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聖王伝(修正中原稿)  作者: 竜人
第六章 王都への旅立ち
162/190

第154話

ギルバート達は、魔物を警戒しながら尾根を進んだ

しかし天候にも恵まれて、魔物に遭遇す事も無かった

天気も良かったので、魔物も見通しが良い尾根には現れなかった

それで一行は、2日で尾根を渡り切っていた


そしていよいよ、山脈を下る日が来た

既に砦から出てからも、8日目に入ろうとしていた

まだ戦闘は起こっていないだろうが、時間は迫っている

早く下りないと、麓からでも王都までは数日は掛かるのだ

その間にも、フランドールは砦の街に攻め込むだろう

そう思いながらギルバートは、険しい下りの道を見ていた


ここから…

下りなければならないのか…

随分と急な道だな


これまでの山脈の公道も、それなりに厳しくはあった。

路面は岩肌が多く、馬の蹄にも負担を強いていた。

しかしそこから伸びる道は、大よそ道とは言い難い物であった。

急峻な崖を削った様な、岩だらけの細い隘路が続いている。


「本当にここを…

 下りて行くのか?」

「ああ?

 そうだが?」

「そうだが?じゃないだろ」


その視線の先に伸びるのは、岩肌が凸凹になった道が続いている。

しかも道の幅はこれまでの半分ぐらいで、馬車がやっとすれ違えるかぐらいの幅しかない。

このままこの道を下れば、対向に馬車が来れば通れなくなるだろう。

そんな危険な場所を、アーネストは下りようと言うのだ。


「これじゃあ、向こうから馬車が来たら…」

「それは心配は無い」

「心配無いって…

 向こうだってダーナに向けて…」

「向かって来てればな」

「来てるだろう?

 現に先ほどの隊商だって…」

「そう何度も会うとは思えないがな」

「そうかなあ…」


アーネストはそう言うが、片方は岸壁でもう一方は切り立った崖になっている。

上手く真ん中を進まないと、あっという間に崖の下に落ちてしまうだろう。

道の端から下を見るが、下の道までは数mの高さがある。

うっかり足を滑らせれば、ここから下の道まで滑り落ちてしまう。

落ちたら無事では済まないだろう。


「おい?」

「うわあ!」


下を覗き込むギルバートに、アーネストが不意に声を掛ける。

アーネストとしては、あまり覗き込むと危険だと注意するつもりだった。

しかし不意に声を掛けた事で、ギルバートは体勢を崩しそうになる。

ギルバートは慌てて飛び跳ねると、すぐさま岸壁の方へと逃げる。


「何だよ?」

「急に声を掛けるな

 落ちたらどうするんだ」

「落ちたらって…」


アーネストの声に驚いて、落ちていたらと考えてギルバートは顔を青くする。

しかしアーネストは、驚いた顔をした後に苦笑いを浮かべる。


「大袈裟だな」

「そうでもないだろ

 これだけの高さだぞ?」

「そうか?」

「落ちたら危険だろう」

「お前がか?」

「ん?」

「馬車は兎も角、お前は城壁から飛び降りていただろ?」

「あ…」

「城壁とこの道の高さ

 どっちが高いか…」

「…」


ギルバートは改めて崖を覗いて見る。

言われてみれば、下までは城壁より少し高いぐらいだ。

いや、滑り落ちると考えれば、そこまでの高さでも無いだろう。

だからと言って、落ちたいとは思わない。


「お前は忘れていたみたいだけど

 身体強化を使えば…」

「それでも痛いだろ」

「そうか?」


ギルバートは忘れていたが、確かに身体強化を使えば大丈夫そうだった。

大丈夫そうなんだが…、恐らく受け身を取り損なえば痛いだろう。

怪我こそしそうにないが、足の裏は痺れるだろう高さだった。

下手をすれば、足を挫くかもしれない。


「まあ、そういうわけだから

 端っこを歩くのは気をつけろよ」

「お前が言うな!」

「そんなに怒るなよ

 危ないって注意しようとしたんだぞ?」

「急に声を掛けるな!」

「はいはい」


ギルバートはそう言いながら、馬車の近くに戻った。

これ以上覗いていたら、足を滑らせる可能性もある。

もう下を覗くのは、止めようと思いながら話題を変える。


「しかし…

 他に道は無かったのか?」

「ん?

