第036話
物語は少しずつ進み、その手繰る糸はいよいよ絡まってゆく
そして絡まった糸の先には、物語に大きく関わる者が待っている
人はそれを運命と呼び、神の定めた宿命と受け止める
アーネストから絵本を貰ってから数日
ギルバートは毎日の様に、セリアに絵本を読んであげていた
朝は絵本を読んで聞かせ、少しずつ言葉を教える
昼からセリアが眠ったら、メイドに様子を見てもらいながら庭で剣を振っていた
それはアーネストが作った本に載っていた、あの剣術であった
「ふっ
はっ」
あまり大きな声を上げたら、セリアが起きてしまうから出せない。
一つ目の構えは腰を下げて右に構え、鋭く突き出しながら振り抜く。
この時挿絵では分からなかったが、独特な足捌きが必要だった。
右足を踏み出しながら左足で地面を蹴り、前に突っ込む様に振り抜くのがコツの様だ。
何度か繰り返していくうちに、感覚は掴めて来ている。
後はこれを、練習用の案山子に当てる訓練が必要だった。
実戦で使える様になるには、確実に的に当てる必要がある。
だから素振りだけでは、まだ完成したとは言えなかった。
技の名前はスラッシュと書いてあった。
前に教わった剣術は、この技の上半身だけの物だった。
これに足捌きと、腰溜めの一撃が加わる。
それで前方に駆け出して、鋭い一撃が放てる様になる。
右下段から溜めを作って、腰のバネで突き出す
これだけでも強力なのに、足を使って踏み込む力も加わる
威力とスピードが上がって、相手も避けにくくなるんだよな…
子供で体重も軽く、踏み込んだ音も乾いた軽い音がする。
しかし以前の技に比べたら、これだけでも十分に強力だった。
ギルバートは素早く突き出し、そのまま振り抜く。
これが現実に魔物に当たれば、どれほどの威力が出せるのだろうか?
もう一つは上段から右袈裟懸けに振り下ろし、振り切った態勢から右へ振り抜く。
右から斜めに切り裂き、左から右へ返す様に横一文字に切り返す。
所謂連続切りである。
これも腰の入れ方や足運びが書いてあり、技名はブレイザーと書いてあった。
これは…
左足で踏み出し、同時に斜めに切り込む
振り抜いたところで右手で剣を返しながら、振り返りつつ斜め上に切り裂く…
少し隙が出来るが、先の一撃で切り裂ければ…
敵は次の攻撃を避けられない筈だ
注意点は…
左手は添えるだけ
力を入れたら返せないもんな
コツとしては、返しの時に右ひざの力を抜く?
試してみると右足が少し下がり、左足に力が入って右に伸び上がる様に振り抜ける。
まだ上手く振れていないが、一太刀目よりも二太刀目の方が鋭く威力がある様な気がする。
これが完璧に決まれば、相手に踏み込みつつⅤの字に切り裂く事になる。
他の技はまだ練習していない。
一度に覚えるのは無理そうだから、出来る様になってから次に行こうと思っていた。
「しっ!
はあっ!」
「坊ちゃま」
メイドの呼ぶ声がする。
どうやらセリアが起きた様だ。
「今行くよ」
ギルバートは元気よく返事をして、練習用の木剣を仕舞ってから駆け出す。
部屋に戻ったら、セリアがぐずっていた。
「ん-
お兄ちゃ、いない」
「ごめんごめん」
まだたどたどしいが、少しずつ言葉を覚え始めていた。
いや、思い出してるのだろうか?
