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聖王伝(修正中原稿)  作者: 竜人
第二章 魔物の侵攻
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第031話

初めての魔物との戦いを終えて、街へ帰還した遠征軍

しかし街では、出発前とは違う雰囲気に包まれていた

ここで一体、何が起こったのだろうか?


ダーナの街へ向かう一団

魔物の討伐を命じられた、遠征軍だ

その姿は公道を走り、やがて正門を守る兵士達にも見えた

彼等はようやく、街に帰還する事が出来た


公道から少し離れた岩山に、その光景を見守る一団が居た。

その姿は正門からは遠く、誰にも気付かれていなかった。

彼等は暗褐色のローブに全身を包み、男か女かは判らなかった。

そのトップらしき人物が、小声で呟く。

声は高かったが、恐らくは男だろう。


「首尾は上々だね」

「良いのですか?

 あのまま帰らせて」

「ああ、構わないだろう

 あの方にも報告してある」

「しかし…

 計画よりも少ないのでは?」


集団のトップと思しき長身の男に、もう一人の人影が話し掛ける。

その声から女性と思われるが、その者も素性が分からなかった。


「初めての戦闘だ

 あれぐらいで十分だろう」

「あの程度でか?」


もう一人の人物が呟く。

こちらの声は、低くしわがれた男性の声だった。


「仕様が無いだろう?

 契約はまだ生きているんだ

 これ以上は無駄な消耗と判断した」

「それは…」

「あの方は、全滅を望んでいる訳では無い

 それは理解してね」

「はい」

「じゃがよいのか?

 何ならワシが…」

「君達は、十分に働いたよ

 ボクからも、あの方には伝えておくから」

「はあ…

 分かったよ」


男はそう呟くと、そのまま後方へ下がった。


「さて

 次はどうするかな?」


男は振り返り、岩山の奥へと消えて行く。

残った者も後を追う様に、岩山の奥へと消え去る。

後には吹きすさぶ風と、静寂だけが残された。


並走で駆ける騎馬の群れが、ダーナの正門の前へと入って来る。

正門の前はまだ夕刻には早い時間にもかかわらず、街へ入る人は少なく閑散としていた。

正門の前で制止すると、代表の1騎が前へ出る。

その姿を見て、見張りの兵士も緊張を解いていた。

見慣れた大隊長の姿に、警備の兵士も声を掛ける。


「辺境伯アルベルト様の治める、ダーナの街だ

 何者であるか?」

「ダーナ守備部隊、大隊長ヘンディーだ」

『おかえりなさいませ

 ヘンディー大隊長』

「うむ」


見知った顔ではあるが、ここは街の正門である。

兵士は誰何の問答をし、大隊長もそれに応える。

それから警備兵は、入門の為の書類を手渡す。

本来は顔パスであるが、何故か兵士は確認の書類を用意していた。

大隊長は馬から降り、兵士達の元へ歩み寄る。


「これは…

 どうしたのか?

 大分物々しいが」

「あ…

 実は…

 そのお…」

「?」


兵士達は言いにくそうに、仲間をチラチラと見る。

よく見ると見張りの兵士も、通常の倍近く配置されている。

まるで戦争か何かがあって、警戒している様子だった。


「何だ?

 はっきりせんか」

「は、はい」

「実は、領主様の命で」

「領主様の?」

「はい」

「ううむ…」


警備の兵士は、事の経緯を話し始める。

本来であれば上司である、大隊長を簡単に通せない。

その理由を、彼は口籠りながら説明する。


「実はみなさんが出立された後…」

「こちらにも魔物が出始めまして…」

「なに!」

「ひっ」


大隊長は、思わず驚いて、大きな声を出してしまう。

それに叱られると思って、兵士がビクビクしていた。

堪らず他の兵士が、話を続けた。


「ほどなくして、森から魔物が現れ始めたんです

 今日は出てませんが、この近くまで来る事もありましたから…」

「森に向かった樵や農民が殺されて…

 もう結構な数の、行方不明者も居ます」

「むう」

「ですから森を警戒して、こうして…」

「ぬう…

 ノルドの森か?」

「ええ

 みなさんが向かった北の森では無く

 こちらのノルドの森でです」

「ううむ…」


後続の部隊も次々と到着し、部隊長や隊長もやって来る。


「どうしたんですか?」

「何か問題でも?」

「ああ

 なあに、すぐに終わるさ」


大隊長は、ここで時間を掛ける訳にはいかないと判断する。

魔物が本当に出るなら、ここも危険なのだ。

書類を部隊長達に渡して、署名を任せる。


「これを書けだとさ」

「え?

