第022話
天高く、棚引く煙
血を満たす、夥しい死骸と死臭
多くの魔物が倒され、一時の平穏が砦を包む
しかしそれは、次の戦いの幕間でしかなかった
第1砦での戦闘は、ダーナ遠征軍の勝利で終わった
負傷者は数人程度ですみ、砦に住み着いていた魔物は一掃された
しかし魔物の数が思ったよりも多く、また死骸の処理に時間が掛かってしまった
それにより危険ではあるが、もう一夜ここでの野営をする事となった
大隊長と将軍は、戦後処理の相談をしていた。
大隊長はこのまま野営するのは、危険だと将軍に訴える。
しかし将軍は、夜間に森に出る事の方が危険だとしていた。
それは副隊長も同じで、せめて砦の敷地内で野営をしようと訴えていた。
そしてもう一つの問題が、建物を使えない事だった。
砦の防壁もだが、建物も使い物にならなくなっていた。
「さすがに、ここに留まるのは危険です」
「しかしのう
森の中の方が危険じゃぞ?」
「それは…」
「それに、このままでは日が暮れてしまいますよ?」
「ですが防壁も不十分ですし…」
「じゃが、無いよりはましじゃろう?」
「ううむ…]
砦の中には、あちこちに汚物や腐った食料が散らばっていた。
その上で魔物を討伐した際に、多量の血の跡が残っている。
こんな場所で寝れるのは、図太い神経をした将軍ぐらいだろう。
特に建物の中は、屎尿や排泄物があちこちに散らばっていて悪臭を放っている。
臭いも問題だが、衛生面でも身体に良く無いだろう。
「魔物は思ったよりも動物に近いのかな?
そこらで排泄するなどたまった物じゃないぞ
悪臭で鼻がひん曲がりそうじゃ」
「そうですね
先の戦いでは儀式的な物も行っていたので、もう少し知能はあるものと思っていましたが
これほど原始的とは…」
「うむ
オーウェンはどう考える?」
「はあ…
私は書類の製作で手一杯ですよ?
お二人で考えてくださいよ」
「師匠…
少しは書類も…」
「まあ、場所によっては原始的な生活をしている部族も居る」
「師しょ…」
「将軍と呼ばんか!」
「おっと」
将軍は書類仕事を、何とか誤魔化そうとする。
「ここから帝国を挟んで真反対に、獣人の集落があるという話がある」
「そこは…
こんな感じの集落なんですか?」
「うーん
そこまでは分からないが…」
「いや、知らんのですかい」
「知る訳が無かろう?
獣人なんぞ、ここ数十年見掛けておらん」
「それじゃあ…」
「しかし木や石を積み上げた簡単な住居で、かなり貧しい暮らしをしておると聞く」
「何処からの情報で?」
「旅の吟遊詩人じゃ」
「はあ…
当てになるんですかね?」
「さあな?」
「想像出来ませんな」
魔物の話が、遠い異国の獣人の話に脱線する。
将軍は気が付き、咳払いをして話を戻す。
「うおっほん
話が脱線したぞ」
「師匠が脱線させたんでしょう」
「ここでは将軍と呼べ!」
「うへー」
「まあいい
話を戻そう」
「ここの施設が使えないって事ですよ」
「うむ」
副隊長のオーウェンも、施設は使えないと判断していた。
掃除して使うにしても、暫くは無理だろう。
「このまま中で過ごすのは良くないですよ
危険ですが砦から出て、野営をするのが無難でしょう」
「そうだな
襲撃の危険はあるが…」
「私は安全の為にも、この防壁の中の方が…」
「しかし一部壊れているんですよ?」
「急いで組み直せば…」
「その時間がありますか?」
「それは…」
三人は、砦の中で働く兵士達を見る。
死骸の処理は粛々と行われていたが、千匹は超えるだろうと思われる魔物の死骸だ。
燃やした端から埋められたが、未だ半数ほどしか処理出来て居ない。
