第027話
野営地に訪れる、不審な影
それが何を意味するのか?
静かな野営地に、緊張が走った
辺りが急に静まり返り、気が付けば野鳥の鳴き声も途絶えていた
不審な人影は、ゆっくりと野営地へと近付いて来る
それはこれから、何か一騒動が起きる事を暗示していた
ギャアアウ
それは朝の挨拶と言わんばかりに聞こえた。
魔物だ。
魔物が野営地の、境界線の向こう側に立っていた。
彼は先日の境界線の向こうから、こちらの様子を窺っていた。
隊長格の少し大柄な魔物が、木を二本引き摺りながら姿を現す。
彼も境界線の、向こう側に立っていた。
手に持った木を一本放り出し、もう一本を両手で持ち直す。
「!!」
気が付いた者は素早く身構え、武器を手にしていた。
中には研いでいる途中の者も居て、慌てて武器を持ち直す。
「な、何者だ?」
「魔物か!」
「魔物だ!」
「魔物が現れたぞ!」
ギャガハハ
魔物は上機嫌で野営地を見回し、うんうんと頷いている。
まるで準備をしている様子を視察して、直ぐに体制を整えた様に感心している様子だ。
その様子に気が付き、将軍が魔物達の前に立つ。
その腰には、いつでも引き抜ける様に、剣の柄に手が添えられている。
「まだワシ等は、そこを超えてはおらんがのう」
グギャガア
ガヤガハハハ
将軍はそう言いながら、悠然と境界線へと向けて歩いて行く。
しかし腰の剣には、いつでも抜ける様に手は添えられたままだった。
ギャガウウ
魔物は頷いてから、境界線を手にした棍棒で示す。
それからその向こうに居る兵士達を指し示してから、棍棒を素振りする。
「将軍
危ないですよ」
「迂闊に近寄らないでください」
「大丈夫じゃ
奴等には殺気が無い」
「しかし…」
部隊長が二人、慌てて将軍の元へ駆け寄る。
第3部隊の部隊長アレンと、第2部隊部隊長のジョンだ。
「大丈夫じゃ
戦う気であるなら、とうに攻撃して来ておるじゃろう?」
「ですが…」
「それに…」
グギャガガ
将軍は平然としていたが、部隊長達は気が気では無かった。
もし、将軍の身に何かがあったら、それこそ大変な事になる。
しかし将軍は、魔物の仕草を見て頷く。
「どうやら…
ふむ
力比べを所望しておるようじゃな」
「へ?」
「力比べ?」
グアウハハ
魔物は勢いよく飛び出した二人の方を見て、棍棒を肩に担いで片手で手招きしている。
棍棒もよく見ると、武骨に木の幹を切り出して加工した物だ。
およそ戦闘用の武器としては、向いている様には見えない代物だった。
魔物は足元にもう一本用意していた棍棒を拾い、無造作に境界線のこちら側に投げて寄越す。
「まさか?」
「いや
そのまさかじゃ」
「ですが、相手は魔物で…」
「ほれ
あれは素振り用の棍棒じゃな
木を切り出しただけの物じゃ」
「それじゃあ本気で?」
「うむ」
「野郎…
舐めやがって」
「別に舐めてはおらんと思うがのう…」
ジョンは怒りで顔を朱に染めて、歯軋りをしていたが、将軍はボソリと呟く。
その様子を見て、心配になってヘンディーも前に出て来る。
「ほれほれ
そうかっかしてると失敗するぞ」
「ここはオレが…
兵士達では…」
「いや
オレが行きます
先輩は下がってください」
「おい!
アレン!」
「アレン!
止さないか!
そんなに血気に逸っては…」
「大隊長
今度は良いですよね?」
「あ!
おい、アレン」
アレンはそう言うと、前へ出て棍棒を拾い上げる。
それに対して大隊長は、一言だけ注意した。
ここで下手に止めても、彼等は前へ飛び出すだろう。
部下に冷静になる様に、短い注意だけをした。
「怒りに我を忘れて、つまらんミスだけは冒すなよ?」
「はい」
「大隊長??」
アレンは棍棒を手にすると、感触を確かめながら素振りをする。
「ふん
しっ」
ブン!
ブオン!