 入門の許可証?」

「こんな物…」

「良いから書いとけ」

「大隊長が書いてくださいよ」

「オレは別件がある」

「ええ?

 全く…」


ヘンディーは兵士の一人を捕まえると、隅に連れて話し掛ける。

それは手早く入る為に、強引にしようとしていた。


「すまないが…

 部隊を先に入れて構わないかな?」

「え?

 はい?」

「魔物が出るんだろう?」

「それは…」

「オレ達も疲れている」

「ですが大隊長

 領主様の命令で…」

「オレの頼みでもか?」

「ええ!

 困ったなあ…」

「では、こちらで受付ます」


兵士は困って、仲間に助けを求める。

それで他の兵士が、肩を竦めて頷いた。

兵士達が慌ただしく動き、城門を開く様に指示を出す。

その間にも部隊長達が、署名した書類を提出する。

他にも入門の手続きはあるのだが、今回は誤魔化されていた。


「開門」

「え?

 良いのか?」

「大隊長だぜ?」

「う!

 わ、分かった」

「開門」


上の兵士達も、大隊長は苦手だった。

それで仕方なく、門を開く仕掛けを動かす。

門は軋みながら、ゆっくりと開かれる。

歩兵と怪我人を乗せた馬が、先に城門を潜り抜ける。

そうして兵士達に、手当てを受ける為に連れられて行く。


「怪我人が多いな…」

「う…

 こいつは酷い…」

「おい!