恐らく夜まで掛かるだろう。
そこから防壁を組み直すには、暗くて危険である。
ここは防壁は諦めて、せめて無事な防壁の前で野営した方がマシだろう。
将軍は膝を叩くと、方針を決める。
「よし
南側の防壁は無傷じゃな」
「はあ?」
「ええ
あそこなら何とか…」
「そこを壁代わりにしよう」
「作業が終わったら、砦を背にして野営ですか?」
「そうじゃ
そうすれば少なとも、一方から襲われる心配が無くなる
歩哨もその方が楽にはなるじゃろう」
「分かりました
その様に手配いたします」
「うむ」
「大丈夫かな…」
副隊長はすぐさま、数人の兵士を呼び付ける。
それから野営の準備と、南側の防壁前の片付けを命じる。
「可能なら希望者を募って、獲物を狩った方が良さそうですね」
「食料の問題か?」
「ええ
これだけの規模です
それに干し肉よりは…」
「そうじゃな
新鮮な肉の方が良いか」
「ええ」
まだまだこれから、集落や第2砦の解放も行う。
その為にも、兵士には英気を養う必要がある。
干し肉ばかりでは、栄養に偏りが生じる。
新鮮な肉が手に入るのなら、その方が良いだろう。
「この辺りでは何が狩れるか?」
「野兎や鹿が居れば…
後は少し先に川がありますから、野鳥や川魚が居るかも知れません」
「野鳥、鹿…
しかし人数が揃わないと、魔物と出くわすと危険じゃな」
「それはそうですが、干し肉以外も必要かと」
「そうじゃな」
「騎兵部隊の中からも、数名護衛に出しましょう」
「うむ
野営の準備が出来たら、狩に出たい者を募って報告してくれ」
「はい」
副隊長は、若い兵士に命令を伝える。
若い兵士は喜んで、弓を使える者を集めに走って行った。
人間に似た姿の魔物を倒す事で、彼等にも不満が溜まっていたのだろう。
狩りで獲物を得る事も、気晴らしになるのなら良い事だろう。
新鮮な肉が手に入るなら、騎士達も喜ぶだろう。
騎士団は、普段は砦に詰めて見張りをしている。
それで新鮮な肉も、なかなか食べる機会が無かった。
「どうされます?
騎士団からも…」
「うむ
確かにいいかもな
ただ、周囲の警戒は常に怠らない様にな」
「はい
では部下達に許可を出しますね」
「ああ
ただし見張りは残せよ」
「はい」
こうして急遽、兵士や騎士が狩に向かう事になる。
ギルバート達少年兵見習いも、野営の準備を終わらせてからなら参加して良いと言われた。
ディーンも狩に出れると大喜びで、そんな様子を見てアレックスは苦笑していた。
ディーンは狩と聞いて、興奮して作業に手が付かなくなっていた。
「ディーン
そこをしっかりと押さえて…」
「う、うん…」
「ディーン?」
「え?」
「ほら、そっちをしっかり持って
それじゃあ狩には連れてってもらえないぞ?」
「だって」
「ディーン
はしゃぐ気持ちは分かるが、野営の準備はしっかりしてくれ
でないと夜に安心して眠れなくなるぞ」
「うーん…」
「夜中に天幕が崩れるなんて、僕は嫌だぞ」
「ご、ごめん」
「さあ
そっちを押さえるんだ」
「うん」
ディーンは農家の出だから、狩に出た事が無かった。
もちろんアレックスも、狩は未経験だ。
牧場の手伝いで、山犬を追い払う程度の経験はある。
しかし弓を使って、獲物を狩る様な経験は無かった。
「ギルバートは…
狩りはした事があるの?」
「うーん…
父上に連れられて2回…
いや3回かな?」
「いいなあ」
「いや
そんな良い物じゃあないよ」
「だって、狩りだぜ?」
「そうそう
そんな経験、一般の領民じゃあ…」
ギルバートは焚火に使う石を組みながら、苦笑いを浮かべる。
「弓で射るって難しいんだよ?