 あるぞ」

「え?」


言いながらアーネストは、少し先に続く道を示す。

しかしそこも、道というよりは崖が続いている様に見える。

ここから見えるのは、道に下る崖しか見えないのだ。


「ここからもう一日進めば、もう少しなだらかな道はある」

「なら、そこを…」

「進めばもう何日か余分に掛かるだろうな」

「う…」

「それに隊商の多くが、そっちの道を使うんだ

 それこそ行きかうのが面倒だぞ」


そうなのだ。

急ぐ旅だから、多少は危険でも早く下りれる道を進む事になっている。

アーネスト自体は、こちらの道はあまり勧めなかった。

旧道になるので、通る馬車も少なくて空いている。

その代わりに、整備が不十分で急峻な崖を下る道が多くなる。

どちらが通り易いかは、誰が聞いても明白だった。


「ここは旧道で、過去に帝国が攻め入る時に造られた道だ

 普通は向こうの、新しい公道を通るんだが…」

「それでは…

 駄目か?」

「ああ」


アーネストは地図を開いて見せる。

これは領主にのみ渡される地図の写しで、本来なら門外不出である。

アルベルトに許可を得て、アーネストが事前に作っておいた物だ。


これが外部に漏れれば、ダーナやノルドに攻め込まれてしまう。

だからこそフランドールにも内緒にして、一般に扱われている地図しか見せていなかった。

この地図を見れば、ダーナが山脈を切り開いた道の位置が詳細に書かれている。

そして同時に、王家にも内緒の道も記されていた。


「これが…

 本来の公道だ」

「随分と大回りだな」

「そうでもないぞ?