「よろしいのですか?」
「大丈夫だろう
奴等は殺気を出していない」
「あくまでこちらの、コンディションでも見に来たんじゃろうな」
「それは…」
大隊長は将軍とジョンが立っている側に来て、腕を組んで勝負を眺める。
腕を組んだのは、こちらは手を出さないと言うアピールでもある。
将軍も腕を組んでおり、ジョンだけはハラハラしながら勝負を見守った。
魔物はあくまでも、腕試しに来ているのだ。
それが証拠に、彼等は素振り用の棍棒を用意していた。
「よしっ
それでは行くぞ!」
ギャホホウ
魔物は頷くと、棍棒を構えてアレンを見る。
アレンも慣れない棍棒を、肩に掲げて身構える。
両者が棍棒を構えると、互いを見合って開始の合図を待つ。
将軍が一息吸うと、開始の号令を掛けた。
「では
勝負開始!」
「はあああ…」
ウゴホウ
将軍の号令に合わせて、弾き出される様に両者が踏み出す。
中央で棍棒を振り上げると、そのまま力強く打ち合う。
二本の棒は、がっしりとぶつかると組み合わさる。
「はあああ!」
ギャオオウ
ガシーン!
正面からぶつかり合った棍棒は、ギシギシと音を立てる。
両者の力は拮抗して、一旦押し合ってから離れる。
そこから再び踏み込むと、激しく棒を打ち付け合う。
2合、3合…
ゴン!
ゴガン!
木の棍棒とは思えない、鈍い衝突音が響く。
相当頑丈な木だったのだろう。
それでも棍棒は、へし折れずに打ち付け合っていた。
正面から数合ぶつかり合って、表面の樹皮が飛び散る。
「くうう…
うりゃああ!」
グホウ
グギャギャワ
ガギン!
この魔物は、まだ本気にはなっていないのだろう。
それでも、アレンとは互角に打ち合えていた。
アレンも部隊長に抜擢される程の者だ。
それ相応の力を、身に付けていた。
しかし魔物は、その部隊長と余裕で打ち合っている。
部隊長に負けない強さを持つ魔物。
普通なら兵士にとっては、それは恐ろしい事である。
しかし大隊長にとっては、これは朗報でもあった。
ここで魔物の力を、少しでも分析出来るからだ。
魔物のボスも恐ろしい技量だが、隊長格の魔物も相当な実力者ばかりである。
先の戦いに於いても、大隊長ですら苦戦していたのだ。
そんな魔物がまだ複数居ると思えば、本来であれば憂鬱にもなる。
しかも魔物は、先の戦いよりも着実に強くなっている。
だが、今までのが、拠点を任されていた腕利きの魔物であったのなら?
こいつがあくまで、特別な魔物ならばどうだろう?
あの時も側近は、3体しか居なかった。
それ以上増えていないのであれば、まだ何とかなりそうだろう。
こちらにはまだ、将軍も控えているのだ
将軍がボスの魔物と戦えば、残りはオレとアレン達で…
大隊長はそう考えて、魔物と部下の技量を見比べる。
アレンは必死になって、魔物と打ち合っている。
今の彼では、まだこの魔物には適うまい。
魔物はまだ、余裕を持って打ち合っている。
右に、左に、フェイントを掛けながら、上段から振り落とす。
それでも防がれて、アレンは返す刃で逆袈裟懸けも狙ってみていた。
おいおい
ここでそんなに、手数を見せなくても…
大隊長としては、そこまで本気で打ち合って欲しく無かった。
彼等が剣術を学べば、さらに強くなる恐れもある。
魔物は今は、力任せで防いでいた。
こちらの様に、技量で防いでいるのでは無い。
純粋な力の差で、アレンの攻撃を防いでいる。
しかしこれが、技量まで身に付けられては、歯が立たなくなるだろう。
事実アレンも、力に押されて攻めあぐねていた。
このまま
無事に終わってくれよ…
そんな純粋な打ち合いの力比べが、暫く続けられる。
最初は魔物が、こちらを試すつもりで仕掛けて来たのだろう。
しかし魔物も、この力比べを楽しんでいた。
そしてアレンも、いつしか人知れず、顔がにやけて来ていた。
「うりゃああ」
ギャホホウ
ガゴン!