野兎でもなかなか当たらないし…
野鳥だとすぐに逃げられるよ」
「へえー」
「的が小さいから、難しいんだ」
「ふうん…」
「そうだな
ボクも父さんに連れられて見た事があるけど…
難しそうだったな」
「アレックスも行った事があるの?」
「着いて行っただけだ
それに見てるだけだよ」
「ふうーん」
「うちの牧場の近くに、野兎の巣があってね」
「へえ…」
「だけど猟をするには、許可が要るからね」
「ああ
ギルドの許可か…」
「そう
勝手には狩れないよ」
狩をするには、所属のギルドに申請する必要がある。
そうして冒険者ギルドか、狩猟ギルドの許可を得ないと弓を持ち歩けない。
凶器である弓を所持するのだ、無断で持ち歩く事は出来ない。
そんな事をすれば、たちまち街の警備兵に捕まってしまう。
街中では小剣も、勝手に帯刀する事は出来なかった。
帯刀を許可された者は、冒険者ギルドや警備兵の関係者だけだ。
そうして帯刀する際にも、見える場所に所属ギルドの目印を身に付ける。
それが無い者が武器を所持していれば、警備兵に通報されてしまう。
理由なく武器を所持していれば、それだけで犯罪となってしまうのだ。
少年達は、弓の練習はした事が無い。
それは普段から、弓を持つ機会が無かったからだ。
兵舎の訓練でも、まだ弓の訓練は本格的には行っていない。
ギルバートも家で訓練はしていたが、動かない的を狙う程度だった。
だから実際に狩に出たら、なかなか当てる事は出来なかった。
野営の準備自体は、昼過ぎ頃には終わっていた。
その後に大隊長へ報告をして、隊長が引率して狩へと向かう事とになる。
大人の3人組も、一緒に狩に出る事となった。
彼等はギルドの仕事で、普段から獣を狩っていた。
「ハンティングなんて久しぶりだな」
「ああ
クエストでは依頼は、大体野犬や猪ぐらいだもんな」
「たまに数組で、迷い狼や熊討伐だったからな…」
「熊なんて狩るんですか?」
「ああ
街以外の集落や、村からの依頼でな」
「凄い…」
「それ程でも無いさ」
「そうそう
罠を作って、動けなくして狩るからね」
「お前はいつも…」
「ランディは危険なんだよ
相手は熊だぜ?」
「数人で囲めば…」
「それだって、怪我人が出るだろう」
「え?」
「数人で囲むって…」
多くの冒険者は、数組のパーティーで組んで熊を狩る。
その際に囮役が前に出て、他のメンバーが側面や後方から攻撃する。
それは人数で強引に倒す方法で、囮役が危険な狩り方だった。
一方でジョナサンは、熊の通りそうな場所に罠を張る。
ランディはその方法を、いつも臆病だと揶揄していた。
しかしランディのやり方は、無謀で危険だった。
熊と正面から戦うなんて、物語の主人公ぐらいだろう。
実際に囮役の冒険者は、負傷する者が多かった。
盾を身構えるのだが、それでも骨折する事が多い。
それに鉄製の盾でも、熊の一撃で歪む事がある。
資金の少ない冒険者では、革製の盾で挑む者も居る。
そうなると熊の爪で、盾ごと引き裂かれる事もある。
革製の盾では、猪相手でも危険な仕事になるのだ。
「オレは、たまに出てたぜ」
リックは自前の、愛用の弓を構えて見せる。
彼は弓の腕もそれなりにあるので、たまに狩猟のクエストを受けていた。
彼は冒険者のパーティーでは、後方で弓で射る役目を担っていた。
それもパーティーの仲間が、殺される以前の話ではあったが…。
「依頼は大体、野鳥を取って来てくれって物だな
たまに猪も取ってきたが、これは薬草採取の序でだったからな」
「冒険者ってそういうクエストも受けるんですか?」
「ああ
ここいらは危険な野生動物が少ないからな
討伐以外なら薬草採取や開拓団の護衛、商店からの肉の納品依頼等がそれになる」
「へえ」
「肉は取って来た時に、ギルドで確認
依頼を確認して、依頼内容に合わせて納品するって流れだな」
「納品依頼は、常時クエストボードに貼ってあるからな」