 ポーションも用意させろ」

「救護所を開けろ」

「はい」


怪我人を連れて、慌ただしく兵士達が駆け抜ける。

その隣で、兵士は何気無い質問をしていた。

それは世間話程度の、当たり障りの無い会話の筈だった。


「しかし、大隊長が先頭なんですね

 将軍は?」

「う…」

「?」


兵士の何気ない質問に、大隊長の顔が曇る。

兵士もまさか、将軍が亡くなっているとは思っていなかった。

騎士の姿も見えないので、後続に居るものだと思っていた。

しかしヘンディーの口からは、予想外の答えが返って来た。


「大隊長?」

「どうされましたか?」

「将軍はどちらへ?」

「後続の騎士の中かなあ?」

「ガレオン将軍は殉職、ジョン部隊長は行方不明

 その他にも死者は多数出ている」

「え?」

「ええ!」


ヘンディーは意を決して、兵士に報告をする。


「隠しても知れる事

 将軍は魔物との戦闘で、殉職された」

「あ、あの将軍が?」

「まさか?」

「魔物に敗れたと言うんですか?」

「正確には、魔物のボスとの一騎打ちにて…

 相打ちとなった」

「そんな!」

「ガレオン将軍が…

 亡くなった?」

「それに部隊長も行方不明ですか?」

「ああ

 こちらが犠牲者の名簿だ」

「は、はい」


見張りの兵士の一人が、羊皮紙に書かれた犠牲者名簿を受け取った。

それにざっと目を通すと、確かにガレオン将軍の名も記されていた。


「では直ちに、領主様に報告してきます」

「うむ

 頼んだぞ」

「はい」


名簿を受け取った兵士が、領主の館を目指して駆けて行く。

その間にも、他の兵士達が質問をする。

将軍が亡くなったのだ、事は重大になっている。

だからこそ魔物が、無事に討伐されたと聞きたかったのだ。


「それで…

 首尾は如何に?」

「当然全滅ですよね?」

「ああ

 砦に巣くった魔物は…

 追い払った」

「ああ…良かった」

「砦の魔物は…

 え?」

「追い払った?」

「ん?」


一人は勘違いしていたが、他の兵士は気が付いていた。

ヘンディーの言葉が、現れた魔物を全滅させたでは無いという事に。


「追い払った…とは?」

「討伐は?」

「失敗だ

 ある程度は倒したが、逃げられた魔物も多い」

「まさか、その魔物が?」

「いや、違うだろう

 近場の集落の魔物は、ほとんど倒した」

「そうですよね…」

「奴等は恐らく、北に逃げた筈だ」

「そうなると、こっちのは別の魔物ですか?」

「ううむ…」


手続きが進む中、大隊長は気になっている事を聞いた。


「その魔物だが…

 どんな奴だった?」

「いやだなあ

 大隊長達が倒しに向かった奴等ですよ

 犬の頭をした奴と、小鬼ですよ」

「犬?」

「へ?」

「小鬼は分かるが、犬の頭とは?」

「え?」

「何言ってるんですか?

 犬ですよ」

「頭が犬みたいな、毛むくじゃらの魔物ですよ?」

「そんなのは居なかったぞ」

「え!」


大隊長が驚いていると、後ろから隊長が声を掛けた。


「コボルト…

 その魔物の名は、確かそんな名前だったね」

「知っているんですか?」

「ええ

 まあ…」


その魔物の事は、エドワード隊長が知っていた。

大隊長はその魔物の事が知りたくて、隊長に質問する。


「どんな魔物なんです?

 強いんですか?」

「あー…

 戦った事はあるけど…

 中で話さないかい?」

「ああ、すみません」

「ここじゃあね

 色々とマズい」

「はあ…」


見ると手続きはほぼ終わっていて、兵士達も順々に入って行く。


「さあ

 先ずは領主様に報告だ」

「えっと…」

「魔物の件は、領主様にお話してからでも遅く無いでしょう?」

「はあ…」

「部隊長は一緒に行くかい?」

「いえ

 我々は他に用事が…」

「部下の事もありますし

 それに戦死者の…」

「ああ

 ご家族に報告が…」

「ええ

 エドワード隊長は?」

「ワタシの部隊には、犠牲者は居なかったからねえ…」

「そう…ですか」


エドワードの部隊は、歩兵の部隊である。

それに新規の部隊なので、今回は様子見で数名しか連れていなかった。

だから怪我人こそ出たものの、死者は出ていなかった。

それでエドワードは、大隊長の報告に同行する事になる。

そもそも帰還を進言した経緯の事もあったので、彼は領主に面会するつもりであった。


「さあ

 兵士を解散させて

 それから向かいましょう」

「うう…

 どう報告すれば良いのやら…」

「大丈夫ですよ

 ワタシも一緒に行きます」

「はあ…

 こうなれば、どうにでもなれだ」


エドワード隊長に促され、ヘンディーは部隊長を連れて門を潜る。

そうして兵士達に、この場での解散を命じる。


「今日はもう遅い

 ここで解散とする」

「おお…」

「やっと帰れる…」


「なお、事後の連絡は追って行う

 それまでは、各自自宅で待機する事」

「はい」

「勝手にふらふらと出歩くなよ」

「は…

 やだなあ…」

「飲みに行くぐらいは、許してくださいよ」

「駄目だ!