いつの間にか、ロンの仇だとか、人類の敵だとかどうでもよくなっていた。
魔物への憎しみや、仇を討つという思いが消えていく。
打ち合う度に、純粋に力比べをする事に楽しみが生まれて来る。
それはまるで、訓練生時代に仲間達と、訓練で打ち込みをしていた時を思い出す。
あの時の様な、純粋な技量比べの楽しさを思い出していた。
「ほおう」
「ふふふ…」
「これは…」
いつしかヘンディーも、その打ち合いに興奮していた。
魔物の技量などどうでも良い、ただ無事に勝って欲しい。
このまま負けないで、打ち勝って欲しい。
そう思う様になっていた。
そして将軍も、二人の打ち合いを見て喜んでいた。
弟子であるヘンディーが、ここまでの若者を育てている。
それは師としても、嬉しい事だった。
こんな若者達が育っているのなら、そろそろ自分も必要無いだろう。
将軍は目を細めて、その光景に魅入っていた。
そして兵士達も、いつしか純粋に、技量の拮抗した勝負を楽しんでいた。
力の魔物と、技量の人間の勝負は、そのまま互角に続く。
「やれっ!」
「そこだ!」
「ああ…」
「惜しい…」
いつの間にか、ジョンも声を出して応援していた。
兵士達は声援を送り、部隊長を応援していた。
そしてこの時、事情をよく知っている者が居たなら気付いただろう。
魔物の側にも観戦者が居て、背後の目立たぬ木陰や茂みの中から、魔物の応援をしていた。
勝負は数分に渡り続いて、やがて中心で鍔迫り合いの形になる。
そして遂に、この戦いに決着が着いた。
それは想定外の形であった。
「ぐぬぬぬ…」
グガガガ…
ミキッ…!
バキャッ!
遂に二人の力に負けて、魔物の手にした方の棍棒が折れてしまった。
残念そうに、折れた棍棒を見詰める魔物。
アレンも暫く呆然として、その折れた棍棒を見詰めていた。
「どうした?
さっさとやっちまえ!」
ジョンが叫ぶが、アレンは棍棒を境界線の上に放る。
その様子に、大隊長と将軍は満足げに頷く。
「勝負は…
決着は!
次に戦場で会った時だ!」
グ…
グガホウ
アレンは魔物を指差して、ニヤリと笑っていた。
魔物もニヤリと笑うと、片手を挙げて応える。
それから折れた棍棒を放ると、悠然と去って行った。
「え?
あれ?」
魔物に止めを刺さないアレンに、ジョンは戸惑い、上擦った声を上げる。
その間にも魔物は、ゆっくりと森に入って行く。
途中で茂みから、複数の魔物が姿を見せる。
彼等は興奮して、武器を構えていた。
グアオウ
グギャギャ
グボアアアア
ギャッギャッ
グギャオウ
しかし側近の魔物は、その魔物達に吠え声を上げる。
それで魔物達は、残念そうに武器を仕舞った。
そうしてこちらを見た後、森に引き返して行った。
それを確認してから、側近の魔物も森に消えて行った。
その様を、兵士達は傍観して見送る。
アレンは魔物を見送ってから、大隊長達の元へ戻った。
そんな彼を、大隊長は肩を叩きながら労った。
「よく頑張ったぞ」
「は、はい」
「技を見せ過ぎたのは…
少し残念だったが」
「ええ
まさかあそこまで、手強いとは…」
「うむ
しかし、良い勝負じゃった」
「何が良い勝負だ!」
「む?」
「ジョン?」
しかしジョンは、そんなアレンに近付くと、胸倉を掴んで詰め寄った。
「何で止めを刺さなかった!」
「え?
ジョン先輩?」
「止せ!」
胸倉を掴む手に、大隊長が手を掛ける。
「しかし、大隊長
絶好の機会だったんです」
「違う
あれは純粋な力比べだった」
「何が力比べだ!
魔物は殺すべきだ!」
「ジョン?」
「おい?