 こっちは高低差が大きいんだ

 その代わりに…」

「こちらは道が狭い?」

「ああ

 元は突貫の工事だったんだ

 だから崖を削っただけだ」

「向こう側は?」

「その後に、アルベルト様が主導で作られた道だ

 こっちの道を利用して、何ヶ月も掛けて掘り削ったんだ」


アーネストは地図上の、大回りの道を示す。

それを所々躱して、近道が記されている。


「従来の公道なら、こうやって通るんだ」

「つまり別の道なんだな」

「ああ」


アーネストは近道を指差しながら、自分達が通ったのは近道だったと示す。


「こっちを通ったから馬車の遭遇も少なかったし、時間の短縮にもなった」

「それは分かった

 分かったが…

 もう少しこう…

 何とかならないのか?」

「無理だな

 下りだと倍近くの時間が掛かる」

「そうか…」


今までは登りなので、身体強化で何とか短縮出来ていた。

しかし下りとなれば、どうしても慎重に進む必要がある。

それで身体強化を使おうが、進むペースに変わりは無くなる。


ましてはこれから進むのは、旧道である危険な道である。

大きく迂回する道を、近道で抜ける事になる。

それは公道である道の外側の、崖を進む事になるのだ。

どうしても下る際には、慎重にならざるを得ない。


倍近く掛かるとなれば、急ぐ理由がある以上はこちらを通るしかないだろう。

公道でまごまごするよりは、一気に外側を抜ける方が早いのだ。

その分外側なので、危険にはなるのだが…。

それで進む速度が上がるのならば、こちらを進むべきなのだろう。


「この道は亡者の道と言って…」

「え?」

「亡者の道だって」

「あの道ですか?」

「本当にあったんだ…」


道の名前を聞いて、兵士達が騒がしくなる。

彼等の一部は、その道の事を伝え聞いている。

しかし一部の者は、それは噂話だと聞いていた。

その違いは単に、詳細を知られない為に噂としているのだ。

噂話なら、そこまで調べる者も少ないだろう。

だから一般の市民には、亡者の道は噂話の産物とされていた。


「確か多くの帝国兵が犠牲になって

 今でも亡者が彷徨くって…」

「そこは亡者の巣だって…」

「でも

 それってあくまでも、噂話なんだろ?」

「本当はそんな物は無いって…」

「馬鹿

 あるから噂話にしているんだ」

「本当にあると知られたら、他国が利用しようとするだろう?」

「あ…」

「そういう事か」


兵士達の一部は、急に怯えだして慌てて周囲を見回していた。

その道の曰くで、亡者が彷徨っているという話がある。

それはそこを造った帝国兵達が、崖下に多く落ちたからだとされていた。

今も帝国兵の鎧を着た骸骨が、この道を彷徨うというのだ。


「それはここを通らせない為だな

 ここを通られれば、他国から攻められ易くなるからな」

「え?」

「そうなんですか?」


しかしアーネストは、あっさりと亡者の話を否定する。

彼からしてみれば、亡者がそう簡単に現れないと知っている。

だから現れるとすれば、こちらよりも公道の方に現れると考えていた。

向こうの道の方が、滑落で亡くなる者が多いのだ。

それを考えれば、公道の方にこそ亡者が現れるだろう。


それに亡者を知っていれば、帝国の兵士の亡者は無いだろう。

そもそも帝国が攻め込んだのは、今から50年近くも昔の話だ。

如何な亡者といえど、そんなに長くは彷徨わないだろう。

それにそんな者が住み着いていれば、教会が救済の為に司祭を送り込むだろう。

そんな話は、アーネストでも聞いた事が無かった。


「そういう怖い話があれば、わざわざ通る馬鹿はいないだろう」

「そりゃあそうだが…」

「だが、帝国兵が死んだって話は本当だろう?」

「ああ

 だから気を付けないと、お前らも亡者に…」

「止めろよ!」

「そういう冗談は、良くないぞ?」


兵士達は顔を青くして、怯えて周りを見回す。

それに気を良くして、アーネストはさらに揶揄おうとする。

実際に帝国兵は、この崖を最期の決戦地としていた。

多くの帝国兵が、ここを守って散って行ったのだ。

崖の下の道は、その後にアルベルトが掘らせた物だった。

だから亡者が現れるとすれば、この辺りという事になる。


「そら!

 そこの繁みから…」

ガサガサ!

「う、うわあああ!」

「ひいいい!」


アーネストが指差した先の、繫みがガサゴソと音を立てる。

それで話しを聞いていた兵士は、青い顔をして飛び上がった。

その後に繁みをガサゴソ掻き分けて、斥候の兵士が顔を出した。

彼は青い顔をした仲間の兵士を見て、怪訝そうに首を傾げる。


「ん?

 何だ?」

「お前かよ!」

「驚かせるな!」


理由も分からず、周囲を警戒していた兵士は怒られてしまった。

彼は少し前に、アーネストに頼まれて周囲を確認していたのだ。

彼は理由が分からず、驚いている仲間を見詰める。


「何だ?」

「ここが亡者の道だって、教えていたんだ」

「ああ、なるほど…」


彼は事前に知らされていたので、周囲の安全を確認していたのだ。

それを知らない兵士は、彼が繫みから出て来たので亡者が出たのと勘違いしたのだろう。

アーネストは知っていたので、それを使って揶揄っていたのだが…。

彼は理由を聞いて、ニヤリと笑う。


「ほら

 これが理由か?」

カランカラン!

「うわあ!」

「本当に居たのか?」

「はははは」


彼が放ったのは、昔の兵士が使っていた兜だ。

それは鉄製の簡素な兜で、帝国で使われていた物だった。

泥を被って薄汚れて、如何にも亡者が被っていそうな代物だった。


「はははは

 そんなに怖いのか?」

「当たり前だ!

