第037話
運命の糸を繰る者
フェイト・スピナー
彼等は古より、女神の僕として活動しているという
それを見た者は、長く生きられないと言われている
正に運命を体現した様な存在であるから、その様に言われているのだろう
男は運命の糸と名乗っていた
女神の僕などと仰々しい事を述べ、優雅に帽子を被り直す
その身なりは一見すると、派手ではあるが吟遊詩人に見える
しかし今の男は、気配も変えて別人の様であった
「それで
今回は何の用だ?」
アルベルトは苦虫を噛み潰した様な顔をして、吐き捨てる様に言った。
普段の温厚な領主を知る者が見れば、驚いただろう。
アルベルトとしては、思うところがあるのだろう。
不満そうに、男を睨み付けている。
「おお
怖い」
「ふん
本気で怖がってはいないだろう」
「そうでも無いですよ?
さすがは元、聖なる十字架の一人
未だに強い殺気を放っていますね」
「当然だ!
貴様の前だからな」
「え?
何で?」
「胸に手を当てて、ようく考えてみろ!」
「はて?」
「くっ!
ぐぎぎぎ…」
男の飄々とした態度に、アルベルトは本気で苛立っていた。
このままでは、怒りでどうにかなりそうだった。
「で?
一体何しに来た?」
「別に
貴方には用はありません
今は確認と調整の為に来ています」
「何の確認と調整だか知らないが…
我が街に仇なすつもりなら、容赦せんぞ!」
アルベルトは語気を荒らげて、男を睨み付けて告げる。
「おお怖い
そんなつもりはありませんよ」
「ふん!」
「それだけの殺気
スキルを覚えれば、さぞや活躍出来るでしょう」
「む?」
「ところで
プレゼントは受け取ってもらえましたか?」
「プレゼント?
ああ、やはりあの本は、貴様の差し金か!」
「そうです
あの魔導書を読んでいただければ、今後大いに役立つと思いましてね」
「役立つだと?」
「あれは苦労しましたよ…
南の霊山の麓にある洞窟でね、魔物に追われながら探しましてねえ…
まあ、長くなるので省きますが…」
「役にねえ
読めなければ、役にも立たんだろうに」
「へ?」
「どこにミッドガルド語で書いた、書物を読める奴が居る?」
「えーっと…
ここってミッドガルドじゃなかったです?」
「何百年前の話をしてる?」
「ええ?」
「はあ…」
アルベルトは男の言葉に、頭を抱える。
この男と話していると、いつもこうなのだ。
男は心底驚き、目をパチクリとさせている。
彼は本気で、ここを未だにミッドガルドの一国と思っているのだ。
「って事は…
読める人は居ないんですか?」
「居るわけないだろ!」
「え?
だってミッドガルド語は…」
「魔導王国時代に、公用語として使われていた
そう言いたいのだろう?」
「ええ」
「だが、それも数百年も昔の話しじゃ
今はそのミッドガルドを滅ぼした、帝国も衰退しておる
そして新たな王国が作られて、言語も変わりつつある
ここには今では、その帝国語ですら読めぬ者も多い」
「え?
帝国って…」
「帝国すら二百年近く経っておる」
「弱ったなあ…
すっかり読めると思ってた」
「本気で…
良かれと思って渡したのか?」
「ええ」
「はあ…」
アルベルトは脱力して、フラフラと頭を抱える。
その様子を見て、男は本気で心配する。
アルベルトが苦しんでいる、その元凶は彼であるのに…。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない!
貴様のせいで、まさに気分は最悪だ!」
「はあ?」
「そもそも、何の為にあの書物を…」
「最近魔物が出て来たでしょう?
何かと物騒ですので、護身になるかと思ったんですよ」
「魔物は貴様等の…」
「私達では無いですよ?
そもそも私達は、諜報と助言が主な活動目的で…」
「ああ、もういい!
残念だが、あれを読めそうな者は居らん!」
「ああ!