どうしたんだ?」
「ジョン先輩?」
「ううむ…」
この時、一部の兵士も興奮していた。
魔物は殺すべきだと、騒ぐ者が数名居た。
周りの兵士達が、その兵士を宥めようとする。
「そうだ
殺せ殺せ!」
「どしたんだ?」
「おい?」
「魔物なんか殺すべきだ」
「おい?」
「あれは力比べだぞ?」
「そんな事は関係無い」
「そうだ
仲間の仇だ」
「おい!」
「押さえろ」
「こいつ等を押え付けろ」
エリックやハウエルが、他の兵士に命じて兵士を取り押さえる。
その兵士達は、狂った様にぎらついた目をしていた。
「一体どうしたんだ?」
「大人しくしないか」
「魔物は…」
「奴等は殺すべきだ」
「どうしたものか…」
「ジョンといい、こいつ等といい…」
「拘束して閉じ込めておけ」
「はい」
「魔物を…」
「奴等を殺せ!」
「おい!
いい加減にしろ」
騒ぐ兵士達を、仲間の兵士達が拘束する。
そうして彼等を、暴れない様に縛り上げる。
その間にもジョンは、アレンに詰め寄っていた。
「どうしたんだ?
お前らしくも無い」
「そうじゃぞ
あれは純粋な、力比べの筈じゃ」
「そんな事は関係ない!
ロンの仇を討てたんだ」
「ジョン!」
「ジョン先輩!」
「それなのに…
それなのにお前は!」
かっとなったジョンが、アレンを殴ろうとする。
その腕を掴み、大隊長が彼を止める。
「止めないか!
お前は勝負を穢す気か?」
「勝負なんか関係ない!
奴らは魔物だ!」
「ジョン!」
「これは…」
大隊長は溜息を吐き、アレンから掴んだ腕を無理矢理離させる。
「いい加減にしないか」
大隊長はジョンの両手を、しっかりと掴んで叱り付ける。
そこへ他の部隊長が駆け寄り、宥めながら野営地へと引っ張って行く。
「ジョン、どうしちまったんだ」
「大隊長に逆らうなんて」
「お前、どうかしてるぞ?」
「うるさい!
お前らこそ、どうして魔物を殺さない」
「はあ?」
「おい!
いい加減にしないか」
ジョンはそのまま、エリックとハウエルに引き摺られる様に連れて行かれる。
大隊長はその様子を見て、頭を振りながらアレンに向き直る。
「大隊長
オレ…」
「悪いのはお前じゃない
あいつの気持ちも分かるが、どうしたもんだか…」
「ううむ
大丈夫かのう?」
将軍も心配になったのか、大隊長とジョンを交互に見る。
「最悪、拘束しなければなりませんかねえ
士気には響きますが…」
「それは構わんが
あの様子では危険じゃのう」
「ええ」
大切な親友を、目の前で殺されたのだ。
時間と共に、恨みが募っている。
戦場ではよくある事だ。
よくある事なのだが…その末路は大抵が悲惨な事になる。
それが一兵士なら些細な事である。
しかし兵士を預かる部隊長ともなれば、大きな問題を引き起こす恐れが出て来る。
「元はああでは無いんですが
憎しみで目が曇っていますね」
「ああ
それに、相手が魔物というのが問題を拗らせておる
それに…」
「大隊長
やはりあそこで…」
「いや
お前がそうしようとしてたなら、オレが止めていたさ」
「…」
何よりも問題は、あれが力比べであった事だ。
殺し合いであるなら、魔物は最初からそうしていただろう。
棍棒など使わずに、力づくで殺そうとしていただろう。
「例え決闘でなかったとしても、あの場で殺すのはまずかった
将軍もオレも、周囲で見ている魔物には気付いていたからな」
「そうなんですか?」
「ああ」
「うむ」
「さて
今日はどうしますか?」
大隊長はアレンの肩を叩いて、将軍に話し掛ける。
将軍は大隊長の方を見ながら、野営地へと向かって歩き始める。
「先に話した通りさ
明日の出陣に備えて準備をしつつ、交代で休憩をさせる」
「では、その様に手配致しましょう」
「うむ」
二人の後を追う様に、アレンも野営地へと向かって歩き始めた。
その顔は先ほどの充実した様子は無く、暗く沈んでいた。
「それと
先ほどの隊長じゃが…」
「ジョンですか?」
「うむ
気を付けておけ」
「はあ…」
「何か様子がおかしい」
「まあ、そうですね
普段は…」
「そうでは無い