どっちにしろ以前よりは意思を示せる様になり、それと共に感情を表に現す様になってきた。
「もう、坊ちゃま
セリアちゃんを一人にしてはダメですよ」
「ごめん
エレンさんに頼んでいたんだけど…」
「ああ
エレンなら、さっき洗濯物を仕舞わないとって急いで行きましたよ」
「もうそんな時間か…」
「兄ちゃ、抱っこ」
「はいはい
抱っこだね」
セリアが近寄ってきて、抱っこしてとせがむ。
「よしよし
よく眠れたかい?」
「あい」
因みに、まだ『は』行の発音が怪しい。
どうしても返事が、可愛くなってしまう。
「お腹は空いてないかい?」
「うにゅう」
情けない声を出して、お腹を押さえてみせる。
どうやらやっぱり、お腹が空いて目が覚めたようだ。
「よしよし
それじゃあ紅茶とクッキーを用意しよう」
「あい」
「坊ちゃま…」
ギルバートはセリアを抱っこして、1階の食堂へ向かった。
「ハンナさん
セリアにクッキーと紅茶を用意して」
「あら
セリアちゃん、お腹が空いたのかい?」
「あい」
「ふふふ」
ハンナに言われて、セリアは嬉しそうに返事をする。
これが年頃のレディーなら、顔を真っ赤にして怒るところだろう。
しかしセリアは子供だから、ニコニコして返事をしていた。
その方が、大人は喜ぶからだ。
ハンナが焼いて保管してあったクッキーを用意し、紅茶を淹れてくれる。
クッキーは粗熱が抜けて冷めていたが、昼に焼いた物なので甘い香りがしていた。
紅茶はセリアにはミルクを入れて、砂糖を少し入れてある。
ギルバートはもう、ミルクや砂糖が入って無くても飲めた。
入っていた方が良いのだが、大人は入れないで飲むから慣れないといけないと言われてる。
「坊ちゃまは、ミルクも砂糖も無しでよろしいんですよね」
「う、うん」
「やっぱり…
入れます?」
「いいよ
慣れないと、父上にまた言われるし」
そろそろ子供扱いされるのが、嫌になるお年頃なのだ。
ハンナはクスリと笑って、ギルバートにも紅茶を用意する。
坊ちゃんと言われるのも抵抗があるのだが、メイドのみんなは止めてくれなかった。
執事のハリスだけが、ギルバート様と呼んでくれた。
「それでは、こちらをどうぞ」
ハンナが淹れてくれた紅茶を、二人の前に置いた。
クッキーの入った皿は、セリアの前に置かれる。
これはクッキーはセリアの為に用意された物だからだ。
ギルバートがそんな子供の食べる物を食べてたら、また揶揄われただろう。
ハンナもその辺は心得ていた。
ギルバートは本当は自分も食べたいが、黙ってセリアが食べるのを見守っていた。
ギルバート美味しそうに、セリアがクッキーを食べる様を優しく見守る。
なんだかんだと、いい兄を演じていた。
「ほら
口元に着いてるぞ」
「うに?」
口元に残ったクッキーのカスを、ナプキンで拭きとってあげる。
「うみゅう」
「ほら、取れた」
「んぐ、んぐ」
クッキーを食べ終わると、ミルクティーを飲み干す。
「ぷはー」
「おい…」
誰の真似をしているのか?
恐らく使用人の誰かが、エールでも飲んでるのを目撃したのだろう。
「セリア
その『ぷはー』は真似しちゃダメだぞ」
「うにゅう
なんえ?」
「行儀が良くないぞ
母上が見たら卒倒するぞ」
「あい」
セリアは元気よく返事をした。
そんな二人を見て、ハンナはこっそりと笑いを堪えていた。
こういう光景を見て、メイド達は癒されていた。
夜になると、この光景が使用人の間で語られるのだ。
セリアが可愛い。
まるで天使の様だと。
そしてギルバートがまだ可愛いのに、ちゃんとお兄ちゃんをしてると。
ギルバートはセリアを連れて、庭に出て花壇へ向かった。
夕食までまだ時間はあるが、少しは動かないとお腹が空かないだろう。
お菓子を食べさせて、夕食を食べられないのはマズい。
また母上から、お小言を言われてしまう。
花壇を回って花を見て、分かる花の名前を教える。
全ては分からないが、お勉強になるだろう。
ギルバートもセリアに教える為に、色んな花の名前を調べていた。
こうして調べると、改めて名前を知らない物が沢山あった。
「これが、コスモス」
「こすもす」
「こっちがダリア」
「だいあ」
「あー…
違うよ
ダ・リ・ア」
「だりあ?」
「そう、ダリア」
「この近くに、沢山咲いている場所があるんだ
春から秋まで
平原いっぱいに咲いているんだよ」
「いっぱい?」
「そう
ダリア平原って呼ばれてて、ダリアの花がいっぱい咲いているんだよ」
「うわあ」
セリアは目を輝かせる。
一面の平原に、自生して咲き誇るダリアの絨毯。
嘗ては優しき巨人が、咲き誇る花々を守っていたという。
その平原の名を取って、この地はダーナと呼ばれる様になったとされる。
どこまで分かっているのか
一面の花畑を想像しているのかな?