「薬草は事前にどれが要望か確認しないと、必要ない薬草を取って来ても無駄になるからな」
「へえ…」
「間違えて採取してきても、クエストは失敗
薬草は雑貨屋に安く買い取られて、散々な目に合う初心者冒険者なんているからな」
「え?」
「注文の薬草が取れてないなら、依頼は失敗さ」
「そんな!」
「まあ、薬草採取程度の依頼なら、1回、2回の失敗は見逃してもらえるが…
繰り返すと信用を無くしてクエストを受けられなくなる」
「そうしたら、クエストが受注出来ない冒険者なんて引退するしかない」
「うう…」
「ディーンはしっかり仕事をしないとな」
「そうそう」
「うう…
ボクには出来そうにないや」
「はははは」
思ったよりも厳しい冒険者稼業の現実を聞いて、ディーンは夢を砕かれた気分になる。
そんなディーンの頭を、くしゃくしゃと撫でながらリックがからかう。
彼の弟も、冒険者に憧れていた。
そうして薬草を採取に向かって、そのまま亡くなってしまった。
少年の遺体は、獣に食い散らかされて無残な物だった。
リックからすれば、ディーンはそんな目に遭って欲しく無かった。
「ボクは兵士になるんだから」
「ああ
でも、兵士の方が厳しいぞ?」
「真面目に仕事をしてないと、魔物に食われちまうかもな?」
「やめてよ!」
リックと一緒になって、ジョナサンがさらにからかう。
そうこうするうちに、森の中でも茂みが多い場所に着いた。
先頭を歩いていたランディが、片手を挙げてみなを止める。
口元に人差し指を当てて、静かにとジェスチャーをする。
それから小声で告げる。
「どうだ?
繁みの中に居そうか?」
「確認してみよう」
リックが先頭へ移動し、繁みに目を凝らしてみる。
その場からでも2ヶ所、野兎が動いているのか草叢が動く。
リックが右前方を狙って、弓を構えて引き絞る。
ギルバートも進み出て、左へ向けて弓を構えた。
ギルバートの後ろでは、アレックスも弓を取り出していた。
「よく狙えよ」
「はい」
「すぐには撃つなよ
出て来てからよく見ろ」
「え?」
「獲物が油断して、警戒を解くのを待つんだ」
「はい」
リックはそう言って、前方の繁みを見詰めていた。
後方でアレックスが、弓を構えながら囁く。
「ギルバート
先にボクが狙ってみてもいいかい?」
「うん
じゃあ、外したらボクが続くね」
小声で相談していたが、物音に気付いたのか野兎が出て来る。
警戒しているのか、耳を動かしながら周囲を見回す。
アレックスが弓を引き絞って、兎が動かなくなるのを待つ。
その様は堂に入ってるが、まだ慣れていないのかしっかりと引かれていなかった。
「う…」
ヒュン!
カサリ!
案の定、放たれた矢は手前の草叢に落ち、兎は逃げ出そうと動き始める。
しかしその矢が落ちる前に、リックとギルバートは素早く矢を放っていた。
跳ねて逃げようとした兎に向けて、ギルバートの矢が飛んで行く。
トスッ!
ピッ
リックの放った矢は草叢に突っ込み、鋭く短い悲鳴が上がる。
しかしギルバートの矢は、残念ながら逃げる兎の足元へ突き立った。
兎はそのまま、ガサガサと草叢に逃げ込む。
ガサガサ!
「あ」
「惜しい」
「ふっ!」
シュパッ!
その直後に、隊長が放った矢が草叢へ突っ込む。
矢は獲物に当たったのか、再び悲鳴が上がる。
カサッ!
ピーッ
「ギルバート君
狙うなら、逃げる事も考えて撃たないとね」
「はい」
先ずは野兎を二羽、狩る事が出来た。
兎は草叢の中に、倒れて動かなくなっていた。
ディーンが恐る恐る触ってみるが、全く動かなかった。
リックと隊長は、見事に一撃で仕留めていた。
射止めた兎をジョナサンが縄で縛り、ディーンの肩に載せる。
ディーンはまだ弓を引いた事が無かったので、獲物を運ぶ役を任されたのだ。
「さて
先を急ごうか」
「そうですね
これじゃあ、こいつ等の夕飯にも足りませんよ」
「ははは
食べ盛りだからね」
「ええ?