どうしましょう」
男にとって、それは本当に予想外の事だったらしい。
彼はそわそわと落ち着きを無くして、うろうろと歩きながら考える。
「今、必死になって解読しようとしてる者がいるがな
せめて言葉の意味が分かればと、困っておったぞ」
「解読ですか?
そうですよね
言葉が失われているのなら、読めなくても当然か…
私もそこまで気が回りませんでした」
「貴様はそうやって…
いつもいつも…」
「あ!
そうだ!」
「ぬう?」
男はポンと手を叩き、腰から1冊の本を取り出した。
アルベルトは言葉を遮られて、不機嫌そうに男を見る。
「これは私が、古代王国の遺跡で見つけた本です
どうやら帝国の言葉で、翻訳した跡があります」
ここで遺跡と言っている当たり、古代王国が滅びた事は知っているのだ。
しかしそれでも、彼はその事を忘れているのだ。
正確には、聞いていても覚える気が無いのだ。
自身にとって需要な事以外には、この男は無関心なのだ。
アルベルトは受け取った書物を、パラパラと捲って見る。
途端に目に付いた内容に、彼は頭を抱えていた。
そこに書かれた内容は、とても言葉に出来る物では無かった。
暫し沈黙が続き、さすがに男もすまなそうにする。
「…」
「…」
「おま…
他に…
他に無かったのか?」
「仕様が無いでしょう
たまたま拾った本ですし
それに私が作ったんじゃないんですから」
「しかしなあ!」
「ま、まあ
無いよりはマシかと」
「だからと言って…
はあ…
もういい
翻訳している者に渡しておく」
「お願いします」
「はあ…
貴様と話していると
本当に疲れる」
「大丈夫ですか?
仕事のし過ぎは寿命を…」
「誰のせいだと思っている!」
「え?」
アルベルトは腰のポーチに仕舞いながら、男に尋ねる。
こんな物を持ち歩いていては、非常にマズい事になりそうだ。
まあ見付かっても、読める者は少ないとは思うが…。
「で?
用事はこれだけか?」
「そうですね
私としては、あまり関与は許されていないんですよ…
ですが貴方の息子が死んでは、寝覚めが悪いのでね」
「ふん!
何を勝手な」
「ええ
勝手ついでに、ここの住民も守ってやってください
私はもう、子供達が死ぬのを見たくないんです」
「貴様が、ではないだろう
ふん!」
「それは…」
「ふう…」
アルベルトは溜息を吐くと、呟いた。
「分かったよ
なるべく被害が無いように頑張ってみる」
アルベルトはそう言って、踵を返した。
「お願いしますよ」
男はもう一度深々と頭を下げて、その場を立ち去った。
アルベルトは彼の最後の言葉を、聞かなかった振りをして家路に着いた。
アルベルトは邸宅へ着くと、早速アーネストを呼びに行かせた。
執事のハリスは何事かと思ったが、主人が急ぐ様に言ったので直ちに探しに向かった。
ハリスは心当たりを、しらみつぶしに探す。
アーネストは、また何かやらかしましたかね?
最近は魔物騒動で忙しく、悪さをしている様な話は聞いてませんでしたが…
ハリスはアーネストが居そうな場所を、順番に調べて回る。
書庫、食堂、客室…。
しかしアーネストは、どこにも居なかった。
ギルバートと一緒かも知れないと探してみるも、ここにも居なかった。
ギルバートはセリアに、絵本を読み聞かせていた。
それを確認してから、ハリスは再び探しに向かった。
彼が困って探していたら、丁度入れ違いになったのか、執務室に向かうアーネストを見つけた。
「おお、アーネスト、丁度良かった
旦那様がお呼びになられていらっしゃる
すぐに執務室へ向かいなさい」
「領主様が?
分かったよ」
アーネストは慌てて、執務室へ向かってドアをノックする。
元々気になる事があって向かっていたので、却って好都合であった。
コンコン!
「失礼します」
「うむ
ああ…
は、入ってくれ」
「はい」
アーネストが部屋に入ると、アルベルトは落ち着かな気にうろうろしていた。
「それで?
何の御用でしょうか?」
「う、うむ
それが…な…」
アルベルトは、そう言いながら顔を赤らめていた。
自分を見て、照れる領主。
何だ?