 亡者なんて…」

「ぶるぶる…」

「安心しろ

 ただの兜だ」

「しかし亡者が…」

「そんな訳があるか

 落ちていただけだ」


帝国の亡者は居なくて、代わりに兜だけが落ちていた。

それは帝国の兵士が、ここで戦った証拠である。

そして同時に、丁重に葬られた証でもある。

恐らくその時に、回収をされなかった兜が残っていたのだ。

しかし帝国の兵士の亡者は居ないが、それ以外は別であろう。


「帝国の亡者は出ないだろうが、他は分からんぞ?」

「え?」

「こっちへ来いよ」

「な、何があるんだよ?」

「来れば分かる」


兵士は道の脇の繁みから、その奥へと案内した。

そこは道から外れた、人があまり立ち入らない場所だった。

こんな旧道の先の、崖の近くに近寄る者など居ない。

だからそこには、誰も立ち入らなかったのだろう。


「ほら

 これを見てくれ」

「うわあ…」

「こいつは…」

「酷いな」


そこには血の跡が残っていて、何者かが襲撃された事が示されていた。

何者かがここに逃げ込み、そして襲われたのだろう。

抵抗も虚しく、痕跡の主は亡くなったと見られる。

そうで無ければ、ここにこれだけの血痕は残らないだろう。


「これが魔物か人間か…

 何者が襲ったのかは分からない

 分からないが…」

「そうだな

 襲われた者達は恐らく…」

「迷わず成仏してくれ」

「女神よ

 彷徨える者達を導き給え…」


兵士が血の跡を辿って、その先の崖下を見せる。

どうやら襲撃者は、そのまま痕跡を隠そうとしたのだろう。

全ての痕跡を、崖から下に投げ落としていた。

そう考えれば、これは魔物では無く人間の仕業の可能性が高かった。


「その後はこうだ」

「ああ…」

「可哀想に…」

「迷って無ければ良いが…」


そこには落とされた馬車の残骸と、数人の死体が見えた。

死体はまだ新しく、亡者にはなっていない。

しかしそれでも、いつ亡者になるか分らない。

下の道を通る際に、回収して埋める必要があるだろう。


「後で始末しておこう

 亡者になられては厄介だ」

「そうだな…」

「すまんな

 後始末はしてやるからな」


どうやらここで襲撃されて、証拠を隠す為に落としたのだろう。

痕跡を隠すとなれば、魔物とは思えない。


「どう思う?」

「恐らくデブだすだな」

「だろうね

 それで見つからなかったわけだ」

「あのデブか…」

「他にもありそうだな」

「ええ

 そうですね」


これまでも、探せばこういった襲撃跡があったかも知れない。

恐らく彼等は、こういった人目に付かない場所を熟知していたのだろう。

そうしてそこに案内して、殺しては崖下に投棄していたのだろう。

悪人は、こういった事には頭が回るのだ。


「他にも犠牲者はいるんだろうな」

「そうだろうね

 行方不明の隊商が、全て奴等にやられたとは考えたくはないが…

 それでもこれを見れば…」

「こう証拠が見つかってはな」


取り敢えずは、出発して下の繁みを目指す事になった。

そこは公道の少し奥になるが、死体をそのままには出来ないからだ。

勾配のキツイ道を進みながら、先ほど覗いた繁みの下側まで来る。

それから崖を登って、馬車の残骸のある場所に向かう。


「これは…

 気付かれないな」

「ああ

 こっちは旧道だし、普段は使う者もほとんど居ない」

「それに…」

「こんな場所じゃあな」


もし使っていても、先ほどの繁みを入るかこっちに来なければ気付かないだろう。

崖を登って、奥の繁みに分け入る。

そこを奥に向かうに連れて、腐臭と血の匂いがしてきた。

まだ真新しいというが、それでも数日は経っているのだろう。