 連絡があるまでは、自宅で待機

 あるいは療養とする」

「はあ…」

「やれやれ」

「まだお預けか…」


兵士の中には、これから飲みに出ようと考える者もいた。

あの戦いの恐ろしさを紛らわす為にも、お酒の力を借りたかったのだ。

しかし未だに、街は魔物の危機に晒されている。

だからこそ、どの様な辞令が出るか分からない。

休暇や交代の指示が無い限りは、自宅で待機する必要があった。

でなければ、辞令が出ても確認が取れないからだ。


大隊長の指示に従い、部隊長も必要事項を伝えて解散となる。

そのまま兵役を終えて、家に戻る者。

引き続き兵士として、兵舎に戻って休む者。

それぞれ休息を取る為に、家路に着いた。


遠征で疲れているから、再召集までは自由行動となる。

勿論再度の召集の可能性もある。

深酒や二日酔いもだが、出奔等は許されていない。

それでも自宅や兵舎での、ある程度の自由は許されていた。


自由行動という事で、アレックスやディーンも家に帰る事となる。

ただ、自分達の未熟さを痛感していたので、明後日から宿舎に戻って特訓をする約束をしていた。

家から兵舎に通い、訓練を行う約束だった。


「ギルバートも来るのかい?」

「うん」


ギルバートも、訓練をする約束をする。

大隊長の姿を見て、自分も何かしないといけないと思っていた。

それが戦う為の訓練というのが、如何にも彼らしい考えではあったが。

親友のアーネストが居れば、他にする事があるだろうと(たしな)められただろう。


「明後日に出れるかは分からないけど、父上から許可が出たら宿舎に行くよ」

「ああ

 じゃあな」

「またね」


二人に挨拶をして、ギルバートは領主の邸宅へ向かって歩き始めた。

ここから領主の館までは、歩いて1kmほどの距離になる。


ダーナの街は、海に面している。

片側は湾になった港を囲む様に、港湾施設が立ち並んでいる。

そこから少し離れた場所に、長方形に近い形の城壁で囲まれた街が出来ている。

街の外周は東西に40kmと、南北に60kmの城壁が建てられている。

これは過去に住んでいた、ドワーフと呼ばれる亜人が建てたとされている。


元は港に入る商船で商っていた町が、他国との戦闘に備えて城壁に囲まれた街へと発展した。

そこから内陸部に、新たな居住地が作られる事になる。

その際に当時の住民達が、ドワーフに頼み込んで城壁を建造した。

やがて港と街を分けた、今の形となって行った。

今でも港の周りには城壁の跡が残り、攻め込み難い場所になっていた。

そして街の城壁も、依然として堅牢を誇っていた。

この城壁があるが故に、ダーナは辺境の要として存在していた。


港が街から離れているのは、他国からの船団からの攻撃に備えてだ。

街が攻められても城壁で防げるし、いざとなったら船で避難出来る。

また港が攻められても、街が無事なら奪い返せるだろう。

こうしてダーナは少しずつ、大きな街として発展してきたのだ。


街の中心は小高い丘になっており、そこに女神聖教の教会が建っている。

その南側に領主の邸宅が建ち、その周りは広場になっている。

それを囲む様に、各ギルド支部の建物が建っていた。

ギルド支部は商工、魔法、冒険者ギルドの各支部の建物だった。

北に冒険者ギルドが、東には商工ギルドが支部を置いている。

その東側の区画が、商人の商店や酒場、宿などが集中している。


西には魔術師ギルドの、怪しげな建物が建っている。

アーネストの住む家は、このギルドの建物との間に建っている。

元は高名な魔術師が、余生を家族と過ごす為に建てた家だった。

その敷地の中に、アーネストが住む家が建てられている。

彼の師の住んでいた家は、今ではその家族が使っている。

その南側に、農民や牧畜を営む者達の家が並ぶ。

そこから南に、城門まで農場や牧場が並んでいる。

アレックスやディーンの家は、この辺りに建っていた。


こうして領主邸宅と併せて、教会を守る様にギルドの建物が建っている。

各ギルドには支部長としてギルドマスターが常駐している。

周辺の町や村からの依頼が持ち込まれて、情報共有もここで一手に行っていた。

領主の邸宅も近いので、緊急の案件もすぐに相談が出来た。


この丘から街の中央を、縦横に貫く大通りがある。

そのまま四方の城壁へと繋がり、その外は港や他の町へ繋がる公道となっている。

各城門の周りには、兵舎や訓練場が建てられている。

そこには兵士が詰めていて、有事に備えて訓練に励んでいた。

正門とはその中でも首都となる、王都へと向かう東の大門の事を指している。

ギルバートはその大門から、大通りを抜けて中央の領主邸宅へ向かっていた。


大通りは商店や工房が建ち並び、夕暮れとはいえまだ買い物客が多く集まっていた。

休憩は取っていたものの、食事は干し肉とパンだけだった。

育ち盛りの少年にとっては、少々物足りない物だった。

途中で屋台の串肉を2本買い、果実を絞ったジュースを買う。

この世界では屋台での買い食いは一般的で、そのまま持ち帰るか、その場で食べる事になる。

串やジュースの入ったコップは返却され、洗って再利用されていた。


大通りに面した広場で、ギルバートは買って来た串肉を齧りながら、道行く人々を眺めていた。

商品は、普段と変わりが無かった。

値段が上がったり、品数が不足したりはしてない。

しかし客足は普段の、半分ぐらい減っていた。


「魔物の影響かな?