そんなに食べませんよ?」
「いや、そこまで肉は無いから」
「そうそう
意外と食べられる部位は少ないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ」
「あっちに向かいましょう」
「そうですね
向こうには、仲間の兵士も居ますし」
隊長の言葉に従って、一行は更に森の奥へと入る。
リックはその耳で、仲間の兵士が近くに居る事を察知していた。
彼はその勘の鋭さで、これまで狩りを上手く熟していた。
そしてその勘が、仲間との命運を分けていた。
一行は更に、森の茂みで野兎を1匹仕留める。
その後も3匹を射止めると、そのまま川へと向かって移動する。
川の近くでは、もう一組の兵士達が身を潜めていた。
彼らは野鳥が、岸辺に数羽集まっていたのを狙っていた。
「しっ!」
「リック?」
「静かに
よく見ろ」
「え?」
「あ…」
向こうの兵士が手振りで、こちらに何かを伝える。
それに対して隊長が手振りで返し、ジョナサン達とひそひそと話す。
ジョナサンがアレックスの肩を叩き、身振りで野鳥を指差した。
どうやらあの野鳥を、アレックスに狙えと言っているらしい。
そしてギルバートにも、同様に野鳥を狙わせる。
どうやら一斉に撃って、少しでも射止めようという算段らしい。
隊長も矢を番えると、一羽の野鳥を狙って引き絞る。
一行は先の兵士達が狙っている方向とは、別の群れへ狙いを定めた。
向こうの兵士の一人が、合図を送る為に手を挙げる。
それをランディが確認して、手振りで合図を送った。
その手が振り下ろされるタイミングを見て、一斉に矢が放たれる。
ギルバートは先の経験を生かして、野鳥の少し上を狙って放っていた。
狙いはしっかりとしていたので、矢は見事に野鳥の左肩に命中した。
しかし急所を逸れていたのか、野鳥はそのまま飛び立ってしまった。
「あ!
ああ…」
「うーん
惜しいんだがな…」
「まだまだ練習が必要だな」
「狙いは良かったんですがねえ」
隊長達は、見事に頭や胸を射抜いていた。
唯一アレックスの矢だけが、弓なりに飛んだ為に野鳥から逸れてしまった。
「くそっ!」
「アレックスはもっと、弓を弾き絞る練習が必要だな」
「そうですねえ…
まだ力不足みたいですね」
「あれでですか?」
「ああ
もっと引き絞って…」
「それじゃあ弦が…」
「ははっ
切れやしないって」
「そうそう
全然足りていないぜ」
「そんなあ…」
笑いながらリックが、川の中に入って行く。
そうして野鳥へ近付いて、仕留めたか確認する。
まだ息のある野鳥が藻掻いているが、彼はナイフを引き抜くと、手早く首を掻き切った。
そうして止めを刺した後、縄で縛って持って帰る。
そうして再び、それはディーンの肩に載せられる。
「しっかりと持てよ」
「うう…
重い…」
「ははは
そいつが晩飯だからな
落とすなよ」
「うう…」
「持とうか?」
「甘やかすなよ
それも訓練だ」
「そうそう
アレックスは、弓の方に集中しろ」
「また機会があるだろうから、しっかり練習しとけよ」
「はい」
獲物の重さに、ディーンはフラフラとしている。
アレックスが心配するが、ランディがそれを押し留める。
獲物を運ぶ事も、訓練の一環なのだ。
そうこうしていると、向こうの兵士達が近付いてくる。
「いやあ、見事な腕前ですな」
「いえいえ、まだまだですね」
「そうそう
もっと訓練が必要だって話してたところですよ」
「いえ
その年で当てれるとは…」
「まあ、当たっただけだけどな」
「ははは
それでも…
ん?