ボクは何を見さされているんだ?
いくらアルベルト様でも、照れる姿を見せられても困るんだが?
一体何の用事なんだ?
正直なところ、大の大人に照れられても、気持ち悪いだけだった。
アーネストは困惑して、固まってしまっていた。
「う、うーむ…」
「あのう…
アルベルト様?」
「あー…
っとなあ…」
「?」
執務室の中に、気まずい空気が流れる。
アーネストは流れを変えようと、領主に提案をする。
「それならば、先にボクの報告をしますね」
「ん?
そ、そうか?
では、頼む」
アルベルトは助かったと、胸を撫で下ろしていた。
その様子を見て、アーネストはますます困惑する。
そんな照れて、困る様な用事があるのだろうか?
仕方が無いので、アーネストは今回分かった事を報告する。
「先ず、先の書物の事なんですが」
「あ、ああ」
「タイトルを判別出来ました」
「そ、そうか…」
アルベルトは、一瞬ギクリとして動きを止める。
しかし話の内容は、上の空で聞いている。
何だろう?
本当におかしな様子だ?
一体何があったんだ?
「こちらが魔導大全
古代王国時代の、魔法を集めて紹介された書物です」
「そうか」
そうかじゃないよ
ここまで調べるのも大変だったんだぞ
アーネストは内心不満に思いながらも、話を続ける。
「内容は生活魔法、攻撃魔法、特殊魔法の紹介です
まだ訳せていませんが、呪文や効果も紹介されています」
「なるほど
古代王国時代の…
魔法か…」
ここでアルベルトは、少し興味を持ち始めた様子だった。
それでアーネストも安心して、その内容を話し続けた。
「生活魔法に関しては、現在使われている魔法も載っています
しかしそれ以上に、便利な魔法も載っているでしょう」
「それが本当なら
魔術師ギルドに報告して…
必要なら公開もしなければな」
「ええ
生活が一気に楽になるかも知れません」
「うむ」
アルベルトは頷き、報告に興味を持ってくれた様子だ。
続いてアーネストは、肝心の攻撃魔法について説明する。
「もう一つが攻撃魔法の存在です」
「うむ」
「元々攻撃魔法は、古代王国時代には多く使われていました」
「ああ」
「それが帝国が台頭してから…」
「ああ
英雄によって滅ぼされて、多くの魔導士が亡くなった」
「そうです
そして魔法そのものも、焚書によって失われました」
「そうじゃな
残された魔導士達も、全盛期の魔法に比べれば…」
「ええ
火を放ったり、細い電撃を放つ程度だった…
ですね?」
「ああ
そうで無ければ、ワシ等も王国を維持出来んかったじゃろう」
「ええ
そういう意味では、焚書は役に立ったのでしょう」
「しかし多くの魔法が…」
「ええ
魔法に限らず、多くの技術が失われました」
帝国は魔導王国の痕跡を消す為に、多くの書物を焼き払った。
それは同時に、魔導王国の強力な魔法を恐れていた事もある。
その甲斐あって、魔導王国時代の魔法はほとんどが失われた。
それで帝国の、魔導士達は大いに弱体化してしまった。
これは帝国の貴族が、無能であった証明でもある。
「あの時代の魔法が残っていれば…」
「言うな
それでも魔物に、効果的とは限らんであろう?」
「ですが翻訳出来れば、魔法での攻撃が可能になりますよ?
魔法は魔物への、有効な手段になりそうです」
「それは…
本当かね?」
「ええ
少なくとも、選択肢は増えるでしょう?