兵士にも影響が出ておる」
「え?」
「まだ…
確証は無いがな」
「師匠?」
「将軍と呼べ」
「は、はい…」
将軍は、ジョンの異様な様子を気にしていた。
そして兵士達にも、同様の兆候が見られていた。
それに気が付いていたので、将軍は注意する様に忠告していた。
部隊長達は、ジョンを拘束して野営地に戻る。
彼は仲間に諌められて、徐々に落ち着きを取り戻す
しかし終始黙り込んでいて、その眼は暗く光を失っていた。
部隊長達は大隊長から、剣や鎌などの装備を手入れをする様に命じられていた。
しかしその間にも、ジョンは何を考えているのか分からない、何か不気味な雰囲気を纏っていた。
他の部隊長は聞かれない様に注意しながら、端の方で相談をしていた。
「ジョンの奴、大丈夫かな?」
「大分思い詰めている様だが…」
「このまま魔物と戦ったら…
マズいかも」
「後でダナンにも伝えておこう」
「そうだな」
ハウエルとエリックは、魔物の群れに無茶して突っ込む姿を想像していた。
それで彼等は、それとなく注意して、ジョンの様子を見ておこうと思った。
ジョンはそれで死んでも満足だろうが、部下の騎兵達には迷惑だろう。
危ない様なら、事前に止めに入らないとマズいだろう。
そんな事を話していると、アレンも気にしていたのか話に加わる。
「オレも、注意して見てますね」
「ああ、頼む」
「ただし止めに入るのは止めた方が良いな
先の事もあるからな」
「そうだな
オレ達か大隊長に声を掛けてくれ」
「はい
そうしますね」
アレンは先ほどまでしょげていたが、今は手入れをしている内に立ち直った様子だった。
皮鎧に留めてある、金属プレートの補強を確認してる。
これは騎兵部隊の、部隊長用の装備になる。
並みの兵士では、革鎧でも動きが制限される。
これを着こなすには、それ相応の訓練が必要だった。
「この…レザープレートアーマーでも…
あの魔物の一撃は、防げなかったんですよね」
「ああ」
「今日のはまだ、あれだがな
あの時のは、強力な膂力を持った危険な奴だったからな」
「そうだな
今日の奴より、膂力は上だったんじゃないか?」
「ええ
恐らくそうでしょう」
今日戦った魔物も、アレンが梃子摺るほどの強者だった。
しかしロンメルが戦ったのは、もっと腕の太い魔物だった。
その強力な力で、魔物を一撃で圧殺するほどだったのだ。
そいつが相手では、アレンも無事では済まなかっただろう。
「あの魔物は、剣やダガーよりも棍棒や斧を好みそうだったな」
「そりゃあ剣やダガーじゃ、力に負けて壊れるだろう?」
「だろうな」
「うーん
そうなんでしょうか?」
「青いな」
「へ?」
アレンはそれでも、剣の方が、いやそれよりも、鎌の方が強いと思っていた。
しかしハウエルは、そんな物は純粋な力の前では、無力に砕かれると感じていた。
彼は弓使いであるので、力の恐ろしさを知っていた。
下手な防具では、力を持つ者の前では無力なのだ。
それを知る事が出来たので、ハウエルは弓を手にしていた。
鎌や剣に固執せずに、自分の出来る事に集中したのだ。
「いずれ分るさ」
「はあ…」
「そうだな
ハウエルは大隊長に、こっぴどくやられたんだよな」
「言うな…」
「へ?」
「だからこいつは、弓を持っているんだ」
「ああ
こいつなら、あの筋肉野郎にも勝てる」
「おいおい…」
「え?
ハウエル先輩?」
「ガハハハ
大隊長には
ヘンディーには何度も煮え湯を飲まされたからな」
「はあ…」
「え?
そうなんですか?」
「ああ」
ハウエル自身は、ヘンディーよりも先に部隊長になっていた。
しかしヘンディーに負けて、彼の下に着く事を認めている。
だから大隊長には、少なからぬ思うところはある。
そして力には、彼なりに思うところはあった。
「それにしても…」
「板金を付ければ良いってわけじゃ無いだろう」
「そうだな
あまりゴテゴテ着けたら、重くて動けなくなる」
「やはり、素直に躱すしかありませんね」
「ああ
それには素早く動ける様に…」
「しかしそれは、あの魔物と一対一で対峙した場合の事でしょ?