見た事があると思ったら、坊ちゃんじゃないですか」
坊ちゃんと言った青年兵士は、ギルバートの練習相手をしてくれた事のある兵士だった。
「坊ちゃんは止めてくださいよ」
「はっはっはっ」
「ああ
領主様の…」
「道理で」
若い兵士達は、よく領主に頼まれてギルバートの練習相手を務める事があった。
それで面識もある兵士も、幾人か居たのだ。
「少しは腕も上げたようですな」
「まだまだですよ
逃げられたし…」
「いえいえ、当てれただけでも十分ですよ」
「そうそう」
「こいつなんて外したから」
「仕方が無いだろ
矢が悪かったんだ」
「矢のせいにするなよ」
「ははは」
獲物は十分に捕れたし、後は帰るだけだった。
そこで少しの間、彼等は兵士達と話し込んでいた。
その間に兵士の一人が、アレックスに弓の引き方を教える。
彼が弓の引き方を、まだ身に付けていないからだ。
「ここを持ってな…
違う違う」
「え?」
力で引くんじゃない
体全体を使って…」
「こう…
です…か?」
「そう…
そうやって、腕や肩も使って引くんだ」
「ぐぐ…」
「後は維持だな…」
「ふぬぬぬ…」
「こっちの坊やは…」
「まだ無理そうかな…」
「そんな…」
他の兵士がディーンに弓を引かせてみる。
しかし借りた弓では、ディーンは全然引けなかった。
肩を入れる前に、弦を引くだけの力が無かった。
「子供向けの弓から練習しないとな」
「ここに持って来たのは大人向けの弓ばかりだからな」
「子供じゃ引けないか…」
「でも、ギルバートは引いてますよ?」
「あー…」
「坊ちゃんはな…」
「7つの頃から引いていなさるからな」
「え?」
ディーンは自分が引けないのが、よほど悔しかったのだろう。
年下のギルバートが、引けるのが納得いかないと言った。
しかしギルバートは、2年前から訓練をしていた。
だから大人用の弓でも、引く事が出来た。
「ギルバートの弓は軽いんじゃないの?」
「引いてみる?」
「あー…」
「止めさせた方が…」
ディーンはギルバートの弓を借りて、試しに引いてみる。
しかしそれは、ピクリとも引けなかった。
見た目は子供用に、小さくされた弓なのにだ。
「ふぎぎぎ…
駄目だ…」
「ああ…」
「だから言ったのに」
「自信喪失するなよ」
「何で?
子供用なんでしょ?」
「あー…」
「それね
複合弓なんだよね」
「コンポ…?」
「コンポジットボウ」
ギルバートのそれは、見た目は確かに子供用だった。
しかし領主の息子なので、当然良い弓を与えられていた。
大人でも引くのが容易では無い、複数の素材を組み合わせた弓。
強力な複合弓だったのだ。
「オレ達の様な木だけの単一弓じゃ無くてな」
「獣の皮なんか使って、複数の木を組み合わせているのさ」
「だから丈夫で頑丈だし
力もあるんだよ」
「え?
それじゃあ…」
「うん
やっぱり毎日練習しないと
ボクも最初は引けなかったから」
「いや、大人だって無理ですよ」
「そうそう
アルベルト様ぐらいですよ?」
「ヘンディー隊長も苦心してたし」
「え?
あの筋肉ムキムキの大隊長が?」
「そうそう」
「今では引けるけど、相当な力が必要ですよ?」
「はあ…」
ディーンはがっくりと、肩を落としていた。
大人用の弓ならまだしも、ギルバートはその上の弓を引いていた。
力があるとは思っていたが、ここまで差があるとは思ってもいなかったのだ。
そしてアレックスも、それを聞いて驚いていた。
彼も大人用の弓を、引くのがやっとだったからだ。
複合弓は威力もあり、飛距離も並みの弓より上だった。
子供用とはいえ、それは十分な威力があった。
その分重たく、引く力も必要だ。
だから大隊長のヘンディーでも、そう簡単には引けなかった。
「なあに
遠征はまだまだ続く
その間に練習しましょう」
隊長はそう言って、優しくディーンの肩を叩いた。
「でも…
ギルバートはあんな物を…」
「君は君
普通の弓でも十分でしょう?」
「それは…」
「それに領主様は、王家の一族の血を引く者です
力だって平民の我々に比べれば…」
「そうなんです?」
「ええ
ですから辺境伯を、任せられているんですよ」
クリサリス王家の者は、力を持つ者が継承していた。