「今度一緒に見に行こうな」
「あい」
魔物が出ているので、当分は行けないだろう。
それでも、いつか機会を持って見に行きたい。
一面のダリアの花々と、それを見て喜ぶセリア。
その為には、早急に魔物を倒さなくては。
等とギルバートは楽観的に考えていた。
今のダーナの兵力では、魔物の大群が来たら一溜りも無い。
街は魔物によって、壊滅する可能性があるとは思ってもいなかったのだ。
遠征に着いて行ったとはいえ、彼はまだまだ子供なのだ。
今がダーナの危機などと、考えてもいなかった。
その頃アルバートは、冒険者ギルドの2階、会議室でギルド長と面談していた。
各ギルドの長が集まり、額を寄せて相談している。
議題は魔物についてで、雪が溶けたらどうすべきかという内容だ。
冬を無事に越せても、魔物の脅威は収まらないだろう。
「そういうわけで、こちらで用意出来る人数には期待しないでいただきたい
当然、その腕も…
分かるでしょう?」
「ああ
分かってる」
「そうだな」
「ウチも大差ないですよ
魔術師ギルドなどと大層な名前を冠しても、生活魔法が少し使える程度です
人数も数十名しか居ませんし、戦場に出れる者など居ませんよ」
魔術師ギルドでも、魔物と戦える人材は殆ど居ない。
せいぜい数名が、魔術の矢を数発放てれば上々なのだ。
それはアルベルトも理解はしている。
しかし、理解してはいても、もう魔物はすぐそこまで来ている。
このまま手を拱いて、黙って見ているわけにはいかないのだ。
「せめて…
せめてもう数年後なら…」
「言うな
それであれば、アーネストも急ぎはしなかった
魔物が出たからこそ…」
「ですが訓練期間が…
とても足りません」
「ううむ…」
魔術師ギルドの長も溜息を吐き、実質人は出せないと言う。
アーネストが魔力向上や、攻撃魔法の必要性を説いたのも、魔物が現れたからだ。
しかし肝心の訓練も、結果を確認出来ていない状況なのだ。
これでは使える様になるまでには、さらに数年を要するだろう。
それではとても、間に合わないのだ。
魔物は冬が過ぎ、雪解けと共に攻め込んで来るだろう。
「冒険者ギルドも、無理ですな
これで戦場なんぞに出しては、街を守る者が居なくなりますよぞ?
魔物以外にも、討伐依頼があるんですからな」
冒険者ギルドでも、獣の被害に対処する必要がある。
冒険者達は、魔物に追われた獣を退治する必要がある。
戦場に出してしまえば、その人手が足りなくなる。
そうなれば、魔物の前に獣の被害が深刻になる。
「となると衛兵も動かせんな
守備隊は人数が足りなくてガタガタ
何よりも西部騎士団も、将軍不在で動けん
如何にしたものか」
「うーん…」
「困りましたなあ」
騎士団は余剰騎士を失っている。
それで国境の警備で、これ以上の騎士は派遣できない。
それに派遣するにしても、指揮官が不在である。
副隊長のオーウェンが、現状では国境を見張っている。
しかし他に、指揮を出来る者が居ないのだ。
「国王様からは如何に?
お返事は返って来たんですよね?」
「東部か南部は来れないんですか?」
「国王からは…
ハルバートからは、これ以上の増援は無理だと
東部も南部も人員は一杯一杯だ
魔物は他の地域にも出ているらしい」
「他の地域?」
「なんと?」
「魔物は他の地域にも?」
「ああ
それもあちこちで出ているから、騎士団も引っ張りダコだ」
「はあ…」
「無理だ
もうお終いだ」
冒険者ギルドの長は、頭を抱えて机に突っ伏す。
魔術師ギルドの長は、それでも何とかならないか思案する。
「他国への救援要請は?
フロリスとかどうなんですか?」
「あっちはあっちで魔物が出ている
聞いた話では、こっちより厄介な魔物も出ているみたいだ
巨人やトカゲの魔物も見たらしい」
「巨人?
伝説に出てくる大きな人間ですか?」
「炎や氷も吐くって」
「どうだろな?
所詮は物語の魔物だからな
ただ、巨大な人影を見ったって話は、こっちにも上がってる」
「こっちには来ないですよね?」
「分からん」
あくまでも旅の商人が、噂として聞いただけの話だ。
いくら嘗ての連合国でも、今では国境を巡る敵国でもある。
弱味を見せない為にも、他国は魔物の出現を秘匿している。
箝口令を敷いて、他国に情報を漏れない様にしていた。
それはクリサリスも同じで、情報は漏らさない様に指示を出されている。
だからこそ他国に、安易に救援の要請は出せなかった。
「巨大な人間
城壁なんて壊されてしまいますよ」
「分からん
あくまでも噂だ」
「しかしそれでは…」
「向こうも向こうで、魔物で手一杯なんだ
それにハルも、迂闊に救援要請を出すなと言っている」
「何でです?
