する」
リーダーはそう呟き、撤退を決断した。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。