死体は腐り始めて、饐えた臭いが辺りに漂っている


「う…」

「死んで何日か経っているな」

「早く何とかしないと…」


バラバラに飛び散った馬車の残骸と、その上に投げ捨てられた死体が見つかった。

死体は全部で12名で、商人が5人と冒険者らしい皮鎧を着た者が7名だった。


「ん?」

「どうした?」

「人数が…な」


言われて兵士は考え込んだ。

確かに変な人数であった。

馬車は3台分だが、死体の数が思ったよりも少ないのだ。

これだけの馬車があれば、もう少し人数が居る筈だった。


「奴隷用に連れ去られたか?」

「それもあるな」

「あるいは既に…」

「そんな!」

ガサガサ!


繁みが動く音が響き、みなが一様に緊張する。

上から見る限り、ここに人が踏み入った痕跡は見られない。

そして人型の魔物も、恐らくは踏み込まないだろう。

わざわざ危険を冒してまで、こんな崖の途中には踏み入らないだろう。

そう考えれば、自ずと答えは見えて来る。


ヴヴヴ…

ヴアアア…


繁みから這いずりながら、血まみれの人が頭を出す。

その顔は蒼白く生気が無く、目も虚ろに乾いている。

頭には切り傷が残り、流れた血は固まっていた。


「遅かったか…」

「くそっ!」


商人らしき人物と、冒険者の成れの果てが姿を現した。

既に顔色は土気色で、頭や顔には切り傷も残っている。

彼等は下着だけとなり、衣服までも剥ぎ取られていた。

彼等を襲った者達は、身包み剥いで投げ捨てたのだ。


「気を付けろ

 成りかけだが危険だぞ」

「はい」

「首や手を切り付けるんだ

 先ずは動けなくさせろ」

「分かった」

「そっちは任せる」

「こいつは…

 オレが切ってやる」


落とされた衝撃で、手足は折れているのだろう。

それでも這って、街や砦に向かおうとしたのだろう。

家族の待つ故郷に帰りたいと、その一念で這いずり回っていたのだ。

彼等の無念を思えば、一刻も早い処置が必要だった。


一行は無言で亡者に近付くと、一思いに手足や首を跳ね飛ばした。

しかし跳ね飛ばされた腕や首は、それでもまだ動いている。

亡者になった時点で、彼等は死ぬ事が出来ないのだ。

後は火で焼き払うか、司祭の使う神聖魔法で浄化するしか無い。

そうでもしなければ、彼等は解放されないのだ。


「これで動けなくなったが…

 どうしますか?」

「こっちへ運んでくれ

 残骸と一緒に燃やそう」

「分かりました」

「噛まれない様に注意しろ

 噛まれたら何の病気を移されるか分からないぞ」

「はい」


アーネストの指示で、兵士達は死体を運び始める。

噛まれたりしない様に気を付けて、そのまま死体を運んで行く。

噛まれても亡者にはならないが、何の病気が移されるか分からない。

まだ蠢く腕や脚も運ばれて、そのまま残骸の上に載せられた。


ヴヴヴヴ…

ヴアアアア…


まだ声を上げている死体を残骸の上に並べ、そこへ火を点ける。

亡者となった者達は、その上で不気味な唸り声を上げていた。



「まだ報われぬ魂に安息を

 彷徨う死者に永遠の眠りを与えたまえ

 火よ

 火の精霊よ

 汝が持ちし清らかなる力を、この者達に与えたまえ

 女神の聖名に於いて、彼等に安らかな眠りを与え給え

 聖なる火(ホーリー・ファイヤー)


アーネストが祈りの文句と共に呪文を詠唱して、聖なる火の魔法を掛ける。

これは本来ならば、教会の司祭が行う浄化の火の魔法である。

アーネストはうろ覚えの聖句を唱えて、亡者を安息へと誘う。

神聖魔法の行使で残骸に火が点き、同時に亡者へも炎が点った。


アアああ…

ヴヴううああ…


魂に火が点り、浄化されたのだろうか?