緊急時ですぞ?」
「そうです
帝国ならいざ知らず、嘗ての連合国ですぞ」
「それも国境の紛争があるまでの話だ
今は国境の問題が拗れている」
「あ…」
「あれが今になって…」
「うむ
だから弱味は見せられん
それこそ救援をダシに、攻め込まれないとも限らん」
「そんな…」
「魔物が出ているというのに?」
「それだけ根深いんだ」
アルベルトの言う通り、救援要請はもろ刃の刃だ。
そのまま入り込まれて、国内を荒らされる恐れも十分にあった。
他国からも打診があった上で、対等な立場で話し合う必要がある。
でないとそのまま、相手に付け込まれてしまう。
「兎に角
こっちはこっちでやるしかない」
「ですが…」
「なんとか我が街だけで…
魔物を撃退しなければならないのだ」
「無理でしょう?」
「そんな事出来るんですか?」
「出来るかではない!
やるしかないんだ!」
「はああああ…」
「無理だ…」
ギルド長は二人共、頭を抱えんでいた。
そこへドアをノックして、もう一人の人物が入って来る。
「お呼びでしょうか?」
「商工ギルド?」
「いくら何でも、戦えんでしょう」
「ああ
頼んでいた商品は、何とかなりそうかね」
「ううん
難しいですな
それに、揃えたって使える者が居なければ…」
「そうだな…」
商工ギルドの人間では、戦闘は無理である。
代わりに彼等は、領主から依頼を受けていた。
「何を作られましたんですか?」
「城壁から射る為の弓と矢です」
「ほおう…」
「無いよりはましだからな」
「それならウチからも、なけなしのハンター達を出しましょう
人数は少ないですが、無いよりは…
マシでしょう?」
「良いのかね?」
「全員は無理ですが、ハンターだけなら」
「助かる」
城壁から射れる、射手が居るのは助かる事だ。
その分兵士達を、他の部署に回せる。
「それでしたら
ウチは戦いには出れませんが、ポーションを作らせましょう」
「頼めるかね」
「はい
その程度の事なら、出来る者も居ます」
「後は戦える人間を…
用意するだけなのだが…」
先の遠征で、少なからぬ死者が出ている。
それで兵士の方にも、人数が足りなくなっている。
「いっそのこと、徴兵で何とかできませんか?」
「いや
今さら徴兵で集めても、戦う腕が無くてはな
無駄に死者を増やすだけだろう」
「困りましたなあ」
なにせあの遠征で、兵士の3分の1が帰って来なかったのだ。
それだけの人数を集めると言っても、そう簡単な事では無い。
予備役や待機の兵士を補充しても、何とか最低限の人数にしかならない。
そうなれば、交代の要員や街の警備が手薄になる。
出来ればもう少し、もう少しだけ兵士を補充したかった。
これ以上無理を言っても、忙しいギルド長の機嫌を損ねるだけだ。
多少なりとも、協力を申し出てくれただけマシと考えるしかない。
「今日は無理を言って申し訳なかった」
「とんでもない
我々も出来得る事なら協力したいんですよ」
「ただ、戦闘に向かないだけです」
「こちらこそ、領主様お一人に責任を負わせて申し訳ないです」
アルベルトが頭を下げると、三人のギルド長も申し訳なさそうに頭を下げた。
アルベルトは謝意を述べると、ギルドを後にする。
アルベルトはそのまま岐路に着こうと、自身の邸宅に向けて歩き始めた。
その顔は無理な交渉に疲れて、不機嫌そうになっていた。
「どうも
お久しぶりですね」
アルベルトが歩いていると、不意に街角で挨拶をされた。
街の領主なので、街角で挨拶される事は珍しく無いが、その挨拶の内容が珍しかった。
久しぶり?
そんな挨拶をする様な住民は居たか?
アルベルトは、声のした方へ振り返った。
そこには、真っ赤な帽子を被った男が立っている。
先日ギルバートが会ったと言う男だ。
しかし男の顔を見るなり、アルベルトの顔色が変わった。
その男は、やはりアルベルトが知っている者だった。
「な!
貴様は…」
「覚えていてくださいましたか」
「運命の糸」
「ええ」
運命の糸と呼ばれた男は恭しく帽子を取ると、胸に当てて腰を折る。
それは帝国の挨拶ではなく、古代王国で使われていた挨拶だ。
古い様式の貴族の挨拶で、今では使う者は居なかった。
アルベルトがそれを知っているのも、昔国王がしていたので見て知っている程度だ。
しかし間違い無く、それは古式の挨拶なのだろう。
なにせこいつは、古代王国をよく知っている
いや、下手をすればそれ以前の世界も…
「女神様の僕
フェイト・スピナーでございます」
優男は礼をすると、そう口上を述べていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。