遠距離からの魔法での攻撃
それも帝国時代の英雄が使っていた、戦術魔法も多数載っていそうです」
「帝国の英雄か…
物語の中だけの話で無ければ良いが…
それが本当なら、雷や炎の壁など非常に有効な魔法が手に入るわけだな」
「そうです」
帝国の英雄とは、帝国が作られた時に活躍した英雄達である。
彼等は天を焦がし、地を砕く魔法も使えたとされている。
それで女神に代わって、世界を総べる神になったとされる。
しかし現実には、その様な力を持っていたとは思えない。
事実帝国は、その後に衰退をして行く。
そうして諸外国が立ち上がって、帝国から独立した。
本当に神の様な力を持つのならば、その様な事は起きなかっただろう。
アルベルトは夢物語よりも、現実の方へ目を向ける。
それはアーネストが言った、もう一つの魔法であった。
それは聞いた事も無い、特殊な魔法があるという事だ。
それがどの様な物か、アルベルトは興味を惹かれた。
「もう一つの特殊魔法とは?」
「それは生活魔法や攻撃魔法に分類されていない、便利な魔法ですね
他にも何に使えるのか分からない、不明な魔法も載っているみたいですが…」
「ふむ
それは後回しでも良いかな」
「はい
そう仰ると思いました」
気にはなるが、今は攻撃手段の方が重要だ。
魔物をどうにかしなければ、生活の改善などと言っている場合でも無い。
魔法以外にも、攻撃手段を記した物がある。
「で、もう一つの書物は?」
「こちらは王国式戦術指南と書かれております
やはり戦術や武術の記された本で、間違い無さそうです」
「武術か」
「はい
ギルが目下検証中です」
「そうか…」
「こちらは直接魔物に効果があるとは思えませんが、読めればその知識は役立てるかと…」
「そうだな」
本に書かれた武術は、そうそう簡単に身に付く物では無い。
アルベルト自身も、ギルバートの構えを真似てみた事がある。
しかし帝国式剣術の影響で、その構えを会得するのは難しかった。
どうしても剣捌きや重心の移動が、それに引っ張らてしまうのだ。
「武術…
剣術とかかな?」
「ですね」
アルベルトは、満足そうに頷く。
報告は思った以上に、有用な物もある様だ。
魔物に少しでも、有効な手段を検証する必要があるだろう。
その為には、本を解読する必要があるのだが…。
「それで、報告は…
以上かね?」
「いえ
もう一つ」
アーネストは、羊皮紙を広げて見せる。
「文字を少し分析出来まして、気になる点が…」
「おお
文字が読める様になったのか?」
アルベルトは、明らかに上機嫌になっていた。
先に解読出来ないと言ったのに、もうそれを忘れている。
アーネストは違和感を感じつつ、慌てて説明をする。
「いえ、まだまだですよ」
「そうか…」
「あくまでも文字の、独特の仕組みが…」
「そう…
だよな…」
「ん?」
ここでアルベルトは、明らかに落胆していた。
これだけで、落胆する要素は見当たらない。
今は読めなくても、もしかしたら読めるかもしれないのだ。
それなのにアルベルトは、明らかに落ち込んでいた。
どうしたんだ?
喜んだり落ち込んだり、忙しいな…
「解析出来た文字から、文字の種類は3種類
特に数字や算術の記号は、現在と変わり無い事が判別出来ました
数字のデザインが違いますが、これは慣れれば問題ないでしょう」
「そうか」
「問題は文字が、2種類に大別される事です」
「というと?」
「読みに合わせた表記文字と、意味や読みを複数持った複合文字です」
「とは?」
「表記文字はそれ単独で意味を持つ事が出来、これは便利なんですが…
あくまでも文字と文字の間を繋ぐ物の様です」
「ふむ
面白いな」
「そうなんですが…
訳す者としては、作業が複雑化して大変です」
「そうだな
すまん、不謹慎だった」
「いえ
続けますね」
「ああ」
文字の説明をする、アーネストの語気は強くなる。
文字の仕組みを理解する事が出来て、どうやら興奮している様子だった。
しかしアルベルトとしては、そこまで興味を持っていなかった。