他の魔物には…」
「ううむ
それもあるのか…」
「そうだなあ…
あまり軽装だと、それはそれで危険だな」
「ええ」
部隊長達の会話は、いつしか魔物に対する装備の話へと変わっていった。
いつしか、暗い復讐の情念に焼かれる同僚の事を忘れて。
それから兵士達は、再び幾つかの班に分かれて作業に入る。
森の中で食材の採取や狩猟が行われ、夜は交代で休む事も出来た。
魔物は昨晩と同じく、夜陰に乗じて攻めて来る事は無かった。
彼等は無事に、朝日を拝む事が出来た。
負傷が軽かった兵士はすっかり回復し、傷が深かった者も自力で動ける様にまで回復した。
そして朝食を終えた後、いよいよ砦に向かって出立となる。
多くの兵士達が、いよいよ決戦だと落ち着かなくなる。
この期に及んで、慌てて装備の点検を始める者も現れた。
「急げよ
敵が待ってくれている、今がチャンスだ」
「はい」
「おい!
そっちの皮袋を取ってくれ」
「矢が足りないぞ」
「剣の研ぎ直しをした方が…」
「もう良いだろ?
それよりも革紐が解けているぞ」
「ううむ…」
「はあ…」
「決戦前とはいえ…」
「お恥ずかしいです」
「いや
何かおかしいと…
思わないか?」
「はあ?」
「いや
聞かなかった事にしてくれ」
「はい…」
将軍は兵士達が、浮き足立っているのを気にしていた。
いや正確には、集中出来ていない事に不安を感じていた。
彼等は何か熱に侵され、意識を集中出来ないでいる様子だった。
それが何なのか、将軍は疑念を抱いていた。
本来の彼等ならば、ここまでの事は無い筈なのだから。
出立の準備が慌ただしく行われ、野営地は騒然としている。
その緊張した空気に当てられて、野鳥達が飛び立つ音がする。
それに呼応するかの様に、境界線の向こう側でも動きが見られ始めた。
潜んで様子を観察していた魔物が、報告の為に駆け出して行ったのだ。
「やはり…」
「構わんよ
どうせ砦までの進軍で気付かれる」
「しかし見張っていたとなると…」
「ヘンディー
お前まで…」
「え?」
「いや
その様子では、気付いていないのだな」
「将軍?」
「いや
お前が大丈夫なのなら、まだ何とかなりそうじゃ」
「はあ?」
今回は魔物が、堂々と宣戦布告してきてるので、こちらも斥候は出していない。
後は砦の前まで移動し、正面からぶつかるだけだ。
将軍は髭を扱きながら、ヘンディーの方を見る。
「準備は良いか?」
「ええ
これで決めます」
「うむ
小細工は抜きだ
互いの実力を持って、勝敗を決める」
「ええ
今度もこちらが、勝たせてもらう
それだけです」
「そう…
上手く行くかのう」
「やるしか無いんでしょう
負けられませんよ」
「そうじゃのう」
大隊長は気合十分だが、将軍は何かを心配していた。
その懸念が現実にならない様に、彼は慎重になっていた。
「師匠…」
「将軍と呼ばんか」
「将軍
何を心配してるんですか?」
「ううむ…」
「将軍らしくもない
いつもなら何も考えずに…」
「おい!
それじゃあワシが、まるで脳筋の…」
「そうでしょうが
いつも作戦は、オレやオーウェンに任せきりでしょう?」
「ぬう」
「なあ」
「ええ…」
いつの間に来ていたのか、副隊長のオーウェンが後方に立っていた。
将軍は彼が来ているのを、気付かないほど考え込んでいたのだ。
「そうですねえ
いつもの将軍なら…」
「うおっほん」
「らしくないですぜ?