現国王ハルバートも、その剛力を轟かせた勇猛な戦士だった。
その血が流れるギルバートも、力を持っていて当然なのだ。
それも子供でも、大人顔負けの力を持っているのだ。
あれ程の弓を、引けても当然なのだろう。
「だからこそ領主は、領民を守る為の戦いが出来るのです」
「それじゃあギルバートも?」
「ええ
寧ろ強くあって欲しいものですね」
「へえ…」
「さあ
君は先ずは、これを引ける様になりましょう?」
「は、はい」
一行は暫く、狩のコツ等の話していた。
弓の引き方もだが、獲物の発見も重要だ。
それは潜む敵に気付き、不意討ちを食らわない為にも必要だった。
そうして話している内に、時刻はそろそろ夕刻に迫っていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうですね」
「日が沈むまでには帰らないと」
「ああ
魔物が居ないとも限らない」
「それに、危険な獣も…な」
リックのパーティーメンバーは、熊の襲撃で命を落としていた。
彼は常に警戒していて、熊の初撃に気が付く事が出来た。
しかし他のメンバーは、熊に襲われた事でパニックに陥る。
そうして追われる事で、仲間は次々と命を落した。
リックが生き残れたのは、熊に気付いて隠れたからだった。
「警戒しながら帰還するぞ」
「大丈夫さ
こっちは人数が多い」
「そうそう
正規の兵士達も一緒なんだぜ」
「それはそうだが…」
「ううむ
油断はいけませんよ」
「隊長?」
「ほら
リックを見なさい」
「しっ!」
無事に獲物を仕留めて、一行は意気揚々と帰途へ着いていた。
しかし再び森に入って少し進むと、不意にリックが手で合図を送った。
その只ならぬ様子に、みなが押し黙る。
続いてリックは、手振りでしゃがむ様に合図をする。
それは鹿や野兎といった、獲物を見つけた様子では無かった。
寧ろ熊か何か、危険な生き物が近くに居る様子だった。
合流していた兵士達も、その様子を見て警戒する。
リックは手振りで合図を送り、それに合わせてジョナサンや兵士達が動き始める。
慎重に音を立てない様に移動して、獣道の先の草叢へ近付いた。
「静かに…
気を付けて進みなさい」
「はい」
隊長が囁き、兵士達の後を追って進む。
ギルバート達もそれに続いて、後から慎重に進んだ。
彼等は木の陰に身を隠して、草叢の向こう側を覗く。
その光景を見て、ディーンは声を出しそうになる。
魔物だ!
それは魔物達が、数匹腰を下ろしている姿だった
魔物は5匹居て、近くには野兎の皮や骨が散らばっている。
奴らも獲物を求めて、狩に出ていたのだろう。
鉢合わせにならなかったのは、単に運が良かったのか?
それともリックの索敵の能力が、魔物のそれに勝ったのか?
隊長が音を立てない様に、慎重に剣を抜いて構える。
ジョナサンとランディも剣を抜くと、魔物の居る向こう側に向かう。
リックは弓を取り出すと、手に矢を持っていた。
今、下手に矢を番えれば、弦を引き絞った音でバレてしまう。
彼は突撃と同時に、援護射撃をしようと準備だけをしていた。
兵士達は剣を構えると、ギルバートとディーン、アレックスを守る様に周りを囲む。
彼等の最重要な任務は、ここでは若い命を守る事だ。
しかしギルバートとディーンは、いつでも剣を抜ける様に構える。
兵士はそれを見ると、手で押さえて顔を左右に振った。
彼等を前に出す事は、危険だと判断したのだ。
「今です!」
「それ!」
「うりゃあああ!」
隊長の号令一下、ランディとジョナサンが一斉に飛び出して切り込む。
そこへリックが当てない様に注意しながら、立て続けに援護射撃をする。
矢の一つは魔物に命中して、その目に突き立っていた。
藻掻く魔物の首を、ランディが素早く切り飛ばす。
トスッ!
ガギャッ
「せりゃっ」
ズドッ!
ジョナサンも飛び出すと、魔物を背中から一刀の元切り捨てる。
「うりゃああああ」
ズバッ!
アギャアア…
隊長は前に出ると、素早く座っていた魔物の首を刎ね飛ばす。
その間にランディは回り込むと、魔物の胸に剣を突き立てた。
「ふっ」
ズドシュッ!
アギッ…
「せいっ」
ドスッ!