次第に早口になるアーネストの、説明に頭が追い着かなくなる。
「もう一方は、それ単独でも意味を持たせます
要は名詞を一つにした文字と思っていただければ
実際はもっと複雑ですけど…」
「なるほど」
「例えば…
『もやす』なら表記文字では3文字で、意味は一つです
それが複合文字なら、燃やすという行動だけではなく…
組み合わせ次第では状態や名詞にも転用できます
一つの文字が複数の意味を兼ねて、他の複合文字や表記文字と組み合わせると色んな意味を…」
余程感動したのか、アーネストはつらつらと早口で説明を続ける。
しかしアルベルトは、領主であって学者ではない。
多少は意味も分かるが、ほとんどが理解出来ていない。
「待て
待て待て
私にそこまで説明されても、理解が追い付かないぞ」
「あ…
失礼しました」
「それで…
文字は読める様になるのか?」
「無理です
却って複雑で面倒臭いものだと、ようやく判別出来たところです
やっと分かったのが、王国文字が思ったよりも便利だが、それ故に難しいという事です」
「はあー…」
アルベルトは大きく溜息を吐く。
いよいよもって、決心してアレを渡す他ない。
しかしそれは、非常に勇気の要る事であった。
アルベルトは再び顔を赤らめながら、1冊の本を取り出した。
それは紫の装丁に、ピンクの表紙の本だった。
「うおっほん」
「ん?」
「アーネスト…
こ、これをつ、使いなさい」
アルベルトは、アーネストにその本を渡した。
アーネストはそれを手にして、何気なく表紙のタイトルを見る。
しかしそれは、あの見た事も無い文字で書かれていた。
よく見ると文字の上に、ルビが振ってあった。
アーネストは思わず興奮して、その文字を読もうとする。
「こ、これは!」
「う、うむ
解読の一助になれば…」
「なになに…
『団地妻、昼下がりの秘密』?
この文字は何て読むんだ?
ええっと…だ…ん…」
「い、良いから!
後は部屋で読みなさい」
「何です?
これ?」
「それは…
そのう…
わあああっ!」
アルベルトは明らかに返答に困り、顔を赤くして俯く。
アーネストは首を傾げて、中身をパラパラと捲る。
それを見て、アルベルトは明らかに慌てていた。
そして中身の読める箇所を読んで、アーネストも顔を真っ赤にしていた。
「…」
「…」
「な!」
「うわああああ!」
「何ですか!
これは!」
「あ、うう…」
「領主がこんな破廉恥な物を!」
「それが…
そのう…」
「ボクの様な子供に、こんな…
見せる様な物じゃ無いでしょう!」
「そ、それが…」
「何て物を…
何を考えてんですか!」
「違う!
断じて違うぞ!」
「何が違うんですか?
ジェニファー様がこれを見たら…」
「止せ、止めてくれ!
頼むからあいつには見せるな!」
「はあ、はあ」
「ふう、ふう」
「はあ…
何なんだよ…」
アーネストは溜息を吐いて、侮蔑の視線で領主を見る。
尊敬する領主が、まさかこの様な破廉恥な本を持っているとは…。
しかもそれを、翻訳に使えと自分の様な子供に渡したのだ。
どうやら先ほどから様子が変だったのは、これが原因の様だ。
しかし問題は、これをどうしろという事だった。
「で、これは?
何ですか?」
「ああ
それなんだが…」
「まさか子供のボクに、こんな物を見せる為に呼んだんですか?」
「いや!
或る人物から受け取ったんだ!
翻訳に役立てて…くれと…」
「翻訳に?
そりゃあ帝国語と、例の魔導王国の文字で書かれていますが…
他に無かったんですか?」
「それが…
そのう…」
「はあ…」
アーネストが不審そうに、ジト目になる。
確かにこれは、中身はあの文字で書かれている。
そして何故か、あちこちに帝国文字で注釈が書かれている。
その中には目を背けたくなる様な、恥ずかしい言葉も書かれていた。
アーネストはまだ子供だが、それでも分かる様な表現でだ。
「何々?
彼は後ろから抱き着くと?」
「ば!
馬鹿!」
「彼女の…
乳房を揉みしだき?
濃厚な口付けを…」
「止せ!