 みんなはどこまで知っているんだろう?」


ギルバートは、ふと疑問に思って呟く。

見た限りでは魔物に怯えたり、混乱を起こしたりしてる様子は見られない。

まだ魔物の事は公表してないか、安心させる様な事を言ったのだろうか?

街の住民は、見た目ではいつも通りだった。


「無事に冬を、越せれば良いんだけど…」


彼は独り言を呟いた後に、串肉をもう一本齧っていた。

そこへ不意に、後ろから声が掛かった。


「領主様が、将軍が討伐してくれると仰いましたからね

 みな安心しているんですよ」

「へ?」


声の方を見ると、一人の男が立っていた。

真っ赤な民族衣装に身を包み、これまた真っ赤な帽子を被っている。

皮の部分鎧と、色褪せたローブを纏っているが、帽子と服の赤が非常に目立っている。

腰には細身の長剣を提げ、背中にはリュートという弦楽器を背負っている。

見るからに優男といった感じの吟遊詩人が、彼に向けて恭しく礼をする。


「お久しぶりですね

 ぼっちゃん」


お久しぶりと言ったこの男は、数ヶ月前に街中で出会った詩人だ。

あの時と、見た目も恰好も変わっていない。


「あなたは、あの時の…」

「ええ

 旅の詩人でございます」


詩人は再び、恭しく頭を下げた。


「どうしてここへ?」

「ちょうど数日前ですが、北は物騒だと聞きましてね

 今度は南に向かおうと思いまして…」

「そうなんだ」


旅の吟遊詩人は、自由に放浪している。

ほとんどの国が、彼等の出入りを自由に認めている。

それは主神である女神が、その様に命じたという説もある。

しかし現実は、他国の情報を仕入れられるからだ。


各地を宛てもなく彷徨い、その土地の伝承や物語、戦争の話等を聞いて回る。

それを独自の歌にして、日銭を稼いでいるのだ。

だから彼等は、色んな世事に詳しかった。

それを手土産に、時には貴族とも面会をする。


「そうだ

 お兄さんに教えてもらった剣術

 役に立ちましたよ」

「ほおう」

「魔物に襲われた時、自分の身を守る事が出来ました

 ありがとう」

「どういたしまして」


詩人は嬉しそうに、ニコリと笑った。

自分が教えた護身術が役立ったのだ、嬉しっかたのだろう。


「それにしても

 身に付けていたとは…

 相当頑張ったんでしょうね」

「え?

 ああ、友達に見てもらいながら練習したよ」

「それはそれは」


そうは言いながらも、彼は首を傾げる。

それからブツブツと、小声で何かを言っていた。


「ううむ…

 そんなに簡単なスキルだったかな…」

「え?」

「いえ

 何でもありません

 しかし容易には、体得出来ない筈なんですが…」

「そうですね

 将軍も使ってたみたいですが…

 ボクのは威力も低くて…」

「いえいえ

 振り抜けるだけでも…

 結構な鍛錬が必要です

 それこそ年単位の…」

「え?」


それから詩人は、ゴソゴソと懐をまさぐる。

彼は懐から、二冊の本を取り出す。

一見すると、それはとても懐から出せる様な代物では無かった。

しかし彼は、それをギルバートに差し出した。


「うん

 頑張った子には、ご褒美をあげませんとね」

「へ?

 いいよ」


相手は親切とはいえ、自分の身を守る術を無償で教えてくれた人だ。

感謝こそすれども、更に貰うのは悪いと断った。

だからギルバートは、それを貰うのは悪いと断る。


「お兄さんには、あの剣術を教えてもらったんだ」

「いえいえ

 私は子供が好きでね

 子供が不幸になるのは辛いんですよ」

「え?」

「ですから

 君がこれで、もっと多くの子供達を守るなら…

 それは私の、喜びでもあるんですよ」


男はそう言って、ウインクをする。

彼は2冊の本を、半ば強引にギルバートに手渡す。

この世界では羊皮紙が主で、本は貴族や商人が持つ高級品であった。

それも豪華な表装の、古そうな書物だ。

見る者が見れば、高価な値段を着けるだろう。


「こんな高価な物を…」

「私達には…

 実は私には、ほとんど読めない物なんです

 どうか役立ててください」

「え?