亡者の声は次第に小さくなり、ゆっくりと燃え尽きて行った。

アーネストは火が灯ったのを確認して、その場を離れる。

しかし無理な魔法の行使で、大きく魔力を消耗していた。

それで離れる際に、足が(もつ)れてしまう。


「っと…」

「大丈夫か?」

「ああ

 魔力の使い過ぎだ

 暫く休めば大丈夫だ」

「そうか…」

「さあ

 オレの事は良いから

 彼等に祈ってやってくれ」

「ああ

 女神様…

 彼等に安息の眠りを与えたまえ」

「女神様

 彼等に安らかな眠りを…」


ギルバートも祈り、併せて兵士達も祈りを捧げた。

死体を燃やす嫌な臭いが立ち込めたが、誰も文句は言わなかった。

彼等の不幸を思えば、この様な事は小さな事に思えたからだ。

亡者となった者達は、浄化の火に焼かれて灰に変わって行く。


「彼等に安らぎが与えられれば…

 良いな…」

「ああ」


火が落ち着いて他に燃え移らないのを確認してから、一行は繁みを出た。

そこにはナンディと、冒険者達が待っていた。

ここで葬られていたのは、彼等と同じ商人や冒険者達だった。

彼等にはこの光景は見せられないので、外で待ってもらっていたのだ。


「終わりましたか?」

「ええ」

「残骸が残されていましたので、燃やしてやりました」

「そう…ですか」

「くっ…」

「どこのメンバーだったか…」

「そこまでは…」

「衣類も鎧も残されていませんでしたから」

「そうか…」

「分からないか」


彼等には亡者になった事は伏せて、死体を残骸と一緒に燃やしたとだけ伝えた。

それに鎧や商人の荷物も残されていないので、彼等がどこの誰かが分からなかった。

何か分かる物でもあれば、ギルドで確認が出来ただろう。

それでも確認するには、ギルドのある街まで向かう必要があった。


「残念だが、みんな殺されていた」

「生き残りでも居れば…」

「死体は残骸と一緒に、全て燃やしました」

「それが宜しいでしょう

 亡者になって彷徨うのは、彼等も辛いでしょう」

「も…」

「ナンディ」

「分かっております

 数日も経っていますからね」

「ああ…」


ナンディはそれを聞いて、彼等の冥福を祈って目を瞑った。

冒険者達もそれに倣って、両手を併せて黙禱をする。

それが終わるのを見計らって、ギルバートは一枚の羊皮紙を取り出した。

それは馬車の柱に、釘で打ち付けられた物だった。


「それで…

 これなんですが」


ギルバートが持って来たそれは、隊商の商人を示した商標だった。

それがあれば、彼等が何処の誰であったか分かるからだ。

これを麓の町に持って行って、商人ギルドへ伝えるのだ。

商人ギルドであれば、記録から誰だか判明するだろう。


「では、ワシが預かりましょう」

「頼みます」


ナンディがそれを受け取ると、丁重に布に包んで仕舞った。

それを持って、ギルドで報告する為だ。


「後はワシにお任せください

 何者かが襲ったと伝えておきます」

「ええ

 よろしくお願いします」


ギルバートも頷き、それでこの事は終わりにする事になった。

ここでいつまでも、時間を掛けている訳にはいかない。

先を急がなければならないからだ。


「さあ、行きましょう

 先はまだ長いんです」

「ええ

 出発しましょう」


すぐに馬車に乗り込み、一行は準備を始めた。

今日中にこの公道の、半分は下りておきたいのだ。


「出発!」

「出発!」


一行が去った後を、栗鼠が見送っていた。

馬車が去った事を確認してから、栗鼠は小走りに繁みに入って行く。

そこには真っ赤なマントを羽織った男が立っていた。

栗鼠はその男の身体を駆け上り、男の耳元で何事か報告する。


「ありがとう

 これで彼等も彷徨わずに済みました」

チッチッ!