グギャアアア…
残りの1匹は、頭に矢が刺さっていた。
リックが続け様に放った矢が、立ち上がる前に突き刺さったのだ。
それで声を上げる前に、魔物は絶命していた。
急襲が功を奏して、驚いた魔物がほとんど声を上げられない内に倒せた。
「はあっはあっ」
「ふー…
くっ…」
「やれやれ
仲間を呼ばれる前に倒せて良かった」
三人の前には、5匹の魔物の死骸が転がっていた。
「リック
念の為、辺りを警戒してくれ」
「ああ」
ジョナサンがリックに、周囲の警戒を頼んだ。
魔物がこれだけとは、限らないからだ。
その間も兵士達は、ギルバート達の周りを固めていた。
アレックスだけは、剣を手にして震えていた。
みなが周囲の警戒をする間、隊長は魔物の死骸の手足を切断する。
ドシュッ!
「ふう…」
「どうして…
そんな事をするんです?」
「ん?」
ギルバートは、隊長の酷い行為を気にして質問した。
「これはね、魔物が亡者になって彷徨わない様にする為だよ」
「亡者ですか?」
「そう…
亡者だ」
隊長は魔物が、亡者になる事を懸念していた。
「本来なら、死体を焼いた方が良いんだがね…
砦まで運ぶ余裕が無いからね」
「亡者なんて本当に出るんですか?」
「ああ
ワタシが帝国と戦っていた時にね…
殺された仲間の兵士が、亡者になって襲って来た事があったよ」
「本当に亡者が?」
「ええ
あれは酷かった」
「あれは架空の話しかと…」
「教会は認めたがらないがね
戦場では稀に起こる事だよ」
「そう…なんですか」
「ああ」
隊長は痛む手を押さえながら、残りの魔物の手足も切り落とす。
そうして最後に、首も切り落として復活出来ない様にする。
ここまですれば、亡者になっても安心だ。
動き回る為の手足も、噛み付く首も無いからだ。
他の魔物は出て来ない事を確認して、兵士達も武器を仕舞った。
「さあ
急いで砦に戻りましょう
まごまごしていたら、他の魔物が来るかも知れませんよ」
「はい」
ギルバートは、亡者の事が気になったていた。
教会では、亡者の事は説法にはほとんど出て来ない。
それは滅多に見る事も無く、あり得ない存在だったからだ。
しかし戦場では、多く見られる光景の一つなのだろう。
領民を不安にさせない為にも、教会はあまり明確な説明は避けていたのだ。
しかし今は、危険が迫っているかも知れない。
魔物が上げた悲鳴で、周囲の魔物が迫っている可能性もあるのだ。
そんな亡者の話を、のんびりと聞いている状況では無かった。
みなで周囲を警戒しながら、それでも急ぎ足で砦へ向かう。
幸いにもそれ以降は、魔物に遭遇する事は無かった。
彼等は無事に、数分後には砦を目の前にしていた。
丁度傾いた太陽が、森の木々の向こうに沈み始める。
辺りは夕暮れの赤から、暗い闇夜になり始めていた。
「君達は、夕食の準備をなさい」
「はい」
「ワタシは彼等と、魔物の報告に向かいます」
「はい」
すぐに隊長は、大隊長へ魔物に遭遇した事を報告に向かった。
一緒に居た兵士達も、獲物を仲間に渡して同行する。
ギルバート達は狩って来た獲物を捌く為に、調理をしている兵士達の元へと向かった。
そこで血抜きをしてから、料理の為に捌くのだ。
余談ではあるが、ディーンはその後に倒れてしまう。
彼は野鳥や兎を、捌いた事は無かった。
それで初めて捌いた事から、気分が悪くなってしまった。
その上で先ほどの光景を、思い出してしまった。
「うう
首が…
兎が…」
「おい!
しっかりしろよ」
「しょうがないなあ
じゃあ、晩の料理は肉無しで…」
「嫌だよ!
兎は楽しみにしてたんだから!」
「じゃあ…
食べれそう?」
「うう…
食べる」
彼は夕食の時にも、魔物の悲鳴を思い出していた。
しかし兎の肉は、想像以上に美味しかった。
初めて自分達が狩った獲物を、口にしたからだ。
尤も彼は、狩には参加出来てはいなかったが…。
ともあれ、美味い美味いと言いながらも、時々思い出してしまう。
そうして吐き気と戦いながら、ディーンはおかわりもするのであった…。
まだまだ続きます。
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