 それじゃあボクも…」

「お友達に読んでもらいなさい」

「え?

 アーネストに?」

「ええ

 彼なら読めるでしょう」

「あ、ありがとうございます」


ギルバートは頭を下げ、よかったら対価に見合う支払いをしたいと申し出た。

しかし詩人は、やんわりとそれを固辞した。


「あ!

 金貨で良ければ…」

「いいえ

 先ほども言いましたでしょ?

 私には読めません」

「でも…」

「その本には色々な護身術が載っています」

「護身術?

 もしかして、この前の剣術も?」

「ええ

 その本を見て、真似て身に付けました

 ですから私にはもう、不要な物なんです」

「あ、ありがとうございます」


再びギルバートは、深々と頭を下げた。


「一つ、忠告させてください」

「え?」

「あなたは子供とはいえ、貴族の嫡男です

 一般人の私に、ましてはこんな往来の真ん中で…

 そんなに気軽に頭を下げてはダメですよ」

「そうなの?」

「そうなんです」


ギルバートは、目を丸くする。

田舎とはいえ、詩人に貴族が頭を下げるのは異例だ。

場合によっては、不敬罪になる場合もある。

望もうと、望むまいと、相手が罪に問われてしまうのだ。

詩人はそれを思って、ギルバートに忠告した。


「この街では…

 そんな訴えをする者も居ないでしょう

 ですがあなたの立場が変わって…」

「え?」

「いえ

 今のは忘れてください」

「?」


詩人は一瞬、含みのある言葉を言い掛けた。

しかし思い直したのか、それを口にする事は無かった。

そしてニッコリと笑うと、彼はマントを翻して優雅に礼をする。


「それでは

 私はこれで失礼しますね

 どうかお元気で」

「うん

 詩人さんも、旅が健やかでありますように」


ギルバートは女神聖教の一句を真似て呟き、祈る仕種をして見送った。

彼は立ち去りながら、表情を一変していた。

それは幸いな事に、ギルバートからは見えていなかった。


「何で私が、こんなお使いを…

 ブツブツ…」


詩人は聞こえない様な、小声で不満を漏らす。

そして通行人に奇異に見えない様に、素早く商店の一角に身を隠す。

その様子を見ている者がいれば、彼の姿が忽然(こつぜん)と消えた事に驚いただろう。


詩人が立ち去った後、ギルバートは改めて本を見る。

羊皮紙数百枚を綴った、分厚い本が2冊。

表紙は丈夫な皮で作られ、見た事もない文字で何か書いてある。

丁寧で豪奢な装丁が、それが希少な書物だと示していた。

食べ終わった串とコップを店に返し、早速中を見てみる。

しかし数分も経たずに、彼はそれを閉じていた。


「ふう…

 駄目だ」


読めない。

それは表紙と同じ様な、見た事も無い文字で書かれていた。

恐らく年配の者が見れば、それは昔の文字だと推察されただろう。


1冊の本は、武術の本らしい。

所々挿絵が入っていて、詩人はこの挿絵を真似たのだろう。

先の剣術の構えも、その挿絵の中に入っていた。

もう1冊は更に難解で、挿絵はほとんど無い。

多量の文字に埋め尽くされて、何やら怪しげな挿絵も描かれていた。


「うわあ…

 こりゃあ読めないや

 アーネストが読めなかったら…

 どうしよう」


ギルバートより知識があるアーネスト。

詩人はアーネストなら、この本が読めると言っていた。

彼が読めなければ、恐らく父親も読めないだろう。

折角もらったのに、早くも使えるか不安になってきていた。

ギルバートは大事に本を胸に抱えて、領主邸宅へと家路に着いた。


彼は気が付いていなかった。

何故詩人は、アーネストなら読めると言っていたのか。

詩人はアーネストとは、面識が無い筈なのだ。

そんな事には気付かず、少年は本を大事そうに抱えて帰って行った。

まだまだ続きます。

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