栗鼠の返事を聞いて、男は頷きながら答えた。


「そうですね

 あなた達にとっても、亡者は嬉しくない隣人ですからね」


男はそう呟くと、そっと栗鼠を地面に降ろした。

栗鼠は礼を言う様に小さく鳴くと、頭を下げて繁みの奥へ戻って行った。


「さて、後は私が…」


男はそう呟くと、何かの呪文を唱え始めた。


「こればっかりは、まだ彼にも無理でしょうから…」


男が呪文を唱え終えると辺りに淡い光が差し込み、光輝が静かに包み込んだ。

そこには清浄な空気が漂い、醜悪で不浄なモノを清めていっていた。

神聖魔法は、まだアーネストには使いこなせない物だった。

だから浄化したと思っても、不十分な浄化だったのだ。

このまま放置していれば、いずれは再び亡者と化していただろう。


「いずれは学んでもらわないと…」


男は懐の本を確認して、ゆっくりとその場を後にした。

ほんの数秒前と違って、辺りには澄んだ空気が流れていた。

その清らかな空気の中で、小動物達はのびのびと走り回っていた。


ギルバート達は、滑り易い岩肌の多い道を慎重に進み、夕刻前に野営地に到着した。

本当はもう少し早く着いて、ゆっくりと疲れを取る予定だったのだ。

それが馬車の残骸を発見して、その処理に時間を食ってしまったのだ。

一行は疲れていたが、黙々と野営の準備を始めていた。

ここで時間を使えば、それだけ休める時間が少なくなるのだ。


「思ったより疲れているな」

「ああ

 道が走り難かったからな」


滑り易い道を進む為に、馬車の操縦も神経を使ったのだ。

それにまた亡者が出るかも知れないと思えば、兵士や冒険者も緊張していた。

アーネストが時々索敵魔法で確認はしていたが、それでも安心は出来なかったのだ。


「魔物…

 出なかったな」

「ああ

 ボクが索敵してるからな」

「亡者も…」

「そうだな」


アーネストの様子に気が付き、ギルバートは尋ねる。


「居なかったんだよな?」

「それらしい場所はあった」

「はあ?」

「それらしい場所は…な」

「何で教えなかったんだよ?」


ギルバートは通って来た道を振り返りながら、アーネストに返した。

しかしアーネストは、首を振りながら答える。


「ボク達は急いでいるんだ

 それに…」

「それに?」

「全てを救おうだなんて、無理だろう」

「だからって…」


ギルバートはアーネストに詰め寄るが、アーネストはその手を払った。


「だったらどうするんだ?

 全てを調べて、その度に止まるのか?」

「そりゃあ…」

「なあ、ギル

 何で急いでいるんだ?」

「ダモンが反乱を起こそうとしているからで…」


ギルバートは言葉を濁しながら、俯いて答える。


「それならどうして、立ち止まろうとする?」

「それは…」

「場所は地図に記してある

 後程王都で報告するつもりだ」

「だが…」

「王都に急がなければ、もっと死人が出るかも知れない」

「そうなんだが…」


ギルバートは悩んでいた。

アーネストの言う事ももっともだが、それでも救える者が居るのなら救ってやりたかった。

しかしアーネストからすれば、それは事故満足の欺瞞であった。

ギルバートが全ての人々を、救う必要が無いのだ。

だからこそアーネストは、亡者が居そうな場所を記録するだけに留めていた。


「分かって欲しい

 これはお前の為でもあるんだ」

「オレの為…」


アーネストはそう言うと、静かに焚火の準備を手伝いに向かった。

ギルバートはそんな友の姿を見ながら、些か薄情だと思った。

いくら急いでいるからとはいえ、そのまま放置というのは心苦しかった。

そのまま友の姿を見ながら、物思いに沈むのであった。

まだまだ続きます。

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