もしかしてジョンの事ですか?」
「いや
それもあるが…」
「他に何が?」
「取り立てて問題になりそうな事は…」
「兵士が浮き足立っておる
なるべくあいつ等は、死んで欲しくないのう」
「何を弱気な
将軍らしくないですよ
はははは」
大隊長は笑いながら、将軍の背中をバンと叩く。
「ははは…」
「そうじゃな…」
「どうしたんです?」
「いや
オーウェン」
「はい」
「先の件は任せるぞ」
「はい
指示通りに」
「将軍?」
「お前はお前で、部下をしっかりと纏めろ」
「はあ…」
将軍はそう言って、大隊長の肩に手を置く。
彼はまだ若く、これからのダーナは彼に掛かっているのだろう。
将軍は柄にもなく、そう考えながら肩を叩いた。
弟子の困惑した、苦笑いを見て苦笑する。
こいつは…
まだ気付いておらん
いや、ワシの心配し過ぎかも知れんが…
しかしこれが、最期になるかも知れん
最期に…
やらねばな
将軍は気合を入れ直して、号令の声を上げる。
「よしっ
それでは、砦に向かって進軍するぞ!」
「はい!」
「これが今回の…
遠征の最大の戦いになるであろう」
「はい」
将軍は全軍の前へ出ると、朗々と大きな声で宣言する。
「これより、第2砦へ進軍する」
『おおおう!』
「今更みなに、死ぬなとは言わん
ただ、無茶だけはするな
生き残る道が見えるなら、足掻いてでも抜け出して来い」
「はい」
「死ねませんよ」
「そうです」
「街を守る為に…」
「うむ
最後にこの森を制するのは、我々人間だ!
そう心して掛かれ」
『うおおおお!』
将軍の激の込められた言葉に、兵士も呼応して声を上げる。
「負けられないぞ!」
「生きて帰るんだ」
「勝ってやる」
「魔物なんぞに…」
「殺し尽くしてやる」
幾つか聞き捨てならない、危険な言葉も含まれている。
しかし大隊長は、それも決戦前の高揚だと判断していた。
中には今回の遠征が、初めての戦いの者もいるのだ。
だからこそ、生きて帰る必要があるのだ。
将軍が片手を挙げる。
それで野営地は、水を打った様に静まり返る。
そして号令一下、彼の腕が振り下ろされる。
「全軍
出撃!」
「ぜんぐん
しゅつげき!」
『おおおお!』
堰を切った様に、遠征軍の兵士は砦に向かって動き始める。
そして数刻を置かずに、彼等は砦の前へ到着して、正面を囲む様に陣を展開した。
それに呼応するかの様に、魔物の軍勢も砦の前に展開する。
その総数は少なく見ても、1200は超えていたであろう。
多くの兵士が、その数の多さに身震いする。
想定以上に、魔物の数は膨れ上がっていた。
しかし身震いは、恐怖の震えだけでは無かった。
魔物を狩り尽くさんと、武者震いする者も多くいた。
「我が軍の…
倍以上か」
「相手にとって、不足ありません」
「うむ
数で勝るとも、勝てるとは限らん」
「ええ
それに想定内です」
「うむ」
魔物のボスが、武器も持たずに前へ出て来る。
彼は不敵に身構えもせず、ゆっくりと砦の城門まで出て来た。
彼は手振りと鳴き声で、将軍に向けてメッセージを送る。
ギャグワワ、グギャウウ
グワウ、グギャググ
それはまるで、こう言っている様であった。
覚悟は良いか?
雌雄を決しようぜ?
将軍は頷くと、拳を振り上げて返礼する。
「そちらの準備も、整っておる様じゃな」
ギャッグワッ
魔物は将軍の言葉に、そうだと答えている様だった。
将軍は再び、満足気に頷いた。
それから魔物が下がって、代わりに隊長格らしい魔物が3匹、前へ出て来て構えた。
よく見れば後方にも、何匹か部隊を引き連れる様に、隊長格の魔物が控えていた。
その中には昨日の、アレンと勝負した魔物の姿も見える。
彼等が指揮官として、魔物を率いて向かって来るのだろう。
先頭の3匹が、いつでも良いぞと身構えてみせる。
「最早、語る言葉も要らぬか」
ギャッグワッ
グギャオゥ
「それでは、行くぞ!
突撃!」
「突撃!」
「うおおおお」
「わあああ」
「行け行け!」
将軍の声が戦場へ響き渡り、大隊長の唱和が続いて響く。
先ずは騎士団が、先行して魔物に突撃を仕掛ける。
騎士隊長の激が飛び、騎士達は鎌を振るって向かって行く。
それを追う様に、歩兵部隊も続く。
彼等は小楯を左手に構え、小剣を引き抜いて駆け出していた。
「うわああああ!」
「うおおおおお!」
ギャグアア
グギャギャ
人と魔物の声が入り混じり、あちこちで衝突の音と剣戟が鳴り響く。
次々の悲鳴が上がり、血飛沫が辺りを染める。
遂に第2砦、奪還戦が始まった。
まだまだ続きます。
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