読み上げるな!」
「だったらこんな物を…」
「だから仕方が無かったんだ!」
「ふうん…」
しかしそれを除けば、確かに言葉を理解するには役立ちそうだった。
日常会話も書かれているし、何よりも幾つかの文字の読みが書かれている。
今の言葉のほとんどが、役に立たない文字が多い。
しかしその文字が読めるだけでも、新たな進展となるだろう。
その文字と照らし合わせる事で、他の文章も予想する事が出来る様になる。
読むのには相当な勇気が、必要だったが…。
「そんな目で見るなよ」
「だってこんな破廉恥な物を…」
「違うぞ
それしか無かったんだ」
「本当に?」
「たまたまそいつが持っていて、役に立つならと渡されたんだ」
「そいつ?」
「あ、いやあ…」
「怪しいな…」
「怪しくない、怪しくない!
ワシは何もしとらん」
「大人はすぐに…
そうやって言い訳するんですよね」
「おま!
どこでそんな言葉を?」
「本当に何も?」
「ワシは無実じゃあ!」
必死になって取り繕う領主の姿を見て、アーネストは矛を収める事にする。
これ以上責めても、あまり意味も無さそうだった。
何よりも尊敬する領主の、この様な姿を見るのが堪えられなかった。
そこで本を閉じると、懐のポーチに大事に仕舞い込んだ。
こんな物が見つかったら、領主もアーネストもマズい事になる。
これは慎重に扱わないといけないと、アーネストはそう思うのであった。
「子供に見せる物じゃないですよ?」
「分かっとるわい!
ワシも出来るなら…
そうしたかったわい…」
「本当に?」
「ああ…」
領主はがくりと崩れて、テーブルに両手を着いて項を垂れる。
「まあ、仕方が無いです
ジェニファー様には内緒にするとして…」
「頼む…」
「そうですね
これを使って、何とか翻訳してみましょう」
「頼む…」
「くれぐれも、この事はご内密に」
「当たり前だ!
誰が言えるか!」
アーネストは肩を竦めてみせる。
「で、これは誰から?」
「それは…
言えん」
「?」
「言えんのじゃ」
「何で?」
「言えん事は…
言えん」
「そいつ…
ですか」
「う…
ぬう…」
アルベルトは本当に困った様子で、口籠っていた。
彼の様子からも、これ以上は語る気は無い様子だった。
それに彼の様子から、その相手との仲も良好では無さそうだ。
知らない者とか内緒にするべき相手ではなく、言えない相手?
領主が言えない?
それにそいつとか言っている…
他国の間者?
あるいは仲の良くない同盟国?
色々と考えられるが…
アーネストは領主の態度に困惑する。
しかし言えないという態度からも、聞かない方が良さそうだった。
そもそも領主が言わないのも、そういった危険があるのかも知れない。
あるいは秘密にすべき事と、その両方があるのか?
「では聞きませんが…
大丈夫なんですか?」
「ああ
大丈夫じゃないが…
大丈夫だ」
「ん?」
アルベルトは、ガックリと落としていた膝を払うと、立ち上がる。
そうして腕を組んで困った様な顔をすると、プイと明後日の方を向いてしまった。
何か隠してる?
何かあるのだろうが…
これ以上は聞かない方が良さそうだな
アーネストはそう思って、無難な答えをえらんだ。
「では、これはお借りしますね
早めに翻訳しないと、魔物の侵攻も心配ですから」
「ああ、頼む」
それからアルベルトは、格好付けて胸を張りながら言った。
「恥を忍んで渡したんだ
間に合う様に祈っておるぞ」
「はあ…
それなら必要な部分を書き出して…
って分からないから無理か…」
「そう出来るのなら、最初からそうしておるわい」
「ですよね?
ふう…」
アーネストは再び嘆息するが、踵を返して部屋を出て行った。
それを見送り、アルベルトも溜息を吐く。
言えない
あの事は言えない
例えあの詩人の事を、勘付かれていたとしても…
恐らくアーネストも、詩人が用意したのではと勘付くだろう。
あまりにも都合良く、翻訳する為の本が見付かるなど不自然だ。
それでもアルベルトには、知られては困る秘密があった。
遠い目をしながら、アルベルトは暫く立ち竦んでいた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。